終章 「勇者、辞めたい」

(序):我が名は魔王エキドナ

 「――――緊急事態だ!」


 どすん、と軍議用の長机を叩く。

 魔王城の会議室にはいつになく緊迫した空気が満ちていた。


 我が名は魔王エキドナ。

 荒廃した魔界を救うべく、数百年に一度開く《大霊穴》を通り、秘宝『賢者の石』が眠ると言われる人間界へやってきた魔界の王である。


 緊急事態というのは他でもない。

 その《大霊穴》の事だった。


 「《大霊穴》が閉じかかっておる。我とシュティーナ、それにオニキス卿の魔力によって一時的に安定はさせたが、七日と持つまい。

 ……七日のうちに、我ら魔王軍は決めなければならぬ。退くか、進むかを」


 今この場に集っているのは我を除くと五人。


 魔将軍シュティーナ。

 獣将軍リリ。

 無影将軍メルネス。

 竜将軍エドヴァルト。

 そして、四天王と並ぶ実力を持つ頼れる新幹部……黒騎士オニキスである。


 オニキス卿は新参だが実に頼れる男だ。知らぬ間に四天王たちの仕事の手伝いをし、業務効率を何倍にも引き上げていた。一般兵からの信頼も篤い。

 五人目の四天王として迎え入れるのは当然の待遇と言えよう。


 ……四天王なのに五人ってどうなのか、という問題はあるが、そこは置いておく。

 とにかく、本来なら今日はオニキス卿の幹部昇格を祝う茶会を開く予定だったのだ。なのに状況が急変してしまった。


 「ねえねえ、エキドナちゃん」

 「なにか」

 「大れーけつが閉じたら、どうなっちゃうの?」


 ことの重大さを知ってか知らずか、リリは呑気にクッキーを齧っている。

 緊急事態ではあるが、彼女のこういったところは実に好ましかった。場の空気が僅かに弛緩するのを感じる。ムードメーカーとはこういう存在を言うのだろう。

 

 「うむ……簡単に言えば、魔界へ帰れなくなる」

 「!! たいへんだ!」

 「そう、大変なのだ!」

 「あわわ、あわわわ……」


 エドヴァルト、メルネス、リリの三人は人間界生まれだ。利害の一致から魔王軍に協力しているだけで、ある意味で《大霊穴》とは全く関係がない。

 だが、魔界の住人たる我とシュティーナにとっては大問題だ。

 我らは魔界の王とその副官として、必ずやあちらへ帰る義務がある。


《賢者の石》を手に入れ、魔界へ持ち帰る。《賢者の石》の力をもって、荒涼とした魔界に暖かな太陽と豊かな緑、清らかな水をもたらす。

 それでようやく一区切りのゴールを迎えられるのだ。


 勿論、持ち帰ってからも問題は山積みである。

 なにせ我は《賢者の石》の実物を見た事がない。人間界で手に入れた幾つかの文献によって、


『聖都に安置されている』

『凄まじい力を秘めている』

『応用次第で様々な事ができる』


 という裏付けが取れたくらいだ。


 どういう形状をしているのか。応用次第と言うが、じゃあ具体的にどうすればいいのか。そもそも《賢者の石》とは何なのか。魔道具マジックアイテムなのか、文字通りの不思議な石ころなのか。未だに分かっていない事が多すぎる。


 万が一人間と全面戦争になれば、戦火によってそういった手がかりが失われてしまう恐れもある。

 我らが余計な戦や破壊を極力避けているのは、そういった理由からだった。


「シュティーナ」

「は。道は二つあります。まず一つは、穴が消える前に魔界へ帰るという道」


 眉間に深い皺を寄せたシュティーナが言った。分かってはいたが、こうして言葉にされると胸がと痛む。


《賢者の石》を手に入れられぬまま魔界へ帰る――それは紛れもない敗北、紛れもない失敗だ。

 彼女もそれを分かっているのか、あえてこちらを見ずに話を続けてくれた。


「今の軍はひとまず解散となるでしょう。

 有志のみがエキドナ様と共に魔界へ帰還し、再び人間界へ来れる日を待ちます」

「賢者の石も何も手に入らぬ。

 だが、これ以上なにかを失う事は避けられる。そういう事だな」

「はい」

「……魔界へ行く者は少ないでしょうな」


 苦い顔のエドヴァルトがこぼした。今の魔王軍わが軍の殆どは、人間界出身の新規採用者ばかりだ。我やシュティーナと共に魔界からやってきた古参メンバーの殆どは、勇者レオとの戦いでやられてしまった。わざわざ魔界に来ようという物好きはかなり限定されるはずだ。


「一つは撤退。もう一つは?」 これはメルネスだ。気怠げに挙手し、質問する。 「まあ、だいたい分かるけど」

「うむ……二つ目。ただちに全軍を率いて聖都へ進撃し、《賢者の石》を奪い取る」

「論外じゃない?」

「論外であるな」


 メルネスに言われるまでもなく、苦しい戦いとなるのは火を見るよりも明らかだった。魔王軍の戦力は以前とくらべて遥かに弱体化していて、しかも人間側にはがいる。


 単身で万の軍勢を相手取れる男。

 四天王を打ち倒し、一対一で我を破った男。

 紛れもなく地上最強の勇者。

 レオ・デモンハート。


 我は軽く頭を振り、テーブルの端で沈黙を守っているオニキスに話を振った。


「勇者レオ。奴が出てくれば、今度こそ全滅は必至だ。

 オニキス卿は勇者レオと戦ったことはあるか?」

『いえ。ただ、噂は聞いております。魔王陛下をみごと一対一で打ち破ったとか』


 いつも通りの落ち着いた口調でオニキスが意見を述べる。我の不興を買うと思ったのか、シュティーナがはらはらとした表情を浮かべた。


 実際のところ、我がオニキスの言葉に不快感を抱くことはなかった。事実を事実と認める器無くして王は務まらぬ。鷹揚に頷き、彼の言葉を肯定する。


「さよう、あれは正真正銘のバケモノだ。我と四天王が五人がかりで挑んで、ようやく僅かな勝機に指先がかかるかどうか――といったところ。

 そんなのが再度出てきてみよ、それこそ《賢者の石》どころではない」


 人間界の危機に勇者レオが出てこないわけがない。

 次にあれと戦えば、今度こそ我らは全滅するであろう。

 全軍を率いて聖都へ進撃する――つまるところ、そんなのは作戦でもなんでもない。ただの自殺行為にしかならないわけだ。


 我が死ぬのはいい。

 覚悟をして魔界を出てきた。

 だが、他の者まで巻き込むわけにはいかない。


「――――答えは出た。軍は解散し、魔界へ退く」


 僅かな沈黙があった。そして、


「ぬ……!」

「……ちょっと」


 ほぼ同時にエドヴァルトとメルネスが息をのんだ。

 シュティーナもひどく動揺している。何か言おうとしているが、言葉になっていなかった。


「あ、あの……あの、あの、エキドナ様」

「皆、よくここまで着いてきてくれた。

 魔界の主として……いや、ただの魔族エキドナとして、心から礼を言う」


 我とシュティーナは300歳以上離れているが、付き合いは長い。彼女が幼い頃からの長い長い付き合いだ。我がどれだけ《賢者の石》に期待して今回の遠征に踏み切ったか、シュティーナはよく知っている。動揺するのもやむを得まい。


「エキドナちゃん。横、よこ!」


 どうしたことか、リリが先程から我の横をしきりに指差している。何だ? まあいい、今は皆に礼を述べるのが先だ。

 礼を述べるのが先というか、それ以外の事が出来そうにない。少しでも気を抜けば無念のあまり泣き出してしまいそうだった。笑顔を作り、あえて明るく振る舞う。


「《賢者の石》というものがある“らしい”。

 それを使えば、荒廃した魔界を救える“かもしれない”。

 ……ふふ! そもそも前提からしてあやふやな賭けではあったのだ。

 我は諦めぬ。魔界を救うには別の手段を模索するとしよう」


「魔界を救うって、例の魔界緑化計画だっけ? 飲み会の時に言ってた?」


「そう、“秩序ある美しい魔界を作ろう計画”の第一歩だ。

 荒んだ環境で秩序は生まれぬ。まずは《賢者の石》を使い、人間界と同じ暖かな太陽を。豊かな緑と、きれいな空気と水を魔界にもたらすのだ」


 我が幼い頃からの計画だった。

 魔界の大図書館で美しい人間界の事を知った。

 魔界は荒廃する一方だという事を知った。


 なんとかして魔界を救いたかった。その為に力をつけ、魔界の王を目指し、《賢者の石》を求め、人間界へやってきた。


 ……だが、全ては無駄に終わった。無念である。俯いて涙を堪える。

 目の前が涙で滲んで何も見えない。魔王として情けない限りだが、ここに居るのは我がもっとも信頼する者ばかり。少しくらい弱いところを見せてもいいだろう。


「《賢者の石》は、マイクロブラックホールを通じて半永久的にエネルギーを供給する古代の超機関だ。使い方次第だが、お前のその計画には役立つと思うよ。多分な」


「マイクロ……? 知らんが、そうなのか」


「3000年前の機械文明の遺産だ。探せば人間界のどっかに詳細な取扱説明書が眠ってるだろうよ。人間達も同じモノを探しちゃあいるが、なにせ時代が時代だから、なかなか見つからん」


「ならば余計に人間達とは和解せねばならんな。我らの目的は戦争ではなく賢者の石による魔界救済なのだから、一緒に説明書とやらを探して……

 ……いや駄目だな。肝心の《賢者の石》は人間達から奪うしかないのだから」


「大丈夫だよ。今んとこ人間界に《賢者の石》は二つ残ってるから、お前は別の石を持って帰ればいい。

 人間界に1個、魔界に1個。今後仲良くやっていくには丁度いいだろ」


「……二つ!? それは初耳だぞ、説明せよ!」


「今からするよ」


 涙も吹っ飛ぶ新情報であった。我を取り戻し、顔をあげる。


 ここでようやく気づいた。四天王たちの様子がおかしい。

 我以外の全員が黙り込み、じっと我の横……横? を注視している。


 息を飲むエドヴァルトとメルネス。

 目を見開いたエキドナとリリ。

 オニキス卿はいつも通り静かに……あれ?


 ふと気づくとオニキス卿の姿が消えている。

 なんだ? いま、我は誰と話していた?

 そもそもあんな喋り方をする幹部に覚えがない。


「エキドナちゃん! よこ、よこ!」


 リリがしきりに我の右横を指差している。

 我はゆっくりと――嫌な予感を抱きながら、ゆっくりとそちらを向いた。



「緊急時だし、正体を隠すのもいい加減やめだ。いいかエキドナ」


 果たしてそこには、我が宿敵が居た。

 勇者レオ。本物の勇者レオだ、これ。


 涙を拭い、何度かまばたきをする。

 目の前の人間は間違いなく勇者レオだった。

 あの面接の日、確かに追い払ったはずの勇者レオだった。


「俺は魔王軍に入って以来、ずっとお前たちを見てきた。《賢者の石》を託すのに相応しい存在なのかどうかをな。

 つまらん奴らならすぐにでも軍を抜けるつもりだったんだが……飲み会の時に確信した。お前になら石を託しても大丈夫そうだ」


 飲み会! こいつ、今、飲み会って言ったぞ! 我が最近酒を飲み交わし、本音を打ち明けたのはオニキス卿くらいだ。

 オニキス卿? オニキス卿はどこか? この大たわけを捕えて叩き出してくれ!


「魔界に秩序が生まれて、魔族どもが人間界に余計なちょっかいを出さなくなるのなら、お前に石を渡す価値はある。十分すぎる程にな」


 周囲を見回すが、オニキス卿の姿は煙のように消えていた。

 まるでオニキス卿のかわりに勇者レオが出てきたかのようだった。

 そうか……なるほどね。ふふふ。そういう事かあ。




「時間が惜しい。石を守る番人は紛れもない強敵だ。

 現地まで案内してやるから、おまえも四天王たちと一緒に」


「死ィいねえええええええええ!」


 我は愛剣ティルヴィングを抜き放つと、まだ何か喋ろうとしている目の前の痴れ者に渾身の炎熱呪文、《六界炎獄インフェルノ》を叩き込んだ。


 ……今になって思う。

 この時はまだ、『勇者と魔王』の関係だったな……と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る