魔法使いキィとク・ルゥ
鈴埜
誰が王女を殺したか
隣で不満げな顔をしている少女に、青年はは深くため息をついて宙に浮いている本を閉じた。そのまま部屋に備え付けてある机へと飛ぶことを命じ、彼女に向き直る。
「僕は最初に言った。船旅なんて退屈極まりない物だ。覚えてるね? ク・ルゥ」
軟らかい金髪の巻き毛が肩より少し上でふわふわと揺れている。肌の色は褐色。瞳は黄色みを帯びた金色。ク・ルゥと呼ばれた他人から見れば無表情極まりない幼い少女は、目の前の青年の言葉にそっと視線を外した。
彼はそんな少女の仕草に再びため息をついて外を見る。広がるのは――真っ暗な世界。
星間客船セイレスクォーツは、途中、
これが惑星内の列車での旅というならば、途中下車をしながら大いに楽しむことができたろう。しかし、船旅などは同じ風景の繰り返しで外より内側での娯楽に興じるしかなくなる。それは海を行く船でも、宇宙を行く船でも同じことだった。
「ク・ルゥは人と話すことが苦手なんだから、こうなることは目に見えていただろう。大人しく本を読んでいるのが嫌だ、チェスも嫌だ、じゃあ何をするんだ? 船内を鬼ごっこか? 悪いが僕は辞退させていただくよ」
真っ白な髪をかき上げて大げさに肩をすくめると、彼は足を投げだして座っていた恰好から、今度は片肘をついて横になり少女の顔を覗き込む。露わになった両の目は、左が緑、右が青という不思議な色をしていた。そして、右目には古びた
だが、今青年の目の前にあるのは十に満たない少女だった。
後半は完全に八つ当たりの産物である。少女と同じく青年もまた、この長い船旅に飽いていた。
ク・ルゥは、そんな彼に一瞥をくれ、突然ベッドから飛び降りると別段急ぐ風でもなく部屋を出て行く。その姿が完全にドアの向こうへ消えたとき、青年の方に変化が起こる。
「待て、待てよ! ク・ルゥ!」
空中から真っ白なマントが舞い降り、それを乱暴に着ける。脱ぎ散らかしたこれまた白い靴を慌てて履くと彼女の後を追った。
しかし、左右に長く伸びた廊下のどこにも、あの小さな姿は見あたらない。
「ク・ルゥ!」
右手に力を込める、が――
『現在地は49-135-822。六十帝国秒にて【禁猟区】へ入ります。その際船が少々揺れることがございます。皆様お気をつけください』
「くそっ! なんてタイミング」
【禁猟区】では魔法を使えない。宇宙には何カ所もそういった場所があった。宇宙船の動力も魔法動力から反物質動力に切り替わる。
「ク・ルゥ! 僕が悪かったから!」
青年――白髪の魔法使いの叫びがむなしく廊下に響き渡った。
「ねえ、見た? ラウンジ」
「ああ、名のあるお歴々がずらり勢揃いだったな」
若い、十六、七ほどの娘が体格の良い男に話しかけている。
「ほとんどが帝国に住む貴族なんですって。でも、やっぱり気品と言った物はうちの姫様が一番ね。持って生まれた資質っていうのかしら」
彼女のミラ王女贔屓はいつものことで、話しかけられた男はもう一人の男と顔を見合わせ苦笑する。
「俺たちにしてみればこんな少数で移動なんて正直困るんだけどな」
惑星テイラスの次期王候補の一人である王女ミラ=フェーリイラはとある式典に出席するためはるばる帝国領までやってきた。その帰り、今回の式典に合わせて作られた星間客船セイレスクォーツに乗って行かないかとの申し出を受けたのだ。もちろん断ると思われたそれを、ミラ王女は快諾した。しかも、他の乗客の方に悪いからと言う理由で供の数を極力減らす。
もちろん、周囲は大いに反対した。だが、それも彼女の「帝国の、最新式の船に間違いなどあるはずがないでしょう」との言葉で折れるしかなくなった。その言葉を受けてまだ反対すると言うことは、帝国の力に信用が置けないという、なかなかに危険な主張となるからだ。
帝国にも、護衛にもそうとうなプレッシャーを与えて今回のセイレスクォーツ処女航海へ、ミラ王女一行は参加することとなった。
「母船は息苦しいのよ、姫様はもともと我が侭を言うような方ではないし、それに、言っても奴らに聞き入れてもらえることなんてないし。帝国からテイラスまでの間、たまにはゆっくりくつろいでいただきたいな」
肩を落として王女のことを想う娘に、男たちはやれやれといった表情で再び顔を見合わせる。
「ま、どっちにしろ今もあの男がべったりだし、王女の心が安まっているようには思えないがね」
「まったくだ。本人は取り入ってるつもりなのかなんなのか。迷惑がられてるのがわからないのかねぇ……っと、噂をすれば」
男の一人が左手からやってくる二人に気付き、背筋を伸ばす。慌ててもう一人も、娘は頭を下げて出迎える。
「ソナ! 無駄話をしていたんじゃないだろうな。部屋の片づけはしたのか? 水差しの水も新鮮なものに変えてあるだろうな?」
きりきりと眉を吊り上げて怒鳴り散らす男に、ソナと呼ばれた娘は頭を下げたまま舌を出した。ついこの間配属されたばかりの従者の一人。偉そうに威張り散らす男で皆から嫌われていた。王女に忠誠を誓っていると言うよりも、その後ろにある権力に媚を売ろうととしているのがあからさまで見ていて腹が立つ。
だが、彼らよりも地位が上なのは確かで、ソナは頭を下げたまま、はいとはっきり返事をした。
「そうか。……その、子どもはなんだ?」
子ども? と思いながら彼、ジェイ=ウォーハムの指さした方へ目をやると、そこにはいつからいたのか褐色の肌と金色の瞳を持った少女、ク・ルゥがあった。
「何者だ、お前は、いつからそこにいた?! お前たち、今まで気付かなかったのか!」
神経質な甲高い声にこちらまで苛立たされながらも、今までその存在に気づけなかったことに首を傾げる。廊下は長く、折れる場所は随分と遠くまでない。確かに床には絨毯が敷かれているが、それでも気付かないことはないと思う。
「おい! 名前は、保護者は誰だ!」
詰め寄るジェイにも少女はまったく表情を変えずにじっと彼の方を見るだけだった。気味悪さを感じたのか、無理矢理その手を取ってこの場から排除しようとする。
さすがにそれは可哀想だろうとソナが止めに入る前に、王女の厳しい声が響いた。
「お止めなさい。この船には他の乗客の方もいらっしゃるのよ? 我々の船ではありません。部屋の中を勝手に歩き回られたわけでもなし、小さな子どもに何をするのです」
滅多にこのような物言いをする人ではないので、皆びっくりして動きを止める。その隙に王女はク・ルゥの前にしゃがみ込んだ。
「ごめんなさい、驚かせて。大丈夫?」
軟らかい頬に右手をそっと添えてやると、ク・ルゥは王女を見つめ、目を伏せた。
ん? どうしたの? と緑色の瞳を軟らかく細める。すると、少女も王女の頬に手をやる。彼女の緩く結い上げられた髪のほつれた部分がク・ルゥの指先に絡まる。
「そうだわ、驚かせてしまったお詫びの印にこれをあげるわ。ほら、貴方の金髪にとてもよく似合うわよ」
取り出した赤いリボンを器用に彼女の頭に結びつけた。
驚いたように、しかし無表情に顔を上げる少女に、ミラ王女は頷く。
「うん、可愛い。魔法使いに宜しくね」
「魔法使いというと、あの――」
ジェイが弾けるようにク・ルゥへ顔を向けた。
「ええ。乗り込むとき見たわ。彼女は魔法使いの連れよ。さ、少し頭痛がするので眠りたいの」
その言葉を契機に、ジェイとソナは王女の後を、二人の男は変わらず扉の前に直立する。ク・ルゥは少しだけその場に留まると、やがて背を向けて来た方向とは反対側へと歩き出した。
【禁猟区】では体が重く感じられる。錯覚以外の何ものでもないが、それでも舌打ちしたい気分にかられる。
その昔、たくさんの魔法使いがいた時代、彼らは随分とやりたい放題で世を生きていたらしい。しかし、この【禁猟区】では彼らもただの人となる。魔法使いに狩られることのない場所、と言う意味と、魔法使いが唯一狩られる場所でありそれを禁ずる――後が怖い――場所、と言う意味。どちらが本当なのかは分からない。
ク・ルゥが船旅をと言った意味は、実のところ分かっている。彼に魔法を使わせたくないのだ。魔法は使えば使うほど、寿命が延びる。それをうらやましがる輩が多い。だが、本当に考えてみたことはあるのか? 永遠ともいえる時を過ごし続ける。死にたいと言えば、贅沢者と罵る輩たちはゆるゆるとした生を終え目の前で冷たく腐る。勝手に罵り、お互いをうらやましがるそんな関係は、生と死という話題の根本により幕を引かれた。論争しあう相手は、舞台から次々に下りてゆく。
ク・ルゥは、魔法使いが魔法を使うことを嫌った。
あちこちを歩いて探し回り、最終的にやってきたのは人が一番集まる場所。他人と滅多に話すことのない彼女がほとんど来る可能性の低い場所だ。
彼がフロアに足を踏み入れると、自然に皆がこちらを向く。威圧感とも言うべき雰囲気がそうさせるのか、異質な物へ本能が警戒を呼びかけるのか。どこへ行ってもほぼ同じような反応を得られる。
それを気にしていては始まらないのでざっと見渡し――足下を中心としているので彼らと目が合うことはない――、目標物に当たらないとなると、船員で一番偉そうな人物に当たりをつけて近寄る。この場合は、船長だった。
「小さな、そう、僕の腰ほどの身長しかない金髪の少女をみなかったか?」
「これはこれは。魔法使い殿。――確かお連れの方ですよね。船内で迷子になられたのでしょうか?」
「まあ、そんなものだ」
これだけの広さがある客船だ。こういった事態にはよく出くわすのだろう。手慣れた様子で近くにいた男に何か命を下す。
「それは心配でしょう、船員に探させますので」
「ああ、すまない」
「いえいえ。もしよろしければお部屋にお連れしますが」
だが、魔法使いは首を振る。見た目よりも軟らかそうな白髪が左右に揺れた。
「いや、見つけたら教えてくれ。僕が行く」
「分かりました。ではご連絡いたしましょう」
と、そこへ――ミラ王女の従者、ジェイ=ウォーハムが真っ青な顔でラウンジに入ってきた。船長の姿を見つけると息を切らせて駆け寄る。
「王女が、王女が!」
「ウォーハム様、どうなされました。落ち着いてください」
だが、次に繰り出された彼の言葉で動揺することのなかった者は、それこそ人でない魔法使いのみであった。
「王女が、殺された……」
船長の指示は的確であった。パニックに陥らないためにも、あまりその場を動かないよう呼びかけ、船医を伴って王女の部屋へ向かう。また、船員の一人にある人物を呼びに行かせた。
意外だったのは、魔法使いが彼らの後をついてきたことだ。
「僕も行こう」
さすがに船長もそれには表情を曇らせた。
「邪魔はしない。連れがもともとこういった突発的事項に巻き込まれやすい性質でね」
有無を言わさぬ口調に諦めて、先を行く。今はジェイの言葉を確かめることが先決だった。王女の部屋の扉の前では、ソナが泣きじゃくり、二人の男がその彼女をそれ以上部屋に入らないよう押さえながら慰めていた。ジェイはそんな彼らに目をくれるもなく扉を開ける。中は二部屋になっており、ミラ王女は奥のベッドの上に静かに横たわっていた。頬にはまだ赤味があり、生きているのと変わりない。
だが、船医が彼女の左手を取り脈を診る。
そして――静かに首を振る。
王女が亡くなったのは確かな事実だった。
ジェイはそれを見ると大きな声を上げて泣き出す。船長は彼女の死を悼みながらも責任問題という文字が頭の中に点滅していた。死人以上に青白い顔で静かに生を終えた彼女を見つめる。
「それにしても、彼女は何で亡くなったのでしょう……毒物か? とても、甘い香りがする」
船医の言葉に船長とジェイは鼻をひくつかせた。確かに花のような匂いが、どうやら王女の体から発せられているらしい。
「これでも軍にいたので様々な遺体を見ておりますが、こんな例を知りません」
不審な死に、皆眉をひそめる。だいたい、扉の外は従者のうち最低一人が見張っている手はずになっているのだ。
魔法使いはというと、そんな彼らと全く別の次元で困った顔をしている。
「いないか」
王女の死など眼中にない。そうとも取れる呟きに、ジェイが怒りを露わに顔を上げた。
「見たこともない不審な死……まさか、魔法使い――貴方がっ!」
慌てて船長と船医がそんな彼を押さえる。魔法使いに逆らえばどんなことになるかも分からない。巷ではそんな噂が溢れている。しかし、怒るでもなく彼はけだるそうに肩をすくめるだけだった。
「阿呆。この【禁猟区】でどんな魔法使いが魔法を使えると言うのだ」
その言葉に誰もがはっとする。
確かに、ミラ王女が寝室へと入って行ったのは【禁猟区】を越えてからのこと。ジェイはそれをソナと一緒に見送っている。
「随分と僕に優しい殺人者だ」
そう言うと、くるりと踵を返して部屋を出ていった。彼にとって重要なのは連れのク・ルゥを探すことであり、それ以外ではない。
白いマントの裾が宙に舞う。その軌跡を追っていると、入れ替わりに厳つい口ひげを蓄えた男がやってきた。特別背が高いわけでも、太りすぎているわけでもない。だが魔法使いのそれとはまた別の、人へ威圧感を与えるような雰囲気があった。
「おや、あれは噂の白い魔法使い殿じゃないか――帝国警察のゲインです。惑星テイラスの王女が亡くなったと?」
目の端で白い彼を追いながらも胸ポケットからIDを取り出し船長へ見せる。
「休暇中申し訳ありませんが、一応立ち会っていただけないでしょうか」
「まあ、こんなことが起きてるのに連絡がない方が反対に拙い。乗りかかった船とも言いますしな!」
彼にしてみれば軽い冗句だったのだろうが、それに乗れるような気分でなく、船長はそのまま続けた。
「最初に王女を発見したのはそこの彼と、外にいたソナという女性です。夕食の時間も近かったので、どうするのか聞きに上がったところ、返事がなく、三十帝国分後また聞いてみたものの、ことりとも音がしない。さすがに時間が迫っているのでソナさんが起こしに入ったところ、このような状況に」
「慌ててジェイ殿が船長を呼びに行ったと。……それにしてもなんですか、この香り。香水にしたってちょっと振りまきすぎじゃないですかねぇ」
「いや、それが違うのです。どうも――王女の体から発せられているようで……」
船医の言葉にゲインは眉を跳ね上げようやく遺体に近寄った。
生前と変わらぬ肌の色、今にも起き出しそうなその様子に首を傾げる。
「血液の凝固がみられない?」
「たぶん。解剖してみないとなんとも言えませんが――」
人は死ねば血液の循環が止まる。血管内の赤血球が体の下側に溜まって行き、今のように頬に赤味がさしているなどといったことは滅多にない。やはり何らかの毒物によるものだろうと当たりをつける。解剖してみればもっと分かるはずだ。しかし――。
「それは、いけません。絶対に駄目です。王族の方を解剖するなど! お脈を診るのは必要なことだと分かりましたからそれだけは目をつぶっておりました。しかし、その高貴な体を、その、ましてや切り刻むなど言語道断です」
あまりの剣幕に三人はきょとんと顔を見合わせる。
「しかし――」
「いえ、絶対に。これ以上触れることも許されません! 帝国警察なのでしょう? 王女の体に触れることなく調査してください!」
無茶なことを言うと、ゲインは苦笑した。しかし、諦めるべきだろう。帝国の船で王女が死んだ。これ以上余計な摩擦を生むようなことは避けなければならない。
「こ、このようなことになるなんて……やはり、お止めすべきだった! ミラ王女……」
再びジェイは床に崩れ落ち、嗚咽を上げる。
よく泣く男だと呆れ顔で彼を見てから王女の遺体に向き直る。
解剖ができない。触れることすらできない。しかし、もしそれらができたとしてもこの死因には心当たりがなく、謎は解明されないような気がした。
「白い魔法使い、か」
「お知り合いで?」
ゲインの呟きを耳ざとく聞きつけた船長に、いや、と顎を撫でて答える。
「名前をよく聞くだけだ」
【禁猟区】の終わりを告げるアナウンスが、船内に響いた。
ベッドに、平然とした様子でク・ルゥが本を広げて寝転がっていた。魔法使いは入り口の壁に右手をつき、左手は腰に。足を組んで右手人差し指で壁をこつこつと叩く。
しかし彼女はうつぶせになり足をばたつかせて振り返りもしない。
「ク・ルゥ」
マントをぱちりと外して宙に放り投げる。それはまるで見えないクローゼットに吸い込まれるように消えた。次に白い革靴を脱ぎ捨てると勢いをつけてベッドに飛び乗る。小さな彼女の体が鞠のように弾んだ。金色の髪をふわふわとゆらしながら、ころりと転がり仰向けになる。
金色の瞳と、青と緑の目があった。
「僕はだ、ク・ルゥ。【禁猟区】で色々と面倒だというのに、君を散々捜し回った。六十帝国分は探しまくった。この僕が、歩いた。六十帝国分だぞ? 一日分歩いた。革靴の底が減った! なのに君はいつの間にか戻って悠長に、しかもさっきは読むことを否定したこの本を――」
魔法使いの愚痴に、ク・ルゥは体をくるりと回転させまた同じように本を読み出す。その態度に彼は形の良い眉をつり上げて指を鳴らし本を消した。
「話の途中だ、ク・ルゥ!」
その仕打ちに驚くでもなく、そのままのうつぶせになった姿勢でゆっくりと彼を見上げる。金色の、無表情な双眸を魔法使いへ向ける。
「僕が、どんなに大変だったか分かってるかい? ク・ルゥ」
「……」
「……魔法使いの僕がだよ? 人捜しのために歩き回るなど」
「……」
「……」
沈黙が、その場を支配する。じっと見つめ合う二人。
折れたのは――やはり魔法使い。
「ああ、悪かった」
頭を揺らし、肩をすくめて、口だけで反省の言葉を吐く。
「僕が悪かったよ。本当に退屈していたのは僕で、八つ当たりしたのも僕だ。全面的に認めよう」
いちいち芝居がかった口調で並べ立てる。その間もク・ルゥは視線を外さない。
「よし、分かった。レストランへ行こう」
あぐらをかいた彼は、膝をぴしゃりと叩くと人差し指を立ててク・ルゥへ提案する。
「君の好きなパフェを食べるといい。あのどろどろとした茶色い甘いソースをたっぷりとかけ、もったりべったりした半分空気でできている白いクリームをふんだんにつかったあれを」
嫌な言い方しかできないのも彼だった。だが、ク・ルゥの様子が少し変わる。
「つぶつぶがいっぱいついた早詰みで酸っぱいだけの赤い果実を山盛り乗っけて、血糖値を大いに上げて糖尿病になるがいい!」
彼の宣言が終わるや否や、少女はベッドの横にきちんと揃えてあった靴を履き、ついでに魔法使いの分も揃えて置く。
やれやれと肩をすくめつつも、彼女の機嫌が持ち直して一安心した彼は、再び宙からしみ一つないマントを召喚した。
「まったく。調子がいいというかなんというか。君のせいで変な事件にも巻き込まれそうになったし――ん?」
彼の呟きにク・ルゥはぴくんと肩を揺らす。その仕草に魔法使いもマントを着ける手を止めた。
「ク・ルゥ?」
こちらを振り返る彼女の瞳を見て、大げさに天を仰ぐ。
「おお、またか。やはり、また、なのか? 君は本当に騒動に巻き込まれるのが上手い。今回は現場にいなかったから違ったかとも思ったが、それ以前に既に関わり合ってたというんだね? サスガだ。まあ、帝国警察もいたし、どうにかなるだろう」
彼女の瞳の奥の動揺を見なかったことにして部屋を出て行く。しかし、彼女は動かない。一度扉が閉まり、長い沈黙の後再び扉が開いたとき、口を尖らした彼があった。
「君は僕にいったい何をしろと言うんだ! 魔法を使うなと言ったり、魔法を使えとけしかけたり。僕に――何を期待している!」
すると彼女は怒りなのか頬を紅潮させている魔法使いの足下で、彼を見上げた。かなりの身長差。のぞき込み、のぞき込まれる。
そして、決定的な一言がもたらされる――ただし、下から。
「キィ」
彼女が、魔法使いの名を呼ぶ。
それに抗うことは、難しい。
決して命じているわけではない。決して懇願しているわけではない。
ただ彼女は、呼んだだけである。
しかし魔法使いにとってそれは絶対だった。
「うあああああ」
彼はぐしゃぐしゃと白髪をかきむしると、ク・ルゥを肩に担ぎ上げた。
「僕は、なんてお人好しだ!」
指を鳴らす。
目の前でゲインが首をひねっていた。
突然現れた魔法使いと少女に、ゲインは驚きを隠そうともせず数歩後退った。
「ま、魔法使い殿!? あまりそう言った現れ方は……それにここは現場です」
そんな彼に鼻を鳴らして答えると、ク・ルゥを床へ下ろす。彼女は魔法使いのマントの裾をくしゃりと掴み、その内側へ入る。
「僕だって好きこのんでここに来ているわけではない。が、僕の大切なものがここへ行けと言うのだ。仕方ないだろう」
そういって辺りを見渡した。
肝心の遺体の調査が出来ず、仕方なしに部屋に付いている指紋等を調べていたが、不信人物の足跡が残っているわけでもない。捜査は難航の一途を辿っているようだ。
部屋はいたってシンプルで、余計な物は一切置いていない。持ち込んだ衣装もクローゼットにしまってあるし、鏡台もたくさんの化粧品が並んではいるが、それらは整頓されている。その引き出しには鍵が掛けてあり、中に高価な宝石が入っていたそうだが、それも無事だ。
と、魔法使いはサイドテーブルに置いてある水差しに目をとめた。
綺麗な指を真っ直ぐつき出す。
「それ、怪しい」
「ん? この水差しとグラスか? だが使われていないようだが」
「うむ。が、僕の勘がそう告げている。誰も手を触れていないはずだな? 一応鑑識に回した方が良い。その際、この部屋の大気も持ち帰り復元魔法にかけることをオススメする」
「ここにあったものが大気中に溶けたと?」
「その可能性が高い。ような気がする」
全ては勘の元に繰り出される言葉。
「お、王女は水を飲んでいらっしゃらないので?」
顔色の悪いジェイが、もごもごと尋ねた。警部は水差しをもう一度眺めて、
「だなぁ。水が減ってない。それが?」
「い、いえ……部屋に入ったとき喉が渇いたとおっしゃっていたので、今、思い出しただけです」
「ほう。と、言うことはあんたが王女を部屋へ送ってきた直後に何かが起きたってことになるのかな。この水差しは誰が準備したものだ? 船員かな?」
「いえ、王女は水にはこだわられる方で、本国より持ち込んだものがあります。準備したのは、ソナですが……水には怪しいところはありませんよ。毒味はしますし」
「僕は水とは言っていない。グラスだ」
ジェイがびくりと肩を揺らした。それは失礼しましたと頭を下げる。
「まぁ、一応検査させてもらうよ」
「……はい」
そんなやりとりを見ていた魔法使いが、ふむ、と声を発した。たったそれだけの単語であるのに、皆が足を止める。大きな声だったわけでもない。だが、次に彼の口から紡ぎ出される言葉に誰もが注目していた。
「警部、この部屋は密室だったんだろう?」
「ああ、完全にな。部屋を通れば記録が残る。王女が部屋に帰ってきて、ジェイ殿とソナ殿が出ていって以降、彼女の死亡推定時刻――【禁猟区】であった時間帯にこの部屋を出入りした物はいない」
「わ、私は違います!」
ジェイが慌てて否定した。
「私だって! 私が姫様をなんて……絶対、ないわ」
入り口付近に控えていたソナが泣きはらした目で魔法使いを睨み付ける。そんな彼女に魔法使いは手袋をした右手を上げ、応える。ソナは口をつぐんだ。
そして全く違うことを尋ねた。
「警部殿、船が惑星テイラスに着いたあと、我々はどうなる?」
「申し訳ないが一時拘束だな。テイラスの第三王女が不審な死を遂げた。帝国もテイラスとの外交上乗客を自由にするとは思えん」
「それは困る。テイラスのオーロラはこの時期しか見られないんだ。ク・ルゥががっかりする」
「よし、大サービスだ。
魔法使いには様々な能力がある。その中でも彼はこの
それが、何を思ったか珍しく披露すると言う。
「誰もギャラを払う人間はいないぞ?」
噂を聞いているゲインが心配そうに、当然の忠告をする。
だが白髪の魔法使いはからりと晴れた笑顔で頷いただけだった。
「文句はないな? ク・ルゥ」
自分の足下にいる少女に問いかけると、彼女は不承不承と言った感じで頷いて、部屋の壁まで走り背中をぺたりとつけた。再び頷く。
「それではそれでは、時を司るはこの右手」
くるりと手のひらを返すたびに風が起こる。淡い光りが彼の体を包み込んで行く。
「今は無き指針は彼の姫君」
左手で真っ直ぐ指さした先に王女の遺体がある。それも魔法使い同様薄い緑色の光りに包まれていた。
「ここに誕生したからには、誰にも平等に訪れる死。その瞬間彼女は何を考えたか。何を思ったか――真実は――」
だんだんと魔法使いの声が小さくなり、やがては彼は瞳を閉じて宙に浮いた。ふわりとその体勢のまま空を飛ぶ。
『もう、見てはいられない……』
魔法使いの口だけが動く。だがその声は、女性の物。
「ミラ王女!」
従者の一人が声を上げる。
だが、そんな呼びかけに応えることなく魔法使いは話し続けた。
『惑星は衰えて行く。貴族間の争いのため、国政は後回し、私腹を肥やし、民は貧窮する。私は完全に操り人形。自分の意見を言うことなど許されていない。それでも、誰かが国のことを考えているならば、私は喜んで人形になろう。だが、彼らが考えているのは地位、賄賂――金。その金はどうやってどこから生まれたかなど歯牙にもかけない。民は搾取されるためにあるとしか思っていない。そして、ティナが……彼女が私の命を狙うはずがない。そんなことは有り得ない。幼い頃からずっといたティナ。彼女が――私の暗殺を企てたなど……。愚かな私でも分かる。私を、精神的に追いつめるために、そのような嘘を。この王宮内のどろどろとした争いに、彼女を巻き込んでしまった。何度王位を放棄しようとしたことか。だが、私にはそれを選ぶ権利すらない。私にある権利と言えば、残るは一つのみ。貴方の死を無駄にすることになるのだろうか――だが、私は民を愛している。この惑星テイラスの全ての者を愛している。これ以上、彼らが苦しむこと望まない。時期王候補は二人いるのが悪いのだ。それならば、私は――』
長い、ため息が聞こえた。
いつの間にか魔法使いと王女を取り巻く光りが消えている。
「禁猟区ならば――あの
魔法使いの両の目がゆっくりと開かれる。青と緑のオッドアイが、妖しく光を放つ。
「さて、お前」
王女を差していた指で今度は従者のジェイを差す。いきなり呼ばれた彼は肩を波立たせるほどにうろたえた。
「そう、お前」
一歩一歩、距離を縮めて行く。だが、それを恐れるかのようにジェイも後ろへじりじりと下がって行く。
「なぜ、『王女が殺された』と言った?」
ジェイが壁に当たる。もう下がることは出来ない。逃げ場は――ない。
「この部屋は密室。争った跡もない。なのに、なぜ、殺人と言う?」
二人の間だが一気に狭まり、魔法使いはジェイの瞳を覗き込んで問う。
「彼女の残したこの叫び、何百年も生き続けるこの、僕の胸に響いた」
大きな音を立てて、壁に手をつく。
「さあ! 答えよ!」
魔法使いの剣幕に、ジェイは悲鳴を上げて手の平に隠していた転移珠に息を吹きかける。だが、呪文が完成する前に、彼は再び苦痛の叫びを上げることとなった。
魔法使いがさっと右手を上に払う仕草をすると、ジェイの珠を持った手があらぬ方向へねじ曲がる。
「うああああああ」
鈍い音がして、一層の叫びを彼から引き出した。
周りにいた従者たちからも恐怖の声が上がる。
「これは王族に伝わる秘伝の毒。そうだな? 昔知人に聞いたことがあるよ。死してもなお気品を失わないよう花の香りがすると」
這ってその場から逃げようとするジェイに再び風が襲い掛かった。そのまま巻き上げられ、壁に叩きつけられる。
「王女は勘違いしていたらしいが、彼女を追いつめるためだけにティナが捕らえられ、殺されたわけではない。お前が真の暗殺者としてその地位を得るためにその娘が邪魔だったんだ」
彼の言葉とともにジェイの体がひらりひらりと舞い、落ちる。他の従者たちは既に悲鳴を上げて部屋を出ていった。
そう、ソナすらも、王女の死の事実より目の前の魔法使いを恐れ逃げ出した。
「彼女はお前たちのおもちゃではない。人の痛みを分かる人間だ。それを、己のために殺そうとする!」
さらに激しく腕を振り上げようとする、がその手を掴まれた。
「待て、もういい。後はこちらに任せろ」
気付けば、部屋にいるのは怯えきって貧血を起こしそうな船長と魔法使いの腕を押さえているゲイン。床にうずくまり荒い息をしているジェイに真っ直ぐ魔法使いを見つめている、ク・ルゥ。
「あんたの怒りはもっともだ。
ゲインの低い声が、魔法使いに響く。
押さえられていた手を振りほどくと、天井を見上げて目を閉じ、大きく息を吸った。
「警部殿、あんた、あいつが怪しいってわかってたろ」
「まぁな」
ゲインはカチリと音を立てて、胸ポケットから取り出した煙草に火をつける。
「おかしいだろ? 王位継承者でもある人間が死んでる。何故それを知らしめようとする? 普通はなんとしても隠す。きっと水を準備させたソナに罪をかぶせるつもりだったんだろうよ。検死も全てテイラス内で行われりゃ、適当な診断で全てを闇に葬れる」
「僕がいなかったらどうしたんだ」
「さあ。終わったことはわからん」
「タヌキめ。僕の
さて、と首をすくめて彼の怒りを不当に買わぬようにとゲインはジェイの側に寄っていく。拘束し、しかるべき処置をしなければならない。事件が表に出るか出ないかは、人間の問題だ。魔法使いの彼はそこに口を出す気はなかった。ミラ王女の死は変わりない。
「キィ」
ぱたぱたと足音をさせてク・ルゥが彼の元に駆け寄ってくる。それをすくうように抱き上げると、ク・ルゥも魔法使いの首にしっかりと両手を回した。
「うん、大丈夫……大丈夫だよ」
肩ぐらいまでの金髪の巻き毛を優しく撫でる。その軟らかい髪に顔を埋める。
「そのリボンは、ティナが王女にくれた大切な品だったんだって……」
ク・ルゥにだけ聞こえるような小さな声で言う。彼女の腕がさらに強く彼の首を抱く。
「ああ、知ってたのか。彼女にとって大切なお守りだったんだ。それを、ク・ルゥにくれた。――僕の大切なお守りに」
『間もなく、惑星テイラスに着陸します。着陸時の衝撃はありませんが、一応お気をつけください』
先ほどまでとは違う声での船内アナウンス。目の前に青い顔をしつつも、ようやく己を取り戻した船長の姿がある。ゲインとなにやら難しい顔で打ち合わせをしている。とんだ処女航海となった船長には気の毒だが、今後の後始末も彼の仕事の一つだ。同情はしない。
「さ、オーロラを見に行こう。姫が愛してやまなかった物の一つ。惑星テイラスの名物、闇色のオーロラを」
大気圏を抜け、惑星内に入ったのが窓の景色から窺われた。
「キィ」
ク・ルゥの呼びかけに小さく頷くと、魔法使いはぱちんと指を鳴らす。
次の瞬間には、二人の姿は消え失せていた。
了
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