4. 勇者 vs 魔王エキドナ

4-1. 勇者、地獄の飲み会に誘われる

『――――05、至急現場へ向かえ』

『――――了解しました。ポイントD36へ急行、市民の保護を最優先』


 高度を下げる。


 眼下には燃え盛る市街地。

 穴から這い出てくる無数の魔族達。

 懸命に応戦する、逃げ遅れた人々。


 彼らを守るため、地上へ降り立つ。

 人々が小さく息を呑む。私に忌避の視線をぶつけてくるのを背中で感じた。


 ――構わない。

 人々を守護する。それが私の存在意義なのだから。

 世界を守護する。人々彼らが私に望むのは、ただそれ一つなのだから。


 私はそのためだけに、









「………………ッ!」


 魔王城の自室。

 俺――勇者レオ・デモンハートは目を覚ます。


 ベッドの中で身じろぎすると、寝汗があちこちにひっついてひどく不快だった。

 まだ外は暗い。もう少しすれば東の空がかすかに明るくなってくるかどうかといったところで、目覚めるにはだいぶ早すぎる。


 ……夢を見ていた気がする。それも、けっして良い夢とは言いがたかった。

 これまでの経験上、こういった夢を見た日の運勢というのはどうにも良くない。だいたい一日のどこかに憂鬱なイベントが待ち構えているものだ。

 例えば以前、ひと月ほど泊りがけで錬金術師アルケミストギルドの手伝いをしてやった時。あの時は倉庫に封印してあった凶悪合成獣キメラが突如覚醒し大暴れした。おかげでギルドの建物は全壊するわ、貴重な薬草を失うわ、完成しかかっていた万能薬パナシーアがパーになるわ、とにかく散々だった。

 今日もあれくらい極悪な……あるいは、あれを凌ぐほどのアクシデントが待ち受けているのだろうか。


「チッ」


 俺は目を閉じ、心地よき二度寝の世界へ逃げ込む事にした。

 どうか、今日は良い事がありますように。

 そう願いながら。



 ----



「――ああ? エキドナが?」

「はい。急いで向かって下さい」


 夕方の事だ。

 もう仕事も殆ど片付き、今日は平穏無事に済みそうだと安心した矢先だった。

“魔王エキドナが俺を呼んでいる”――やや緊張した面持ちのシュティーナはそう告げた。


「……とうとうバレたかな?」

「かも、しれませんね……」


 シュティーナの耳がへろっと元気なく垂れ下がる。

 ひとつ断っておくと、魔王城では――四天王どもの前以外では――勇者としての姿を晒した事はない。


転身メタモルフォーゼ》。

変装ディスガイズ》。

正体隠蔽ゴーストフェイス》。

不可追求トゥルースロック》。


 その他もろもろ、10個近い呪文を使って何重にも正体を隠蔽し、外ではクールで寡黙な“黒騎士オニキス卿”として立ち回っているのだ。

 中身が勇者だとバレる事は考えにくい。考えにくいはず、なのだが……


「あなた、まだ魔王様へ挨拶に行っていないでしょう。それでお怒りなのでは?」

「あー」


それがあったか……頭をばりばりと掻く。


「……まあ、私が“オニキス卿のお陰でだいぶ仕事がラクになりました”とか言ってしまったのも、多少は原因になっているかもしれませんが」


「それだよバカ! 俺のことは伏せておけって言ったろ!」


「仕方ないでしょう! 仕事は大丈夫なのか、手伝いを増やそうか……って魔王様じきじきに聞いて来られたんですから!」


「ハァー……」


 一般的な職場において、新入りが上司に挨拶するのは当然の事だ。

 別に新入りに限った話ではない。相手が同僚だろうが部下だろうがネズミだろうが、一緒に働く以上「これからよろしくね」の挨拶は必要不可欠である。


 それは分かっていたが、魔王城で働きだしてからこっち、仕事に忙殺されて『オニキス卿としてエキドナの元へ挨拶に行く』機会を逃し続けていた。

 それにあれは腐っても魔王だ。直接喋ればオニキス=レオだと感づかれる可能性もある。

 もう少し城内で手柄を立て、エキドナが俺の魔王軍入りを納得するような材料を揃えてから挨拶に行きたかったのだが――――


「自分の知らない間にオニキスとかいう奴が魔王軍入りし、

 四天王の補佐をしている。魔王としては良い気分ではないよなあ」


「急ぎなさい。

 もしバレてしまったら――私を呼びなさい。ダメ元で魔王様を説得してみます」


「いいよいいよ、俺一人でなんとかする。お前は知らんぷりしてろ」


 不安げなシュティーナに手を振り、黒騎士の姿になって執務室を出る。

 廊下を歩きながら思案する。さて、どう言い訳したものか。

 そもそも中身がレオだとバレているのかいないのか。バレていないなら、エキドナは俺を呼び出して一体何をしようとしているのか。

 100通りの言い訳を考えつつ、魔王――エキドナがいる大広間にたどり着く。


 コン、コン、コン、コン。

 丁寧にノックを四回。


『――黒騎士オニキスです。招集に応じ、参上いたしました』


 少し間をおいて、扉の中から「入れ」という声。

 こちらも「失礼します」と言ったあと、静かに扉を開ける。


 緊張の一瞬だ。

 もし俺がレオだとバレているならば――入った瞬間にエキドナお得意の《炎獄百連バーニングストライク》が飛んできてもおかしくない。

 さりとて、バレていない場合。ありったけの防御結界を張りめぐらせて上司の部屋に入るのは、“私を疑って下さい!” と全力でアピールしているようなものだ。


 結果として、俺はひどく無防備な状態で室内に入る事となった。

 この状態でエキドナの一撃を喰らえば――流石に、死ぬかもしれない。


 赤い鉄扉の重さが何倍にも感じられた。

 ゆっくりと室内の様子が俺の目に飛び込んでくる。


 さあ、どう来る。

 どう来る魔王エキドナ――――!



「――おお! そなたがオニキスか!」

「……」

「いやあ、良かった良かった! 一度そなたと話したかったのだぞ!」

「……」

「働きっぷりは聞いておる。我のもとへ挨拶に来なかったのは不問といたそう!」


 出迎えは満面の笑顔だった。

 露出の多い真紅のドレスを身に纏った少女が、魔族特有の黒い尻尾を左右に振り振り出迎える。


 魔王エキドナ。

 以前は強大な力を誇るナイスバディの美女だったが、俺によって倒された後、おしおきで垢抜けない少女の姿にされた魔王。

 ちんちくりんの今となっては色気漂うドレスも台無しで、まるでお祭りで仮装したどこぞの村娘のようだった。


 だが、俺を絶句させたのはそこではない。


 エール、ワイン、蒸留酒。

 広間の中心に置かれたテーブルには、大量の酒が乗っていた。

 つまみは無数の肉料理だ。先日ラルゴ諸島で仕入れたばかりの猪の肉は捌かれたばかりと見えて、美味しそうな肉汁が滴っていた。赤ワインとビネガーとオニオンで作ったソースは芳醇な香りで、また食欲をそそる。

 いや。だってこのテーブル、このテーブル……嘘だろ。やめてくれ!

 用意されてる椅子が二つしかない!


「さあー、今宵は無礼講だ。

 我とそなた、!」




 ……悪い夢を見た日は、だいたい憂鬱なイベントが待ち構えているものだ。

 今回の鬱イベントはこれだった。


 職場において避けては通れないイベント。

 新入りであれば絶対に参加しなければならないイベント。


『上司とのサシ飲み会』。


 地獄の数時間が、いまここに幕を開けた。



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 勇者、辞めます ~次の職場は魔王城~


 第四話:勇者 vs 魔王エキドナ

     ――勇者、地獄の飲み会に誘われる

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