只の短編集

只野夢窮

私は譲らない

 何があっても年寄なぞに、席など譲ってたまるものか。バス通学をしながら日々を重ねるほどに、強くそう思った。ここはそれなりに都会、にもかかわらず年寄が多い。

 朝だ。眠気を払いのけ、朝食を抜いて、歯を磨き顔を洗い鞄を持って家を出る。バス停までは20分もしない。

 7時45分、時間通りにバスが来た。年寄一杯乗せてきた。乗客の八割は年寄だ。このバス亭から乗るのも、私以外は年寄だ。だから、年寄に年寄をかけてとにかく車内は年寄だらけだ。むろん年寄はのろいから、年寄に先駆けて席を確保することなどたやすい。そんなことしなくても、席は全員が座れるだけあるのだが。

 通勤時間帯なのに、とにかく年寄ばかりだ。子供が一人に年寄が山盛り。これが全く癪に障る。この年寄の生活を私が支えていると考えるとむかっ腹が立つ。それでいて年寄はやれ薬の量が多いだのやれ年金が少ないだのという。その薬も年金も私たちが支えているんだぞと。

 何もひれ伏して感謝せいとは言わない。しかし多額の医療費も年金も私たちが支えているんだ。自分たちがもらえる保証もないのに。それをぶーぶー文句をたれるとは何事か貴様は。許さんぞ。

 そうはいっても年金も医療も、政治家が年寄に阿るのも、私にはどうしようもない。要するに諦めている。しかし何もせず諦めるのは嫌だから、席だけにはしがみつく。些細な抵抗だ。

 しかし年寄のほうは私の抵抗など知らん顔で平気に突っ立っているし、急停車もそれなりにはあるけれども、年寄がこけて死んだり怪我したりというのは見たことがない。こうなると年寄に席を譲るのがそれなりに意味があるかどうかさえ怪しい。

 そんなことを考えていると席がほぼ埋まった。私の隣は未だ空いている。と思っていたら、年寄が「すみませんね」と言いながら隣に座ってきた。さすがに隣の席に荷物を置いてまで妨害することはできない。

 年寄はいつもこんな調子で、人の隣に座るときはたいていすみませんだのごめんなさいだの言うが、すまないと思うのであれば座らないでくれといつも思う。何より、年寄はたいてい臭い。

 バスはもう年寄で一杯だ。日本の縮図であり、行先である。これらの年寄が日本を食いつぶしていくのであろう。朝から非常に憂鬱になる。ああ、やはり年寄は嫌いだ。朝から憂鬱にさせられる。彼らは寄生者だ。

 ああ、年寄が大声でしゃべり始めた。彼らは若者が電話を掛けたり、イヤホンが音漏れすると嫌そうな顔をするが、自分たちが世間話をするのはいいらしい。と思っていると、年寄が年寄に席を譲っていた。見た目ではなかなかわからないが、年寄にも体がボロボロなのと比較的元気なのがいるらしい。年寄が年寄に席を譲るのを私は心中で「老々介護」と呼ぶことにしているのだが、この現象、なかなか多い。同病相哀れむというのは本当らしい。

 こうも憂鬱な気分にさせられているうちに、降りるバス停まではあと二つとなった。隣の年寄は降りた。

 赤子の鳴き声がした。なるほど母親らしい。ピーピーなく子供を抱えて人の多い車内でふらふらしている。年寄は嫌いだが子供は好きだ。何せ彼らこそ宝である。年寄は廃棄物といったところか。年寄こそ嫌いだが人の心がないわけではない。赤子とそれを守る母親相手なら席を譲ってやらないこともない。どうせあと二つだ。

 えいっと席を立ち、母親に話しかけようとしたのだ。

「すみませんね」

 おい、だれが貴様に座っていいといった。俺はこの疲れ切った母親と、赤子とに席を譲ったのだ。立て、貴様!

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