第一章 花弔封月 PART8

  8.


 仕事を終え事務所で熱い紅茶を啜っていると、千鶴が事務所に顔を出した。どうやら彼女も図書館での勉強を終えたらしい。


「お姉ちゃん。御節料理の残り持って来たよ」


「わあ、ありがとう」


 中を開けると、たくさんの料理が入っていた。数の子に、味の染み込んだしめ鯖。昆布巻きに黒豆。どれもが重箱の中で輝いている。


「ちょうどご飯にしようと思っていたの。早速頂くわ」


 御節を食べようとすると電話が鳴った。事務員はすでに帰宅している、自分が出るしかない。


「はい、こちら明善社です」


「すいません、生花を一本お願いしたいんですが」


「ありがとうございます。お名前の方は……」


「ウサキノブヒロといいます」


 札はまたしても個人名だ。声変わりしていない所を考えると、きっと故人の友人だろう。漢字を確認し届けは明日になることを告げる。生花店はもう閉まっている時間だからだ。


「通夜は終わっていますので、明日の朝一番でもよろしいでしょうか」


「はい、それでお願いします」


 そういうなり男は電話を切ろうとした。千月は慌てて電話を繋ぎ止める。


「あの、お支払いはどういたしましょうか?」


「ああ、ごめんなさい。後日伺うということではいけませんか」


「もちろん構いませんよ。電話番号と住所を控えさせていただきますが、よろしいですか」


「もちろんです」


 男は番号と住所を告げた後、ほっと吐息を漏らした。


「すいません。実は仕事の関係で県外にいるんです。助かります」


 男はこほんと空咳を一つした後続けた。


「故人は職場の後輩にあたるんですよ。ですので生花だけでも頼もうと思って連絡させて頂きました」


 どうやら友人ではないらしい。職場の同僚ということは肩書きを勧めた方がよさそうだ。


「もしウサキ様がよろしければ会社の名前をお付けすることができますが、どうしましょう」


「いえ、結構です。従業員一同の名札があるので、私だけ肩書きをつけても不味いでしょう。そのままでお願いします」


「承知しました、それでは個人名のまま札をお作りします」


「よろしくお願いします。私からも一つ、聞いてもいいでしょうか?」


「はい。なんなりとどうぞ」


「今日の通夜はどういった感じでしたか?」


「どういった感じといいますと?」


「ええと。何か普通の葬儀とは違った点はなかったでしょうか。もちろんあなたから見てですが」


「そうですね……特に問題があった感じはなかったのですが。もっとも若くして亡くなられたので、弔う方の感情は昂ぶっていましたが」


「……そうですよね」


 男の溜息が電話越しに漏れる。


「あいつはスピードを出す癖があったんです。自分の運転技術に自信を持っているような感じでしたし。だからあんな事故を……」


 故人は仕事外で単車に乗っている間、事故を起こした。場所は狭い路地で何かを避けるようなブレーキ痕が残っていたらしい。その日は路面も凍結していた。


「仕事でも他の奴らより多くの荷物を届けていました。規定の速度じゃ追いつかないくらいに。事故当日も飛ばしていたんでしょう」


「そうみたいです。お悔やみ申し上げます」


 ……何かおかしい。


 妙な違和感を覚える。今日姿を表した女性は怪我を負っているような感じはなかった。だがその子も同乗していたとなれば、ただではすまなかったはず。


 同乗したのは別の女性なのだろうか。


 それにもう一つ奇妙な点は衣服が入った袋だ。バイクが転倒したとしても、命があれば自分の荷物を持ち去るはずだ。慌てていたとしても忘れることはないだろう。


「卯崎様は故人様と仲がよろしかったんですよね? 何か心当たりなどありますか」


「すいません、仕事では付き合いがあったんですが、プライベートでは……」


「そうですか……」


 プライベートで会わずに生花まで出すのは、よほど仕事で通じ合っていた関係なのだろうか。


「近いうちに必ず支払いに向かいます。それではよろしくお願いします」


「承知しました。失礼させて頂きます」


 ……何か腑に落ちない。


 試行錯誤しながら凪の店に注文のFAXを送ると、確認の電話が店から鳴り始めた。まだ店に人がいたようだ。


「おい。これ名札の名前、合ってるのか?」


 凪の声だった。急いでいるのか厳しい口調だ。


「間違ってるんじゃないか。確認をとった方がいい」


「えっ、どうして?」


 尋ねると、凪はきっぱりとした声でいった。


「さっき同じ名前でうちでも頼まれたんだ。だけど、そっちのものとは漢字が少し違う」

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