ガーネットの愛した肉体言語
波間
第1話 全ての道は筋肉へと通ず
とある海岸線を走る、二車線の道路の上――そこに、一人の、真っ赤な人魚がいた。
彼女の髪の毛は、燃えるような赤色だった。そしてその長くて赤い髪の毛は、後ろで束ねられていて、ポニーテールになっていた。また彼女の下半身は、魚と同じものだった。炎のように赤い鱗は、日の光を反射してキラキラと煌めいていた。そして彼女の尾びれは、とても大きくて立派で、鋭く尖った形状をしていた。
彼女は――どこからどうみても、紛れもなく、人魚だった。それなのに……どうしてなんだろうか? 一体どういった理由があって、人魚が、海岸沿いの道路なんかにいるんだろうか。
こんな場所で、できることなんて、ヒッチハイクくらいしか無い気がするんだけど……。
道路の真ん中にいる真っ赤な人魚は、こちらへと向かって、大声で叫んできた。
「この道路は、私が"封鎖"することにしたよ! あたしがいる限り、この道路は、決して使わせたりしないからね……! けれど……もしも『どうしても通りたい』と言うのなら……。あたしを、倒してから行くんだね!」彼女は、元気良く明るく、そして少し無邪気そうに大声で言った。
と、とんでもないことだ……! 一体なんてことを、言い始める人魚なんだろうか。
道路を封鎖されたりなんてしたら、困るなんてものではない。本当にやられたら、ちょっと洒落にならないんだけどなあ……。
◇ ◆ ◇
――私の住んでいる、この地域は、海に面した位置にある。
そしてこの地域の陸上には、人間たちが住んでいる。それに対して、この辺りの海には――人魚という種族が、住んでいた。
2つの異なる種族が、隣接した地域で暮らしているなんていう状況は、非常に危険で不安定な状況だった。なんといっても、異なる価値観を持った種族同士が、すぐに顔を合わせることのできる位置で暮らしているわけだ。どうしても、種族間の摩擦は起きやすい。
だから日常的に、人間は人魚に対して、よく諍いを起こしたりしていた。そして同じように人魚も、人間との間で、頻繁にいがみ合いを起こしたりしていた。
それでは――人間と人魚との間で、何かしらの問題が起きたときには、いったい誰が、それを解決してくれるというのだろう?
もちろん、本当に大変な時には、きちんと警察が出動してくれる。
しかし……そこまで大事ではないような、微妙なラインの玉虫色な揉め事の場合には、警察はいちいち出動してくれない。たとえ警察を頼ったとしても、「そのくらい、他の人がなんとかしてくださいよ」と言われて、仕事を放り投げられるだけだった。
そこで……こういう場合には、とある一人の男性が、対応に当たることになっていた。その男は、人魚と人間の間で微妙な揉め事が起きた時に、しょっちゅう出動を要請されていた。
その白羽の矢が立てられた男というのは――この自治体で働いている、とある一人の男性だった。さらに詳しく具体的に言うのなら、その男性というのは、つまり――
私だった……。
そう――しょせん私は、社会の歯車の一部。どうしようも無い厄介ごとを押しつけられ、しわ寄せに頭を悩ませる、悲しい存在に過ぎないのかもしれない……。
そもそも……仮に、相手が素晴らしく可愛い人魚だったとしても、その行動の全てが許される、なんてことには決してならない。可愛いだけで許される範囲というものにも、やはり限度というものがあるはずだった。
例えば――自分の目の前に、性格も良くて、見た目も麗しい、絶世の美少女がいたとする。そしたら突然、その絶世の美少女が、自分のことを、思い切りぶん殴ってきたとする。
もしもそんな状況になったとしたら、果たして、喜しい気持ちになれるだろうか?
――そう思う変態もいるかもしれないけれど――まともな趣味をしている男なら、嫌だと思うはずだ。
だから、いくら相手が人魚とはいえ、嫌なものは嫌だった。だから、できればトラブルの処理なんて、あまりやりたくはないんだけどなあ……。
しかしやはり、お仕事はしなければならない。
今日の私のお仕事は、海岸沿いにある道路を封鎖している、赤い人魚を、海へと帰すことだった。
――道路というのは、もの凄く大切で、とても価値の高いものだ。
このあたりに住んでいる地域住民が、安全に交通するために、なくてはならないものだった。そして生活に不可欠なものだからこそ、大切な税金を沢山使って、道路というものは造られている。
そんな大事なものを、勝手に封鎖しようだなんて……。いくらなんでも、許すわけにはいかない。
地域住民の安心安全快適な暮らしを守るためにも、なんとしてでも、赤い人魚を止めなければならない。
……それと、ここでもしも失敗すると、私が道路管理課から怒られてしまうのかもしれない。その状況だけは、なんとかして避けたいなあ……。
◇ ◆ ◇
それにしても――この赤い人魚は、一体どうやって、道路を封鎖するつもりなんだろうか?
いま彼女は、陸上にあるコンクリートの道路の上で、たったの一人きりだ。こんなにも孤独な状況だというのに、彼女が道路を封鎖するなんてことは、本当に可能なんだろうか?
私がそう思っていると――彼女は、おもむろに尾びれを高く振り上げた。そして……精一杯高いところまで、尾びれを振り上げた後、赤い人魚は――その尾びれを、目にも止まらないほどに凄まじい勢いで振り下ろし、コンクリートの道路へと叩きつけた!
バコォンッ! という轟音が響き渡る。その衝撃音は、あまりにも大きく強かったので、私の鼓膜は、まるで痙攣したようにビリビリと痺れてしまった。
一体彼女は、何をやっているんだろう……!?
驚きながら、私は彼女の尾びれのあたりへと、目を向けた。
そして――信じられないものを、見てしまった。
道路に、"ヒビ"が入っている……!
ついさっきまで、この道路には、あんなヒビは存在していなかった。つまりあのヒビは、今の一撃で、彼女が作ったものということだ。たったの一撃、その尾びれでひっぱたいただけで、頑丈で強固なコンクリートの道路を、彼女は軽く砕いたんだ。
「なな、なんてことをするんですか!?」ちょっと怖じ気づきながら私は言った。
「何って……さっきも言った通りだよ。あたしはね、この道路を"封鎖"するつもりなんだ。つまり……すっかり、使えなくしてしまうつもりなんだよ」
「使えなくする……? 貴女は、この道路で通せんぼをして、通行の邪魔をし続けるつもりではないんですか?」
「そんなことはしないよ。通せんぼだなんて、そんなの、面倒くさすぎるじゃないか。そんな方法よりも、もっとずっとシンプルに、道路を封鎖する方法がある。それはね……この道路を、完全に"破壊"してしまうことさ!」
「ど、道路を壊すつもりなんですか……!? そんな乱暴無比なこと、簡単にできるわけが……」
「ううん、できるよ。あたしがその気になれば、力ずくで道路を"粉砕"するなんて、簡単なことだよ。さっきヒビを入れたのだって……軽く、叩いただけだからね。あたしが、もっとちゃんと力を込めれば、コンクリートの道路なんて、原型をとどめないくらいバラバラに粉砕できるんだよ」
赤色の人魚は、まるで当然のことのように、衝撃の事実を口走った。
その話は、嘘ではないのだろうか……? この真っ赤な人魚は、真実を話しているのだろうか……こわい。
「あ、あの……」私は声を震わせながら質問をした。「貴女は……本当に、人魚なんですか?」
「もちろん、あたしは人魚だよ。ほら、見ての通り。あたしが、人魚以外に見えるの?」両手を広げながら、不思議そうに彼女は答えた。
確かに彼女の身体は、上半身が人間で、下半身が魚だった。見た目は、人魚にしか見えない。そう、見た目は、そうなんだけど……。
「力ずくで道路を粉砕する人魚なんて、少なくとも私は、聞いたことがありませんよ……!?」
道路を粉々に砕くなんて、ゴリラやライオンだって、できはしない。それなのに……そんな荒技が、人魚にできるものなんだろうか?
「そりゃあ、普通の人魚にはできないだろうね」明るい口調で彼女は話す。「けど、あたしならできるんだよ。なんたってあたしは、人魚の中で、一番の力持ちだからね!」
それは、力持ちなんて生やさしい表現で済ませていいものなんだろうか……!?
「とと、とにかく、道路を壊すのは止めてください!」だいぶ怖じ気づきながら私は叫んだ。「私は、ヤツメと言います。これ以上、この自治体の住民の生活を混乱させるような行為は、止めていただきます! あと、私の仕事を増やすようなことも止めてくださいお願いします!」
「そうか、君はヤツメっていうのか。ヤツメは、そんなに、この道路を壊して欲しくないの? そんなにも、この道路のことが大切なの?」
「当たり前ですよ……。道路は、私を含めて、人間にとって必要不可欠なものなんです。道路が無ければ、皆、どこにも行けなくなってしまうんですよ……」
「そうか……分かった。それなら一つ、あたしから提案があるんだ。……この道路を懸けて、あたしとヤツメで、一つ"勝負"をしない? その勝負で、もしもあたしが負けたのなら、そのときは……あたしは潔く、この道路から手を引くよ」
勝負……? 一体、彼女は何を考えているんだろう……。なにか、嫌な感じがする……。
困惑する私をよそに、真っ赤な人魚は、なにやら興奮した様子で話を続けた。
「"真剣勝負"だよ、ヤツメ! 正々堂々の勝負なんだ! スポーツマンシップに則った戦いというのは、魂と魂がぶつかり合う、とても素晴らしいものなんだよ! そして真剣勝負の良いところは、いっぱいあるんだけど……。一番素敵なところは、なんていったって――戦った相手と、真に心を通わせ合うことができることなんだよ!」
赤色の人魚は、真剣勝負の素晴らしさについて、熱心に語りはじめた――
――彼女に言わせれば、他人と気持ちを通じ合わせるなんてことは、とても簡単なことらしい。
そもそも、他人の気持ちが分からないのは、"言葉"というものがあるせいだ、と彼女は考えているらしい。
言葉なんてものは、普段、感情の上っ面を取り繕うために、使われているにすぎない。本心を誤魔化して、覆い隠すために、言語というものは使われている。
そんな――不器用で不完全な、言語という手段を使って他人を理解しようとするなんて、土台から無理がある。
他者の本質を理解するためには、もっと他に、良い手段がある。それは、全ての動物に備わっている、最も本質的で根源的な機能。つまり――"本能"だ。
この本能を利用して語り合うことができさえすれば、誰とだって、心を通じ合わせることができる。
そして――それを可能にするのが、真剣勝負であり、肉体言語だった。
自分と他者とで、拳と拳、力と力、そして身体と身体をぶつかり合わせる。その中で両者は、魂をさらけ出し、熱い血潮をたぎらせ、本性をむき出しにして戦い合う。
するとやがて――心と心は通い合い、両者は、本質と本質で語り合うことができる。
「――それが、真剣勝負というものさ!」赤色の人魚は、ガッツポーズをした。
いけない、これはピンチだ……!
どうやら彼女は、かなり肉体派の人魚のようだ……。しかも彼女は、コンクリートの道路を粉砕するくらいの怪力の持ち主でもある。
それに対して私は……筋力のみで比べるなら、彼女とは完全に真逆のタイプの人間だった。ようするに、私は――非常に筋力が弱い、とても非力で貧弱な男ということだ。
私の筋力は、間違いなく、人間の男性の平均的値を下回っている。下手をしたら、そこら辺の女性よりも、筋肉は弱い可能性すらあった。
そんな私が、怪力無双の彼女と力比べの勝負をして、勝ち目はあるんだろうか? どうあがいてもあるわけがない。
これはもしかすると、コンクリートの道路よりも先に、私の身体が粉砕されかねない。どうすればいいんだろう……。
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