海を見ていた僕たち/蒼山 螢

「あなたの街の物語」コンテスト公式

海を見ていた僕たち/蒼山 螢

 潮風で、顔や体がしょっぱくなってきたような気がする。

 僕はせみの声を聞きながら、松の木の下にできた日陰にあるベンチで休んでいた。


「晴れの日が多かったね。今年の夏は」


 雨が少なかったということだ。水不足だと生命維持に関わるから、程良く降ってくれないと困るのだが。かといって、長雨も僕たちにとっては困りものだったりする。


「去年もそんなこと言っていた気がする」

「そうかしら」


 妹が、のんびり立ち上がりながらぐっと伸びをした。


「観光桟橋のほう、行く?」

「そうね。あっちのほうがにぎやかだし。兄さんどうする?」

「行くよ」


 松島町の観光名所はいくつかあるけれど、僕と妹はことさらこの観光桟橋付近が好きだ。松島湾に浮かぶ手前の大きな島、遠くの豆粒みたいな島がよく見えるし、海が太陽の光を反射しキラキラと輝いてとても美しい。それに、ひとがたくさんいて賑やかだ。島巡り遊覧船を運行している組合のおじさんたちとおしゃべりもできるし、ときどき夕飯にしなよと魚や蒲鉾を貰えたりする。妹がおねだり上手なのだ。車に気を付けながら国道を渡れば、ずいがんという大きなお寺があり、そこまでの道のりもとても風情のある散歩コースだったりする。そして、そこには友達も居る。

 僕たちはしまに来ていた。ここからの眺めも気に入っている。げつきょうという赤い橋を渡って、移動することにした。

 ここ雄島は、松島の地名のルーツがあるとか。大きな島ではなく、仏像や、岩窟がたくさんあり、修行の地でもあったそうだ。

 赤い橋の途中で振り返ると、稲荷様と目が合った。背筋がヒュッと冷える。人形や仏像なんかが少し苦手なのだ。雄島はがいぶつがあったりもして、それを暗闇で見ると少し怖く感じてしまう。なんだか動きそうじゃない? そう言う僕を妹は「恐がりねぇ」と笑った。

 渡り終えて、コンクリートの波打ち際沿いに歩く。チャプチャプ波が岩にぶつかり音を立てていた。


「落ちるなよ」

「ハーイ」


 妹が波に顔を近付けてのぞいている。魚が居ても手を突っ込むなどしてくれるな。危ないから。


 細い道路を通り抜けると、景色が開ける。広い芝生の公園に出た。砂利道を避けてふかふかの芝生の上を、ゆっくりと歩く。急ぐ用事じゃない。今日はとても天気が良く、あちこちでシートを敷き、家族連れが食事をしていたり、ボールで遊んだりしている。あれ、思いっきり追いかけたら楽しいだろうな。

 キャハハという楽しそうな笑い声がうしろでしたから、振り向いた。小さな子供がシャボン玉を飛ばしていた。その向こうに視線を移すと、建物がはぎ取られたような、石材や鉄骨が積み置かれたままになっている空き地が見える。


「……」


 あそこは、水族館があった場所だ。

 この町には、古い水族館があった。横を通るとアシカショーの声が聞こえたりしたんだ。僕がまだもっともっと小さかった頃の話だ。懐かしい。

 堤防にのぼって、風を感じた。少人数乗りの島巡りができる船が、たくさん並んでいる。その向こうに細く見える赤い橋が、福浦島へ繋がる福浦橋。あそこまで行って、こちらを見るとまた景色が違う。


「あ、おじさん」


 制服姿で帽子をかぶった観光組合のおじさんが見えた。僕たち兄妹は、ずいぶんとお世話になっているのだ。


「おう、今日も来たか」


 おじさんは、大きめの器を持ってまわりに邪魔にならないよう移動した。足下に、白黒の子がまとわりついた。茶色とハチ割れもどこからか現れた。


「松本さん、ノラ猫ちゃんたちのお世話、熱心だねぇ」


 おじさんに、遊覧船事務所のおばさんが声をかけてきた。恰幅が良く大きなお尻をしていて、優しいひとだ。にぼしを貰ったことがある。香ばしくて美味しかった。また食べたいと思う。


「飢えたら可哀想だからな。たくましく生きて貰わないと」

「よく懐いてる。かわいいねぇ。津波でいなくなった子たちも居たんだろ?」

「んだ。黒猫のきょうだいみたいなのが居たんだけど、あれから1度も姿を見てないよ。やられっちまったのかもしれないな……」


 おじさんが、帽子を少しずらして、海を見た。

 ここに居るんだけれどね。僕はそばに寄った。ねぇおじさん、今日も来たよ。おじさんの顔を見に来た。妹と一緒にさ。こうして鳴いても、おじさんに聞こえないのは分かっているんだ。


 夜を数えていないから何年前かは忘れた。

 寒かったあの日、地鳴りがして地面が大きく揺れた。そして、いつもはキラキラしてまぶしく美しい海が、狂ったようにうなって、襲いかかってきた。


 あの高い波から、僕らは逃げることができなかった。


 気付けば僕と妹は、高いところから、泥だらけになった道や壊れた建物を見ていた。そして、れきを片付けるおじさんに話しかけても気付かれないことを、理解した。


 春には、力強い松葉が青々と茂る。桜がとても綺麗な場所を知っているんだ。ひなたぼっこに最適。

 夏は空が高くて、夜になると花火が揚がった。とても綺麗だった。大勢のひとが訪れて、とても賑やかだった。もういまは、あの光景と夜空に大きく咲き乱れる花火も見られない。

 秋には、降ってくる紅葉で遊んだ。イガグリを触って痛かったこともあったな。

 冬には、雪化粧をした島々が美しく、海に降る雪がしゅんしゅんと音を立てる。それを聞くのが好きだった。


 数匹の猫たちがおじさんとおばさんのまわりに集まって、にぼしやカリカリしたご飯を食べている。

 僕たちはいま、お腹が空かないんだ。でも、匂いと味は思い出せるよ。美味しそうだなって思う。じっと見つめていると、妹が僕を呼び、海から吹いてくる風がひげを揺らした。


「船が入ってきたよ。兄さん」

「カモメがついて来ているね」


 キラキラの海と、大きな船。スイスイと飛ぶカモメ。なにもかもが眩しくて美しい。


「綺麗だね。ずっと見ていたい」


 どうしてだろうね。離れがたいんだ。だから、僕たちは、ここから見ている。この町の昔と今を。僕たちは、ずっと。

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