第18話『いざない』

 4月16日、木曜日。

 体育の時間に倒れた成宮を助けたからかは分からないけれど、少なくとも一年三組の生徒で私の悪い噂を言う人はほとんどいなくなっていた。高校生活が始まって二週ほどが経ったけれど、まさかこんな風になるとは思わなかったな。

 今日も無事に授業を終えて、私はバイトに向かう。今日は茶道部の活動があるから、もしかしたら由貴が帰りに私の所に来てくれるかもしれない、という淡い希望を持ちつつ。

「何だか楽しそうな顔をしているけれど、何か良いことでもあったの?」

 更衣室に行って、制服に着替えようとしたとき、沙織さんにそんなことを言われる。私、気持ちが顔に出るタイプじゃないと思ったんだけれど。

「……いえ、特にはないですけれど」

「えぇ? でも、火曜日と比べて凄く嬉しそうな感じに見えるよ」

「そうですか? ……まあ、強いて言えば、普通に高校生活が送れていることですかね。それが嬉しいんです。もちろん、沙織さんと一緒にバイトできることも」

「……そ、そうなんだ……」

 そう言うと、沙織さんは何故か頬を赤くして嬉しそうに笑っている。

 悪い話が生徒の間に広がり、暴力女と言われることも慣れていたけれど、それでも嫌になってしまうことは当然あって。だからこそ、特に波風が立たずに平穏な高校生活を送ることができるのが嬉しい。それが普通だと笑われてもいい。

「真央ちゃんがそう言ってくれると、こっちまで嬉しくなってくるなぁ」

「いい人に巡り会えてるなぁ、って高校生になってから思うことが多くなりました」

「そんなことを言えるなんて、真央ちゃんは大人だね。私よりもしっかりしているし、真央先輩って呼んだ方が良いかもしれないね」

「そんなにしっかりしてませんよ、沙織先輩」

 言われるほどしっかりしてないと思うけれど。バイト中だってまだまだ沙織さんに教えて貰ってばかりだし。ただ、沙織さんがそう言ってくれるってことは、バイトでの私の評価が悪くないという証拠でもあると思う。ちょっと心が軽くなった。

 そして、制服に着替えると今日も沙織さんと一緒に仕事をする。沙織さんに教わりながら一生懸命に仕事に励んで。お客さんがほとんどいないときには、ちょっとおしゃべりをしたりして。


「おっ、沙織……しっかりと後輩ちゃんに指導してるんだ」

「話通りのかっこいい女の子だね」


 沙織さんの大学のご友人が来たりもした。その時からの様子からして、沙織さんはどうやら大学で私のことを話しているらしい。かっこいいということを強調しているらしく、私のことを見るや否やかっこいいと盛り上がる展開に。お客さんが全然いない時間帯で良かった。まあ、そうだからこそ盛り上がったんだろうけれど。

 ただ、バイトでは頼れる先輩の沙織さんでも、大学では天然でおっちょこちょいなところがあるらしい。友人の方からそれを言われたときの沙織さんの恥ずかしそうなところがちょっと可愛く思えて。それでも笑みを絶やさないから、彼女の人望は厚くて、友人がここまで足を運んだのかなと思った。

「騒がしい感じでごめんね」

 沙織さんのお友達がコンビニから出た途端に、彼女は私に謝ってきた。

「いえいえ、気にしないでください」

「そう言ってくれると嬉しいよ。真央ちゃんにも結構絡んできてたから、真央ちゃんが嫌な思いをしてたんじゃないかと思って」

「そんなことないですよ。驚きましたけれど」

 色々なことを私に訊いてくるから若干引いてしまう部分はあったかな。あと、かっこいいからって彼女がいるんじゃないの、って何度も訊かれたことに関してだけはちょっとイラッとした。

「あんなに私に色々なことを訊いてくるなんて、沙織さんは大学ではどんな風に私のことを言っているんですか」

「……私はただ、かっこいい女の子が新しく来たんだって言っているだけだよ。高校生なのにしっかりしていて、スタイルが抜群に良くて、私のことを助けてくれるって」

「いやいや、それはもうただ言っているだけのレベルじゃないですって」

 そこまで話していれば、私に結構話しかけてきたのは納得だ。沙織さん、話すのが上手そうだし。

 そういえば、沙織さんのご友人が私に話しかけてきたとき、かなり興味を持っていそうだったけれど。私みたいな人が大学にはいないのかな。

「……そういえば、さ。真央ちゃん」

「何ですか?」

「……土曜日ってシフトが入ってないじゃん。土曜日って何か予定は入ってる?」

「いえ、特にはありませんけれど」

 確か、土曜日が休みの代わりに日曜日にシフトが入っていたはずだ。


「……土曜日に私とデートしない?」


 沙織さんは私の目を見つめながら、真剣な表情をして言った。

 それにしてもデート、デート、デート――。

「デ、デートですかっ?」

 脳内でデートという言葉がリフレインしまくって、思考が一瞬止まってしまった。

「そうだよ、デートだよ」

「でも、デ、デートって、その……」

 恋人同士ですることじゃないの? そんな認識が間違っていたりするのか? デートってもっと身近にあることなのか?

「この前、私のことを助けてくれたからさ。そのお礼がしたくて……」

 上目遣いをしてくる沙織さんが可愛すぎる。由貴という意中の人がいなかったら、彼女に恋をしていたかもしれない。

 土曜日に沙織さんとデートか。でも、デートをするのは――。


「せっかくのお誘いなんだから、デートをすればいいじゃないかな」

「そうだな、由貴……えええっ!」


 振り返れば制服姿の由貴がいた。今、ここに由貴がいるってことは……デ、デートに誘われたこと聞かれたよな。そうだよな、デートすればいいって言ってたし。

「ど、どうしたの? 真央、何だかしょんぼりしているけど、僕、何か変なことを言っちゃったかな」

「何でもないよ、何でもない。沙織さんからのお誘いを断るわけがないさ。デートって言っても、1日、沙織さんとお出かけするだけだから。そうですよね、沙織さん」

「……まあ、ね。もちろん、この前のお礼を兼ねてね」

 沙織さんは爽やかな笑みを浮かべながらそう言った。

 この前のお礼っていうのは、火曜日に先輩を助けたことに対してだよな。そんな、お礼をするほどのことじゃないと思うんだけれど。でも、沙織さんにとってはとても大きな出来事だったんだろうなぁ。

「楽しい休日になるといいね、真央」

「そ、そうだな。……そういえば、部活終わったんだね。お疲れ様」

「真央もお疲れ様。今日はバイトだってことを小耳に挟んだから、帰りに寄ろうかなって思ってたんだ」

「そうだったんだ」

「……じゃあ、真央の仕事の邪魔をしちゃいけないし、僕はスイーツを買ってそろそろ帰るよ」

「そっか。分かった」

 そして、由貴はエクレアを買ってコンビニを出て行った。

 由貴にならバイトを邪魔されても良かったんだけれど。そう思っていても、帰り際に「頑張って」と言われ、可愛らしい笑顔が見られるだけで凄く元気が出た。

 けれど、由貴にデートのことを知られちゃったな。まあ、普通に遊び感覚で行くんだけれど、それでもデートという響きが特別な気がして。

「楽しみだね、土曜日」

「そうですね」

 沙織さんだって土曜日のデートを遊びだと言った。火曜日のお礼を兼ねているそうだけれど。そうだよ、私と沙織さんはバイトの先輩と後輩。それよりも親密な関係でも、疎遠な関係でもない。

 それなのに、変な気持ちになってしまうのは何故なんだろう。由貴にデートに誘われた瞬間を見られたからかな。これを機に、由貴と私の距離が広がってしまうんじゃないかと焦っているのかもしれない。それだけ、土曜日のデートが単なる遊びではないような気がするから。

 だって、デートをしようと言ったときも、そして、今も……沙織さんの視線が心に刺さるような熱いもので。彼女の表情が、今まで見せなかった艶やかなものだったから。

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