萩にて田中義一元首相を口寄せしたること
萩市を流れる橋本川の畔の散策道にい腰を下ろして待つことになりたり。
山県有朋公と逢い公の成仏を手助けしたる頃から一年が経過したる頃なり。閻魔様も案じたとおり神通力回復には一年あまりの静養が必要となりたり。半年は半死人のごとくウツラウツラと過ごし、残り半年は仕事をし資金を稼ぎたり。神通力の回復もしたり。
明治維新以降の日本の近代史を調べるにつれ多くの気になることがあり、再び萩の街に足を運ぶことにしたり。
田中義一なる人物を黄泉の国より口寄せし話を聞かんと思いたり。
神通力を高めるために本を読み、ネットにて御子孫の現状を知るも進まず、数週間も迷いたり。清水の舞台から飛び降りる覚悟にて萩を訪ね、口寄せし易き場所を探し求めて市中を散策しそうろう。美しき古い街並みや館跡付近に濃厚な霊の浮遊せざる感じたるが、やはり橋本川の畔の旧田中義一別宅周囲が良かろうと感じたり。
かつ館のある敷地内へは夜間の侵入は不可なりをもって、川辺の散策道の屋敷内から松の木の枝が垂れ下がる場所に陣取り、深夜を迎えたり。
秋深きに頃にて日が沈んだ後は気温も下がりぬ。
ひたすら話を聞きたしと念じ続けるなり。
田口議一なる者は戦前の軍人なり。父は車引きなり。前原一誠が萩の乱を起こしし時は本陣を萩明倫館において門番をしていたと言う。陸軍大将陸軍大臣を経て、やがて政党人となり政友会を率いて首相となりたる立身出世の人物なり。口癖のオラガが庶民に受け、オラガ大将と親しまれたり。ただ元首相が世間の悪評を決定付けしは、昭和初期に起し河本大作大佐らによる張作霖爆殺事件の件で昭和天皇に正しく事件を報告できず、昭和天皇の叱責を受け、内閣を投げ出し、その妾宅で死亡したることなり。世人は若き妾宅で腹上死したと嘲笑せり。また戦後は先の戦争に原因になりし施策を実現したる人物として彼の名を覚えし者、多し。いずれも妬みの絡んだや世人の噂話に過ぎぬやも知れず。しかして、軍人や政治家としての彼の仕事に対する怨みから発するものなりと感ずること多くあり、世人は何をもって彼を批判するや調べたしと思いたり。
彼こそ陸軍の山県閥なる伝承人として政治に介入し、シベリア派遣を主導し、中国や満州における日本の権利を主張し、日本と中国の関係を悪化せしめ、満州事変などを導いた政策の実行者にあらざるや。軍部大臣現役制の変更を幾度となく退けたことも責められていかるべき。何よりも世人の記憶に残りしは満州某重大事件なる張作霖なる満州国に支配権を確立しつつあった者が爆殺された事件に際し、調査もせず、陛下の前で邦人は関係し居る様子なりと報告し、事件を有耶無耶のままに終わらせようと画策したることは責め大きいことにあらざるや。河本大佐なる者が関係していたことが明確になるや、前言を二転三転し陛下の信を失い、首相を辞職したことが世人の評価を下げるきっかけとなりたり。この満州某重大事件以降、日本は数多くの血生臭い事件を経て、戦争へと突き進むことになりたり。この事件の背景にも、やはり田中義一元首相などが主張せし、ロシアとの戦闘を大陸で行い日本を守るために日本の支配地を大陸まで広げようと言う大陸国家なる思想が存在せり。その理想実現のために満洲の支配者は張作霖に期待する大なるを張作霖は北京にて蒋介石との抗争に敗れて満洲に戻れる途中の列車ごと爆殺されり。この爆殺事件の真相は張作霖の息子の張学良の知るところとなり、数年後に張学良は日本に対抗するために毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党を和合し、共同して日本軍に対決するために蒋介石を誘拐し軟禁する西安事件を起こせり。見事、息子の企ては成功し、以降、国民党と共産党は統一戦線を組みに抗日戦線を展開せり。
これらの出来事を全て過去の出来事と切り捨てて良いものか。否、吾は今現在の吾々が十分に注意せねばならぬ歴史的な教訓事項が多く潜んでいると思いたり。
はてさて黄泉の国に去りし、本人から如何なることが聞けるや。またいかなる姿、格好で現れるや。あるいは現れるや否や不明なり。閻魔様も自信なげに、黄泉の国も自由意識が旺盛なる戻りて釈明するか不明なりとこぼしたり。生前の散歩道でもあった川沿いの道にて密かに待つように助言を下さるなり。かくして橋本川の散策路で待つことになりけりが、この川は美しく静かな川なり。狂介が老婆が上流にて身を投げし川でもあり、誠に因縁深き川なり。一人、静かに待つとあるいは川の美しく精霊の存在を感じたり。かの老婆も最後は美しき川の精霊に身を委ねんと死に場所を選んたにあらずや。
月は橋本川川面に浮かべり。青い松の葉はも月に輝けり。
すでに周囲の民家の灯りが消えて久しく、深夜に至れり。
川下の美しき松並木の道を一人の年寄りが歩き近付きたる。
悠々と一人、歩きにけり。今、はやりの認知症患者の徘徊にあらざるやと思いしに、ステッキを手に、礼儀正しき帽子を被る人影は迷うことなく近づきたり。認知症患者にあらざれば夜歩きを楽しむ変わり者の翁にあらざるやと思いしに人影は顔を識別できるほどに近付けり。
人相を見て、はたと気付けり。
待ち人なり。
予想したる以上に品良き翁にて、あたかも仙人のごとくなり。
人影は木の根元に隠れたる吾に気付かず。松の枝を見上げるや、あたかも松の葉に引き寄せれるごとく浮遊し、白い塀を越え、敷地内に消え去らんとす。
瞬間、懸命に念を送りにけり。
「待たれよ。田中義一先生にあらずや」
「我に呼び掛けるは誰ぞ」と、周囲を見回せり。住みし世界が異なれば吾の姿を見えざるごときなり。
「新聞記者のごときは相手にせず」と一喝せり。
例の若き妾宅での腹上死報道に激しく怒りを覚えたるえいならん。
「我、記者にあらず」とあがらう。
「しかして、なぜ記者を嫌う」と追って問うと、「多くは嘘を付く者たちなり」と、憤りを隠さず。
我はそのような者であらず。ひたすら真実を知り真情を知りたいと願うものなりと言い募り、しばし彼の敷地内に去るを止めんとす。
「しばし先生の言い分を聞きたし。世人の多くは先生の真情を知らず。妬みに狂うものなり」と、彼の立場を弁解する。
翁は月明かりの中に我の姿を捜さんとするがごとくする。吾には見えても彼には吾の存在を見えぬものなり。理由は冥界と現世は表裏一体のごとく近けれど別の世界なり。吾は特別な存在にて秘伝の術法にて双方の世界を見ることも可能なり。翁は魂魄は、冥界に去りて後も、この美しき橋本川の畔の深夜の散歩を楽しむことを予想して秘術の術法を懲らして待ち伏せたり。
声をかける我が方に視線を集中する。我が姿を認めたのか、大きく息を吐き出し、浮遊を止め両足を大地に戻す。
「世人が我を妬むは、一介の篭かきの身分の者が首相に上り詰めたことか」と応ずる。
「しかり」
「多くは努力のなせる業なり」と彼は言えり。その後、「良き先輩や運にも恵まれたり」と彼は応えたり。
「何ぞ、知りたきことありての待ち伏せか」と問えり。
「世人、多くは老人のことを軍閥の庇護者と呼ぶ」
「さもあらん。止む得ぬことなり。集団や組織に生きる者に自由意志なる者には許される
ものあらず。あくまで組織や集団の意思に沿い生きるしかあらず。軍閥の庇護者で良きかと様々な考えに揺れることあれり。しかるに大河の本流に従い発言し行動するのみ。離れては出世も出来ず、命さえ狙われかねなきものなり。幼き頃より流れにあがらい哀れな末路を辿る者を多く見たり。青春の頃に吾が尊敬し慕いし前原一誠もその人物なり」
「本流を造りたるは老人あらざるや」と吾は詰問せり。
「我にあらず。我にかくなる力あらず、しかして問われても正体を知らず。一人ならず数多きものが造る流れなり」
「シベリア出兵や満蒙における日本の権益確保、画策したる陰謀は数知れずあるやに聞く。結果、望む世が昭和にいたり実現したるがごとく聞く。しかるに国の道を誤る結果になりたり。東亜会議開催時の発言は、その最たるものなり。大勢の代表者の前で東亜における日本の立場は特殊なりと強調したるとも聞きたり」
「当時の世界の趨勢なり。帝国主義、植民地主義、国家間の弱肉強食は当時の趨勢なり。日本は東亜の守護神として西欧諸国から東亜の人々を守る義務があれりと誰しも思いしことなり。この大河の流れに逆らうは不可能なり。前原一誠の萩の乱に参加し、危うく首を刎ねられかけたりしことあり。それ故に大河に逆らわぬ人生を目指しぬ」
とりとめのない会話に終始せる。あたかも大河の水に手を入れるごとく感じたり。
「志なきや」
「大志など。抱きようもなし。革命家にあらず。制度が完成し革命家不要の時代に生きし者なり。維新の大業後の国家制度や帝国憲法のもとで国の発展を願うものなり。治安維持法制定も普通選挙実現で民衆が得た権利の代償に比べれば小さきことなり。大河の流れに沿い国を導く立場なり」
彼の言う大河の流れと言う言葉を念のために具体的に確認することにしたり。
「すなわち大河の流れとは日露戦争で得た満洲という未開の地を開発し、陛下や日本国民が住む日本でなく満洲の地でソビエトの侵攻を防ぐことなりか。すなわち大陸国家という夢を描きしことか」
彼は応えり。
「しかり」と。
「ご老人が進めた大河の流れに沿う国策こそ、やがて日本を破滅の淵に追い込んだ原因なるぞ」と攻め寄るに、「はたして、そうなるや。そうであっても我、知らず。歴史の流れなり。明治維新以降の国の施策にて維新の元勲が定めしものなり。その施策に基づき日清、日露戦争戦勝に勝利したり。命を捨てし功労者の存在を無視できす。ひたすら偉大なる元勲たちが指し示した道を進むのが我らが進むべき道にあらずや。もとより万世の皇国、万世の血統に何ら疑問を挟む必要あらず。何をもって後世の世人は何をもって我を責めるや。幾度も述べたとおり我は革命家にあらず。正しい手続きに従い権力を得て、大河の流れ従い国家国民総動員し、混乱なく国家が発展がすることを望みたるのみ」
品の良き翁は一切の動揺を示さず。淡々と理屈を述べたり。それでも、吾は「心に一切の後悔あらずや」と問う。
「車夫の父から命を授かりし我が成功や功績は生誕地の町中の銅像、この屋敷跡や子孫の繁栄を見れば疑う余地なし」
歴史とはかくのもの不条理なものかと彼の言葉に打ちひしがれ気分は沈みぬ。しかし、あえて勇気を鼓舞し彼に戦いを挑みたり。
「汝が主張する大陸国家という理想は、それを支持する陸軍軍人が張作霖を爆殺したことにより一瞬に破砕された。このような道理を弁えない無法者が現れず張作霖氏による満州国が維持されれば、その後の歴史は変わってやも知れぬ。その後の経緯は多くあれど、日本破滅への道を開きし元は汝の大陸国家思想にあらずや」
「否。それは我のみの責任にあらず。大陸国家は陸軍全体の望みなり。先の戦争に生き残りし者たちだけでなく靖国の英霊たちの望みなり」
「靖国の英霊を声を代弁したるとは汝は吾らと同様に口寄せをしたる子孫か」と彼を詰問せり。
彼はこの問いには応えず、主張を続けたり。
「日露戦争の復讐に燃えるロシアを迎えて恐れ多くも陛下のおわす日本国内で陸上戦を行うことは避けたきことなり。日露戦争と同様に住む人少なき満州の大陸を戦場にし、中国の支援を得てロシアを迎え撃つことが最善の戦術と考えたり。これは陸軍の共通思想であり、我はそれを実現せんがために政府を樹立したり。これが我の役目なり」
翁、一息、接ぎ、言葉を続けたり。
「皇国内でロシア兵を迎え撃つなど考えも及ばぬことなり。、欧州での第一次世界の様相を見よ。戦車が兵士を蹂躙し、機関銃が兵をなぎ倒し、地中地雷が塹壕や陣地ごと兵を吹き飛ばし、毒ガスが大地を覆い。兵士の死体は大地を埋め尽くすがごとし。砲弾着弾後の凹地は、まさしく血の海なり。朝靄のごとき毒ガスの中に兵は苦しみ、戦車の履帯が生ける者も死せる者の区別もなく踏みつぶし、肉の塊にする。まだ若き兵士の遺体はあたかも薪のごとくトラックの荷台に投げ込まれたり。欧州で行われた第一次世界大戦は、まさしく地獄そのものなり。まさしく恐ろしきは近代白兵戦なり。それを聞きし後に我ら陸軍軍人は発狂せり。ロシア軍と日本国内で戦うがごときは絶対に避けねばならぬと思い定めたり。ロシアは共産国家となりソビエトと名前を変えたりが、日ロ戦争の復讐を忘れたにあらず。加えて共産党と個人の関係を絶対とし、国家や天皇や家族、会社などの小さな集団を認めない共産主義思想こそ人間社会や皇国を危うくする主義主張なり。その共産主義国家を国内に受け入れ近代的な白兵戦で迎え撃つなど陸軍軍人として恐ろしきことなり。人少なき満州の荒野に漢民族や満州族、朝鮮民族ら他の黄色人種と力を合わせ白露ロシアを迎え撃つ防衛線を構築すること大陸国家建設の目的なり。それがために満州の地に多くの日本民族を満洲の地に植民したること、理由の一つなり」
「海にて守る道のみにあらずや。海から来る敵は海にて防ぐべし」という日露戦争時にロシアバルチック艦隊を破りし東郷元帥の遺訓を思い出し反論したり。
「考えに及ばず。陸軍は陸上の戦闘のみ担任するのみ。海にて守るなど思いも付かず。日本本土を戦場にするを防ぐには大陸にて戦うしか道はなし。陸軍軍人の考えしことは陸戦のみ。それを考えざる時には我ら陸軍軍人は職を失うことになれり。まこと恐ろしき指摘なり。かくなる異を唱えるとは汝は国家、国家秩序の破壊者なりや。日の本の国を破壊せんとする破壊者なりや」
「何を申すや。汝らこそ自らの身分と生活を考え最優先に考え、国家や国民をないがする破壊者ならずや」と急ぎ反論したり。
「結局、汝らの狭き了見が国と国民を地獄のどん底に突き落としたにあらずか。すなわち陸軍なる組織を消滅し、職や地位も名誉も失うと恐れるあまり、思考を停止し、ひたすら陸軍の維持のみに専念したるあらざるや」と厳しく反論せり。
これは現代に通ずる、吾の日頃の思いや恨みなり。
言葉を止めず、続けて言い募りたり。
「黄泉の国にて聞かざるや。汝ら一派と思われる河本大作が張作霖を爆殺し後、息子の張学良は父爆殺の犯人が日本軍人であると直ぐに気付きし。そして機を見て日本と袂を分かち自らの兵を率い奉天をを脱出、蒋介石の国民軍に合流し、やがて蒋介石をも誘拐監禁し、国内で争う国民軍と共産党軍を強引に合流せしめたり。反日統一戦線を構成せり。日本はその事実さえ把握した形跡さえあらず。国共統一戦線と戦い大陸の泥沼に引き込まれん。やがて西欧列国の怒りを買い油を絶たれ、太平洋戦争への道を転げ落ちる道を選びし。不幸のすべての原点はいずこにあると思いしか」と詰問せり。
「我亡き後も引き返すことは、しばしばありしはず。黄泉の国に去りし瞬間も絶好の機会なり。妾宅にて腹上死など名誉は地に落ちたり。改める絶好の機会なりし」と、翁、言えり。
「人を責めるのは容易なり、すでに百年も経過しようとする君らに問わん。海から来る敵は海で防げという思想は実現したりや」
彼の反論の言葉は我にとって鋭き言葉なり。
愚かな言動を吐きたるやもと猛省しきり。すべて未だ実現しておらず。海から来る敵は海で空から来る敵は空で、はてさて宇宙から来る敵は宇宙へといういう思想を掲げたらが、何ら実現をせず。陸軍の維持のために大陸国家思想を発明したる翁たちと同じなり。しかも2011年3月12日の福島原発事故までは翁たちの時代の蛮勇のおかげで静穏を維持することで平和を享受できしありがたき時を過ごせり。吾には翁たちを責める資格あらず。
福島原発事故をして静穏の時代は終焉せり。
周囲の国々も日本民族が特別な民族であらずと見抜きたり。
中華の人民はすべての太平洋をも我が物にせんとし軍事力を増強せり。機会あらば虎視眈々と領土を奪わんと狙う現状なり。それに備える合理的な態勢さえ作ることが出来ずに日々を過ごしたり。この世に絶対安全などという言葉は存在せぬことは吾が目には自明なことなり。中国の国家としての発展の祝福すべきことなりしが、中国の文化革命時の非人道的な人口爆発政策や反日教育は恐るるべきことなり。それらに備えるために海や空で戦う態勢造りを急ぐことは吾の若い頃より言い募りしとなり。せめて原発事故を回避する対応は静穏に馴れ、怠けた態勢であっても行うべきことなり。
この機至りても不可能な変革なりか。
翁の時代は言葉の通じぬ輩は多く存在し、言葉を誤れば生命に危害を受けたりしこと多し。それに比べれば吾の生きる時代は変革も容易なはず。
品良き翁は、吾の動揺を見抜き背を向け、松葉に手をかけ、それに頼るように塀の内に姿を消しぬ。あたかも天女のごとき姿なり。
時、同じくし、月は山に沈み、静かな川面も青き山々も近き松林も一瞬にして漆喰の暗闇に包み込まれたり。しかるに、いつものごとく遠くの養鶏所の鶏か鴇を声を上げたり。その鴇に声を境に町中で生きる人々の生活が始まるのは明らかなり。
翁、去りし後、我、翁の言葉に誘発され、五十数年前の苦く悲しき思い出を思い出したり。防衛大学校時代の記憶なり。強烈に記憶に残りおる上級生がいたり。40年を経過しても彼の面立ちや出身県、そして名前さえ覚えていたり。山口県出身の方だった。我が山形有朋や田中義一元首相など旧陸軍軍人について調べることを思い付いたのも彼の存在を思い出したからに他ならず。あたかも西郷南州や東郷平八郎をに深く帰依する我と相反する立場だっだやも知れぬと思うが所以なり。
1学年時にベトナム戦争が終了したり。彼は陸上自衛隊の存在は強く認めたり。陸上自衛隊による本土決戦を強く主張したり。我は陸上自衛隊の必要性について疑問を投げかけたり。本土決戦など太平洋戦争の例を見ても不可能にあらざるやと思いたり。彼は日米同盟により過去とは異なると主張したり。本土決戦に及ぶ前に海や空での防衛を優先すべしと思いたり。我はリンチに合っていたやも知れず。ひどく辛い記憶が残りたり。ただ長く我を庇いたる者の山口県出身者たる記憶あり。
朝鮮戦争を期に警察予備隊なる組織から発足した歴史を有するも、結局、陸上自衛隊は戦前の陸軍の流れを組む集団なり。旧軍人に職を与える役割も果たしたり。基本的に設計は終戦間際に南方戦線に兵力を派遣し空になった満州での教訓を基に設計されたるがごとく感じたり。すなわち太平洋戦争末期に満州に怒濤のごとく侵入したソ連軍が、今度は北海道に同様な手口で襲いかかるのではと恐れて設計された集団にも思えたり。
戦前の陸軍の戦略は大陸国家主義と表することも可能だと思えたる、代表的な存在は山口県出身で陸軍大将から総理大臣に上り詰めた田中義一という人物なり。日ロ戦争に勝利したりとは言え常に日本はソ連の復讐に脅え、それに備えたり。陸軍軍人は国内にソ連を迎え撃つことを避けたることに専念したり。そのために日本の周囲にソ連を迎え撃つ防衛線を設けることを構想したり。特に欧州での第一次世界大戦を観戦した者たちが帰国し近代戦の惨さが伝わるにつれ、その傾向は強くなりたり。無人に等しい満州にソ連軍を迎え撃つ用意を進めんとす。張作霖の満州国建国も日本にとっては好ましいことなりしが、支援もしたるがごときに思える。だが彼が北京で蒋介石との争いに敗れて、満州国に帰国するや彼の敗北を許し難しと、陸軍大佐の河本なる人物が爆殺したる。このことで張作霖が建国した満州国も崩壊し、その後、石原完爾なる陸軍軍人が満州国再建を目論む国際世論の理解を得られず、かえって日本は孤立を深める結果に至れり。
様々な歴史的な教訓を整理するに我は日本は東アジアにおいてイギリスがごとき海洋国家として立場を堅持し、朝鮮半島や大陸とは一戦を画すべきと思いたり。
2011年3月11日の副島原発事故までは、「静穏の砦」が国際的な紛争から日本を守りたり。しかし、あの日を境に日本は普通の国として抑止力強化の回復を図るしか道はなかりしと思い、焦燥の念を強めたり。
しかるに専守防衛と言う言葉の意味を政治家や一般国民は認識したるや。
専守防衛とは本土決戦であり、終戦間際に日本が企てた最後の道なり。現在の陸上自衛隊の作戦計画も終戦間際の旧陸軍の作戦計画のとおりにあらずや。また国内に敵兵を招き入れ白兵戦を演ずることがを、如何なることを意味するか自覚しおりか。
また組織改正を阻む力に、努力をしたりとは言え、地位にしがみつく存在、職を失いたくないと言う存在が国の未来を危うくしかねないこと、常に周囲を巻き込みたいとと言う人間の本性を政治家や一般国民は認識しおりか。
優先すべきことは空と海での防衛力を高めることなりと訴えたし。また国内に紛れ込み、有事の際に本国の指示で日本国内でテロを企てる者に常に用心することなり。
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