彼と彼女と○○○の事情

猪座布団

彼と彼女と○○○の事情

 涼宮ハルヒと俺との関係を第三者に正確に伝えるのは難しい。

 なぜなら俺自身、あいつとの関係を未だに把握しそこねているからだ。

 『学校の部活動における部長とその部員』

 と一言で説明できるのなら話は早いのだが、今やそんな簡単に定義付けできるほど単純な関係ではなくなってしまっていた。

 俺も、おそらくはあいつもそうだろう。

 実は俺とハルヒは今、距離感を掴めずにいた。なんとなくお互いを意識しているというか……。

 と言っても教室における席は相変わらず前後で並んでいるし、俺が振り返るか、あいつが俺の背中にちょっかいを掛けて来れば普通に会話もする。もちろん、部室でもだ。

 物理的な距離も、精神的な距離でさえも、俺たちは近い。そう確信できるほどには俺とハルヒの仲は良好と言えた。

 しかし今は少しばかり事情が違う。

 前述のとおり、今の俺はハルヒとの関係について大いに頭を悩ませているからだ。

 


「ちょっと、アレとって」

「ほらよ」

 部室でのことである。俺はハルヒに言われるまま、ホワイトボード用のペンを渡した。ハルヒは大きな字でグリグリとナナメにその文字を書きなぐっていく。


『ドッペルゲンガーを追え!』


 ハルヒが大仰なポーズでもって、いかにも大事件ですと宣言しながら雄弁に語りだすのを横目に、古泉が顔はハルヒの方を向いたまま俺に囁くように話しかけてきた。

「さっきはよく分かりましたね。まだホワイトボードを出す前でしたよ」

 傍目にはただの独り言のように見えるし、応える義務はないので実際にそれは独り言なのだが、俺もまた律儀に独り言で返した。

「普通に分かるだろ」

「それが貴方にとっての普通なら、そうなのでしょうね」

 古泉は片側しか見えない顔で器用に意味ありげなウインクをするとそのまま黙って視線を前に戻した。

 そう。分かってしまうのだからしょうがない。

 どうしてこうなったのか……。

 コトの始まりは、いつの間にか広まっていた謎の噂話を聞いたときからだった。



      キョンの場合・Ⅰ

 

 あの涼宮ハルヒに恋人ができた。

 そのニュースは瞬く間に北高の生徒たちに噂され、ハルヒは一躍時の人となった……らしい。

 ハルヒが注目されるのはいつものことであるし、俺もどうせまたハルヒが余計なことをしたのだろうと思うだけで、その異変には全く気づくことはなかった。谷木田の野郎が昼休みの暇つぶしの話題に持ってくるまでは。

「キョン……人の名前を勝手に合体させるのはどうかと思うよ」

「そうだぜー、キョン。お前だって勝手に涼宮キョンとか呼ばれたイヤだろうがよ」

 いいから続きを言え。

「まあそもそも噂レベルだからね、それに皆なんとなく涼宮さんの耳には入らないようにしていたし」

 興味はある、だが関わりたくないという北高生に共通するハルヒ対策である。

 そしてそれは概ね正解だ。俺もハルヒに振り回される被害者をSOS団以外まで広げるのは気の毒だと思うしな。

「全くお前も素直じゃねえな。水臭いだろうがよ」

「いいじゃない谷口。突然キョンが素直になって僕らに告白されても戸惑うよ」

 二人して意味ありげな横目でこっちを見るな、気持ち悪い。こいつらがどんなリアクションを俺に期待しているのかは知ったことでないがこの反応がすでに見透かされているようで、誤魔化すように弁当をかっ喰らっているうちにその日の昼休みは終わった。

 そりゃまあ気にならないと言えば嘘になる。

 それに俺だけじゃない。古泉や長門、朝比奈さんにだって気になることのはずだ。それぞれの陣営に思うところもあるだろうが、今は俺たちSOS団にとってだ。今後の団活にも影響するのは間違いないし、あのいけ好かない未来人が居なくなってまだ日も経ってない今、そんな新キャラクターがハルヒの前に現れるなんてタイミングがいいにも程があるだろう。

 そもそもそんな奇矯な人間が北高に果たして居ただろうか。ハルヒが新入生になびくとも思えないが、しかしそれなら上級生の方がよほどハルヒを警戒しているし、そしてハルヒの方も何とも思ってやしないだろう。そういやヤスミにはやけに気をかけていたしそちらの方が可能性は高いのかもな。

 俺の足と思考は自分の意思を無視して、気がつかないうちに下級生のフロアへと向かっていった。

 


      涼宮ハルヒの場合・Ⅰ

 

 あのキョンに恋人ができた。

 そのニュースは瞬く間に北高の生徒たちに噂され、キョンは一躍時の人となった……らしい。

 あたしはといえば、そもそもキョンがそんな噂をされるような人間だとは思えず、SOS団のコトを勘違いしている誰かが妙な噂を流したのだろうと気にも留めてなかった。昼休みの食堂で阪中と相席するまでは。

「阪中さんまでそんな噂を信じてんの?」

「……なるほど。あくまでも噂だと、涼宮さんは言うのね?」

 頬に目いっぱい溜めた水を吹き出すのを我慢しているような慎重さで、ゆっくりと阪中は言葉をつむぐ。

 何かしら。さっきからまるで探るような視線を感じる。目の前の質問をした当人ではなく、周囲から。

 そう、気がつけばいつも食事や雑談と喧騒でニギヤカな食堂がシンと静まっていた。

 もちろん理由は明白だ。

 ……まったく、まるで人を猛獣かナニかだと思っているのかしらね。

 腫れモノ扱いには慣れているけど、コレは違う。一挙手一投足、見守られているカンジ。それが妙にくすぐったい。

「その噂、どこから流れてきたの?」

「やっぱり気になるのね?」

 そりゃあね、と続きを促す。なんだか阪中が妙に楽しそうなのはどうしてだろう。

「先輩から聞いたのね。三年の上級生の間で話題になってるって。あたしはホラ涼宮さんと同じクラスだし」

「ふぅん?」

 なるほど、三年か。あたしは口元をニヤリと吊り上げると闘志が沸いて来るのを実感する。これは事件よ。

 早速調査に行きたかったけど、もう休み時間も残りわずか。放課後の段取りを考えながらあたしは教室へと戻った。キョンの背中を睨みながらただただ午後の授業が終わるのを待つ。

 それにしても。と思う。

 なぜキョンなの?

 古泉くんやみくるちゃんなら分かる。SOS団の誇る美男美女だしね。意外性なら有希もね。噂になってもおかしくないと思える。でもキョンはねえ……。

 釈然としないものを感じながらHRが終わるや否や、あたしは上級生のフロアへと足を急がせた。

 


      キョンの場合・Ⅱ

 

 さて、下級生のフロアである。

 来てしまったからにはしょうがないと開き直っている俺なのだが、さて、どこから調査したものだろう。ハルヒのように手当たり次第に聞き込みをするのは俺に向いていないのはやるまでもなく明らかだ。

 くそ、古泉のヤツを連れてくればよかったな。

 それにしてもやけに視線を感じる。放課後で上級生がそれほど目立つわけじゃないはずだ。現に運動系の部活連中の姿もチラホラ見えるし、俺だけが物珍しいわけでもあるまいに。と前方から見知った顔が近づいてきた。合同体育でよく相手になる隣のクラスのサッカー部だ。

「よお、キョン。珍しいな。涼宮はどうした?」

 俺がハルヒのオマケみたいな言い方はよせ。

「オマケねえ。で、噂は本当なのか?」

 知らん。というかそれを探しに来ている。とは言えず、黙って首を振るジェスチャーをする。お前も知ってんのかよ。

「どっかで手ぇ繋いでるところでも見られたんじゃねーか? 俺らにとってはいつもの光景だが下級生には新鮮だろ」

 俺の場合はハルヒに引っ張られているだけだ。お前もハルヒに腕を掴まれたら分かるだろうが、見た目とは似合わない怪力なんだぞ。捕まえられたら振りほどけたもんじゃないんだあれは。ハルヒの場合はさらに問答無用で走り出すからなまじ抵抗して制服が伸びたら俺も困るがお袋も困るだろうし、そもそも上手い言い訳も思いつかない。困ることだらけなんだ。ハルヒを除いてな。となれば俺も仕方なくハルヒに追走するしかない。

「その結果がお手手繋いで校内散歩ってわけだ。やっぱりいつもどおりじゃねえか」

 俺が言い返そうと憮然とした面持ちで居たところ、そいつはハッハッハと笑いながら俺の肩に手を置いてそのままさっさと行ってしまった。

 はて。何か会話が噛み合ってなかった気がするのは俺の気のせいだろうか。

 なんとなく気にいらない気持ちに目覚めそうだったので俺の中でもさっきの会話を忘れて気持ちを切り替えることとする。いつの間にやらすっかり人の気配も少なくなっていることだしな。

「部室に戻るか」

 寄り道にしては時間を食ってしまった。ハルヒにどやされるのは覚悟しておこう。



      涼宮ハルヒの場合・Ⅱ

 

 さて、上級生のフロアに来たわ。

 何も考えずに来てしまったから当然アテはない。でもまあ適当に声を掛けていけば一人くらいはナニか知ってるヤツもいるでしょ。

 そこでふと閃いた。鶴屋さんとみくるちゃんの存在に。

 ……あの二人ならまだ教室にいるかもしんないわね。

 そうと決まったら早速行動しなきゃ。すれ違ったりしたら面倒だもんね。

 それにしてもやけに視線を感じる。昼休みの食堂のときと同じような感覚。んん~なんか新鮮ね。と、目の前から見知った顔が近づいてくる。

「あ、涼宮さんだよね? どうしたの?」

「ええと、どっかで会った?」

「ううん、会うのは初めてかな。私は軽音部なの。先輩から話は色々聞いてたから」

「ふうん、そうなの?」

「そうなの」

 なぜか嬉しそうな顔で、そう言う。

「そうだ。軽音部は今年の文化祭はどうするの? 実はあたしたちもバンドとして参加しようと思ってるのよね。楽しかったし」

「へ~。じゃあライバルだね」

 ニヤリと宣戦布告とも取れる台詞を受けて、あたしも思わず口角が吊りあがっていく。これよこれ。いいわね。どんどん気力がみなぎって来たわ。こうしちゃいられない。早速計画を立てないとね。

 そうだ! みくるちゃん! 折角だから踊ったりできるように練習する必要があるわね。ちょっと不恰好でもみくるちゃんなら男子どもの人寄せの効果は十分だし、一生懸命に踊る姿を想像するとあたしでも和んじゃうわ。

 などと数ヶ月先の文化祭について思いを馳せていたら予想外の言葉が飛んできた。

「そういえばあのコは一緒じゃないの?」

「あのコ?」

「……まあいつも一緒なワケないか」

 あたしが何か聞き返そうと思ったのも束の間、勝手に得心したかのように何度も頷いていた。

 その後、みくるちゃんと鶴屋さんには無事会えたものの、噂のことなんてすっかり忘れて文化祭にバンド参加するためにどうするか、なんて鶴屋さんと大いに盛り上がり、みくるちゃんと一緒に部室へと向ったのだった。

 ちょっとだけチクりと痛む胸を抑えながら。

 


      キョンの場合・Ⅲ

 

 HRが終わって勢いよく飛び出していったハズのハルヒはまだ部室には来ておらず、俺はいささか拍子抜けしてパイプ椅子に腰を下ろした。

「今日は皆さんやけに遅いですね」

 古泉の発言に何か意図があるのではないかと勘繰ってしまうのがクセになっているな。ついじっくりとこの似非スマイルの似合うイケメンを眺めてしまう。

 あの噂が真実だとしたらコイツらは必ず把握してるだろうし、そしてコイツがこの場でいつもの調子で微笑んでいるのならそれは問題はないということだ。そもそもハルヒが他の男とヨロシクやってる姿なんて全く想像できないしな。

 ハルヒが相手にするということはつまり普通でない相手だということで、そうなればこんなところでノンビリとしていることはあるまい。そのはずだ。

 部室に居るのはすでに定位置で本を読んでいる長門と、教本を片手に詰め将棋をしている古泉だけだ。ハルヒが遅れているのは……また何か企んでいるんだろう。

 朝比奈さんも居ないのが少し心配だがまた妙な思いつきに振り回しているんじゃなかろうな。

「あなたが何に苛立っているのか知りませんが」

 古泉が人差し指と中指でつまんだままの歩を俺に向けて諭すような口調で声を掛けてくる。

「あまり机を揺らさないで下さい。もうちょっとなんです。それと涼宮さんのことなら周囲には誰も近づいていませんよ。僕が保障します」

 その訳知り顔はやめろ。今はとくに腹が立つ。

 再び将棋盤に目を落とした古泉に向かって溜息をついた俺は、こちらを見向きもしない長門の反応を確認しながら、窓際に向かって歩いていった。

 なんとなく、そう、なんとなくだ。何か予感があったわけでもない。ふと窓から外を眺めてみたくなったのだ。

 そして思いがけない光景を目撃してしまった。

 言い訳させてもらうと、誰だってこんなのは想像できやしないぜ。ここにいるエスパーもどきだって未来予知レベルの凄腕の占い師だって無理だろう。それだけインパクトのある光景だった。

 それはハルヒが謎の男と一緒に手を繋いで談笑している姿だった。

 それだけならここまでショックは受けない。その相手が問題なのだ。

 そう、その謎の男の姿は俺にそっくりだったからだ。

 


      涼宮ハルヒの場合・Ⅲ

 

 鶴屋さんと別れ、みくるちゃんと一緒に部室へ向かう。

 他愛のない世間話でお互いに相槌を打ちながら、順調に部室棟の入り口へと近づいたときだった。

「あれ、キョンくん? と涼宮さん?」

「え、なに?」

「あ……えと、今キョンくんと涼宮さんが……え?」

 あたしはみくるちゃんが指を指す方向へと視線を追って、部室棟の裏へと走った。誰も居ない。誰かが逃げたような気配も特に感じなかったけど……。

「みくるちゃん! そっちは誰か来た?」

「誰も来てませーん」

 みくるちゃんの見間違い……にしてはやけに具体的だったし、いくらみくるちゃんでも人が居たか居ないかをこんなまだ明るい時間に見間違えるのも変だわ。

「確認するけど、みくるちゃんは今キョンを見たのね? それは間違いない?」

「ええ、はい。確かにキョンくんでした」

「部室に行きましょ。それでハッキリするわ」

 ふたりでSOS団の部室へと走る。どこに隠れたとしてもこの距離ならあたしたちの方が先に着くはず。果たしてそこにキョンは居た。

 なぜか古泉くんとふたりで窓際から外の様子を探っているようだった。

「何してんのふたりとも」

「ただの気分転換です。特に報告するようなコトはありませんよ」

「朝比奈さんと一緒だったのか?」

 キョンがあたしの背後に視線を向けると分かりきったことを聞いてくる。

「そうだけど。もしかしてあたしが来るのが待ちきれなくて窓から覗いてたってわけ? なかなか殊勝な心がけじゃない」

「そういうことにしといてもいいが、古泉の言うとおり、本当に意味は無いぞ」

「そう?」

 じゃあ誰を探していたの? とは聞けなかった。

 すっかり忘れていたけど、例の噂が脳裏に鮮烈に蘇っていたからだ。怪しい。あたしに黙ってコソコソしているというのがまた許せないコトよね。SOS団の団員たるもの、ホウレンソウを欠かすなんて罰則モノよ。

 なんかイライラしてきたので今日の活動はもう解散。

 噂の出所を掴むまでこのモヤモヤは晴れそうにない!



      キョンの場合・Ⅳ

 

 正直ハルヒがさっさと帰ってくれてホっとした。このままあいつが校内に残っていたら連鎖的にとんでもない事件を起こしそうだったからな。

「それで確認なのですが、ここに来る前に朝比奈さんも謎の人物を見たということですが、涼宮さんもですか?」

「ううん。涼宮さんは見てないって。すぐに追いかけたんだけど……」

「その、ソイツは本当に俺だったんですか?」

「ちょっと遠かったけど、確かにキョンくんに見えました。涼宮さんと一緒だったし……」

「ですがその涼宮さんはそもそも朝比奈さんの隣に居たのです。ではどういうことかというと」

「俺とハルヒがもうワンセット居る……ということか」

 異常事態である。俺とハルヒがもう一人ずつ居る?

「なるほど」と古泉。勝手に納得するんじゃない。説明しろ。

「いえ、例の噂ですよ。コレで分かりましたね」

 つまりなんだ、もう一人の俺とハルヒがアチコチで出現して何やらヨロシクやってると、そういうことか。そのニセモノはいったい何が目的なんだ?

「今のところ害は無いようですが、放っておくわけにはいきませんね。涼宮さんとバッタリ遭遇されでもしたら、世界にどんな影響が出るか分かりません。早急に確保する必要があるでしょう」

 俺としても同じ人間がそこらをうろついてるなんてゾっとするね。ましてやハルヒがもう一人? あいつは一人で十分間に合ってる。ただのソックリさんであれば捕まえてみりゃそれで終わりなんだが。

「まさか未来から来た……ということは無いのですか?」

 古泉がなんとまあ嬉しそうに朝比奈さんへと向き直っていた。あからさまに目が輝いている。少しは落ち着けよ。朝比奈さんが怯えてるだろ。

「ごめんなさい……私の権限では分からないんです」

 しょんぼりとしちまったじゃねえか、このバカ野郎。

 しかし、未来から来たっていうんならもっと慎重に動きそうなもんだが。こうやって俺たちが疑問に思うのが規定事項だとしてもだ。

 実際に前回未来から朝比奈さんと行動したときはなんとか誤魔化してハルヒにバレないよう細心の注意を払ったもんだ。それが当のハルヒに目撃されてわざわざ面倒なことを増やす必要なんて……。

 思っていたよりも動揺していたのかもな。さっきから長門が天井を見つめているのにやっと気がついた。



      涼宮ハルヒの場合・Ⅳ

 

 今日は解散! と言ったものの、やはりこのまま帰ることなどできず、あたしはまだ活動している部活連中のところへと聞き込みをすることにした。

 まずはコーラス部から行きましょう。阪中もいるはずだしね。その先輩とやらを見つけるのが手っ取り早い!

 と足を踏み出したときにチラと人影が見えた気がした。

 よく見えなかったけど、キョンっぽいカンジだったわね。もう一人居たようにも見えたけど……?

 現行犯逮捕。

 そう、噂も何もこのまま現場を押さえてしまえばいいのだ。キョンのやつ、いつの間に部室の外へ出ていたのかしら。本当に生意気ね。

 絶対に逃がさないわ! 


 

 結論から言うと逃げられた。あたしの全力疾走よりも早く走れるなんてやるじゃないの。少しは認めてやってもいいかもしんないわね。メラメラと腹の底から煮えたぎるナニを感じながら、当初の予定通りコーラス部へと向かった。とにかく落ち着かない。

「こんちわー! SOS団です! 上級生はどこ!」

「あ、涼宮さん……あれ? うちに用だったの?」

「こんにちは、阪中さん。例の噂を確かめに来たのよ」

「ああ、それで今日はあちこち走り回っているのね」

「来たのは初めてだけど」

「え? ついさっきも廊下を走っているのを見たのね」

 あたしは礼も言わずに廊下に飛び出すと、他の部室棟の活動している部活連中にも聞き込みを開始した。そして口を揃えたかのように、あたしとキョンが廊下を走っているとの目撃情報が得られた。

 そういえばみくるちゃんがキョンとあたしを見た、とか言ってたような……。

 そういうことだったの? これはSOS団についにニセモノが登場したってことよね!

 それなら分かりやすい。

 身に覚えの無い噂話もきっとそいつらが流したに違いないわ!

 どこに隠れてるか知んないけど、必ず見つけ出して、名を騙ったことを後悔させてやんなきゃ! 

 気合十分に廊下を曲がった瞬間、あたしが居た。

「……は?」

 そいつはまさにあたしだった。最初鏡が廊下に設置してあるのかと疑ったくらい。そいつはゆるやかにこちらに近づいてきて――



      キョンの場合・Ⅴ

 

「そうだ、長門。お前は何か知らないのか?」

 長門はチラリとこちらを見た後、視線を宙に上げたまま、ニ秒程彷徨わせ、首をかくんと戻し、

「わたしに観測できる範囲ではあなたと涼宮ハルヒの同一固体は他に存在しない」

 そのまま窓の外へと視線を飛ばした。

「今この時点では」

 長門にしてはずいぶんと曖昧な物言いだな。

「朝比奈みくる」

 急に話を振られた朝比奈さんがビクっと体を揺らした。

「な、なんでしょう?」

「時空に揺らぎが観測されている」

「え、えぇ! ちょっと、待ってください」

 朝比奈さんは先ほどの長門のように虚空を見つめると、

「嘘……そんな。……そっか。そういうことだったんですね」

 ふんふん頷く朝比奈さんの姿に普段なら見とれるところではあるんだが、

「何かわかったんですか?」

「幻だったんです。蜃気楼って分かりますか? それと似たようなことがこの時間平面上におきていたんです」

 朝比奈さんは古泉のようなオーバーなアクションもせずに、静かに諭すように説明してくれた。

「あ、普通の蜃気楼とは全然違うんだけど、ええと、この場合は違う時間平面上の映像が投影されることによって幻のように見えるの」

 ありもしないわけでもない、しかしここにあるとおかしい映像か。確かに蜃気楼といえるだろう。

「なるほど。これで完全に謎がとけました」

 お前は今日それっばかりだな。探偵には向いてないぜ。

 古泉は苦笑すると、

「例の噂ですが、あなたほどではないにせよ、涼宮さんも気にしていたようですから。無意識のうちに正体を探ろうとしたんでしょう。その結果が他の時間平面から現れていたということです」

 それだと同じ人間が見える説明にはなるだろうが、結局噂の出所はわからないままじゃないか。そっちはどう説明する?

「噂なんてそんなものですよ。たまたま今回は幻の男女が見えるという怪奇現象と合致しただけです。今に始まったことでもありませんし」

 そうなのか? 俺は今日始めて聞いたんだが……。

「涼宮さんは良くも悪くも注目を浴びる存在です。そしてその近くに居るあなたもね」

 ふん、と古泉から体ごと目を逸らす。そのまま聞いてると余計な墓穴を掘りそうになったからだ。

 確かに俺とハルヒは一緒に居るとも。だがソレは別にクラスが同じで、ついでに座席も前後していて、さらには同じ部活に所属しているのだから当然であって、全く不自然じゃないだろうよ。と、以前なら誰に向かってでもなく言い訳していたのだろうが、今回の妙な噂話でまた益体もない感情に気づいてしまった。

 たとえソレが俺自身であろうとも、あいつの隣には今現在の俺がそこに居たいという、情けない、ちっぽけな願いだ。

「あー、じゃあなんだ。どうすりゃいい。正体がわかったのはいいが、幽霊みたいなもんだろ。放っておいても大丈夫なのか」

「あ、はい。それは大丈夫だと思います。さっきまでの揺らぎが今は無くなっています」

 俺の質問に答えたのは朝比奈さんだった。

「私が観測できた範囲でも、すっかり元通り」

 自分の領域とはいえハキハキと対応している朝比奈さんの姿を見ると、なるほど、このまま成長していけばもう一人の朝比奈さんに近づいていくのも道理だなと感じて、若干の寂しさも覚える。

 SOS団が結成されてもう一年以上経つ。当然その間に溜まった分の経験値で成長するのは当然だ。成長するということは変化するってことでもあるわけで。

 それが、今の俺のこの心境の変化でもあるわけだ。

 ハルヒのやつもまた変化している。アイツの場合、本当に変わったのは周りの方かもな。今じゃハルヒのパーソナルを受け入れないにせよ、拒絶するような連中も少なくなっているようだし。

 願わくば、ハルヒの内側にいる俺の存在も少しは大きくなっていれば、なんて思っていると、

「みんな! まだ居る?」

 ハルヒがノックもせず部室のドアをぶち破るようにして入ってきた。

 なんつータイミングで戻ってきやがるんだこいつは。人が恥ずかしいモノローグをしている最中だぞ。

「感心感心。揃っているようね」

 ハルヒは所在無く突っ立っている俺たちを睥睨し、大きく胸を張って宣言した。

「ドッペルゲンガーを探しにいくわよ!」

 


      涼宮ハルヒの場合・Ⅴ

 

 ドッペルゲンガー。ドイツ語で二重、分身という意味。自分の姿を第三者が別の場所で目撃する。または自分で自分を目撃する現象のことをいう。

 自分自身のドッペルゲンガーに遭遇した場合は寿命が尽きた証明でもある、なんて都市伝説もある。

 もちろんあたしは信じてないけどね。こうやってピンピンしているし。

 さすがにビックリはしたけど、それで終わりよ。案外今までに遭遇して死んじゃったひとってのは驚きすぎて心臓麻痺でも起しちゃったのかもね。

 あたしが自分のドッペルゲンガーを見たのはついさっきのこと。廊下で追いかけたあたしのニセモノはあたしの前で唐突に姿を消した。

 廊下のど真ん中で隠れるところなんてないし、まさしくドッペルゲンガーとしか言いようの無い現象だった。

 それにどうやらキョンのドッペルゲンガーも一緒にいるようだし、あたしのは消えたにしてもキョンのはまだそこらへんをウロウロしている可能性が高い。

 ドッペルゲンガーになってもヌケてるのよね、アイツは。

 でも、と思う。

 今日はなんだかキョンとは妙にすれ違っているというのに、ドッペルゲンガーのほうはといえばふたりで走り回っているという。

 またムカムカしてきた。

 さっき感じたムカムカとは違う感じ。例えるならお気に入りの玩具を奪われた子どものような単純な怒りね。

 キョンは、SOS団の団員は団長であるあたしのモノなの。それがドッペルゲンガーであってもよ。逃げるように消えてしまったあたしの方はしょうがないにしても、まだ消えたか分からないキョンのほうはなんとしてもあたしが確保しなくてはならない。

 それにあたしは平気だけどキョンが自分のドッペルゲンガーに予告無く出会ったらそれこそ心臓麻痺でも起こすかもしんないしさ。

 とにかく先ずは部室に戻って作戦会議ね。まだみんな帰ってないといいけど。

 あたしは全力で走り出した。今日のモヤモヤを吹っ飛ばす勢いで。

 

 どっちのキョンも待ってなさいよ!

 

 

          彼と彼女と北高生の事情・エピローグ

 

 どうも、古泉一樹です。SOS団の副団長として活動させてもらっていますが、今は北高生代表として挨拶させていただきます。

 ドッペルゲンガーを探しに行くといって、我らが誇るSOS団団長の涼宮さんは雑用係りであるところの彼を連れて再び部室を飛び出していきました。

 このようにふたりで目立つ行動が、北高生に目撃され、あらぬ噂の元となっていることに当人たちはまだ気づいてはいないようです。

 もっともこのようなゴシップのネタは我々が管理する必要も無く自然に消滅するものなので僕も北高生として楽しませてもらっていますが。

 我々……というのはもちろん、SOS団のことですよ?

 まだ北高に入学して日の浅い新入生にとって、涼宮さんの存在は話のネタには持ってこいです。

 しかしそれもしばらくの間。新入生たちのファーストコミュニケーションが終われば自ずと減っていくことでしょう。

 これを変化ととるか、または成長ととるか。あるいは……同化ととるか。

 落ち着いてきたと思っていた涼宮さんですが、彼女もまた成長や変化を続けているようです。

 今や僕たちも彼女に同化しつつあるようで、SOS団こそが帰る場所だと言えるようになってきましたし。

 そして彼もまた。

 彼は否定するでしょうが、メンタルな意味でもアクションにおいても、すっかり相方としてサマになってきているように僕は思いますね。

 そんな彼ですが……おや?

 朝比奈さんが虚空を眺めていやな顔をしていますが、まあいいでしょう。

 長門さんもミクロンレベルで何か読書以外の思案をしているように見えますが、それもいいでしょう。

 今日は彼女の側に居る彼にゲタを預けて、僕はのんびり傍観者でも気取ることにします。

 馬に蹴られたくはないのでね。

 


 それでは、涼宮さんが通りすがりに解いていった詰め将棋を元に戻し……いや、次の問題にしますか。

 改めて思索にふけるコトにしましょう――



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼と彼女と○○○の事情 猪座布団 @Ton-inosisi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る