第22話 弱者の復讐②

「それでこれは一体なんの真似ですか? 紅刃さん」


「見ての通り、アンタの邪魔をしにきたんだけど?」


 そう答えるお嬢様に対し、目の前の人物――ええと、今は確か花野でしたっけ? その花野が辟易したように呟く。


「……僕の邪魔をしないで欲しいとあなたには頼んだはずですが」


「あれー? それについては保証しかねるって言わなかったかしらー」


「…………」


 確かにお嬢様は花野からの協力を断り、その後の邪魔をしないで欲しいという頼みにはハッキリと返答をしなかった。

 とはいえ、わざわざ自分からこのような厄介事に関わるとは相変わらず僕の契約者は厄介事がお好きなようで。


「そうかい。まあいいや、僕の邪魔をするなら相手が誰だろうと関係ありません。あなたにもそれ相応の報いを与えますが、それでも構いませんか?」


「別にかまわないわよ。アタシを相手にアンタがそれを出来るっていうならね」


 そう言ってお嬢様はナイフを片手に構える。

 その後ろではカイン、それからジャックも控えているが二人はお嬢様が事前に手を出すなと忠告しているため、この場では動く気配を見せない。

 それを知ってか知らずか、花野はお嬢様と対峙するや否やその姿を変化させる。

 それは先ほど、僕達の部屋に訪れた人物――金太と名乗った男の姿であった。


「へえ、驚いたわね。それがアンタのスキルってわけね。変身能力ってやつ? いいわねー、それ便利そう。アタシも普段からそういう能力持ってれば仕事も楽になるんでしょうけどー」


 そう言って目の前の金太の姿を見ながらお嬢様は呟く。

 しかし、そんなお嬢様をあざ笑うように金太の姿になった花野は笑みを浮かべる。


「一つ勘違いしているみたいだから教えてあげるよ。これはただの変身能力じゃない。存在そのものがその人物になるんだ。外見はもちろん、腕力や脚力、記憶、更には思考能力までも」


「なるほどね。まあ、確かにさっきまでのアンタってひょろい外見だったものね。そっちのほうがまだマシに戦えるってことかしら」


「分かってないなぁ、お嬢さん。言っただろう。これは存在そのものがそいつになる。つまり――今のオレには金太のスキルもあるんだよ」


「…………」


 そこまで聞いて紅刃お嬢様は始めてその顔に警戒の色を浮かべる。

 スキル。

 それはこの地獄に落ちたプレイヤーそれぞれに与えられた能力。

 カイン曰く、それらはその人物の特徴あるいは人生観など、そうした様々なものに左右されて発現する固有の能力。

 あるものは目に見えて強力な能力を有し、またあるものはそうした直接的な能力ではなく、間接的、からめ手のような能力を持つ。

 相手のスキルが判明しない内に懐に飛び込むのはいくら百戦錬磨のお嬢様とはいえ危険。

 ゲームにおいてもワイルドカードを持つ相手に、いきなり手持ちのカードを切るのは愚策。

 しかし、この場においてはそんなお嬢様の慎重さ、あるいは歴戦のゲームプレイヤーとしての警戒能力の高さが裏目に出た。


 あろうことか金太は迷うことなくお嬢様に向け駆け出し、その手を伸ばす。

 攻撃!? いや、あるいはすでにスキルを発動させたが故のこの無茶な行動か!?

 避けるか、防御か、それとも反撃による攻撃か。

 相手のとっさの行動に対し、お嬢様の判断が僅かに遅れる。

 結果、金太の伸ばした手はお嬢様の腕を掴む。だがその瞬間、お嬢様は掴んだ金太の手を切り落とすべく即座にナイフを放とうとする――が、


「……!」


 お嬢様のナイフが金太の腕を落とすより早く、金太が離れる。

 結果、金太は腕にわずかな傷を負うだけで後ろに下がり、両者の攻防はただ手を触れただけに終わった。

 が、それにしても妙だ。

 先ほど腕を掴まれてから、それに対する攻撃。

 明らかにお嬢様に迷いがあった。

 その証拠に金太の腕は切り落とされていない。

 いつものお嬢様であったら、かすり傷程度ではなく、迷いなくその腕を切り落としているはず。

 ということはお嬢様が迷った? 斬るのをためらった? あのお嬢様が?


「ふふふ……紅刃ちゃんって言ったよね。君はもうオレのスキルの対象となったよ」


「……どういう意味よ?」


「自分でも分かってるだろう? 今、君は僕を斬れたのに、それをためらった。いや、今も僕を斬ることに嫌悪感、恐ろしい恐怖を抱いている。斬れないと自覚すらしてるんじゃないのか?」


「…………」


 一体どういうことだ?

 僕だけでなく、カイン達すらも訝しむ。

 その答えは金太の口より語られた。


「これがオレの、坂上金太のスキル――『親愛』だ」


「…………」


 親愛? それは一体?

 尋ねる必要もなく金太の姿を借りた花野はまるで我が物顔のように説明しだす。


「まあ、ようは触れた相手の好感度をマックスにするってやつだよ。ああ、ゲーム的な説明でごめんね。僕、こうみえてゲームとか好きでさ。ああ、もちろん花野の方ね。金太はそういうの軽くかじってる程度で、ホントここら辺話し合わないよねー」


「……アタシもそういうゲームはしないわよ」


「そうなの? なら今度一緒にしようよ。オレが色々教えてあげるからさ」


「…………」


「まあ、とにかく今、紅刃ちゃんの中でオレはかけがえのない存在になっている。それこそ幼い頃からの親友……いや、恋人のような存在さ」


 そう言って両手を広げる金太。

 本来ならば、隙だらけのはずであり、それをお嬢様が見逃すはずがない。が、彼女は動こうとしない。つまりは、そういうことか。


「いやぁ、便利な能力だよね。これ現実にあったら一番欲しい能力じゃない? 何しろ触れただけでどんな相手も無条件でこちらへの親愛度、好感度、その他もろもろの数値がマックスになるんだぜ。当然だけど、そんな世界一大事な恋人を殺せるはずもないよねぇ、紅刃ちゃん?」


「…………」


 お嬢様は答えない。それは肯定なのか、あるいは否定なのか。

 いずれにしてもお嬢様の表情は最初と全く変わらない。だが、その胸の奥には目の前の金太に対する愛情が芽生えているのだとするのなら、正直個人的感情ではあるが不快ではある。


「さてと、君、あの時の相談で殺しの美学がどうこう言っていたよね? まあ、君が一般の人間ではないのは薄々分かってはいたけれど、そんな殺人をするような人間だろうと愛するものはあるよね。わざわざそれを自分の手で殺そうなんてことはしないだろう。だから、紅刃。もう一度どうかな? 今度こそオレと組まないかい?」


 そう言って手を伸ばす金太。

 それに対し、ただ固まるだけのお嬢様であったがやがて静かに深呼吸をすると構えていたナイフを解き、ゆっくりと金太の方へと近づく。

 それを見て、後ろに下がっていたジャックが少し慌てたように前に出る。


「! ち、ちょ! ま、待ってくださいよ! 紅刃さん」


 そのままお嬢様の肩に手を伸ばそうとするジャックであったが、その手をすぐ傍にいたカインが止める。


「ちょ、か、カイン様! い、いいのですか? こ、このままだと紅刃さんが……!」


「いいから黙って見ていろ。ジャック」


 その一言にジャックは素直に従い、元の位置へと戻る。


 一方、金太の眼前まで迫ったお嬢様は、両手を広げる金太の胸へとそのまま体を預ける。


「ふふふ、ようこそ紅刃ちゃん。さあ、それじゃあ、これからはオレと二人でこの地獄の攻略でもしよう。まずはそこに倒れている桃山を始末して、その次はあの腰巾着共を――」


 そこまで喋った瞬間であった。


 ドスッ――


 鈍い音がこの場に響く。


「…………え?」


 ついで、金太は自らの胸をゆっくりと見る。

 そこにはお嬢様が持ったナイフが深々と入り、それに一拍遅れるように金太の口から血が滴る。


「なっ……」


 まるで信じられないものを見たかのように金太はそのまま地面に倒れる。

 胸に突き刺さったままのナイフと、それを見下ろす紅刃を見ながら、金太――いや花野は必死に叫ぶ。


「な……なんでだよおおおおおお!! ふ、ふざけるなああああああ!? こんな、こんなことがあるかあああああああ!! 紅刃ちゃん! 僕は君にとっての大事な人だぞ!? 今や君がこの世で最も愛する恋人的な存在なんだぞおおおおお!! それを! なんで!? なんで!? なぜ刺せるんだあああああああああ!!!」


 訳が分からないといった感情のまま叫ぶ金太。

 そう、彼はなにも間違っていない。


 花野優作。他人の姿形、記憶やスキルまでも奪う恐ろしい能力を持った人物。

 それによって奪った金太のスキル。相手に無条件で自分に対する親愛を与える能力。

 なるほど。この地獄におけるサバイバル、デス・ゲーム、騙し合い、奪い合い、殺し合いにおいて、それは盤上を覆すほど強力なものであろう。

 仮に彼と他の誰かが生き残ったとしても、その相手に『親愛』のスキルを使えば、相手は喜んで金太の勝利のために自害を選び、またある者は自ら捨て石になるだろう。それほどまでに強力なスキルだ。


 だが、彼は理解していなかった。

 『音霧紅刃』という人間を。

 その内にある複雑怪奇な感情。彼女が持つ殺しに対するある『こだわり』――いや、信念という名の『矜持』を。


「そうね。普通の人物なら自分の愛する人を傷付けるなんて不可能でしょうね」


「だ、だったらなんで……」


「言ったでしょう。アタシの殺しは意味あるものでないといけない。皮肉にもアンタはその条件をアタシに対して満たしてしまった」


 そう言って目の前で倒れる金太――いや、花野を見るお嬢様の目はゾッとするほど優しさに満ち溢れていた。


「アタシにとっての殺しは――『大事な人だからこそ殺したい』。そういう歪んだ形での愛情表現なの」


「ひっ……!」


 自らの頬を優しく撫でる紅刃お嬢様に、花野は始めて恐怖を覚えた。

 それは彼がこれまで味わってきた陰湿なイジメや暴力などでは決して味わったことのない、生物が持つ本能的な恐怖。まさに死神からの抱擁そのものである。


「金太……ううん、花野。不思議ね。確かにアタシは今アンタを愛している。とても、心の奥底から。……ああ、これが個人を愛する感情――『愛情』なのね。知識として知ってはいたけれど、自分自身で体感すると想像以上にやばいわね……。すぐ傍にいるだけで胸がドキドキしてくる……。あまりそうは見えないかもしれないけれど、アンタと一緒にいるだけで胸が押しつぶされそうよ。思ったよりも苦しい感じね……けれど、嫌いじゃない。不思議ね。これが愛情なのね」


 そう言って、お嬢様はこれまで見せたことのないような僅かに恥じらいを秘めた微笑みを浮かべ、倒れたままの花野を膝枕し、その死にゆく顔を何度も手のひらで撫で、胸に突き刺さったナイフへと手を伸ばす。


「――けれど、だからこそ思うの。『あなたを誰にも殺させたくない』」


「……あ、ぐあぁ……!」


 そのままナイフを掴むとお嬢様は花野の心臓目掛けナイフの切っ先をさらに奥へと進める。

 自らの中でもがく花野を慈しむように、愛するように左手で頭を撫で、もう片方の手で彼の命を奪う。相反する感情、行動がそのままなされている矛盾。

 だが、その矛盾こそが彼女を、音霧紅刃を形成している。


「さようなら、花野。あなたのこと――愛していたわ」


「…………ぁ――――」


 そう言って優しい微笑みを浮かべたまま、紅刃お嬢様はそっと花野の額にくちづけをする。

 瞬間、お嬢様が握ったナイフは花野の体の奥深くまで貫通し、その先にある心臓の鼓動が途切れたのを確認すると、そっと彼から離れる。


 そうして金太――いや、花野優作はこの地獄において始めて彼を『愛してくれた』であろう人の手によって、その生涯を閉じた。

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