第二章 月運花馮 PART9
9.
「ちょっと待って、って伝えて。すぐ戻るから」
凪は電話を切りながら考えた。
仮にサンライズの社長が愛人だとしたら、故人が福岡で葬儀を挙げたい理由にはなる。そうなれば遺産相続の話はしやすいし、彼女にとってはメリットだらけだ。
しかし自分が卸している搬入会社にわざわざ面倒事をふっかけるだろうか。最悪、業務提携が解消される案件だ。
確かサンライズの社長の苗字は
「おい、千月。俺がいっていた親子連れが店に来ているらしい」
「え、どうして?」
「わからない。でも俺に用があるらしい」
仮に東雲(しののめ)という苗字であるならば、運星家の身内であるはずがない。運星龍三の娘であるならば苗字が変わることもあるだろうが、遺族の中に紛れているだろう。
東雲と運星。
……まさか、ね。
頭に妙な考えが一つ浮かぶ。この考えこそただの推測だ。いや憶測に過ぎないだろう。あいつの影響を受けて逆に考える癖がついているだけだ。
だがもし、この考えが正しいとすると愛人の可能性はなくなる。千月のためにもここは力になってやりたい。
凪は再び飾られてある懐中時計を見た。
「辰と巳の間に全ての針が合わさっている。何か意図的なものを感じるな」
彼の遺品の中に会社ロゴが入ったものがあった。会社ロゴには二匹の龍にヒヤシンス。よく見ると龍と蛇のようにも見える。
「全てじゃないわ。クロノグラフの針は子の所にある」
「クロノグラフ?」
「ストップウォッチのことよ」
千月は懐中時計の竜頭にあるボタンを押した。それと共に細い金の針が動き出していく。その針が4時20分のあたりでカチリと音を立てた。
「ん? 何だろう、これ」
裏蓋にあった突起が外れている。そこには小さな写真が隠されていた。
「凪、もしかしてこれって……」
千月から写真を受け取ってみると、そこに若い女性が写っていた。
「あ、午前中に来てた人だ。間違いない、千月、湯灌会社の社長さんだよ」
「え、もしかして……この人、東雲さん?」
千月は額に手を当てて落胆した。
「よりにもよって愛人が業者の人なんて……。だから遺族がいない間に一度下見しに来たんだ。どうしよう、凪」
写真の中では竜胆の花が一面に咲いている。しかもカラー写真だ。戦前から使っていた時計にカラー写真が入るわけがない。
「どうしようもないっていったのはお前だろ。何落ち込んでいるんだよ、ここは冷静に考えなきゃいけないだろう」
凪は時計を眺めながら答えた。
「カラー写真ってことは戦後ってことだよな。つまりこれは後から細工されたってことになる。どうだ、細工の後があるか?」
「……」
凪の質問に答えない。彼女は呆然と突っ伏している。
「おい。俺には時計のことなんてわからないんだ。どうなんだよ」
凪が催促すると千月はしぶしぶ観察を始めた。
「……どうやらそうみたい。二重底になってるけど、一枚目の板は結構新しい」
「ということは故人は現役でこの時計を愛用していたということか?」
「そこまではわからないわ。ただクロノグラフは元からついてなかったと思う」
「どうして?」
「……音が違うのよ」
千月は眉を寄せた。
「昔のクロノグラフならもっと音が出るわ。これはほとんど音がしない」
千月は右手にある時計のボタンを押した。チチチっと軽快な音が鳴っている。
「なるほどな。故人はこの人物に思い入れがあってわざわざ隠したんだな」
「そうでしょうね」
辰と巳。その間に針が全て向かった時に隠された写真が出てきた。これが意味することは一体――。
「辰と巳の間ねぇ。単純に考えると巽(たつみ)になるわね」
彼女は顎を擦りながら告げた。
「読み方を変えるとつばさ。方角からすると南東。何か関係あるのかな?」
――ここは日当たりがいいから好きなの。南東からのお日様は幸運を招くのよ。
「……そうか。そういうことか。千月、何とかなるかもしれないぞ」
「えっ? 何が?」
千月の問答に答えず凪は階段を一段飛ばしで降りた。もしかするとあれは愛人ではないのかもしれない。いや愛人で正しいのかもしれない。
頭の中で様々な憶測が飛び交う中、彼は一つの希望を見出した。もちろんこの考えは自分の希望的観測だ。いいように考えているだけに過ぎない。
だけどこんな偶然あるはずがない。もし自分の推測が正しければ何もかも全てがはまっていく。
もう夕方の十七時だ。通夜は十九時。
……急がなければ、でもその前に、と。
凪は先ほど買った花粉用目薬で目を潤しながらがむしゃらに駆け出した。
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