第二章 月運花馮 PART2
2.
4月3日。
……今年はまだ寒いな。
緑纏凪(ろくまと なぎ)は厚い長袖の上着を羽織って配達に出ていた。この時期は花屋にとって最も忙しい時期の一つだ。自分達のような葬儀で飯を食っている花屋でも入学式、退職の贈呈にと花束の注文が山ほどくる。後一ヶ月もすれば地獄の母の日もくる、季節によって忙しさが変わってしまうのだ。
……今日は一件か、助かった。
千月からの連絡を聞いて安堵する。この仕事に予約はないので朝の定期連絡にはいつも緊張してしまう自分がいる。
何でも運送会社を設立した社長が亡くなったらしい。今日の祭壇は大きくなりそうだが、何とか間に合いそうな仕事量ではある。
……その前に配達、っと。
配達先の住所を素早く確認する。今朝の配達の締めは千鶴の紹介で看護学生の入学の花束と病院への花束を送り届けなければならない。
両手に商品を掴みながら事務室に挨拶を掛け、搬入の意を伝えると、凪を呼ぶ声が聞こえた。
「凪さん、こっちこっち」
声のする方を振り返ると、ナース服の千鶴が手をこまねいていた。
「おはよう。千鶴(ちづる)ちゃん。今日の花束は豪華だよ。チューリップにスイートピー、菜の花に桃、春の花が満載に入ってる」
「まあ本当に綺麗。ありがとう。いつもサービスしてくれるから好評よ。卒業式の時も評判がよかったし」
「そうか、そりゃよかった」
凪は頷いて千鶴を再び観察した。
「それにしてもやっぱりいいもんだね、ナース服って。いつもとは一味違う感じがするよ」
凪の視線に気づいたのか千鶴は後ずさりをする仕草を見せた。
「何いってるの、制服なんて見飽きてるでしょ。よく配達に来てるじゃない」
「まあ、そうだけどさ。千鶴ちゃんが着たら一味違うんだよ。なんかこう、胸に込み上げてくるものがあるというかさ」
「それ、お世辞のつもり?」
「一応ね」
凪が微笑むと千鶴もつられるように笑った。花束の入った袋を持ち上げ彼女に手渡す。
「それはどうも。そういえば今日は一件入ってるらしいよ。お姉ちゃんが担当するみたい」
一件とは葬儀の件だろう。彼女の姉・黄坂千月(こうさか ちづき)は葬儀会社で勤めている。
「そうか、あいつが担当するのか……」
凪はほっと吐息をついた。
「祭壇の金額はもう決まってるのかな?」
「まだ決まってないそうよ。神道だから水盤で終わるかもしれないね。挿すとしたら凪さんが来るの?」
「挿すとしたら俺だと思うよ。最近、親父は出たがらないんだ」
「どうして?」
「花粉症が辛いらしい」
そういうと千鶴の笑いが一段と大きくなった。
「花屋なのに花粉症なんだ。それは大変ね」
「花粉にも種類があって、今の時期は杉の花粉が駄目らしい。秋でも蓬の花粉にやられて鼻水垂らしてるよ」
「それはご愁傷様。花屋にとっていい時期なのに大変ね」
「まったくだ。親父の豪快なくしゃみを聞いていると鼓膜が破れそうになるよ。お袋はそれでも平然としているんだ、夫婦っていうのは本当に凄い絆だよ」
千鶴に配達伝票にサインを貰う。凪はもう一つの伝票を取り出した。
「ついでに教えて欲しいんだけど。病院の方にも花束の配達があるんだけどさ、この特別病棟室っていうのはあそこでいいのかな? シノノメさんというんだけど」
配達先の住所の欄には特別病棟室10階となってある。
「うん。裏に回った専用エレベーターがある所ね」
「了解。やっぱりいるんだなぁ、金持ちって」
「そうね。一般の人じゃあそこは広すぎるから。凪さん、ちょっと待ってて」
凪が病院に向かおうとすると、千鶴は事務室に花束袋を置いて出てきた。
「よし、一緒に行こっか」
「ん? ついてきてくれるの?」
「今は私が担当しているのよ、その患者さん」
千鶴に先導されながら特別病棟室のエレベーターに乗った。そのエレベーターは半分ガラスに囲まれており、病院内が簡単に見渡せるようになっている。
……久しぶりだな、この光景を見るのは。
懐かしさを覚えながら豪華な花束を両手で抱え直す。あれからすでに3年の月日が経っている。このままいけばゲッカビジンの花は何の問題もなく咲くだろう。
今の所は順調だ。だが一度でも失敗すれば花は枯れ、二度と蕾をつけられない可能性を秘めている。今日も冷静に彼女の時間を欺かなければならない。
「本当に懐かしいね。凪さんと一緒に乗るのも3年振りかぁ。時間が経つのは本当に早いね」
「……そうだね」
「あの頃はただ、あいつが回復することだけが望みだったのになぁ。今やっていることが本当に正しいのか時々わからなくなるよ」
「大丈夫よ。凪さんは間違ってない。私が保証する」
「ありがとう。そういって貰えるだけでも助かるよ」
特別病棟に着くと専用の看護師が受付をしていた。千鶴が手を振ると、看護師はロックを解除し部屋に招き入れてくれた。
「さあ、どうぞ凪さん」
手続きを済ませ凪は少しばかり緊張を漂わせながら病室を眺めた。表札のない頑丈な木を恐る恐るノックする。奥から、どうぞ、と女性の声が聞こえた。
「失礼します」
一歩踏み出すと、そこはマンションの一室といってもいいほどの広さを供えていた。病室というのに日本庭園のような大型の庭までついている。住む世界が違う人というのはこういうことをいうのだなと彼は改めて感心した。
扉をくぐると年老いた女性がいた。彼女は豪華なベッドから背を上げてこちらの方を向いていた。
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