第31話『見えない糸』

 午後7時半。

 私は沙織さん、亜紀、桃花と四人で家に帰ってきた。亜紀と桃花が一緒にいてくれたおかげで、誰にも襲われずに自宅に辿り着けた。

「ここが私の家です」

「……お邪魔します」

 3人を家に上がらせるのはいいけれど、沙織さんの気持ちを考えると彼女と二人きりで話した方がいいよな。そうした方が沙織さんも話しやすいだろうから。

「すまないけれど、亜紀と桃花は私の部屋に行ってくれるかな。ちょっと、沙織さんと二人きりで話したいんだ」

「真央が言うなら、私は構わないよ」

 意外だな、桃花がそう言ってくれるなんて……と思ったけれど、桃花のにやけた表情を見て彼女の真意が分かった。

「言っておくけれど、物色はするなよ。特に服関係とかは」

「分かってるって。ね、天野さん」

「まあ、真央の私服はどんな感じなのか気にならないって言ったら嘘になるけれど、さすがに物色まではしないよ」

「桃花の見張り、頼んだぞ。亜紀」

「あははっ、分かったよ。でも、成宮さんのことをちょっとは信用してもいいんじゃないかな……」

 亜紀は苦笑いをしながらそう言っていた。

 当の本人である桃花は不満そうな顔を浮かべると思いきや、にやけ具合が増しているように見える。私の部屋に行けることがよっぽど嬉しいんだな。あと、この様子ではきっと物色するだろう。

 私は亜紀と桃花を自分の部屋に案内し、階段近くで待っている沙織さんと一緒にリビングに入った。

「紅茶とコーヒー、どちらがいいですか?」

「……ううん、私はいいよ」

「そうですか。じゃあ、そこのソファーに座ってください」

 私と沙織さんはテーブルを挟んで向かい合うようにして、ソファーに座った。沙織さんと一緒にいる時間は長くても、私の家に招くのが初めてであるためか、いつもと違う雰囲気である。

 沙織さんはいつものような可愛らしい笑みを浮かべることなく、しょんぼりとした表情をしている。私に対して申し訳なく思っているのか、ちらちらと私の方を見てくるだけで、基本的には俯いてしまっている。

 どんな言葉をかけようか迷っている中、


「……土曜日は本当にごめんなさい。真央ちゃん……」


 沙織さんが私の眼を見て謝罪の言葉を口にした。そして、深々と頭を下げる。

「……驚きましたよ。本当に。まさか、カラオケボックスであんなことになるなんて」

「本当にごめんなさい!」

「……沙織さんの意思でやったわけじゃない、ということは分かっていますよ。カラオケボックスから逃げるとき、沙織さん……泣いていましたよね。私を襲うことが本意ではなかったように思えました。実際はどうなんですか」

 最初に知りたかったのは、カラオケボックスでの出来事は沙織さんが考えたことなのか、誰かに命令されたことだったのかということ。

 沙織さんは私の問いに対し、縦に頷いた。そんな彼女は何かに恐れているように見えた。

「あの日のことは……『ばらゆり』様に命令されたことなの」

「『ばらゆり』……ホモ・ラブリンスのリーダーですね」

「うん」

 やっぱり、私の推測通りだったか。したくないことをするんだ。誰かに命令されたとなれば、沙織さんが反論できない相手……『ばらゆり』くらいしか考えられない。

「じゃあ、あの場に沙織さんと一緒にいたのは、ホモ・ラブリンスのメンバーだったというわけですか」

「うん。私の大学の友達もいたし、あの日、初めて出会った子もいたの」

「そうですか。沙織さんがホモ・ラブリンスに入会したのは、私に好意を持たれてからだったんですか? それ以前……ですか?」

「真央ちゃんを好きになる前からずっと入ってた。男の子には興味が無くて、恋愛感情を持ったのは全員女の子。何度か告白したけれど、気持ち悪がられて振られちゃって」

 沙織さんは苦笑いをしながらそう言った。

 こんなに可愛い沙織さんも、振られてしまうんだな。と言っても、私も由貴という好きな人がいるから、と断ってしまったけれど。

「変わらなきゃいけないのかな、って思っていたときにホモ・ラブリンスを見つけて、同性が好きな子達に出会って……私は私のままでいいんだって思ったの」

「そうだったんですか」

 沙織さんにとって、同性愛推進グループのホモ・ラブリンスはこの上ない居場所なんだ。そんな場所のリーダーの命令なら、自分が嫌なことでも従ってしまうか。

「暫く、好きな女の子はできなくて。一緒にバイトをすることになったから、ホモ・ラブリンスの中でも安藤さんのことが話題になって。背が高くて、かっこいい。性格もさっぱりしていていい。安藤さんの人気は上がっていった」

「だから、あの時……沙織さん以外の方がたくさんいたわけですか」

「……多分、ね。私が安藤さんに好意を持った、っていうことを伝えたら、私の恋を成就させようっていうことになったの」

「当然、最初の頃は土曜日のようなことはしないと思っていたんですね」

「もちろんだよ!」

 その強い口調が、沙織さんの純真さを伺わせる。沙織さんはもっと穏やかな方法で、私との距離を縮めていくんだと思っていたはず。

「でも、実際は違った。カラオケボックスという密室の中で、仲間と一緒に私を襲おうとしました」

「……金曜日の夕方だった。『ばらゆり』様から、メールで土曜日のことについて連絡がきて。真央ちゃんと2人でカラオケボックスに行って、真央ちゃんをお酒で酔わせる。その時に私が告白して、断られても私達が付き合えるように……皆で真央ちゃんを襲う計画になっていたの」

「そうだったんですか……」

 私とデートの約束をしたのは木曜日のことだ。土曜日にデートをすることが決定したから、『ばらゆり』は沙織さんに複数人で私を襲う計画を命令したんだ。

「土曜日になり、私と2人でカラオケボックスに行った。私をお酒で酔わせた。そこまでは計画通りだったんですね」

「うん。心苦しかった。真央ちゃんと付き合いたいと思ったし、振られたくないとも思ったよ。でも、振られたら襲うことだけはどうしてもしたくなかった」

「……そんな気持ちの中で、私に告白し、振られ……ホモ・ラブリンスの仲間がカラオケボックスの中に入ってきた」

「そうだよ。真央ちゃんに振られたことよりも、真央ちゃんを襲ってしまうことの方がよっぽど悲しかった。でも、やるしかなかった」

「そんな計画を、成宮桃花と小田桐蓮の2人が阻止した」

 あの二人がいなかったら、私は『ばらゆり』の計画通りになっていたということか。あの場にいたホモ・ラブリンスのメンバーに愛でられ、沙織さんの恋人になるという。

「……あの女の子が真央ちゃんを助けに来てくれて、ほっとしたの」

「実行するのが嫌な計画を破綻させてくれたからですね」

「ええ。でも、こんなことをして真央ちゃんに申し訳ない気持ちと、もう二度と会っちゃいけないと思って、ずっと泣いていたんだ」

 それが、私があの場を去るときに見た沙織さんの涙の真相ってことか。

 沙織さんが嫌がるようなことを強要させるなんて、本当に『ばらゆり』は酷い人間だ。もしかしたら、土曜日と同じようなことがもっと他にも起こっているんじゃないか?

「本気で嫌がっているなら『ばらゆり』の命令に断ることはできなかったんですか?」

「断れないよ! 『ばらゆり』様は私の心を救ってくれた人で。そんな恩義も当然あるけれど……それに、『ばらゆり』様の命令を断ったら酷い目に遭うっていう噂があって」

「どういうことですか? 酷い目って……」

「……あくまでも、噂なんだけれど。前に『ばらゆり』様の命令を断って、ホモ・ラブリンスを辞めた女の人がいたの。その人、辞めた直後に男の人に襲われて……」

 沙織さんは青ざめた顔をして、体を震わせていた。

 女性を愛する女性にとって、男の人に襲われるというのはとてもショックなことだろう。恐怖という種を植え付けて、自分に反抗させないようにしているんだ。

「今の沙織さんの話を聞くと、土曜日の計画は沙織さんのために行なわれたようには思えません」

「どういうこと……?」

 沙織さんは信じられない、と言わんばかりの表情をしている。やり方は酷くても『ばらゆり』は自分のために計画を立ててくれたと思っているみたいだ。

「昨日、私のことが好きな高校の同級生に襲われそうになりました。その子もホモ・ラブリンスのメンバーであり、計画を立てたのも『ばらゆり』でした」

「えっ……そんな、信じられない……」

 目を見開いて、沙織さんは首を横に振った。

「沙織さんがそう思う気持ちも分かりますが、実際にあったことなんです。その時は、上にいる亜紀と桃花のおかげで未遂で終わりました」

 沙織さんに命令した土曜日の計画。花音に命令した月曜日の計画。この二つの計画には幾つもの共通点がある。

「ターゲットは私であること。複数人で襲うこと。目的は私と恋人同士になること。二つの計画の共通点です」

「私が計画に失敗したから見捨てられて、真央ちゃんのことが好きな同級生の子に……チャンスを与えたんじゃないかな」

 沙織さんはとても悲しそうに、今にも涙を零してしまいそうだ。傷心の中で見つけた居場所、そのリーダーである『ばらゆり』からも見放されたと思っているからだろう。

 沙織さんが計画に失敗したから、今度は同級生である花音に私と付き合うチャンスを与えた……という沙織さんの推理だけれど、

「……果たして、そうでしょうか」

「えっ……」

 とてもじゃないけれど、私には『ばらゆり』が、花音が私と付き合うために計画したとは思えない。


「むしろ『ばらゆり』は、私に嫌われるために計画を実行させたんだと思います」

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