第一章 花弔封月 PART4
4.
嫌な予感は的中した。
千月は心の中で溜息をつきながら応答に入った。声の主は病院の取引先だ。
「ありがとうございます。では、故人のプロフィールを」
ごほんと咳き込む音が電話越しに伝わる。
「年は19歳。男性。バイクでの交通事故だ。遺族がすでに病院にいる。何でも君の斎場を知っているらしい。すぐ来れそうかい?」
「はい。今から伺います」
大きな溜息をつくと近くにいた事務員がすぐさま搬送者に電話を掛けた。いつもながら葬儀の仕事は突発的だ。もう一つ大きな溜息をつきたかったが、代わりに欠伸が出た。
今日は当直明けだ、できることならこのまま帰りたい。
「千月ちゃん、そんなに溜息ばかりついていると幸せが逃げちゃうよ」
「もうとっくに持ち合わせていませんよ、幸せなんて……」
事務員に軽口を叩いた後、彼女は愛車のミニクーパーに乗り込み病院に向かうことにした。
◆◆◆
霊安室の扉の上には点灯中の文字が薄暗く光っていた。
ここから先は営業の顔に変わらなければならない。眠気を覚ますため軽く頬を叩いた後、大きく息を吸い込む。扉を押すと遺族がすすり泣きを漏らし声を枯らして泣いていた。
……もっと神経を尖らせなければ。
ここで応対を間違えば仕事を失う所か会社のイメージまで落としかねない。
ベッドの上には髪が明るく染まった男の体が横たわっていた。頭に包帯が巻かれてあるが特に目立った外傷はない。一番気になるのは故人の身長だろう。きっと特注のお棺を用意しなくてはならない。
次に目に入ったのは故人の時計だった。細い腕に巻かれてある白のBABYーGが生気を吸い取るように時を刻んでおり、青白い蛍光色のライトがさらに不気味さを醸し出している。
「この度はお悔やみ申し上げます。明善社の黄坂千月といいます」
速やかに名刺を取り出し遺族へ差し出す。
「うちの方で葬儀を執り行なわさせて貰いますが、よろしいでしょうか?」
故人の母親らしき人物がこちらに視線を這わせる。その視線には絶望と狂気が滲んでいた。
「ああ……葬儀屋さんね」
婦人の声には生気を感じない。おそらく今回の葬儀は式が終わってもこの枯れ果てた焦燥感は残るに違いない。あまりにも若すぎる故人だからだ。
「すいませんね、家内はまだ落ち着いて話せる状態ではないので。外で話させて下さい」
遺族の父親らしき人物が後ろの扉を指差した。緩んで皺まみれになったネクタイが全てを物語っている。きっと急いで駆けつけたのだろう。
千月は黙って従い静かに部屋を後にした。
近くにある談話室に腰を掛けると故人の父親は名刺を取り出して机の上に表示してきた。
名は
「まさか、社長の前に自分の息子の葬儀をすることになるなんてなぁ……」
丑尾はがっくりと肩を落としながらいった。手にはセブンスターの箱が握られガタガタと震え上がっている。
「うちの会社は代々お宅の葬儀場をお借りしているんです。先日も社長の葬儀の件で伺っていたんですよ。いつ亡くなるかわからない状態にあるのでね。でも、まさかこんなことになるなんて……」
「……御察しします」
そういえば、この間社葬の打ち合わせをしてきたと担当部長がいっていた。全国区の社長の葬儀をするため、予算も莫大で決め事が多いと嘆いていたのを思い出す。多く見積もって後一年の命だともいっていたはずだ。
「すいません、いきなりですが料金の話をさせて貰ってもいいでしょうか」
「よろしいのですか? 一応葬儀プランは持ってきてはいますが……」
「はい、是非見させて下さい」
丑尾の顔に迷いはない。どうやらここに来る前に色々と考えを練ってきていたのだろう。うろたえる様子もなく詳細のプランは次々に決まっていく。
「以上で私の話は終わりますが……、何かご要望はございますか?」
「そうですね、特にありません」
丑尾ははっきりとした声でいった。だが手に持っている煙草は逆を向いていた。
……自分の息子が死んで自然体でいれるわけがない。
彼は虚勢を張っているだけなのだ。だがスーツを着ている手前、何も考えずにはいられないのだろう。
……ここは早めに退出した方がいい。
「それではよろしくお願いします」
母親にも挨拶をするため、霊安室に戻ると彼女は故人に縋りつき顔を埋めていた。
「ご主人様にお話を伺いました。明日から私の方でお手伝いさせて頂きます」
「……そう」
母親は一つの間を空けた後、大きなビニール袋を掴みこちらに向かって投げた。
「……それ、持って帰ってくれない? ここにあったら邪魔なの」
何だろう? 中身を開けてみると中から女性ものの衣類が出てきた。
「こちらは?」
「……誠一の近くに落ちていたらしいの」
母親は溜息をつきながら呟いた。
「……誠一がこんなもの持っているわけないでしょ。だから捨ててきて」
「おい、綾子(あやこ)。何をいってるんだ」
父親は彼女に向かって言葉を発する。
「そんなこと、葬儀屋さんには関係ないだろう」
「こんなもの、見たくないっ」
母親はヒステリックに叫んだ。
「どうせ、この袋を持った女と一緒にいたんでしょ。この女が悪いのよ。だから処分するの。ここにあったんじゃ気分が悪いわ」
「いい加減にしないかっ」
「いえ、いいんです。こちらで処分しておきます」
千月はそのまま袋を受け取った。
「お気持ちはわかります。お構いなく」
「……ありがとう。もし使えそうだったらあなたが使ってもいいのよ。こんな商売をしているんですもの、お金に困っているんじゃない?」
母親の罵声は止まらない。彼女は眉間に皺を寄せながらひどく臆病な目で千月を蔑んでいる。
「本当に大変な仕事よねぇ。でも人の死でお金を稼いでるんだもの。これくらいして貰って当然よね」
「失礼にも程があるだろっ」
父親はこの場が張り裂けそうな声で叫んだ。
「本当にすいません、置いといて下さい。こちらで処分しますから」
父親が力づくで袋を取り戻そうとする。だが力を緩めてはいけない。
「いえ、構いません。では明日からよろしくお願いします」
大きな袋を抱えたまま、自宅にたどり着くと、内側から鍵が開く音がした。どうやら
「お帰りなさい、お姉ちゃん。その袋どうしたの?」
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