第8話


 シナモン・ゼルマンは、第七宙域にある地球型惑星<ネーレウス>の出身だった。

 <ネーレウス>は元々その表面の9割近くを水で覆われた特殊な惑星であり、大規模な干拓によって徐々に陸地を増やし、後年は立派な居住可能惑星へと変貌した。


 <ネーレウス>に移住した人々は、水しかない不毛な星を自らの手で緑溢れる大地へと生まれ変わらせたことで、自分たちの惑星に深い誇りと愛着を抱いていた。

 そんな人々の手により<ネーレウス>は経済的にも成長を遂げ、干拓によって得た土地に広大な農地と都市を築き上げていった。


 シナモンは<ネーレウス>の地方都市で、会社員の父と教師だった母との間に長女として生まれた。シナモンは今時の若い女の子らしく、近所の老人達がことあるごとに口にする干拓の苦労話、そして<ネーレウス>を居住可能型惑星へ育てたことへの自慢話にひどく閉口していた。

 シナモンが物心ついた頃には<ネーレウス>はいっぱしの惑星で、大きな苦難もなく育ったシナモンは、それを当然のものとして受け止めていた。


 しかし、そんなシナモンの日常は、ある日突然崩れ去ることになる。

 <ネーレウス>は干拓によって土地を得た惑星だ。そのため、海抜は低く、海との境目には巨大な堤防がくまなく築き上げられている。

 その堤防が決壊したのだ。それも一箇所ではない。広域複数箇所で連鎖的に起きた、とてつもない規模の決壊だった。

 陸地には怒濤のように水が押し寄せる。それは、かつて形を変えられた惑星が自らもとの姿に戻ろうとするかのようでもあった。

 あまりに突然の事に、人々は理由も分からずただ逃げ惑うしかできなかった。


 シナモンもまた夜中に両親に叩き起こされ、訳の分からないまま避難を開始した。そして水が押し寄せる前に間一髪で、国際連合宇宙軍の救護ヘリに回収された。

 轟音を立てて飛ぶ救護ヘリから毛布に包まれたシナモンが見たものは、朝の光に輝く水面だった。

 シナモンが生まれ育った町も、週末に良く遊びに行った都市も、田畑も、道路も、すべてが水に飲み込まれていた。


 見渡す限り水没してしまった惑星を見下ろし、同じヘリに救助された近所の人たちは皆言葉も無く泣いていた。普段この星の自慢をしていた老人だけは、ただ一人何かを堪えるように、唇をかみ締め窓の外を睨みつけている。

 現実感無く、呆然ときらめく水面を眺めていたシナモンだったが、その時唐突に自分達はすべてを失ってしまったのだと気付いた。そして失ってからようやく、自分もまたこの惑星を深く愛していたのだと理解した。


 その後、別の惑星に避難しひとまず落ち着いたシナモンは、そこでようやく事のあらましを知ることが出来た。

 堤防の突然の決壊。それは大統領による長年の不正が原因だった。

 <ネーレウス>の大統領はそこそこの人気があり、特に大きな問題も起こさなかったこと、そして惑星が順調に発展していたことから再任を繰り返していた。

 しかし彼はその陰ではいくつもの不正に手を出していた。


 特に大きいものは、堤防のメンテナンス費用の着服だった。土地を守る堤防は、毎年欠かさずメンテナンスをされることになっていて、そのための費用も惜しむことなく計上されていた。しかし大統領は秘密裏にその予算を着服していいたため、メンテナンスが行われるのは数年に一度になり、その間隔は段々と広がっていった。

 また、メンテナンスを委託する業者も大統領の親戚の会社に任されており、そこでも予算の中抜きがされていたため、結果としてメンテナンスは書類の中だけの架空の行事でしかなくなっていった。

 堤防はどんどん老朽化していき、その強度が限界に達したとき、当然の帰結として堤防は連鎖的に崩壊したのだ。


 事実を知った大統領は、避難民の救護も惑星に対する責任も、なにもかもすべて放り捨てて逃亡を図ったけれど、それは国際連合宇宙軍の手によって危ういところで防がれた。

 もちろん<ネーレウス>の住民はそんな大統領を許せるわけも無く、大統領を始め関係者は厳しく責任を追及され、国際宇宙裁判所から実刑判決を受けることになった。


 シナモンもまた、大統領に激しい怒りを覚えていたひとりである。

 しかしそれ以上に彼女は、不正が行われたことがこんな惨事を引き起こしたのだという気持ちを強く抱いた。

 不正する人間は決して許せない。そして引き起こされた惨事によって、辛い思いをすることになった人を助けたい。

 そんな決意を胸に抱いたシナモンは、大統領を捕縛し、そして水に呑まれそうになった自分たちを救助してくれたのが国際連合宇宙軍だったことを知り、将来はそこに就職することを心に決める。


 会社で経理に勤めていた父親の才能を引き継いだらしいシナモンは、宇宙軍に入ったもののどういうわけか会計士となり、さらに不可解なことに辺境の『808ファーム』で勤務することになってしまった。

 局長のミノリは優しくて面倒見の良い女性だ。けれど、こんなことは自分が本当にしたかったことではないと、どうしても不満を捨てることが出来なかった。


 今回のファームの襲撃事件は、シナモンにとっては予想外の出来事であり、また初めて体験した実戦でもある。そんな中、ミノリの生い立ちと決意を聞いて、シナモンは自分の中に、これまで抱いていた目標とは別の何かが、胸に湧き上がるのを感じていた。


(――でも、今は先に海賊船を追いかけないと)


 無理を言って同行させて貰ったというのに、早々に被弾したせいで結局ミノリの足手まといになってしまった。

 小惑星帯で敵の戦闘機に追われていたシナモンだったが、敵は突如追跡を止め元来た方向へ戻った。おそらく何かが起きて、局長達のところに戻ったのだろう。

 これはいけないと自分も引き返そうとした時、シナモンはソルトと合流した。

 ソルトは、先に海賊船を追いかけるよう命令すると、ミノリ局長の援護に向かう。彼の操る小型船が驚くような速度で宇宙空間を発進するのを見て、少なくとも自分が向かうよりは遥かに助けになるだろうと、シナモンは悔しい気持ちを押さえつけ、単機で海賊船を追っているのだった。


(局長だったら、きっと大丈夫)


 シナモンは、ミノリが自身の生い立ちを語ったときの凛とした声を思い出してうなずく。そして――、


(この件が落ち着いたら、わたし、局長に言いたいことがあるんだ)


 シナモンが決意も新たに胸の内でつぶやいた時、ふいにレーダーに味方の存在を告げる影が浮かぶ。そして、無線から声が聞こえて来た。


「お待たせ、シナモン」

「局長!」


 安堵と心強さに、シナモンの声が弾む。ミノリはいつものように優しい声でシナモンを労った。


「一人で頑張ったわね。それじゃあこれから、三人一緒であの海賊をとっちめてやりましょう」

「はい!」


 どこか楽しげな響きの宿るその宣言に、シナモンは力強くうなずいた。この人について行けば、何も間違いはないのだ。その気持ちが例え錯覚だとしても、今はそれを信じたかった。






 海賊船<ドラゴン・ベイビー>のボス、ドレイク・シガーは現在非常に苛立っていた。

 元々貧しい工業惑星の歓楽街に生まれ落ち、大人達の罵声と愚痴を子守唄にしていた彼は、幼い頃から悪行にどっぷり身を沈めて育って来た。

 子供のうちは食べることにも困るような暮らしをしていたため、彼は金儲けに対する嗅覚が発達しており、おかげでここまで伸し上がることができたのだが、今回の仕事に関しては、大失敗だった。


 秘密裏に実験が行われているという辺境の施設の噂を聞いたドレイクは、そこに金の臭いを嗅ぎ付けて、ここぞと目星を付けたステーションに押し入った。

 しかしそれは大はずれ。単なる農業ステーションには金目の物など一切なかったのだ。

 こんな海賊家業においては、部下に舐められればその分仕事がやり難くなる。パフォーマンスとして野菜のコンテナを強奪し、それを部下の目の前で破棄することにしたのだが、信じられないことに律儀にそれを追いかけてくる者がいた。


 たかだか野菜ごときにと理解できないドレイクだったが、所詮相手は女子供で、その数もたったの二機だ。

 撤退のため待機させておいた味方の戦闘機に相手をさせることにしたドレイクだが、さらにそこで驚かされる。味方の機体は、三機とも撃墜されてしまったのだ。

 しかも相手はいつの間にやら数を増やし、三機である。部下が油断したのか、相手の腕が予想以上にたったのかは知らないが、どちらにせよ予断できない状況になってしまったらしい。

 そんな折、忌々しい相手の船から通信が入った。


「海賊<ドラゴン・ベイビー>、いい加減諦めて野菜コンテナを返しなさい! 大人しく捕縛されれば、その分有利に証言してあげるわよ!」


 確かステーションの責任者らしかった童顔の女が、モニターに映る。偉そうな物言いに、いい加減諦めるのはてめえの方だろうと思いつつも、ドレイクは考えた。

 護衛機であった戦闘機は失ってしまったが、相手は所詮戦闘機二機と小型船一機。二千トン級のこの船に比べれば蚊トンボのようなものである。戦闘になっても勝つ見込みは充分にあるのだが、無駄な戦闘は避けるに越したことはない。


 儲け話に鼻の効く、傲慢な海賊船長として知られるドレイクは、もう一つ、念の入った用心深さと言う面を持っていた。それはかつて最底辺の弱者であったドレイクがその時に身につけた性質で、金を嗅ぎ付ける才以上に彼を助けてきたものでもある。

 ならば、とドレイクは考えていたことを実行することにした。



 海賊船に追いついたミノリは、敵船に警告を発する。場合によってはそのまま戦闘に入ることを覚悟していたミノリだったが、相手が沈黙を守っていることに違和感を覚える。

 やがて徐々に速度を上げだした海賊船に、よもやこのまま逃げ切るつもりかと追跡をはじめたミノリだったが、敵船の行動に思わず絶句した。

 逃走する海賊船<ドラゴン・ベイビー>の船体にある格納庫が開いたかと思うと、四角い何かが突き出される。それはわざと船体をぶつけられることによって、一番近くにある恒星の方向に弾き飛ばされたのだ。


「まさか……野菜コンテナ!?」


 コンテナは海賊船にぶつけられた勢いのまま恒星に向かって行く。その隙に、船は真反対の方向に逃げ出した。


「ま、待ちなさい……!」


 相手を静止するミノリだったが、追いかけようとする足は鈍い。コンテナのことがどうしても気になるのだ。


「ミノリ、どうする?」


 冷静な声で、ソルトが尋ねる、

 コンテナの数は三つ。一人一つのコンテナを追うとして、全部を回収しようとすれば海賊を見逃すことになるし、どちらにせよ海賊を追う人数が減れば反撃を食らった時に対応が難しくなってしまう。しかしここで海賊を捕まえられなければ、この先どこかにまた被害に遭う人間が出て来てしまうのだ。


(それなら、仕方ないわ……)


 いくらミノリにとって野菜が大切だとは言え、それは人間を犠牲にしてまで大事にしてよいものではない。ミノリが苦渋の決断を下そうとした時、無線から声がした。


「局長、野菜コンテナを優先してください」

「シナモン!?」


 ミノリは驚いた声を出す。正義感の強いシナモンなら、海賊船拿捕を優先したがるだろうと思っていたからだ。


「ミノリ局長、私は不正を行った犯罪者のせいでめちゃくちゃになってしまった惑星<ネーレウス>の出身です」


 しかし、新人宙士はしっかりした声で上官に意見する。


「私は悪事を行う人間が許せなくて、だからそれを取り締まれる立場になりたいと思いました。水没してしまった<ネーレウス>は私のトラウマでしたから。でも、局長は私たちの努力が無駄になってしまうことに憤ってくれましたよね」


 シナモンは海賊に野菜が奪われたときのことを思い出しながら、さらに語る。


「その時、私の怒りの一端は頑張って皆が作り上げた惑星を台無しにされてしまったことにあるんだと気付きました。そして、悪を捕らえるだけではなく、人の気持ちを守ることも大事なんだって、思ったんです」

「シナモン……」

「<ネーレウス>は今、復興に向かってます。諦めず、大陸を再び興そうとしてます。それは人々の中に希望があるからです。私は自分の夢を捨てませんけど、まだ未熟な今は、局長について行こうと思うんです」


 熱く語るシナモンにミノリは目を見張る。


「昔はどうか知りませんけど、局長の今の任務は野菜を作って皆に希望を与えることでしょう。海賊を捕らえるのは他の人にもできるけど、それは局長だけの役割なんです。だから、今は野菜を優先しましょう」


 そう言って野菜を保護するためにコンテナに機体を向けるシナモンに、ミノリは小さく礼を言ってその後を追う。


「分かったわ。それじゃあ、コンテナを救出しましょう」


 海賊らのことは気になるけれど、機体に損傷を負ったシナモンを含めた三人ではこちらに被害を出してしまう可能性も充分考えられる。

 すでに連絡済の当局の警備部隊もこちらに向かっているだろうし、ならば海賊の相手は彼らに任せ自分たちは当初の目的通り野菜奪取を優先しよう。

 そう決めたミノリたちが、恒星に落ちて行くコンテナに捕獲ワイヤーを発射し、荷を引き寄せていると、ふいにレーダーに船影が映った。その船はまっすぐ海賊船に向かっていた。


「え、あれって……」


 シナモンが唖然とした声でつぶやく。その気持ちはミノリも一緒だった。

 レーダーに映る表示は、その船が『808ファーム』の所属であることを示している。しかしそれを操縦しているとされる人物は、まさにミノリたちの予想外だった。


「ロ、ローズマリィィーっ!?」


 引き蘢りの美少女科学者を乗せたその船は、海賊船に近寄ると何かを発射する。大きく広がったそれは、まるで投網のように海賊船に絡み付いた。


「ちょっ、ローズマリー、あなた何やってるの!?」


 思わず声を張り上げるミノリに、返す幼い声は非常に淡々としていた。


「なにって……耐久テスト……」

「耐久テストって――、」

「品種改良のこんにゃくで作った……しらたき……。宇宙空間でもボソボソにならなくて弾力があって、……でも丈夫すぎて噛み切れないから、別の用途に使えないかなって……」


 水につけたらすごく膨らんだし、とローズマリーは相変わらずの調子で答える。


「糸こんにゃくならぬ……ハイパー・ワイヤーこんにゃく……」


 見れば海賊船は、弾力があり宇宙船で引っ張っても決して千切れない頑丈さを持つ恐怖のこんにゃくに絡めとられ、身動きが取れずもがいている。

 その予想だにしていなかったあんまりな光景に唖然としていたミノリは、おもむろにコックピットに突っ伏した。そしてとうとう我慢できずけらけらと笑い出してしまったのだった。

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