第二章 月運花馮 PART6

  6.


 ……菊は挿さない方がいいのだろうか? 


 途中までラインをとっただけに緊張が走る。折った菊はもう元には戻らない。ここで挿し直しになれば嵐の説教は五割増しになるだろう。


「そうですね。榊だけを挿す場合もありますが、菊を挿した方が豪華になるんです。それに天皇の御葬儀でも使われておりますよ」


 間接的に神式でも菊を使うことを伝える。もちろん直接いえば怒りを買う恐れがあるからだ。


「そういわれれば、そうですね。変なことを訊いてすみません」


「菊は使わない方がよかったでしょうか?」


 凪は丁寧に言葉を選んで訊いた。ここでこういった対応をすれば、相手は嫌だといいにくいからだ。


「注文を頂いた時、おまかせということだったので」


「文句をつけているわけではないんです。ただ、あの人は菊が好きではなかったので」


 それを文句といわず何というのだろう。凪は作り笑顔を浮かべ女性の動向に注意した。


「そうでしたか。一応こちらの方からも担当者に菊の使用許可を貰っていたので……」


 葬儀の担当者との打ち合わせが完璧であっても、問題は必ず発生する。それに答えてこそプロと呼ばれるのだ。


 仮にここで菊を抜いて洋花だけに変更するとしよう。そうなれば穴の開いたオアシスに再び花を挿すことになる。正直今のレベルでそれをすれば、遺族を満足させる祭壇が挿せるとは思えない。ここは何としてでも菊の兵隊挿しでいきたい。


「なぜ、菊の花が嫌いだったんです?」


 思い切って理由を訊いてみることにした。


「嫌いという程ではなかったんです。おひたしにできるし、重陽の節句には菊酒を好んで飲んでいました。ただ仏壇にも白菊を飾らなかったんです。きっと戦争から逃げ出したことを思い出すからでしょうね」


 菊は天皇のシンボルだ。そして当時は天皇を王と崇めた時代。その象徴を見れば嫌でも思い出すだろう。まして戦から逃げ出したとなると避けたくなるのも道理だ。


「神棚だけでなく仏壇もあるんですね」


 彼は敢えてその話を遠ざけた。今は祭壇の方が大事だ。


「ええ、どちらもありました」


 彼女は思い返すように頷いた。


「葬儀の時には神式で行ないたいといっていたので、神式にしたんだと思います」


 なるほど、どうやら彼女の一存で神式に決まったわけではないらしい。


 そうなれば、答えは一つ。


 彼女は故人の妻ではなく親族だ。親族であれば目の前で変更をいわれることはないだろう。張り詰めていた空気がふんわりと和らいでいく。


「僕は花屋の息子なので菊は年中家にありました。なので菊の花粉が目に入ったり喉に詰まったりして子供の頃は嫌でしょうがなかったんです。でも今ではこの花が一番好きですね」


「ふうん。それは花屋という職業を選んだからですか?」


「それもあるかもしれません」


 凪は頬を掻きながら答えた。


「僕は初め花屋を継ぐ気はありませんでした。というより葬儀の仕事自体に疑問を持っていました。花屋といえば聞こえはいいですが、葬儀の花屋となればイメージはあまりよくありません。そのために友達を家に呼ぶことに躊躇いましたし、また友達も僕と遊ぶことに抵抗を感じていた人もいます」


「……なんとなくわかります。知らないものは想像するしかありませんから」


「そうなんです。僕が反対の立場だったら、きっと一枚壁を作っていたかもしれません。なので最初は建築の学校に行きました。物を造ることは好きだったし、何より建築家に悪いイメージはなかったので」


「なるほど。それで一度は社会に出られたんですか?」


「いえ、結局外には出ていません。内定までは頂いたんですがね」


「その先を聞いてもいいでしょうか」


「もちろんです」


 凪は頷いて続きを語った。


「きっかけは友人の父親が亡くなったことでした。この葬儀会社の社長です。地元に戻っていたため、その時初めて親父の仕事を手伝いました。父親とは元から反りが合わなかったんですが、親父の仕事を見て本当に凄いと思いました。その時に見た祭壇が今でも目に焼きついています」


 凪は祭壇から降りて携帯電話を開き、彼女の前に差し出した。画面を横スクロールし祭壇の写真を見せる。


「今回と同じように菊を直線に挿してあったんです。今までバケツの中に入った菊しか見たことがなかったんですが、それが点となり線を作っていたんです」


 一次元から二次元へ。二次元は全て点の集合体だ。点が重なるだけで滑らかな曲線を作ることができるし、また筆をなぞらせるように絵を描くこともできる。


「物を造ることに興味がない方なら、ただの直線だなと思うだけかもしれません。でも僕は物を造る図面を勉強していました。どれだけ直線を作ることが難しいかを勉強していたんです。鉄骨で作るものであっても直線は難しい。しかもこれは菊なんです。どれ一つをとっても、同じ花びらの数、首の傾き、花の咲き具合は同じものはありません。それを直線にしてあるんです」


 女性は神妙そうな顔で頷いた。


「確かにあなたのいう通りね。綺麗であればあるほど、その作業は果てしなく奥が深いのでしょう」


「そうなんです。その圧倒的な菊の美しさに僕は心を奪われました。身近な人の葬儀だというのに心が高鳴りました。そしてその友人にも感謝の言葉を頂いたんです。絶望の淵にいた彼女の心までも菊の花は救済しました」


 あれほど時が止まった瞬間は決して現れないだろう。全てが整然とした形を成し、一本一本が全体を作り出す点となり、また造形物となり、圧倒的な美しさを作り出している姿を。


 何もかもを忘れてしまう、そんな一瞬。


 その一瞬を味わいたいために日々鍛錬を続けている。


「それは本当にいい別れ方になったんでしょうね。羨ましいです、そんな機会滅多にないでしょう」


「そうだったんだと思います。その時に決意しました。ここでも建築は学べるんだと」


「建築を?」


「建築物の定理は三つあれば成り立つんです。機能、構造、美しさです。建築は機能だけでなくその美しさが人の心を救うことだってあります。たった一人のためだけに作る建築物も悪くないなと思いました」


「……なるほど。この祭壇は二日間だけ故人の建物になるといいたいのね」


「格好よすぎる言い方ですがね」


 凪は照れながらいった。


「でも僕は今でもそう思ってます。花は一瞬で終わりますが、心に残すことができるんです。これを一生の仕事にしていこうと思っています」


「いいわね。私が亡くなった時も是非、あなたにお願いしたいわ」


「ええ、その時はお手伝いさせて下さい。今の言葉に偽りがないものを是非提供させて頂きます。ただ残念なのは決して御自分で見ることができませんが」


 ジョークを交えていうと、女性は満足そうに頷いた。彼女の笑顔になぜかデジャブを覚えてしまう。どこかで会ったことがあるのかもしれない。


 菊を全て挿し終えた後、女性は静かに席を立った。それに合わせて横に座っていた少女も立ち上がる。


「ありがとう。何だか私の心まで洗われるようだった。菊の花も悪くないわね」


「そうでしょう? こちらこそ僕の話を聞いて下さってありがとうございました」


 凪が一礼すると、少女が駆け寄ってきた。どうやら花に興味があるらしい。余りそうな白のカーネーションを彼女に差し渡すと、女性は尋ねてきた。


「ありがとうございます。そういえばおたくの花屋、若松区だったわね。機会があったら是非寄らせて貰うわ」


「ええ、そうです。よろしければまたお立ち寄り下さい」


 親子を見送った後、凪は榊を挿し始めた。菊を挿し終えることでほぼ祭壇の骨格は完成する。後は洋花で肉付けをするだけでいい。


 スピードを上げて挿していると、千月がひょっこりと顔を出してきた。顔には驚きの表情が浮かんでいる。


「初めてにしては立派じゃない。うん、綺麗な直線を描けてる」


 千月は目を細めながら菊の頭を目で追っていた。


「当たり前だ。親父が見たらまだ汚いというだろうけどな」


「嵐さんのは特別よ。でも遺族の人が見たら満足すると思うわ」


「何いってるんだよ。今まで後ろに座っていたじゃないか」


「そっちこそ何いってるの。まだ来てないわよ。たった今、私が連れて来たんだから」


「えっ? じゃあ、さっきまで席に座っていた人は誰だ?」


「さあ。誰か来てたの?」


 彼女たちは名前を名乗っていない。そういえば自分が勝手に親族だと決め付けていただけだった。


「いや、気にしなくていい。きっと故人と関わりのある人だったんだろう。担当者から了解も得たし、俺も早く帰らなくちゃな」


 榊を挿し終えた後、白のカーネーション、デンファレ、胡蝶蘭をバランスよく差し込んだ。これで今日の祭壇は完成だ。


 ……さて、ここからが本題だ。


 凪は思い出コーナーを見た。そこには故人の写真が飾り付けてある。こういった場所は隔離されるのでまだごまかしが利き易い。


 故人の思い出コーナーに秋の花を挿した後、遠目から祭壇のラインを眺めた。自分の思い描いたイメージとずれはない。特に悪い所もなさそうだ。携帯電話で一枚写真を撮り千月に一声掛けた。


「いいかな?」


「いいわね。……ところで凪、今日は何月何日の何曜日?」


「今日は……の土曜日だよ」


「うん……、そうだったわね」


 千月は納得し笑顔を見せた。


「季節の花も入ってるし、喜んでくれると思うわ」


 彼女の表情を見て落ち着く。今回も何とかうまくいったようだ。


「よし、んじゃ俺は帰るよ」

 


 階段を降りて車に荷物を詰め込む。頭を空にし気を抜くと先ほどの女性の顔が浮かんだ。


 ……はたしてあれは誰だったんだろうか、ひょっとすると愛人だったりするのかもしれない。


 社長という肩書きがあったのならばいてもおかしくはないはずだ。それにあの人、という言い回しが妙に気になる。


 彼は勢いよくアクセルを吹かした。それと共に豪快にくしゃみが飛び出る。その轟音は車のエンジンにも匹敵するくらいに鳴り響いた。


 やはり自分は嵐の子だ。薄々感じていたが、どうやら自分にも鼻水が出るらしい。


 ……まだ花粉症と決まったわけじゃないが、一応寄ってみるかな。


 彼は進路を変更して薬局によることにした。

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