器のゆくえ
星留悠紀
器のゆくえ
人は皆心に器を抱えてる。それは器量とか器が大きいとか小さいとかではなく、もっと感情的な何かの容器。
そして、それは器なのだから容量がある。
つまりは限界。
我慢の限界なんていう言葉は、この話の例にぴったりだろう。
そんなことをつらつらと電話口に話した。
でも、受話器からは応答がない。ただ、ツー、ツー、と機械的な信号が流れるだけ。
それもそのはずだ。最初から誰にもかけてなんていないのだから。
最近だと思う。こうやって、誰にも電話をかけずに機械音を相手に話すことが落ち着くと知ったのは。
「さて、もう終わりにしよう」
受話器から耳を離そうとしたその時だった。
ガチャ、と電話に誰かが出た音。そして、唐突に受話器が話し出した。
「もしもし、おはよう。僕だよ?もう朝だけど起きてる?」
間髪入れずに電話口に話しかけてしまう。反射的と言っていいかもしれない。
「ああ、起きてるよ。君は誰だい?」
どういうことだろうか。そうは思わなくはなかった。だが、どうせやることなんてない。
だから答えたみた。そんな軽いものだった。
すると相手は。
「僕は僕だよ。この場合、君も僕であり僕も君だけど」
「へー。じぁあ、もう一人の僕か」
ふむ。どういうことだろうか。大抵のことには驚かないと思っていたけど、これには少々驚いた。信じているわけではないが声の感じは、まさに自分の声そのものだったのだ。
だから僕はこう言う。
「質問。僕が話しているこの状況はいったいどういうこと?」
分からないことは聞く。考えるのは面倒だ。
「どういうことも何もそのままだよ。世の中何が起こるか分からないってことの表れだと思ってくれればいい。」
答えになっていない。だけど、僕らしい答えだ。そう思った。まぁ、細かい話はいいとしよう。僕は会話を続けることを選んだ。
「で、その僕が何の用だい?」
「んー?用といえるほどのことは無いよ?ただ、話したいから電話をかけただけ」
「……何の話を?」
数秒あって。
「そうだな。せっかく僕と話しているんだ。僕の話をするとしよう」
コイツ、絶対今決めただろ。
そこから先はつまらない話だ。
学校の虐め。親の離婚。兄の自殺。僕の不登校。どこにでもある話。不幸とは思わない。悪いのは運だと思う。僕じゃない。
僕が知っている話を僕が話すだけ。つまらないものだった。だけど、つまらない話は嫌いではない。頭を空っぽにできる。
ただ、あまりにも長かった。電話料金が心配である。
「あ、電話料金は僕持ちだから」
思考を先読みされた。というか、どっちの僕なのか。
それから二時間くらいだっただろうか。僕の話は終わったらしい。まぁ、僕の話なんてこんなものだろう。
「なあ、僕?生きているのは楽しい?」
意味のない質問をされた。そんなこと分かりきっているから。
「生きることが楽しいわけないだろう。皆、何処かで現実を嫌って死にたがってる」
手元にあった塵紙を丸めてゴミ箱に投げてみた。塵紙はゴミ箱の縁に当たるも、すとんと入った。
「やっぱりそう思うか」
「なんだよ、僕のくせに変だぞ」
少し声が荒くなってしまった。
「きっと、僕は器が欠けちゃったんだろうね」
哀れむように僕が言った。
本当に哀れんでいるかは怪しい。
器。それはさっきまで僕が無言の受話器に話していた内容のことだろうか。感情的な何かの入れ物。
「もう遅いのかも知れないけど。一応、言っておくよ。僕…いや、君はきっと器が欠けていても大丈夫。きっと。器は直せるから」
呟くようにして僕……いや、彼の声は消えた。
耳慣れた機械音がしている。始めからさっきの会話がなかったように。
僕は立ち上り、受話器を置いた。
ゴミ出しに行かなければ。
ごそごそと部屋中のプラスチックゴミを袋に入れる。床が見えているのは一部分だ。馴れた手つきで袋の口を縛る。
ごみ捨て場には、袋詰めにされたゴミの山。それを一瞥すると器の欠片が目に入った。容器か食器か。とにかく、割れ欠けた器だ。直せるはずなのに捨てられてるものもあるだろう。
ごみ捨て場にしばらく佇んだ。
器が欠けてしまった人間は、欠けた器のゆくえを知らない訳がなかった。そして僕がこのあとどうするべきなのか、どうなるのかも、きっと。
器のゆくえ 星留悠紀 @fossil-snow
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