パルプ・ファンタジー - 魔導士ネロと刀戦士ユーサーネイシャーの二束三文な物語
えせはらシゲオ
はじまり
≪嘆きの谷≫で人々を襲いし凶暴な盗賊が一夜にして二人の男に殲滅された話について
パテレシア王国と、交易都市トランジットを行き来するのに手っ取り早い方法は、≪嘆きの谷≫を超えるのが良いのだが、多くの人々は余程時間が無い限り迂回する。
この道は、昔は≪微笑みの谷≫とも呼ばれていた。理由は至って簡単で、慈悲深い魔法使いが、行き交う人々を見ていたからだ。落石が起きそうなら、それを魔法によって砂にし、迷いし旅人がいれば、テレバスで地図を教え、盗賊が現れたら、恐怖の幻覚を見せて追い払い、夜に通るものがいたら、結界で一晩の安全を確保してやるのだった。だから、「ある時」までは、何処を行き来するにしても、≪微笑みの谷≫を通ることが考えられていた。
その≪微笑みの谷≫が≪嘆きの谷≫に変わったのは、魔導士が発狂したせいと言われている。
商人達が道を歩いていると、見るもおぞましい食肉虫が大量に現れ、その皮膚を貪り食う。特殊性癖を持つ貴族が、世の退屈を埋め合わすために行う理不尽な拷問よりも恐らく酷いもので、拷問よりマシな点が一つだけあるとするならば、確実に死ぬことを約束づけられていることだ。
そういうわけで始まった魔導士の発狂は、谷を行き合う人々を苦しめ、死に追いやった。例えば、一人の旅人を無限の距離を持つ回廊へと叩きつけ、戻るにも進むにも脱出の出来ず、ただ衰弱を待つだけの状態にしたり、あるいは何らかの猛毒の霧を発生させ、苦痛に悶えながらも、そこから麻痺して出らぬようにしたりした。
≪微笑みの谷≫から来る人々が必ず帰らずになるという噂が立ったが、第一印象が振り払えないように、多くの人々が良からぬことが起きているのではないかと気が付いたのは、≪微笑みの谷≫から戻ってこなくなってから四三日が経過してからだった。
流石に困り果てたパテレシア王国の王様は、冒険者を雇い、調査に向かわせるが、同様に帰らぬ人になる。王様は頭を抱えながらも根気よく冒険者に声をかけたが、段々と最初の額では雇えなくなってきて、無限に報酬金を吊り上げなければいけなくなる。ええいままよと言わんばかりに、報酬では飽き足らず、前金まで用意しなければ、冒険者達は首を縦に振らなくなってきた。さらに、最後になると貴族の地位と、自らの娘までもを、捕囚として用意する。
三七人目の冒険者が、ついに老婆の首を持ってきた。その老婆は、髪の毛が水玉のように抜けており、肌は皺と染みだらけ。鼻は垂れて曲がっており、目は真っ赤に充血。さらにそこからはカメムシの臭いが漂ってきた。パテレシアの王様は大喜びで多額の報酬金を支払い、娘と結婚させようとした。その冒険者の顔立ちは整っており、更には勇ましいものだから、娘も満更ではなく、早くも夜の事を考えて股を濡らしていた。
しかし、冒険者の視点は定まらず、瞳に光も無い。ただ一言だけ呟いて、その報酬金を拒否した。
――こんなもの、幾ら貰っても虚しい。
恐らく十年に一度の逸材だと噂された冒険者は、その冒険盛りの年齢のときに引退し、森の中で隠居する。彼が魔導士の住む塔で何を見たのかは知らないし、今となっては知る由も無い。魔導士の塔は、灼熱の炎で浄化された後、解体されたからだ。
その後、こういうこともあった。
一度だけ破滅願望がありながら自己愛の強い貴族が、あえて呪われたる地に住みたいと、この≪嘆きの谷≫に別荘を建てたが、この男は何かのショックで心臓が止まってしまった。ショックのせいか、彼が見つかったときには二三の若さで、髪の毛が全て真っ白になっていた。そのとき握りしめていた紙には一言「老婆が見える」とだけ書かれていた。
≪嘆きの谷≫という場所がどのような場所か分っただろう。もちろん色々推測は出来るし、何故魔導士が発狂したのか、それに関心ある人々も多くいるだろう。しかし、この物語においては、この話は長くなる(もう一冊の本が書ける)。そのため、ここでは省略する。
覚えておかなければいけないのは、今日、≪嘆きの谷≫は呪われた場所であり、多くの人々が通りたがらない場所だということだ。そして、今では必ず≪嘆きの谷≫を迂回するように、旅の計画を立てるのが当たり前になった。
しかし、商人というのは命より金を大切にする人種である。それは彼らが地獄の沙汰も金次第だと思っており、真剣に天国のパスポートを買うのか、ということを大真面目に議論しているのだ。阿呆な商人は、詐欺師の口車に騙されて、死後金銀財宝を持っていく術を教えてもらったのだが、内実は単に手から花を出すという、魔法以下の手品だった。それは商人達の中で笑い話となっているが、大抵の反応は「俺も何時乗せられるかわかったものじゃない」と思うか、あるいは「俺はそんな馬鹿ではない。本当に死後の世界へ金銀財宝を持っていく術を手に入れるのだ」と思うそうだが、後者みたいに慢心している人間は、大抵詐欺師に騙され、退屈な旅の穴埋めにされるものだ。
商人という輩がどういう奴らかはわかったと思う。だから、大きな取引に思いかげず遅れる場合、≪嘆きの谷≫を通る。彼らとしては、危ない橋を渡ってでも取引を逃したくはないわけだ。こういう場所には神を信じない奴らが住み着くものだ。神を信じないということは、呪いも信じないというわけで、ある種合理的ではあるわけだし、また呪われた場所を急いで通るような奴は、準備も何もが粗雑なので、襲うのにも丁度いい。
というわけで、ここに住み着いた盗賊達は、週で一回程度通るであろう商人や旅人を襲っては商品と、たまに肉つきのよい人間が通れば、その肉をはいで美味しく頂くわけだ。人を殺さなくてもよいのではないか、と思うが、それは彼らにとって娯楽だからしょうがない。ギャンブル中毒にサイコロをやめろ、というのと同じことだし、また各地に住む獣人に対して発情するのをやめろ、ということだし、街中で年中顔を真っ赤にしている中年に酒をやめろ、というのと一緒で、彼らの性分だから仕方ない。
前置きが長くなってしまったが、やっと物語を始めることが出来る。
物語は、盗賊がまたしても商人の襲撃に成功したところから始めたほうがよい。祝杯の様子は、野蛮な粗雑な男達が裸踊りをしたり、あるいは何時にレイプした女が最高だったか、あるいはシノギの分配金を賭けてサイコロ遊びをしてはカモにされたりと、思い思いに楽しんでいた。
しかし、隅でその様子を黙って見ている男がいた。盗賊の親分である。
盗賊の親分について説明しておこう。この男は、ここの男達が数十人集まっても適わないほどの賢さと、またここの男達でも数十人全員が引いてしまうようなことを平気でやる男であった。それに加え、裏では「地雷地帯」と呼ばれていて、というのも何処に逆鱗があるのかわからないからだ。その印象は、痩せこけた身体と、髪の抜けた頭、そしてもう傷の無い場所がないのではないかといった風の肌を見ればわかる。また、恐ろしいことに下戸であり、一滴の酒も受け付けない。なので酔っぱらうこともない。
だいたい、こういう酒の場になると、全ての人間が酔っぱらうことを幸せに思うということを、さも全ての人間が呼吸しているのと同じくらい自明の事実として考え、実行する奴がいる。ここでも、親分という立場上酔っぱらえないと勘違いして、無理矢理飲ませるというお節介なことをした奴がいるが、逆に、一日中喉が焼ける薬を飲まされて、散々な目にあった奴もいる。だから、酒の場では親分と絡まない。
さっそく、酒の勢いで図体のデカい髭の男が、何か騒ぎ出した。これだけ粗雑な奴が集まるのだから、確率的な問題として、誰もに聞こえる声で、自分の頭の程度を曝け出す奴が現れるものだ。
「やっぱりよお、馬鹿を狙うのが一番いい。ここが散々呪われた土地と言われているのに、通るなんで馬鹿のすることだ」
盗賊の親分は耳を小刻みに動かす。それを見て、一部の人間に緊張が走る。耳を小刻みに動かすというのは、親分の逆鱗に触れたということである。残念なことに、それに気が付くような、心の動きについて敏感な人間は、大抵逆鱗に触れない。逆鱗に触れるとするならば、耳を小刻みに動かすということが逆鱗に触れたということが解らないということだ。要するに馬鹿であり、また親分が冷酷な処罰を与えるのも、馬鹿だった。
黙って立ち上がると、親分は、図体のデカいが頭の足りない男の処に行く。何やら陽気そうにステップを踏んでいるところを足払いし、関節技をかける。
「おい、パワード」
静まりかえる。多くの盗賊の顔には「やっぱりパワードか」という表情が浮かんでいる。
このパワード、そしていま語られている物語では、この話以降使われないだろう名前の男は、人間の心の動きなど蟻の一足たりとも解らぬ鈍感だが、逆鱗に触れることは不思議と無かった。ただ図体がデカいだけの人間は愛嬌があり和ませる力を持つわけで、それがいい方向に動いてただけだ。しかし、それが偶々許されていただけのことであって、別段お前が上から人を見下ろすほど、人間的な意味でデカいわけではないということを忘れると、このようにその愛嬌は逆に苛立ちに変換される。
「お前さ、本当の馬鹿を知っているか」
パワードは何も言葉が出ず、熱くも無いに汗水をだらだらと出し、ただひたすら首を横に振るだけだった。いや、もしかしたら横に振っていたのは「知らない」という意思表示ではなく、「俺は死にたくない」という意味での否定だったのかもしれない。そのことはどうでもいい。問題は、盗賊の親分の動向である。
「本当に怖いのは、本当の馬鹿なんだよ。奴らはまず死ぬことを忘れてしまっている。次に理路整然としていない。だからといって本能で生きているわけではない。やることなすことが支離滅裂で、一貫性が無い。だからそいつの行動を理解しようとすると、たちまちに混乱する。そして、恐ろしいのは、彼らは馬鹿という基準を持たない」
親分は、パワードの手を机に置く。親分は身体に存在する百八のつぼを理解していた、親分の武器は針であり、パワードはその一つである身体の力が漏洩するつぼに針を刺されていた。もはやパワードはただの肉団子でしかない。
「怖くないのはお前みたいに平凡な奴だ。わかるか。俺が、怖いだろうなと思うことをすれば、怖がってくれる。俺が、痛いだろうなと思うことをすれば、痛がってくれる。つまり、それは投げた石が放物線を描くように、推測することを容易くする。例えば、手にナイフを刺したら痛いようにな」
ナイフがパワードの人指し指に刺さる。この世と思えぬ雄叫びが、決して頑丈な作りとは言い難い家を揺らす。もう一度ナイフがささる。また家が揺れる。ナイフがささる。また家がゆれる。それを五本の指全てに行うと、親分は周囲を見て言う。
「お前ら、今は平凡な奴らが通るからそれでいい。しかし、そいつらをなめていると、本当の馬鹿がやってくるぞ。この洗練された大勢に対して、二人で挑みかかってくるような、そういう馬鹿が」
言い終わるや否や、屋根が砕かれる。ローブ姿の男と、短髪で鎧姿の男。典型的な魔法使いと戦士。しかし、彼らの中で典型的ではないのは、扉から入ってこないことだろう。
「それは、もしかして俺たちのことかな」
ローブ姿の男は、手を銃の形にする。その先には、先の尖った小さな鉄の塊が出来ている。
「冥土の土産に教えてやる。これ、≪マグナム≫っていう魔法なんだぜ」
ローブ姿の男がバンというと、鉄の塊が風を切って真っ直ぐに進む。そして、親分の頭に直撃する。この男は頭から血飛沫を出す。それは余りにも鮮やかであり、恐らくナイフで刺したり、あるいは矢で打ち抜くよりも、美しいものだろう。親分は気が付けば、目を見開いたまま、地面に倒れ込む。
名前を我々が知る間もなく、この男は死んだ。無意味なことではあるが、この哀れなる男の名前を教えておこう。彼の名はローガーという名前だったらしい。元々奴隷であり、何時の間にか盗賊団として、ちょっと知られるようになるわけだが、それはそれ、これはこれだ。目の前の戦いに比べたら、こいつの人生なんて平凡すぎる。
その姿を見て、盗賊たちは、意外に人はあっけなく死ぬことを理解する。もっとも、あっけなく人を殺している人間がいまさらという感じで滑稽だが、そういうのは自分の身にふりかからないとわからない。自分が強いときには、死は意識しない。しかし、途端に自分よりも上がいると解ると、死を意識する。鼠で遊んでいた猫が、ライオンを見ると恐怖すると一緒である。
鎧姿のほうとえば、鞘から一本の刀を取りだした。横に一振りすると、同時に三人の盗賊が鮮やかに斬られる。上半身と下半身が、恰も挟みで紙を切ったように分離する。その切り口は綺麗だ。氷が上手く切られたとしても、このように綺麗にはいくまい。
盗賊たちは目の前の阿鼻叫喚に、完全にパニックになった。逃げ出すものもいれば、自暴自棄になって襲い掛かってくるものもいるし、また単純に腰が動かなくなったもの。あるいは、端的に余りの惨劇に笑い出すものもいた。
右や左に、引っ切り無しに男達が大騒動。粗野な行動には慣れているが、一発一撃の精密な行動には慣れていない。その一方で、唐突に現れたこの男達は一発一撃の精密な行動を行う。それは街のチンピラが闇ギルドの組織には適わないようなものだ。理由の一つに、もしかしたら彼らの行動が最適化されきれていないからだという理由はつけられる。
ローブ姿の男は、色々に手を組み替えると、その手の形に合わせて、鉄の塊が並び、そして突撃する。まるで、兵士を自由自在に操る軍師のようだ。戦士が目の前にいないときは散乱弾。生意気にも堅そうな鋼鉄の胸当てを来ている奴には貫通弾。そして、逃げ足の速い奴には追跡弾。
刀を操る男も負けてはいない。彼も、直線に並ぶ男に対し、顔を串刺しする。横から見ればお団子の様だろう。ナイフを打ってきたものには打ち返し、そのまま別の男の顔に刺す。また、刀の先を丸くゆっくりと回すことで、催眠状態にし、相内にする。右と左からやってきた盗賊をさけ、そのまま首を一振りで二つ切り落とす。
この二人、連携も抜群で惚れ惚れする。例えばローブ姿の男の後ろから、刀の男が切りかかる。当然そのままならローブ男の首が危うい。しかし、刀が風を切るか否かの音を冷静に感知し、素早く避ける。その結果、目の前の盗賊の首が飛ぶ。また、刀の男が苦戦して、睨み会っていると、ローブ男が、刀の男の背中を使って、上から下に向かって弾を打つ。
有象無象の盗賊たちはみるみるうちに、肉の塊になる。この二十、三十の盗賊は間違っても雑魚ではない。少なくとも、その野蛮さと無鉄砲さは、恐らく小さい国なら落とせるくらいの力はあるだろう。だったら国は何故襲わないかというと、二十、三十の盗賊が小さな国と同等であるならば、二十、三十の商人が集まれば、小さな国は変える。そういう意味では、この両者の価値観は似ている――国は金にならない、だから誰かに治めさせておいたほうがよい。それはこのローブ男と刀男も変わらない。
動く奴ほど捉われて死ぬ。動かない奴ほど死なない。虐殺戦の皮肉とはそういうもので、腰を抜かした男がただ一人座っている。ローブ男が上機嫌な声で話しかける。なかなか気さくなお兄さんが話しかけているようにも聞こえなくはない。ローブ男の全身が真っ赤に染まっていることを気にしなければ。
「なあさ、お前たちが溜めこんでいる金銀財宝って何処にあるのかな」
下、下という。恐らく地下に倉庫みたいなのを設置して、延々とため込んでいるのだろう。刀の男が静かに降りていく。
「ありがとう、最後に言い残したことあるかな?」
ローブの男は、最後の男に対して指を突き付ける。指の辺りに鉄の塊が出来始める。鉄の結合する音を聞くのは、この男にとって最初で最後になるかもしれない。
地面に叩きつけられていた魔法石ラジオが鳴りはじめる。
「――…で…と……わけで……ガルーダ地方のアーティスト、マリネ・マルソンの『山の上にエルフがいたら』でした……なかなか泣かせる曲ですね……マリネ・マルソンは、エルフに生まれながらにして、人間と接触したことにより、自らの仲間から永久追放されるという哀しい経緯を持ちます……彼女の歌う曲は、異端者と放浪を主題としていて……の曲も、誰が悪いというわけではな……異端者として……世を恨むことなく運命を耐え忍ぶ……――」
ローブの男は、黙ってそっちに耳を傾ける。
「これはミトンとかいうMJマジック・ジョッキーだな。確か番組は『眠れぬ夜のために』。昔は憧れたんだよな、MJ。俺さ、子供の頃、不眠症でずっと魔法石ラジオで音楽を聞いていたんだ。狼が鳴いたり、ふくろうが鳴いたり、骸骨がカタカタと動き出しそうな夜を過ごすのに、人間の声は、子供にとって安心感があったんだよ。で、いつしか俺みたいに眠れない奴に勇気づけたいと思って、喋りの練習と魔法の練習をしてたら、なんの因果かこういう仕事だもんな」
刀の男は、黙っている。二人の関係。ロープの男が話し、刀の男は聞く。それは常に一方通行であったが、ロープ男は別に返事が欲しかったわけではないし、刀の男も別段ウザったいと思いはしなかった。一方的に喋る男と、一方的に聞く男。そこに対して何かを求めなければ、案外上手く行く。
「おい、お前の名前はなんだ」
最後の盗賊は震えていた。頭の中で急速に状況を整理しようとする。
本当の馬鹿。そして支離滅裂。いきなり暴れまわったかと思うと、急に優しくなる。殺そうかと思うと、魔法石ラジオから流れる番組に反応する。
投げた石は確かに放物線を描く。しかし、投げた羽はどうだろう。もし、羽が風に揺られたりしたら?それは自然法則でありながら、あらゆる環境の変化を受け入れて、動きが複雑になり、予測不可能になる。
平凡な人間は、下手に自然法則に対して抵抗を行ってしまう。丁度、石が風に流されないように。従って、石は逆に放物線という予測しやすい方向に流れる。だが、果たして自然法則を受け入れ、反応し続けると、その集積体は、あることをしていたら、いつのまにかあることをしていたといったように、いったりきたりするだろう。
だから、こいつらはただ何も考えずに人を殺すのだ。だって、生きているからには必ずそれは死ぬ。それだけの事実である。俺はここで見ていた。段々、楽な仕事だと見えてくると、「飽きた」という顔になるのを。「楽しくない」ではない。
たぶん、こいつらは殺すことは「楽しい」ことだが、しかし実際には、危機的状態が無ければ、屠殺したのちにミンチにして丸く捏ねた牛一頭分の挽肉を延々とハンバーグにして食べるか、あるいは一日中娼婦の館で未成年の処女を抱き続けるようなもので、それは「楽しい」かもしれないし、場合によっては贅沢な行為ではあるが、何時かは「飽きたな」という飽食状態になるだろう。
生命には生存競争というのが内にある。出来るだけ生き延び、強くなろうとする意思。すると、出来るだけ平和に生きようとする筈だ。しかし、自殺する奴が歪んだ魂と言われるように、危険な場所でなければ、生きている喜びを感じない、末期危機中毒者というのも存在しているのだ。
「お前ぼんやりと考えているんじゃねーぞ、意識ちゃんとしているか。名前はなんだ。人間だろ。一応言葉がわかるんだよな」
痺れを切らしたローブの男が、盗賊の頭を柱にぶつける。頭を柱にぶつける間隔が一定で、何時の間にかリズムとなっていた。恐らく、弦楽器か管楽器があれば、音楽になっている筈だ。生き残りの可哀想な盗賊の男は、額が割れ、血が出る。刀の男は、ひと段落、といった様子で、巻き煙草に火をつけて、輪っかを作ったりしていた。この様子を見るに、刀の男は人を詰ることを別段楽しいとは思わないようだ。
「な、名前か、それはボブだ」
ロープの男は、返事を聞いて、柱にぶつける反復行動をやめた。そしてまた心底ご機嫌のように聞いた。
「じゃあ、ボーナスステージだ。お前が盗賊になった理由を教えてくれよ。その話が面白ければ助けてやる」
盗賊の男は、その恐怖に対して、一筋の光を見る。面白ければ助かる。人は、絶望的な状態に対して、一つの選択を与えられると、簡単に乗ってしまう。だからこそ、絶望しているときほど、カルト教団は勧誘してくるのである。どれほど理不尽な選択肢より、無いよりはまだ良い、というわけだ。ただ、殆どの人に対し、真面目に自分の身の上を話したことが無かったため、内心、自分が抱え込んでいたものを吐き出せるという気持ちもあった。自分の奥底に刺さっている棘というのは、下手に知っている人に打ち明けて、傷つくより、知らぬ人に話したほうが気楽なものである。
「ゴホン、この身の上話、我が盗賊の仲間は誰も知りません。一人だけ知っているのは親分だけでした。こういう世界は、舐められるということは即敗北を差します。如何に悪であったかは自慢しますが、自分の嫌な嫌な、それこそ渋虫を噛み潰したよりも、苦い思い出というのは共有されぬ者です。男と言うのは、群れてはいますが、時には孤独なのです。
そんな愚痴はやめましょう。私の身の上を知っている人間は、これで三人になります。一人は死にましたし、お二人は忘れるでしょう。しかし、覚えてなくてもいいのです。話したという事実があればいいのです。
実は私は貧困街に生まれました。父親はただ酒を飲み、家でゴロゴロしているだけの糞野郎でした。そして、母親を殴り、妹を性欲処理に使い、俺は常に使い走りをされました。酒が盗めないと、父に死ぬほど殴打されました。父親は、傭兵として戦地を駆け巡ってましたが、膝に矢を受けてしまったのが原因で、戦場に出られなくなりました。それがプライドを傷つけたのでしょう。母親は働かぬ父の変わりに、青い痣だらけの身体を売りに夜の街に出かけてました。そして、母親は父親に愛想をつかして家を出ました。何か若い男に捕まったとか。父は死ぬほど怒り狂い、手が付けられませんでした。そして、我を忘れて暴れていた父親は、止めようと抱きつく妹を抑えると、首を絞めたのです。先ほどの、ただ威張り散らしている父とはうってかわって、ただ妹の亡骸を抱きしめて震える父がいました。妹を強姦同然で扱いながらも、結局娘として愛していたのでしょう。父を、秩序ある警備兵に報告すると、しかる処置を受けました。そして、私は自分で生きるために、盗賊になったのです」
ローブ男は恰も感動した、といったような演技を見せながら聞いていた。ローブ男は、全く悪気が無く――声の調子からも悪気が無ければ、恐らく気持ちとしても悪気がないことは、語り手である私が保証しよう――、本当に純粋な気持ちでこのように述べた。
「本当にお前、生まれなかったらよかったな」
刀の男は、ふーっと煙草の煙を吹くと、足元で火を消す。退屈な話など聞いてられるか、もうそろそろ始めるか、といったような身振りをする。
「ちょっと待てよ、最後にさ、生まれなかったらよかったけど、死んでよかったとは思わせてやるよ。死後の世界で俺たち二人組の名前を言うんだ。さっきの様子を見てただろ。俺たちは、基本的に名乗らずに殺す。だから殺した人間の九割くらいは俺たちの名前を知らない。まーでも、ちょっとまって、考えさせて。名前だけなら七割だ。さっきのは訂正な。だってたまにギルド員の精鋭とかが名前知っているから、裏である程度出回ってるんだろ。ただ、そのバックにいる闇のギルドについては知らんだろ。まあ、別にばれてもいいし、それで崩壊するような軟な組織ではないので、」
嬉しそうにローブ男は喋る。天国では、天使たちが俺たちのことを話している。そう信じて疑わない様子だ。商人が、天国でもお金が使えると思っているのと同じように、天国でも名声が使えると思っているのかもしれない。盗賊が善人だと聞いてはいないので、地獄の可能性が高い。どちらにしろ、死後という世界があり、生きるものの魂が、一時的なり永続的なり、あるとするならば、龍殺し、破滅教団教祖、いきるすがたをとどめぬもの、など、世界を恐怖に陥れた恐るべき悪の存在がいるだろう。そして、その頂点を治めるのは、死の王であるハデスだろう。
「ローブを着ている俺はロウ。法という意味のロウから来ている。そして刀を扱うこいつはユーザネイシャー。だいたい長いからユーシャと呼んでいる。こいつの名前は安楽の死という言葉から来ている。俺たちは≪ゴッド・ヴァイスジェラント≫。無教養なお前に意味を教えると、『神の代理人』という意味になる。そうそう、この二人のコンビ名も≪ジャッジメント・フォー・フール≫、つまり『道化の為の裁き』という奴だけね。特に深い意味はない。別にジャッジというほど正義を行っているつもりはさらさらない。こう見えても自分たちのことを英雄だと思わないくらいには謙虚なんだよ」
ロウの指先はずっと銃だったのか、長話で顔くらいの大きさまで、鉄の塊が成長していた。土地柄、山の上というのもあって、鉄の塊が集まりやすいというのもあるのかもしれないが。ロウは指先をみて確認し、満足そうに、その鉄の塊を見たあとに、改めて突き付ける。
生き残った盗賊は、手を交互に重ねた。それは祈りのように見えた。盗賊みたいな下種な人間ですら、宝くじを買う感覚で、神様に祈りをささげるものだ。もし、宝くじと神を信じるものの祈りが違うとするならば、本人の真剣度合いという点に置いてのみである。それと、宝くじは買わなければ一等という奇跡は起こらないが、しかし祈りは別にやらなくても奇跡は起きる。
残念なことに、この場合は奇跡は起きない。
見事に、盗賊の顔は鉄の塊により吹き飛ばされ、跡形もなくなっていた。ロウはゲラゲラ笑いながら、台所のほうに向かう。そこには調理する筈だった白鳩が首を絞められて死んでいた。どうもこの鳩もメスである。
吹き飛ばされた盗賊の上に白鳩を載せるが、なんの面白味も無く、単純に首のない男の上に白鳩が乗っているだけだった。じゃあこれだ、と言わんばかりに、盗賊が被っている毛皮の帽子もかぶせてみるものの、今度は白鳩が帽子の中に入るだけで俄然詰まらないことになった。
二人は後日、といったところで、外に出る。ロウは呪符および結界を作成する。呪符には「おれたちのものだぞ」と共に「ばい・ごっとヴぃすじぇらんと」という文字が並んでいる。丸で蚯蚓が日照りの中、最後の力を振り絞ってのたくり廻ったような字で、本当に読めるのかどうかが、まず怪しかった。とはいえ、明確に呪符と結界で二重に侵入を防ぐということは、外部の者の拒絶であり、それを破ろうとするのは戦線布告に等しいだろう。誰だって、荷物が置いてる茶店の席には座らないのと一緒だ。その荷物が誰の者かはわからないにしろ、だ。
「そういえば、なんで呪符に俺たちの名前を書かないんだろう。ギルドの名前をわざわざ出す必要なんてないのに。そりゃギルドの所有物だというのはあるけれど、闇ギルドである以上、むしろギルドの名前があちこちに知れまわるのは非常に不味い気がするんだよな」
ロウが悩んでいると、ユーシャが一言、言葉を呟く。
「ロウも、ユーシャも、俺たちの名前ではないからな」
結界でライトアップされた、壊れた小屋が綺麗であった。
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