スピカ

大沢 澪

第1話 出会いは、わけのわからないものだったりする

 暗い部屋の中で、天井にぽつんと灯った小電球はちいさな夕陽の色だった。

 布団を鼻先まで引き上げてじっとしている。大好きだった洗いたてのシーツの匂いが、今夜はなんだかよそよそしい。窓際の机や椅子、本棚の手前に置いたランドセルも、ふっと目を離した隙ににょろにょろと手足を伸ばして歩き始めそうだ。お父さんもお母さんも一階の部屋で寝ているから、すぐには助けに来てくれない。うっかりすると降参しそうになる。

 パジャマのままで階段を下りて、お母さんの布団にもぐりこむ。三日前まではいつもそうやって、胸元に顔を擦りつけていた。お母さんはそっと抱きしめてくれる。だんだん身体が温まってきたところで、頭を撫でながら、こう言うんだ。

「やっぱり、澄香はまだ一人で寝るのは無理ね」

 だめだめだめだめーっ!

 二階で一人寝るのを許してもらうためにどれだけ頑張ったと思うの?

 小学四年生になったんだから、いつまでもお母さんの布団で寝てるなんて格好悪過ぎよ。先週だっけ。休み時間にクラスの男の子たちが話してた。「洋一、まだお母ちゃんと寝てるってよー。だっせー」言われた洋一くんは真っ赤になって言い返したけれど、マザコン洋一と繰り返し言われるうちに泣き出した。春菜ちゃんが小声で言った。「やっぱ、ママと一緒って、ないわー」色白で端正な顔立ちの洋一くんのことを好きだったはずなのに、告白しなくてよかった、と思った。「私、去年から一人で寝てるんだー」私よりも握りこぶし一つぶん小さな春菜ちゃんが囁く。うまく相槌が打てなかった。

 そう、もう十歳なんだから一人で寝るのは当たりまえなの。枕元には去年買ってもらった目覚まし時計も置いてあるんだから。一人で寝て、ちゃんと一人で起きるんだから。ママに抱きついたまま寝てる洋一くんなんて情けない。一人で寝れば、洋一くんの夢を見てうっかり寝言を言っても恥ずかしくないし。でも、その洋一くんにはがっかりしちゃって、じゃあ何で一人で寝るのよって話だけど。とにかく決めたんだから。私は一人で寝る。寝るったら寝る。だけど、そうもいかなくなってるし。


 二階のこの部屋は六畳で、机と本棚を避けて布団を敷くとどうしても西枕か東枕になる。初めてこの部屋で寝たゆうべは東枕だった。西側に窓があって、カーテンを引いた隙間からひんやりとした冷気が漏れてくる。なんだか寝付けなかった。起き上がって、カーテンをきちんと閉め直しに窓のところへ行った。カーテンをつまんだときに、なんだか変な気がした。窓ガラスの向こうがぼうっと光っている。そんなはずない。だって、この向こうには長屋の二階があるだけだもん。

 長屋、というのはもともとはうちの木造の建物だったの。この家を建てるために取り壊す予定だったけれど、農家だった頃の農機具を納める物置が必要だ、ということで上下二部屋だけを残してあとは壊されたんだ。剝き出しだった土壁はプラスチックで覆い、東側に窓をつけた。もちろん、電気なんかは引いていない。一階には鍬や脱穀機がぎっしり詰め込まれて、二階には古い障子や襖をしまっている。別に盗られるものもないから、ということで、一階の木戸には鍵もかかっていない。私の古い自転車も一階にしまってあるはず。それが「長屋」というわけ。

 つまり、明かりがつくはずがないの。

 それなのに、目の前に見える長屋の二階東窓は青白く光っていた。灯りをともしているなら、どこに光源があるかで光の濃淡ができる。でも、東窓は全体がむらなくぼんやりと明るかった。へんな譬えだけれど、窓の向こうだけが夜明け前の空になったみたいに。お父さんやお母さんのところに飛んで行きたかったけれど、我慢した。だって、これって絶対にふつうじゃないもん。お母さんをつかまえて二階に来てもらう。カーテンの向こうは暗い窓。「寝惚けたんじゃないの」眠い目をこすりながら、お母さんはさらに言うだろう。

「やっぱり、一人で寝るのは無理なんじゃない?」

 無理じゃなーい!

 でも、いくら言っても説得力はないよね。何かあるとお父さんやお母さんを呼びに行くっていうのがそもそもコドモなんだから。ホームレスのおじさんとかが忍び込んで棲みついている、とかの方が怖い。戦っても勝てないもん。だって、ホームレスのおじさんにリアルで襲いかかって来られたら、ね。だけど、なんだか分からないやつなら、戦える気がする。だって、もしむちゃくちゃに強いやつなら、あんな長屋の二階なんかに逼塞しているはずがないもの。絶対にこっちの家に乗り込んでくるはずだよ。それをしないってことは、そんなに強くないだろうし、それに、追いかけても来ないってことだよ。

 

 枕元の時刻表示が0:00になった。金曜日から土曜日へと飛び移る。布団からそっと抜け出る。パジャマの下には小学校の体操着を着込んでいる。胸のところには白布が縫い付けてあって、極太の油性マッキーで「4-2 かやはら」と書いてある。

 まずい、のかな。おばけにこんな個人情報を晒して。

 いや、うちの長屋に住みついているからには、そんなことくらいリサーチ済みだよね。こっそり用意したソックスを履く。九時からずっと暗い部屋の中で起きていたおかげで、目はすっかり暗がりに慣れている。髪をうしろで一本にまとめてゴムで括る。シュシュなんて使っていたら舐められるかも。あとは、武器。これはもう決まっている。本棚の向こうに立て掛けておいた、金属バットだ。なにしろ偶然とはいえ昨日、使ったばかりだもん。


 昨日、学校から帰って来ると、いきなり家の中から声を掛けられた。

「よう、お帰り。スピカ」

 私のことをスピカって呼ぶのは一人しかいない。外国航路の船乗りをしている浩三おじさんだ。私のお父さん、茅原健一は三人兄弟の長男で、浩三叔父さんは三男だ。三人、と言ったけれども、本当は二人しかいない。兄弟の真ん中に昭二叔父さんという人がいた。でも、八歳で亡くなった。うちのお墓に行くと、先祖代々の大きな石塔の横に、十分の一くらいの小さなお墓がある。去年、私は九歳になって、昭二叔父さんよりも年上になった。

「私は澄香です! 浩三叔父さん」

 おじさんは大声で笑った。私がむくれるのが楽しくて仕方がないらしい。身体は見上げるくらい大きいのに、なんだか小学校の男の子みたいな人だった。ランドセルを下ろすと、片手で摑み上げて宙に放り上げる。教科書やノートがぎっしりと詰め込まれているのに、バスケットボールよりも軽そうだ。

「いつ陸に上がったの」

 畳の上に両足を投げ出して座る。おじさんは正面で足を左右に開く。

「三日前、神戸に着いた。これ、スピカにおみやげ」

 白いポリ袋を差し出す。中には外国製のお菓子が詰まっていた。ありがとう、と言う。

「兄貴と飲もうと思ってな。まだ帰ってないんだなぁ。そりゃそうか。陸はどうも調子が狂うな」

 午後七時半くらいに帰ると思いますよ、とお母さんが台所から声を掛けた。

「それじゃスピカ、久し振りに野球やろうぜ。どれだけうまくなったか見てやる」

 立ち上がって、箪笥の上からグローブをふたつ、引き出した。埃が舞う。こちらを見ていたお母さんの顔がすこし曇った。

「おじさん、絶対に私のこと女の子だって思ってないでしょ」

 いちおう叫んだけれど、おじさんはもう腕まくりして靴を履いていた。

「思ってるから、アレ、な」

 お母さんが目で合図する。ちゃんと相手をしなさい、という意味だ。諦めて二階へ上がり、バットとボールを持ってくる。

 裏口から出て、稲株の突き出た冬枯れの田圃に入る。おじさんは革靴だったけれど、平気で泥の中に踏み込んだ。理性を捨てきれない私はゴム長靴に履き替えている。大人用のグローブを左手に嵌めて野球が始まる。おじさんは手加減しない。キャッチボールでも、普通に真っすぐを投げ込んでくる。私も意地になって止めた。本気で投げ返す球を、軽々とグローブに収める。ストレートを受け止めると、肩から腰に衝撃が伝わる。これに比べれば小学校の体育の時間にやる男の子相手のソフトボールなんてお遊びみたいなものだ。遊撃手だったけれど、打球は皆、止まって見える。グローブ越しの手が腫れ上がったところで、フリーバッティングだ。これはしんどい。何しろ、私とおじさんルールでは、空振りしたらバッターが拾いに行き、打たれたらピッチャーが拾いに行くことになっている。おじさんのストレートにバットが合うはずもない。一球ごとに稲株を踏みしだいて転がるボールを追いかける。走って往復するたびに息が切れ、冬なのにジャージの内側は汗塗れになった。一球だけ、ジャストミートできた。センター前、と思った瞬間、おじさんのグローブに吸い込まれる。おじさんは嬉しそうに笑った。つられて笑いかけた私にこう言った。

「じゃ、今度は俺が打つぞ。あの用水路の水門より向こうまでは絶対に飛ばすからな」


 バットを握り締める。あのジャストミートの感覚が蘇る。カーテンをそっと開ける。長屋の東窓は、ぼんやりと蒼い。息を吸い込んで、部屋のドアを開ける。スリッパを履かずに、足音を忍ばせて階段へと向かう。ソックス越しに冷え切った床板がかすかに軋んだ。スニーカーを履いて、裏口から出る。

 月のない夜だった。長屋の建物は見上げるような影になっている。二階の東窓を除いて。土を踏む。小砂利が靴底で鳴った。板戸まで行き、ささくれ立った板の棘が刺さらないように注意して、横に引く。今まで足音を忍ばせていたのが馬鹿らしくなるほどの軋み音が響いた。しばらくじっとして、鼓動の治まるのを待つ。中から黴臭い風が吹き出してくる。

 板戸を全開にしたまま、闇の中へと踏み込む。バットで宙を払いながら進む。つきあたりに梯子段があって、二階へと続いている。もし上で明りを灯しているなら、天井から光が漏れているはずなのに、何も見えない。バットの先が土壁に突き当たる。そこから下にずらす。板の感触がある。梯子段だった。すぐそばまで来て、見上げる。何も見えない。バットを上に向けて構えると、スニーカーの右足を梯子段に載せる。続いて左足。木の軋み音が続く。闇の中に一歩一歩、昇って行く。入口の薄い四角が遠ざかる。天井までの距離はどのくらいだっただろう。立ち止まると倒れてしまいそうだ。ふらつく身体を伸ばして、足を踏み出す。

 夜明けの光を等分に満たしたような畳の部屋がそこにあった。間違いなく、長屋の二階だ。灰色の畳は砂埃に覆われていたし、散乱した黒い米粒大のものはネズミの糞だ。土壁に立てかけた障子は桟の内側がことごとく破れている。埃を被った襖は板戸に見えた。正面に木製の椅子が並んでいる。その一つに、だれかが座っていた。こちらを向く。男の子だ。全身がぼんやりと白い。そして、ここが問題なのだけれど、その男の子は何も着ていなかった。両足を揃えてこちらを向く。なにか珍しいものでも見るかのような表情だった。

 男の子の表情がすこし緩む。穏やかな目許には見覚えがある気がした。口を開く。

「もしかして、君がスピカ?」

「澄香よっ!」

 なるべく刺激しないように、という腹積もりは一瞬で吹き飛んだ。右手のバットを思い出す。目の前の畳に、スニーカーで上がっていいのだろうか、と思う。だってこいつなんか丸裸じゃない。おまけに掃除もしていない畳だし。畳に土足で上がるのと、畳の部屋に全裸でいるのと、どっちが失礼なんだろう。この答えはまだ出ていない。

「あんた、誰? ひとん家の長屋で夜中に何やってるの」

 男の子の顔を見つめながら叫ぶ。そうしないと、目線がへんなところに降りてしまいそうだから。

 裸の男の子はまばたきをしないまま、笑った。

「だって、ここ、俺の家だもん」

 畳の上は汚れ切っていたけれど、影がなかった。何が落ちていても、影がなければ不思議にあまり不潔な感じがしない。

「はあ? 何言ってるの。占有権があるってわけ?」

 なんだか混乱してきた。そういえば男の子の身体も、影が見えない。胸元から下に…と、それは関係ないことよ!

「俺は茅原昭二。君、健兄の子どもだろ。俺はおじさんになるのかな」

 座っているけれど、どう見ても私より幼い。狼狽えた自分がばかみたいだった。でも、目の前にいるのはやっぱり裸の男の子なわけで。でも、これっておじさんなんだから。いわばお父さんがお風呂上りに裸で座っているみたいなものよね。でも、お父さんならさすがにパンツくらい穿くよ。ていうか、何でこんなことで悩まなきゃならないんだろ。

「じゃ、おじさん。なんで裸なんですか。失礼でしょう」

 私は一人っ子で、家の中に自分以外の子どもがいたことがない。まして、裸の男の子なんか…って、どうしてそこへ話が行くんだろう。

「いや、だってさ、服には魂がないから、死んだ後は着ていられないよ」

 昭二叔父さん、いや、イメージが湧かないからもう男の子でいいや。男の子は事もなげに言った。

「嘘。普通、幽霊だって経帷子着たり、死んだ時の服装だったりするでしょ」

 男の子は黙ってこっちを見つめる。素っ裸のくせに、どうしてこんなに落ち着いていられるのだろう。

「いや、だから、それは自主規制なんだよ。本当に見た人が裸の姿を見たって言えなくて、そういうことにしているだけ」

 何だかものすごく丸め込まれそうな気がする。だから、幽霊を頑なに信じない人がいるのかもしれない。

「嘘嘘。これは私の気のせいです」

 男の子は脚を組み替えた。もちろん、私は見てなんかいない。

「別にそれでもいいけど、それだとお前がマズいんじゃないか? わざわざそんな風に見てしまうなんて」

 やられた、と思った。金属バットを胸の前で握り締める。

「私、へんたいじゃなーい! なによ、それってものすごいえっちな子みたいじゃないの」

 青く浮かび上がった畳は、なんだか遠い時間を濾して届いているみたいだった。男の子は脚を戻す。

「だから、これはこういうもんだって素直に認めたほうがずっと楽になると思うぞ」

 バットで殴りかかっても効き目はないのは分かっていた。白い身体を見つめながら、なんだかいろんなものをいっぺんに諦めた気がする。


 落ち着いて考えてみた。

 この裸の男の子はべつに悪いことをするつもりはないみたいだ。

 なら、この長屋の二階に居ついてもかまわないんだろうか。

 答えは、ノーだ。

 だって、別棟とはいえ自分の家の中に裸の男の子がいるのって、意識し始めたらきりがなくなる。それに誰にも言えないっていうのもけっこうプレッシャーだった。

 たとえば、ママにこっそり打ち明けたとする。ママはきっと、一瞬だけ表情を固くしたあと、すごい笑顔になる。パパのママ、つまりおばあちゃんがうちへやって来たときと同じように。

「大丈夫よ澄香。心配しなくていいわ。ママもそうだったの」

 さらっととんでもないカミングアウトをされて私は凍りつく。ママもすぐに我に返って「いや、ママは王子様が見えていたの」とか言い出す。急激に緊張感がなくなって、ついでに説得力もなくなる。確かに王子様が見える女の子っていうのもかなりイタい存在だと思うけれど。

「ママのママ、つまり芳江おばあちゃんが心配して、思春期カウンセリングに連れて行ってくれたの。そこの先生がいいひとでね、毎週お話ししているうちにいつの間にか見えなくなっちゃった」

 王子様が見えるからってカウンセラー送りになるって、ママ、マジでイタい女の子だったんだ? 私を落ち着かせようとして作った話にしてはシャレになっていない気がする。もしかして、その王子様も全裸だったとか? もうポイントは王子様じゃなくなってるよね?

「だから澄香も、カウンセリングに行ってみない? 大丈夫、先生は静かに話を聞いてくださるから、きっと気持ちも落ち着くわ」


 落ち着くかぁーっ!


 王子様とかお花畑的な話なら(そこそこ恥ずかしいけれど)言えないことはないよ。でもね、赤の他人に向かって「長屋の二階に裸の男の子がいるんです」……軽く死ねるわ。さらに「子どものころに亡くなった、昭二叔父さんなんです」なんだか、パパも怒り出しそう。そこへ芳江おばあちゃんが加わって、ママの作り笑顔がこめかみのあたりで限界に達して……


 無理。


 友だちにも、もちろん言えない。春菜ちゃんにもうっかり話せない。絶対に周りに漏れちゃう。なぜって? そりゃ、私だってこんな面白い話を聞かされたら「誰にも言わないでよ」のタグをつけて拡散するだろうから。


 というようなことを十秒あまりで考えて、改めて目の前の男の子を見る。

 椅子に座った男の子は、こちらを見つめている。

「立っていないで、よかったらここに座らない?」

 右手で、そばの椅子を示す。


 ちょっと待って!


 それだと、一mくらいの距離で向かい合うことになるよね?

 畳二枚ぶん離れた今でさえ、どこを見ていいかわからないっていうのに。いや、見ちゃいけないところはひとつしかないんだけれど……って何言わせるのよ!

 あの椅子に座って、じっと目を見て話すなんて照れくさくてできないから、こう、ちょっと視線を下にそらすでしょ。いや、もちろん問題のところまでは下げないから! 胸もとくらい? そうすると、ちっちゃな乳首のあたりをガン見することになるわけで。男の子の胸なんか見たって別に面白くもなんともないけどね。ちょっとバラ色で、つぼんだ先っちょを見てると、洋一くんのを思い出して、つい比べてみたりなんかして……


 なにを考えている?


 なんだか、マジで思春期カウンセリングとかに行ったほうがいい気がしてきた。見ず知らずの先生に洗いざらい話して、それでスッキリするなら。


 落ち着いて、澄香!


 問題なのは、目の前にいるこいつなの! 夜中にいきなり裸の男の子を前にすれば、春菜ちゃんだって絶対にもじもじするに決まってるよ。美登里ちゃんとかハアハアしたりして。そうだ、洋子ちゃんなら「ちょっと触らせてー」とか言い出すよ絶対。一年生のとき、こっそり言ってたもん。「貴司くんのアレって、小指くらいで、柔らかくって、可愛いんだー」あれはさすがに引いたわ。その後は言わなくなったけれど、ああいうのって絶対に後戻りはしないっていうし。あのまま進んでいたとしたら、今ごろはどうなっているんだろう。

ハーイ、そこまでー!


 確かに裸のこいつが悪い。だけど、夜中に金属バットを握り締めて体操着姿で長屋の二階までやって来る女の子について、世間はどの程度、同情してくれるかな? ていうか、さっきからもうかなりの時間、こいつのこと見ているんだけれど。ああ、裁判員の心証がどんどん悪くなっていくよぅ。

 それに、こいつってば死んでるんじゃない? 死んでいれば逮捕もされないし裁判にもかけられない。ということは、私だけがサンドバッグ状態? ボロ負け? うわーっ、幽霊ってサイテー! そうか、だから幽霊をみんな恐れるんだ。いやらしい子認定されて社会的に死んじゃうのって、生きている側だけだもんね。


 ということを二分ほど考えていた。

「悪いけど、その椅子、埃まみれじゃん。遠慮しとく」

 男の子はちょっと残念そうな顔をした。

「そうかぁ、ごめんね。俺は埃とかもう関係ないから、気づかなくて」

 言いながら手を伸ばして、座面を撫でる。白い指先はきれいなままだった。オーバーヒート気味だった胸が、少しだけ痛む。なんだかこういうのは放っておけない気がした。目を背けながら男の子に近寄って、空いた椅子の背を摑み上げる。

「あっ」

 声をしり目に、階段の降り口近くまで戻ると、椅子を据えて腰を下ろした。男の子は目を見開いている。

「ちょっと疲れたからよ。やっぱり、座ると楽だからね」

 あとで埃を払わなくちゃ、と思う。男の子はゆっくりと笑顔になった。

「ありがとう、スピカ」

 顔から目を逸らす。反射的に下を見てしまった。血が逆流しそうになる。

「そんなことより、もっと足を閉じなさいよ! 馬鹿!」

 男の子は笑い出し、私はもっと熱くなった。

 それでも、さっきより少し気持ちが軽くなった気がする。


 でも、間違えないでね。


 私は、いやらしい子なんかじゃないから。

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