浪江へ
秋の紅葉は、さぞや美しかろうと思いつつ、広葉樹が両脇に生い茂る薄暗き288号線を通り、浪江に向かいたり。目標とせし浪江の20Km前後で帰還困難地域の立て看板を目にして後は目にする人は警備員と道路維持作業員のみ。自転車やオートバイや歩行では通行を許可されじ。帰還困難地域を過ぎても歩く人の姿はあらじ。家に人が住みし気配はなし。腰を折り道を歩く老人すらを発見できず。人家にはすべて柵がしてあり。国道228号線以外の支線は車が侵入が出来ぬように柵で封鎖しおり。もちろん森の中に入り山作業をされる方はなしと警備員は告げたり。ただ墓清掃が綺麗に行き届き、住み慣れし故郷を追われし家族の切なさを痛感せり。あたかも除染をし管理された道路の外は猛獣が徘徊するサファリパークのようなり。一層、広大なサファリパークとして四季折々の景色を車で楽しめるサファリパークとして原発事故の真相を伝える資料館と共に観光資源として活用出来ぬかと乱暴なことを思いぬ。
吾、高濃度汚染地帯に至れり。福島原発事故に汚染地域は間近なり。
東日本を襲いし大津波はゴジラ襲来に似たり。そして今も残りし放射能を垂れ流す原発事故現場はゴジラに似たりし。吾は、今、まさに、その横を通りし最中なり。
無人になりし町や工場は鉄のパイプにて柵をせられ、すべての信号は黄色を点滅し続け、道路を多くの作業車が猛スピードで通り抜けて行きぬ。あたかも汚染地域を一刻を通り過ぎんがためのごとく見えたり。
予定なき旅なれど、決して無目的な旅にはあらず。
幾度も書きにしが、吾の心の中には思春期の頃より魔物が住みぬ。その魔物とは人口爆発なり。それを恐れつつ人生を送れり、人口爆発は有限な地球を食いつぶす魔物にして争いや戦争を誘因する魔物なり。
その魔物は常時、心に住み着き、吾に悪さをし続け、吾を変わり者とし社会や世間との摩擦を生みにし。
今、吾はその魔物を心の中から社会や世間に解き放ち、社会や国のあり方を世間に問わんとする状況なり。
きっかけは中国の領土領海拡張なり。吾は思春期の頃より恐れしことが、遂に現実問題化したと思えり。毛沢東時代に中国国内で起し人口爆発は驚異なり。今、その人々を養わんがために中国は巨大な軍事力を拝見に周辺に新たな領土領海を求めんとするがごとき行動を続けざる得ず。過去の歴史においても中国の領土領海拡張はありし。しかるにそれは商業活動や産業活動などを通ずる華僑という形で新天地を拡大しつる比較的平和的な形なり。最近のごとく軍事力を背景にする行動にあらず。
同時に東日本大震災とそれに伴う副島原発事故という日本を遅いし大不幸なり。副島原発事故は中国の南シナ海や東シナ海進出が強固になりしこととも無関係に思えず。日本や日本人は完全にかっての日本にあらざると中国に見抜かれたせいもありしとも思えたり。これまでは静穏を保つことが重要と思えりに、今は真剣に新たな危機管理安全保障体制を構築すべしと主張を続けるに至れり。むろん福島原発事故回避のために陸上自衛隊が勇敢に取り組みしおれば、そのようなことはなきはず。まだ原発事故後始末に要する莫大な経済的損失も被ることなきことなりを。
吾は声を大にし、新たな危機管理安全保障体制を構築のためにスクラップアンドビルドを叫びぬ。陸上自衛隊の解体と隊員の航空自衛隊や海上自衛隊、海上保安庁そして国内治安維持強化の警察等の強化なり。出来るだけ多くの陸上自衛官を危機管理安全保障体制の最前線に配置することなり。原発敷地内に陸上自衛官や装甲車なども配置されておりせば1号機水素爆発まで24時間や、それ以降の事故対応は大いに異なりはずなり。あるいは阪神大震災以降、震度5強なる揺れの地震に際しては陸上自衛隊の現地部隊は自動的に出動できるむねの通達もありし。当日は平日なり多くの隊員は勤務しおり、連絡員の派遣、通信網の構成、夜間作業の準備など基本的な支援はできずか。福島原発事故の教訓なり。もちろん適任者を選抜すべし。また古き器に落ちぶれし陸上自衛隊に頼らず、新たな器に新たな任務に相応しい酒を盛るべし。
むろん2011年3月11日から12日にかけて国家として最善の処置を逃した理由を明らかにすべし。損害の甚大性から、その価値のある大事件でありしはず。
昨夜は静かすぎるとある町の運動公園で今夜は休みぬ。
あの日、慰問に訪れし元首相の首を捕まえ、もう帰るのかと怨嗟の怒鳴り声を上げし者たちが避難したる場所だと後日知れり。幾百名の避難民が狭き体育館に避難せりと聞く。
口を濯がんとし、水場に行くと体操服を身につけし先着の若い3名組の男女に会いぬ。
不安気によそ者の老人に眺めぬ。髪の毛を白く染めし若者たちなり。一言、二言言葉を交わしたるが原発被災地から避難をして来て住み着きし若者だと知れり。昼、散歩を楽しみし同年配の老人と雑談せしおり、老人の嘆きを聞けり。
東京のディズニランドに孫を連れ遊びに行ったおり、福島ナンバーの車とて、スプレーで「東京に放射能を持ち込むな」と車のドアに落書きをされたと嘆きににけり。日本人はマスコミで報道されているように良き民族ではあらずと嘆きけり。汚染地域より町に避難せし3名の若者を目にし、町に住む者同士も悲しい目で互いに見つめ合っているのではないかと考えたり。
彼らと別れた後は地球温暖化の危険性を報ずるNHKのスペシャル番組を鑑賞しつつ、明日の予定に思いをはせる。
決して福島原発事故は他人ごとにあらず。
1号機水素爆発をテレビで目にしおり、鹿児島川内原発で起これば良かりを思わず悪魔のごときことを考えし。妻や子を2年前の選挙惨敗騒動から鹿児島に避難させた時期にも関わらずなり。30数年前のことなれど、熊本にありし部隊が鹿児島川内原発の稼働に合わせるがごとく鹿児島川内に移駐せることになれり。自分も家族が多く住みし地元に帰り家族の整理をしたきと思いしが叶わぬことになりし。その時期に世話になりし大隊長なる人物が浪江の出身と記憶せり。川内原発稼働に際し、絶対安全なるということはなかりしと真剣に備えるべきと主張せり。大宮にありし陸上自衛隊の化学学校にも入校し資料を集めんとせん。吾が申し出は細やかな波紋を描けりしがごとく思えり。先述せし浪江町御出身の上司より回答を頂きぬ。その当時では避難支援は可能なりという回答なり。
心に住みし魔物とも別問題にあらず。
防衛大学校入校後の専攻を国際関係論、管理学など文系に希望せりをうまくいかず、原子力エネルギーなどを勉強する応用物理学に籍をおくことになれり。卒業論文に放射能研究を選択したいと望めど、その望みも叶わず。陸上、海上、航空自衛隊への道を決める際にも航空自衛隊、海上自衛隊を希望せるも叶わず。吾が不完全で未熟なるが故なり。周囲の配慮がなりしと思う。すべて魔物と対決がせんがために最善の道と思いし希望なり。
やがて静穏を保つことが、吾らの役割と考えぬ。そして押し黙ることこそ吾の仕事と思えぬ。それが出来るようになつたことで吾は自らを大人になったと思いぬ。もちろん、わずかばかりの心の平安を乱しぬこと起これり。民主党の政権奪還なり。民主党が掲げる新生児増加のための子ども手当に創設に異論を唱えるべき、ある政治家に近づきぬ。そして吾が主張の一端を伝えぬ。あるいは彼らが騒ぎし国家の危機的な状況に不安を怯えたり。それでも2009年に定年を迎えたり。
防衛大卒業の定年3等陸佐という階級なりしが、個人的には階級など意識はせぬが、家族のことを考えたる時に複雑な思いを抱きたり。選挙に出馬して散々たる結果で息子は妻は鹿児島に返しぬ。自らは倉庫でアルバイトをし日銭を稼ぎぬつつ暮らしおり。それから二年を経ぬ2011年3月11日の福島原発1号機全電源喪失をテレビのテロップ画面を知れり。その夜もアルバイトなりしが、夕刻に大津波の様子のことは知れり。テロップ確認後、思い付く手段で代議士を励ましたりが、如何なる事情があると言え、すでに自衛隊は全力で事故回避に努めたりはずと期待しつつ朝を迎えたり。
しかるに3月12日昼過ぎに1号機は水素爆発が起これり。
それ以来、水素爆発までの約24時間の防衛省陸上自衛隊や行政機関の対応について把握せんと努むるに資料はなし。断片的な資料を集め、推測と想像で個人的に納得できる結論を得るしかあらず。
同時に東シナ海方面での中国人民解放軍の動きを知るにつれ、吾は心に住みにし魔物を世に解き放たんと決心した次第なり。それが繰り返し綴る現状なり。
如何ともならぬことなりか。ここに至るまで他に道はなきにか。
しかし今後のことを考えるに至急、改善を要するは明らかなり。しかも特に2020年の東京オリンピックまでに改善すべきことなり。今は自己の自衛隊退職時の階級など問題にせじ、陸上自衛隊の全面的に解体と国の危機管理や安全保障体制の再構築を求めんがためなり。戦前なら、かくような主張をせし者は闇に葬られているやも知れぬ。吾は、今でもそのような不安を感ずることがあり。家族と離れて車で移動をしながら書き続ける故なり。
吾が浪江に向かいし目的は遠い昔に聞きし浪江の町を見んがためなり。これまで恩人と呼ぶにふさわしい方に出合いたり。その中での大きな恩人なり。心にもう少し他にやりようがなかったかという恩人の声が胸に思い浮かびたり。「柵の中にて」という作品に関係することなり。工事を終えて部隊に戻りし時に、恩人は吾にそう問いたり。吾にとって心苦しき記憶なり。30年過ぎしも今も焼きつきたる面影はぎょろ目、頬にエラの張りし面影なり。吾より16歳年上にて防衛大学校の5期生なり。彼らの5期生いうグループは自らをゴキブリと称し、豪傑が多く、町のヤクザも一目、置き、彼らに道を譲ったという伝説的な期なり。彼が浪江に縁のある人物であったことは間違いあるまい。彼とのやりとりから、彼が生まれし浪江の近くにも川内と書き、センダイではなくカワウチという呼び名の町がありしことを知れり。彼に最後に会しは、韓国内を多数の朝鮮兵士が逃避をする事件が起こりし江陵浸透事件という事件が起きた直後なり、吾は山形の神町駐屯地に勤務しおり、仙台の上級司令部より、かくなる事件が日本で起きた場合の対応を考え各業務に応じ報告するように対応を指示あり。吾は女川原発付近一帯の森林に逃げ込まれたおりの土地収用に意見を述べたり。頭の中では東シナ海に面する鹿児島川内原発のことを思い浮かべたり。ただ純粋に軍事的な見地のみで意見を伝えたり。山形の神町の部隊も仙台の部隊も今回の福島原発事故回避の初度対応時に真っ先に出動せざる部隊なりき。吾が体験するに東北地方は真面目な隊員が多き地方なり。
鹿児島川内原発再稼働をせしが、多くの市民、県民は反対するところなり。しかるに吾は思うに、個人的な思いなれど、30数年の前の一部の隊員の不道徳な騒動や行為が原罪となり、他の原発再稼働せずととも国内で唯一稼働する実験炉として位置づけられ、稼働を続けられるやも知れぬと危惧せり。
今、吾は2011年3月11日に関係せし全隊員に同じことを聞きたし。
「他にやりようはんかりしか」と。
それ以前に世間で伝わりしことは真実なりしかと問いたし。
すなわち吾がネットで知りたるまとまった情報は以下のとおりなり。
3月11日18:45(6時45分)福島の44普通科連隊の80名が福島第一原発のオフサイトセンターに向け出発。19:03(7時3分)原子力緊急事態宣言発令。1930分(7時30分)原子力災害派遣命令を受け、大宮駐屯地の陸上自衛隊化学防護車を福島第一に出動。22:15(10時15)自衛隊80名が現地到着(※ 18:45に出発した44普通科連隊と思われる)。
3月12日03:35(3時35分)中央特殊武器防護隊(朝霞)の先遣隊2名がオフサイトセンターに到着。04:50(4時50分)44普通科連隊約50名が原発地域で電源運搬支援を実施。44普通科連隊約50名がオフサイトセンター周辺で救護活動を実施。第6化学防護隊(郡山)の約10名が駐屯地を出発等々なり。
すべてネット情報にて不確かなり。
国は急ぎ、事故資料館を建設し、歴史に刻むべきにあらずや。
吾が知りしは、07:11(7時11分)菅前首相がヘリで福島第一原発視察(到着)し、報道陣のみならず国民全体の嘲りを受けたることのみ。その際には駐屯地の赤い消防車が事故現場に到着せり。おそらく原発事故事故対応のためにあらずして菅直人元首相のヘリコプターの着陸支援のためにあらずやと想像せり。その姿を見て異様に感じたり。歴史に残る大事件であり、虚構が許されることにあらず。
誠あらざれば二重三重の犯罪なり。税金泥棒と国中から罵声を投げかけられても言い訳できぬ仕儀なり。2020年の東京オリンピックやパラリンピックをも控え急ぎ真実を明確に国の危機管理や安全保障体制確立を急ぐべきあらざるや。
窓ガラスの向こうには柵の外した家屋や事業所を少なからず目にするようになりにし。人影は疎らなりといえど営業せるガソリンスタンドもありたり。ふと昨夜、休みし運動公園で出逢いし3名の若者を思い出しぬ。避難をし住み着きにしと打ち明けたりが、それ以上は聞かねど、このあたりを故郷にしする若者でなかりしかと勝手に想像せり。いつの日か彼らが、みずからの故郷に戻り、閉鎖されたガソリンスタンドを明け、仕事をする日が来ることを祈りたり。
吾、浪江にて口寄せをすることを思いとどまりたり。
彼の他に多くの恩人おりたり。
すべて徒労に終わりし人生なりしがが、黄泉の国で相まみえんと思うのみ。
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