第13話
病院でのリハビリを終え、私は人気の少ない待合室で、時間を潰していた。
仕事が終わった賢人が、迎えに来てくれる事を、待っている為だ。
大抵は文庫本を読んで、時間を潰した。
最近少しずつ、ぼやーっとだけれども、昔の事が頭の中に、浮かんでくるようになった。
陽だまりの中で、楽しそうに本を読んでいるのは、大学生の私だった。
だが、その後は仕事が忙しくて、ゆっくりと本を読んでいた記憶はない。
私の中で、こんなにゆっくり本を読めるのは、久しぶりの事なのだろう。
「市田さん。」
ふいに呼ばれ顔を上げると、そこには入院中にお世話になった看護師さんがいた。
「ああ、お久しぶりです。」
「ええ。お元気そうですね。」
その看護師さんは、私の隣の席に座った。
確か名前は、後藤さんだったっけ。
「松葉杖をついていないと言う事は、大分回復されたんですね。」
「はい、お陰さまで。まだ少しだけ足を引きずりますけど、歩けるようになりました。」
「それは、よかった。」
退院しても、こうして身体の事を、気にかけてくれる人がいると言う事は、有り難い。
「……過去の事は、何か思い出しましたか?」
少々、遠慮がちに聞いてきた後藤さん。
たぶん、入院中は何も思い出せなかった為、気を使っているのだろう。
「はい。家族の事を思い出しました。」
「そう!」
安心したように、笑みを浮かべる後藤さんの顔を見ると、こっちまでほっとした。
「まだ断片的なモノばかりで、肝心の事故の事は、思い出せないんですが……」
「いいんですよ。」
後藤さんは、私の手を握ってくれた。
「ご家族って、人生の大半を一緒に過ごしてきた方達でしょう?それを思い出したって事は、人生の大半を取り戻したって事ですよ。」
「後藤さん……」
「大丈夫ですよ。焦らずに、ゆっくりいきましょう。」
「……はい。」
そう言って後藤さんは、また仕事に戻って行った。
“焦らずに”
家族の事を思い出すまでは、その言葉を聞くだけで、心の中がざわついた。
でも今は、私には賢人がいる。
一人じゃないと、心から思える。
私は光が差し込む、二階の窓を見上げた。
夏が終わり、秋が始まる今頃は、日差しもいくらか和らぐ。
「そうだ……賢人の誕生日、今ぐらいじゃなかったかしら。」
曖昧な記憶。
しかし、柔らかい日差しの中に、誕生日プレゼントを買いに行く自分が、頭を過る。
その時だ。
「わっ!」
「きゃっ!!」
後ろから肩を叩かれ、思わず大きな声を出してしまう。
振り返ると、そこには迎えに来た賢人が、立っていた。
「ぼーっとして、どうしたの?」
「えっ、ああ……」
読んでいた本を、そのまま膝の上に置いて、私は天井だけをじっと、見つめていたらしい。
「今日のリハビリ、そんなに大変だったの?」
「ううん。いつもと一緒。」
私は、読んでいた文庫本を、バッグの中に入れた。
「それとも、さっき話していた看護師さんに、何か言われた?」
私は手を止めて、賢人を見た。
「話してるの、見てたの?」
「うん。」
「来てくれたら、よかったのに。」
「なんだか、大事そうな話をしていたから。」
私が立ち上がろうとすると、賢人は手を取って引いてくれた。
「さあ、行こう。」
ばつが悪そうに、背中を向けて歩き出した賢人。
それに私は、ついて行く。
賢人の車は、出口の一番近くに、停めてあった。
「今日は、いい場所に停めたわね。」
「たまたまだよ。」
助手席のドアを開けてくれるところ、賢人は変わらない。
私は荷物と共に、車に乗った。
賢人も車に乗って、走り出す。
いつもの日常。
変わらない二人が、そこにはあった。
「そう言えばね、賢人。」
「うん。」
「賢人の誕生日、そろそろじゃない?」
「よく覚えてたね。」
こっちを向かなかったけれど、嬉しそうな顔をしている賢人。
自分の誕生日を覚えてて貰うのって、誰でも嬉しいよね。
「ねえ、いつだっけ。」
「来週の水曜。」
「じゃあ、その日は誕生日のお祝いしよう。」
「いいよ。」
賢人は、冷静に返事をしたつもりだったらしいけど、にやにやしているのは、隣にいる私にも分かる。
「誕生日プレゼント、何がほしい?」
「何でもいいよ。」
正直言って、婚約者だって言うのに、賢人の好みが分からない。
ここ数ヵ月の賢人しか、知らないからなんだろうけど。
「何でもいいじゃあ、迷うでしょ。これって言うのを教えて。」
「迷ってよ。」
賢人は、不貞腐れている。
「僕の事を考えながら、迷ってよ。迷って迷って、それで選んでくれたら、何も言わない。」
バックミラーを確信する顔が、寂しそうにしている。
「……うん、そうだね。賢人を想いながら選ぶんだもん。きっと、気に入ってくれるよね。」
「ああ。」
「楽しみにしててね、賢人。」
角を曲がった頃には、賢人にはもう、笑顔が戻っていた。
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