第三章 花弔封影 PART3
3.
千鶴は高校一年生の時、いじめにあっていた。彼女の両親が葬儀屋を開いていたこと、またその時期に母親が事故で亡くなったため、彼女は心を閉ざしていた。主にいないものとして扱われ無視されていることがほとんどだった。
その均衡を破ったのが午代だった。彼は国語の教師だったが、授業とは関連のない討論会をいきなり開いた。
タイトルは正式には覚えていないが生と死に関することだった。生きることは素晴らしい。だが死ぬことはみすぼらしいことなのだろうか?
生徒達は生と死で別れ、どちらが大切であるか、というディベート形式で討論することとなった。
千鶴は死のグループに分けられた。もちろん自分からそちらに向かったわけではなく、周りに言い包められてだった。
何もいうまいと仏頂面を決め込んでいると、午代からいきなり名指しで呼ばれた。
「死とはなんだろう、黄坂」
「死というものはその肉体が滅んだ時のことを差すと思います」
簡潔に答え席に座ると、同じグループからどよめきが沸いた。クラスの雰囲気が自分に集中し始めている。
だが午代はそこで終わらせなかった。
「肉体が滅ぶということは全て消えるということになるのか? 死とは消滅を差すのか? どうなんだ、黄坂」
ここで再び答えてしまうと、またクラスメートは面白がってしまう。できるなら関わりたくない。
千鶴が黙っていると、午代は真剣な顔をして促してきた。ここで逃げたら許さないとでもいうような険しい顔だ。彼女は咄嗟に思いを口にしてしまった。
「肉体は滅んでも、その人の精神は残ります」
父の教えだった。思わず告げると野次馬が声真似をして千鶴の言葉を復唱し始めた。それにつられ大袈裟に笑う者や舌打ちをする者まで現れた。
もはやここは見世物小屋と化している。自分が何をいおうが笑い者にされるのだ。ここから逃れたい。千鶴は倒れこみたいほどの頭痛に襲われた。
「ほう、面白い。精神とはどういうものだろう?」
もう何も答えたくない。千鶴が黙っていると野次が飛んだ。
「何だよ精神って、そうやって上手いこといってぼったくってるのか」「人の不幸で飯食ってるんだ、もっと面白いこといってみろよ」
雑音が頭の中で螺旋状にうごめいていく。それと同時に胃がきりきりしていく。
「お前たちは黙って聞いておけっ。黄坂、お前のいう精神とは何だ。俺に教えてくれ」
午代は空気を切り裂くような声で一喝した。その声に驚き千鶴は彼を見た。彼の瞳は笑っていなかった。ただ千鶴の答えを待っているだけで懇願するような目つきだった。
「精神とは人生です。その人が培った経験はどこにもいきません。全て周りの人に受け継がれます」
「……なるほど、いい答えだ」
そこからは午代と千鶴の対話のようになっていた。
他の生徒達は黙って話を聞いていた。もちろん全ての生徒が姿勢を正して聞くわけではなく、面倒臭そうに肘をついているものもいれば、欠伸ばかり上げるものもいた。だが野次は飛ばなくなっていた。
討論は授業時間内には納まらず、10分休憩の延長を受けながら終止符を打つことができた。それほどに熱い口論が二人の間を飛び交い教室に熱をもたらした。
結局各自で感想文を書く、という課題になり授業は終わった。千鶴は原稿用紙にありったけの思いをぶつけた。
何でこんな授業をしたのか? 私に対するあてつけなのか? 先生こそ死というものを理解していない。
課題を提出しても自分の思いは昇華できなかったため、直接午代を尋ねることにした。すると彼は無言のまま他の生徒の感想文を渡してきた。
「これを読んでみろ。やっぱり俺のクラスだ。みんな素直でいいやつばかりだよ」
千鶴はそれを見て絶望した。そこには死に対することなど何一つ書かれていなかった。ただ彼女の言葉が熱かった、ということだけだった。
「なあ黄坂。お前にはこれだけ人を熱くさせるエネルギーがあるんだ。どうだ、陸上部に入らないか」
全く筋が通らない話だ。確かにあの時の自分は誰よりも熱い気持ちを持っていたと思う。だがそれが陸上とどう関係があるのか。ただ自分が顧問を請け負っているから勧誘しているのではないか。
「入りませんっ。私はなぜあんな授業をしたのかと訊いているんです。それに何ですか? この感想文。誰も死について触れていない。あれだけ解かりやすく述べたのに、誰も理解していない。全く意味のない授業です」
「本当にお前は熱いなぁ」
午代は嬉しそうに子供のように笑った。
「そもそもお前の年で死の概念がわかるやつなんていない。ほとんどのやつが健康体だからな。死に向かうためには痛みを知る必要がある。老いること、できることができないようになることが死への一歩だ」
「そうでしょうか。突然死ぬことだってあります。事故にしろ、病気にしろ、段階を踏まないで死ぬことはあります。死というものは生きている限り常に存在するものです」
そういうと彼は声を殺して笑い始めた。きっとここが職員室でなければ、大笑いしていることだろう。千鶴は唇を噛んで彼を睨み付けた。
「お前のいう通りだ。だが皆はお前がそんなことを考えていたなんて知らない。だからそれに驚いたんだ。よく話す人物がお前のように語ったのだとしたら、きっと感想文はもっと違ったものになっていただろうな」
再び頭に血が昇る。話した内容が変わらなくても人によって差別されるのだ。それはやっぱり自分が葬儀屋の娘だということを差している。それが何だか悔しい。
「納得できませんっ」
熱くなった目を抑えながらいう。
「私が今まで生きてきた中で学んだことは死というものが日常に潜んでいるということだけです。他は対して皆と変わりません。それなのに、どうして……」
自分は葬儀屋の娘だ。そのことに満たされない思いはしたことはあるが決して不満はなかった。
そんな生活が当たり前だったから――。
「……黄坂。いいんだ。それでいい。お前は今まで自分の中だけで消化していたんだ。確かに自分で納得することは大事だが、お前は自分で一枚壁を作っていた。皆とは違う、という薄っぺらい壁をな」
「……壁、ですか?」
「そうだ。薄っぺらい壁だがそれは拒絶になる。思春期の年頃は皆、繊細で傷つきやすい。誰もが精神的に弱い立場にあるんだ。だから自分以外の人間を下に見ると心が落ち着く。お前のように自分は違うと中立の立場を取る人間が嫌いなんだよ」
「別に私はそんなつもりは……」
「気にしなくていい。周りがそう思っているだけだからさ」
午代の手に力が籠もり始める。
「人の命を助ける医者だって死と関わっているんだ。これだけの医療が発達する中でだって失敗はある。医者は裏を返せば人殺しでもあるんだよ。だけど皆いい方向にばかり目を向けている。そっちの方が楽だからだ」
葬儀屋にしても同じだ。彼はこう続けた。
「葬儀屋っていうイメージは暗い。それだけだ。そんな中、お前が何も話さなかったらどう思う?」
「暗いイメージのまま?」
「そうだ。人っていうのはな、知らない部分が不安になり恐怖の対象に変わっていくんだ。皆、お前っていうイメージがどんなものか知らない。色がないんだ。色がないと不安になる」
「色……ですか」
姉の千月を想像すると、彼女にはきちんとした色がついていた。いつも時計いじりに没頭しており、その姿に母親のように光輝く黄金色が見えていた。
けど私には……灰色しか残っていない。
「今回、お前が激しく叫んだから皆お前に感情があることを知った。だから感想文にそう書いたんだ。それが一番の衝撃だったからな」
「じゃあ先生、私のこのやり切れない感情はどうしたらいいんですか? せっかく思いを伝えたのに、誰にも理解されないなんて……悔しすぎます」
「それこそ体を動かして発散させればいい。お前は何もかもわかったつもりで溜め込んでいるだけだ。世の中はそんなに合理的に動いてない。感情で動いている部分もたくさんあるんだ。もっと動け動け、若いんだから」
午代は自前のランニングシューズを指差しながら続ける。
「そうだ、今から走ってみるか」
彼はすくっと立ち上がってグラウンドを指差した。
「全力で走ったことなんてないだろう。顔にそう書いてある」
図星だった。人より目立つのが嫌で本気で何かをしたことなんてなかった。勉強にしても運動にしても夢中になったものなんて一つもない。唯一趣味といえるものは自分の世界に入れる読書だけだ。
「今までそうやって感情をごまかしてきたんだろう? 周りを気にして本気になったことがない。違うか?」
「……」
千鶴の体に再び激高が走る。なぜだろう? ここまで感情が昂ぶったことなんてない。きっと午代に全て言い当てられているからだ。それが堪らなくエネルギーを沸き立たせてしまう。
「ちょっと来い」
彼は憮然とした表情で立ち上がった。そのまま何もいわずにグラウンドの方へと進んでいく。
……これは午代の挑発だ。
千鶴は意味もわからず熱を帯びていった。彼は何もかもを達観した感じで物をいう。その姿に腹が立ってしょうがない。
どうして一生徒に纏わりつこうとするのだろう。確かに彼は担任だが親ではない。何か理由があるのだろうか。
「よーし、ここからあそこまでな。だいたい100mだ」
午代は古びたスタート装置を取り出してセットした。
「俺の掛け声と共に走ってみろ。絶対気持ちいいからさ」
見よう見まねでスタートの準備につく。妙に体が浮き立ち走り出さなければいけないような気がしてくる。
大体ゴールはどこにあるのか、終着点を探すがそれらしいものはない。
走ることは構わないが曖昧な部分が多すぎる。道具の使い方はおろか服だって制服のままだ。思いつきにしても、こんなやり方で何かが得られるわけがない。
だが全力で走って午代を驚かせたい。その思いだけが胸の中で膨張する。それだけに集中して走ってみたい自分がいる。
「位置について。よーい」
午代は大きく息を吸って構えた。目を閉じて彼の声だけに耳を傾ける。
「スタートッ!」
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