第12話『針』
4月13日、月曜日。
今日から本格的に授業が始まる。学生の本分は勉強だから、ちゃんとついていけるように頑張らないと。
「今日から授業かぁ。ちゃんとやっていけるかなぁ」
「中学の時は成績が良かったんだから、あの調子でいけば大丈夫だよ」
梓は頑張り屋さんだから、高校でもきちんとやっていけると思う。
「分からなくなったら真央ちゃんに訊くから」
「中学の頃からそうだったなぁ」
昔から梓に勉強を教えるんだけれど、気付けばいつも梓の方が成績はいいんだよな。それはとても嬉しいことだけれど。
「昨日のバイトはどうだった?」
「夜にLINEで言った通りだよ。あっという間だった。大変だったけれど楽しいよ。いい先輩にも出会えたし。由貴も来てくれたし」
これでお金が貰えるんだからとても有り難い。
「岡本君がバイトに来たんだよね。うううっ、私も行けば良かった……」
「普通に来る分には大歓迎だけど」
私の働いているコンビニは、梓と何度も一緒に行ったことのある場所だ。行こうと思えば何時でも行けるはずだけど、梓はきっと私を邪魔したくなくて敢えて行かなかったんだと思う。
「それにしても由貴のワンピース姿は可愛かった……」
「家からずっと機嫌が良かったのはそれが理由なんだ」
「昨日からずっといい気分だぞ」
「ふうん……私もちょっと見てみたかったかも」
「あの姿を見たら、由貴を知らない人は絶対に女の子だと思うよ」
実際に沙織さんは由貴のことを女の子だと勘違いしていたし。まあ、私自身も一瞬、由貴と瓜二つの女の子が来たと思ってしまったくらいだ。
「もう、しっかりと仕事をしなきゃだめだよ、真央ちゃん」
「……そうだね」
正直、由貴が来た後は彼のことでちょっと浮かれていた部分はあった。由貴がコンビニ来て嬉しいと思っても、浮かれちゃいけないな。
そして、今日も学校に到着する。今週はどんな時間を過ごすことができるんだろう。そんな風に思えるのは初めてだった。
昇降口に到着して、自分の上履きに手を取ろうとしたときだった。
「……あれ?」
上履きの中が何時になくカラフルだった。そして、そんなカラフルなものから針がこちらの方に向いていた。
「これは……」
「画鋲かな」
「……ここまで綺麗に敷き詰めて入れるとは」
どこのどいつが入れたんだ。うっかり入ったなんてことはあり得ないだろう。かつて、多くの生徒が恐れていた「暴力女」の血が騒ぎ始める。
「小学生みたいなことしやがって、まったく」
「そうだね。もしかしたら、教室の扉を開けると黒板消しが落ちてきたり、お手洗いに行くとバケツで上から水をかけられたり……」
「……本当に小学生レベルの嫌がらせだな」
その程度の奴には1発ぶん殴れば終わりのような気がする。
今の段階で言えるのは、誰かが故意に私の上履きに画鋲を入れたということだ。その理由は今までの悪い噂に関することなのか、それとも高校生活に入ってからのことなのか。何にせよ、私のことを快く思っていない人間がいるのは事実のようだ。
適当な袋を持っていなかったので、近くのゴミ箱に画鋲を捨てた。
気を取り直して、梓と一緒に教室へと向かう。さすがに扉に黒板消しが挟まっていたということはなかった。
「いたっ!」
自分の席について、机の中にあったノートを取り出そうとしたとき、指に画鋲が刺さってしまった。
「だ、大丈夫?」
梓は心配した様子で私の所に駈け寄ってくる。
「あっ、指から血が出てる……どうしよう、絆創膏ないし……」
梓の言う通り、右手の人差し指から小さく血が出ていた。
「ああ、このくらいは一舐めすれば大丈夫だからさ」
「じゃあ、私が舐める!」
「……えっ?」
私が声を漏らしたときには、既に梓が私の人差し指を舐めていた。梓の指と唾液の生暖かさが何とも言えない感覚に陥らせる。でも、悪くはない。
周りの人が見ているかもしれないのに、私の指を舐めてくれるなんて、本当に梓は私のことを心配してくれているんだな。そういえば、昔、私が男子と殴り合いの喧嘩をして怪我をしたとき、梓は傷の手当てをしてくれたっけ。
「……これで、大丈夫だね」
「……ありがとう、梓。そういう優しいところは変わらないな」
「だって、大切な人が傷付いたら嫌なんだもん」
「……そっか」
私がそう呟くと、梓は優しく笑った。この笑顔に今まで何度救われたか。
「お、おはよう……真央、香坂さん」
そして、すぐ側には優しい笑顔をした由貴がいた。しかし、そんな彼の声はいつもとちょっと違っていた。何というか、声をかけて良かったのかな、と遠慮がちな。
「ああ、おはよう、由貴」
「おはよう、岡本君」
「……えっと、さっき……真央の声が聞こえたんだけどどうかした?」
「机の中に画鋲が入ってて。それに気付かなくて、指に刺さっちゃったんだ」
「えっ、大丈夫なの? 絆創膏あるけど」
梓と同じく由貴も心配そうな表情を見せてくれる。本当に優しいな。ちょっと心がキュンとなった。小田桐もこういうところが好きになったのかね。
「大丈夫だよ、梓が舐めてくれたし」
「そ、そうなんだ……」
由貴は苦笑いをしていた。
気付けば、彼の視線の先にいた梓の顔が物凄く赤くなっていた。
「わ、私……真央ちゃんに何てことを……」
「別に何も気にすることないよ。梓のおかげでほら、血だって引いてきたし」
「……う、うん。そう言ってくれると嬉しいけど、皆の前で……あうっ」
そう言うと、梓は自分の席に戻り、机に伏してしまった。心なしか、彼女から湯気が立っているように見える。
「それにしても、机の中に画鋲だなんて。誰かが入れたのかな?」
「……そうだろうね。画鋲が自分から入るわけがないし」
「真央に嫌がらせなんて。……暴力とか、人を傷つけるとか……そういうの、許せないな。どんな理由があっても、さ……」
「……そうだな」
画鋲で指が刺さったときのさっきの痛みよりも、今の由貴の言葉の方がよっぽど心に刺さってとても痛かった。由貴の言ったことは正しいし、もっともなことで。
人を助けるためだと言って暴力に走った私が「暴力女」と長い間言われてきたのは、必然だったんだ。今の由貴の一言が、それを物語っている。
「どうしたの? 真央、元気ないけれど……」
「……思いの外、痛かっただけだよ」
由貴が放った大切なことが、さ。
けれど、このまま黙っているわけにはいかない。私に嫌がらせをする人間をどうにか見つけ出して、ちゃんと止めさせないと。
そんなことを思いながら、高校最初の授業を受けるのであった。
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