第24話 脱出

「この通路を抜けた先に裏口がある! 急げ!」


「了解よ」


「とはいえ……後ろからもついてきてるみたいだな」


「ひいいいいい!」


 あれから桃山を引き連れたお嬢様達は陸の案内に従い通路の先を行き、その先に見える出口を目指す。

 途中、何度か背後から聞こえる音に振り向きそうになるが、その間を惜しんでようやく裏口らしき扉へと近づく。


「あれだ。このまま一気に――」


 そう言って陸が扉に向かおうとした瞬間であった。そのすぐ後ろを走っていた海が何かにつまずき転んだのは。


「っ!」


「海!?」


 足をくじき、膝を打ったのかその場でうずくまる海。

 それにすぐさま陸が駆け寄り、紅刃お嬢様も思わず海の傍に駆け寄る。

 だが、そんな隙を背後から迫っていた追跡者は見逃しはしなかった。


「お、おい! 何やってんだお前ら! すぐに後ろに迫ってるぞ!!」


「ッ!」


「ひッ!?」


 桃山の叫びに慌てて背後を振り向く陸、海、お嬢様。

 その視線の先に見えたのは狭い通路をその巨体で駆ける異形の怪物、悪魔の姿であった。

 全長はおよそ三メートル。

 最初にお嬢様達が外であった悪魔に比べれば小型ではあるが、その巨躯や引き締まった腕や足。指先から生える爪、凶相から生えた牙と明らかに人が太刀打ちできるような生き物には見えなかった。

 それはまるでチーターの如き素早い動きでこちらに迫る。

 うずくまる海のところへ接触するまでおよそ数秒。

 今から立ち上がって走ったとしても、彼女の足では間違いなく追いつかれる。

 そして、その周りにいる者達も間違いなく殺される。

 それを知ってか知らずか、陸や海だけでなく、あのお嬢様ですら慌てた様子でスカートの中に隠していたナイフを取り出す。


「な、何やってんだ! お前ら!? あ、あんな化物と戦う気か!? 相手は悪魔だぞ!? 人間じゃないんだぞ! いいからそんな女なんか見捨ててさっさとここから逃げ――」


「うるさいわよ! さっきまで怯えて震えていた癖に喚くんじゃないわよ! そんなに死にたくないならアンタはさっさとここから逃げなさい!」


「……ッ!」


 紅刃お嬢様の一喝に顔を逸らす桃山。

 その後、倒れる海やそれに付きそう陸。そして、カインやジャック達に視線を向けると、気まずそうに顔を逸らし、そのまま体を反転させ、扉を開けて、その先へと逃げ出す。

 桃山の姿が消えるのを確認すると陸は呆れたようにため息をつく。


「……まっ、あいつらしいわな。どんなに土壇場になろうと人間の本質ってのはそうそう変わるものじゃないってわけか」


「それはそうでしょう。むしろ、邪魔者がいなくなってアタシとしてはかえってやりやすくなったわ」


 そう言ってナイフを構えるお嬢様。

 まさか、本気で悪魔とやり合うつもりなのか?

 確かにお嬢様の戦闘能力は常人よりもはるかに上。だが、それはあくまでも人間の範疇に収まる。

 いかにお嬢様とはいえ、悪魔と真っ向から戦って勝てるとは思えない。

 いや、まさか、時間稼ぎ? 海や陸を逃がすための?

 それを証明するかのようにお嬢様の表情が覚悟を決めたそれになるが、しかし、そんなお嬢様の肩に優しく手を置く人物がいた。


「まあまあ、そう熱くなりなさんな、紅刃嬢。ここはオレとジャックに任せて、紅刃嬢はそっちの二人を連れて、ここから逃げな」


「! カイン!?」


 そのままお嬢様達を守るように前に立つカインとジャック。

 そんな二人の背にお嬢様は慌てたように声をかける。


「ち、ちょっと待ちなさいよ! 何勝手な事言ってるの! アンタに守られるほどアタシは……」


「分かってる分かってるって。これはオレが好きでやってることだから気にしなさんな。それにオレは別に紅刃嬢を守りたいだけじゃなく、そっちの陸や海も守りたいんだぜ。ああ、もちろんさっき逃げた桃山のためもある。カインお兄さんは全人類のお兄さんだから弟や妹を守るのは当然の仕事さ」


 そう言っていつぞやのように大仰に両手を広げながら告げるカイン。

 そんなカインに未だ不満そうな顔を向けるお嬢様であったが、


「それにこんなつまらない場所で君は死ぬわけにはいかないだろう紅刃嬢。そっちの二人と因縁があるのは分かる。こだわりも理解できる。けれど、君がオレの誘いの乗ってこの地獄に来たのはそのためじゃない。君は――『ある人物』に会いにここに来たんだろう」


「――――」


 ある人物?

 カインのその言葉に僕は僅かに眉をひそめる。

 そういえばカインがお嬢様をこの地獄に誘う際、そんなことを言っていた気がする。

 その人物が誰であるかはお嬢様しか知らないが、カインがそれを告げた瞬間、お嬢様の雰囲気が変わった。心なしかナイフを握った手が僅かに震えたのを見た。


「まあ、そんなわけでここはオレらに任せて紅刃嬢達は近くのシェルターに逃げな。安心しなって、こう見えてオレってば人類最古の殺人者だからさ。そう簡単には死なないって。それにこっちには殺しのエキスパートのジャックもいるしな」


「い、いや、まあ、僕、あくまでも人専門であって悪魔殺すのって初めてなんですけど……」


「……そう」


 そんな二人の軽口にお嬢様は納得したのか顔を俯かせたまま、すでに起き上がった海に肩を貸している陸達と共に扉の方へと向かう。


「……言っとくけどアンタこそ、こんなつまらない場所で死なないでよね。アタシを巻き込んだんだから、せめて最後まで付き添いしなさいよ」


「もちろん。妹からの約束を反故にするほどお兄さんは落ちぶれていないよ」


「アタシはアンタの妹じゃないわよ」


 そう言ってお嬢様達は裏口を抜け、悪魔に襲撃されたシェルターより脱出するのだった。


◇  ◇  ◇


「さてと、悪魔とやり合うのは初めてだが、どうするかな」


 紅刃達が逃げたのを確認した後、カインは改めて目の前に立つ異形の怪物、悪魔を前に辟易する。

 見ると、悪魔の爪の先からは真っ赤な血が滴り落ちており、ここに来るまでにこのシェルターに隠れた人物を引き裂きながら追跡をしていたのが分かる。


「まあ、オレが持つ呪いが有効なら殺されることはないはずだが、あの大悪魔がそんなチートを許すわけがないだろうし。というかこの悪魔がゲームに存在するルールの一種なら、オレの不死の呪いが有効なはずはないよなぁ。一人だけ殺されないとか公平じゃないしなぁ」


 誰にともなく頭をかきながらボヤくカイン。

 そんな隙だらけの彼を悪魔が見逃すはずがない。

 常人ならまず首を落とされたことにすら気づかない速度で悪魔の右腕が走り、その爪の先がカインの首筋を捉えた――かに見えた。

 だが次の瞬間、苦痛に声を漏らしたのは攻撃を仕掛けた悪魔の方であった。


『ぐぎゃッ!?』


 ゴトリと自身の腕がなくなったのに気づく悪魔。

 見るとカインのすぐ隣、いつからそこに佇んでいたのかまるで幽幻のように佇む影――ジャックがそこに立っていた。


「どうだ、ジャック。お前のスキルは有効そうか?」


「……ええ。さすがに悪魔はゲームのルールに対し公平と言われるだけはあります。殺されないことは確かにチートかもしれませんが、しかし、『反撃』が許されないわけではない」


「はは、確かにな。というかこのゲームの最初にも言っていたもんな。悪魔を殺すことは可能。つまり、悪魔に対しての『攻撃系スキル』は有効ということか」


 カインの返答にジャックが頷き、ナイフを構える。

 たったそれだけで先程まで彼らを追い、殺戮の限りを尽くし、それを楽しんでいたはずの悪魔が、今度は逆に自分が追い詰められているかのような錯覚を感じる。


「――残り三度。それであなたは終わりです」


 否。それは錯覚などではなかった。

 さきほどまで、自分に追われながら逃げ惑っていた青年。

 時折、喚き散らし情けない声を上げていたはずの男。

 注意すべきは隣にいる白髪のアルビノ。カインという名の男。そう悪魔は思っていた。


 だが、違った。

 本当の悪魔はその隣にいたのだと。

 自らの本性を隠し、影のようにその白い男に隠れていた狂気の刃。


 かつて英国ロンドンを恐怖のドン底に陥れた歴史上最悪の殺人鬼。

 ジャック・ザ・リッパーと呼ばれた人魔を前に、悪魔は初めて恐怖を覚えた。

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