episode19 9mm parabellum bullet

 突きだした右腕が空間に溶け、ガラスのような分厚い壁を作る。それは通路を分断して、どういうわけか俺を殺したがっている日向さんの侵入を拒絶している。

 目には見えない、けど突進してきたときの衝撃。右腕にかかる負荷による疲弊。それらが目の前の何の変哲もない列車の空間に一対の刃物を振るう男の存在を示していた。…俺の死期も。

 アイツは言った。こんなもん相手に出来ない。

 弾は撃ち尽くした。あとはあの遺跡で拾った弾が2発。まぁ、あんなの速度だ。当たらない。

 

 不幸中の幸いか、あの時差し出した右手を真理は掴んでくれた。まだ自我と呼べるものが残っているのか、それともただ動いたものに反応しただけか。それはわからない。

(バカ野郎。ぼさっとすんな。前見ろ前)

 白い亀裂がクモの巣を張っている。

「僕らはね、挙式を挙げなきゃいけないんだよ。だから。」

 右腕の壁は割れ、元の形に戻り、弾かれ、左肩に風が流れた。

 聴覚的な情報の方が先に伝わってきた。噴水のが水を宙へあげる音。次に鋭い痛み。

 左肩から鮮やかな血が命の限り吹き出ている。

「本当はさ、薬の影響で君は明日には死ぬんだ」

 明日?なんで急に?俺は明日も明後日も生きる。生きてるし、生きていける。嫌だ。死にたくない。まだ何も出来ていやしない。彼女だって。家だって。子供だって。まだ。

 情けない。ここまで来たのに。

 今まで死んだような生活をしてきて、今さら死ぬのが怖いのか?

 右手で止血しながら、引けた腰で後退り。

「でもね、僕のなかのもう一人の僕が「だったら今殺しても一緒だろ?」って。君さ、死んだように生きてたよね?もう、終わりにしよう?」

 背後の殺気に体がまた勝手に反応する。

「へぇ、やっぱり観賞用とかではないのか」 

「俺は割りとアウトドア派でね。飾るより実用性にこだわる質だ」

 2振りの刃を長いウィンチェスターライフルが止めている。力は互角。カチカチと音を立て、均衡を保ったまま互いを睨んでいる。

「ところでお前、さっきうちの同居人を生きる屍みたいな事いってたな」

「なんだ、聞いていたのか。盗み聞きとはアウトドア派が聞いてあきれる」

「んなこたぁどうでもいい。お前、中の人格の言うがままに動いているらしいが、自己主張がない操り人形みたいでそっちこそゾンビみたいじゃねぇか。ほんとはどうしたいのか自分でもよくわかんねぇんじゃねぇのか?」

 その瞬間。均衡が崩れた。今まで押していた石のような固さが、ふいに水のような軽い感触になった。右足が日向さんを押し退ける。

「知ったような口を…。」

「図星じゃねぇか」

 深く入ったのか、辺りどころが悪かったのか。日向さんは押し黙ったまま、影を落とし、うつむいている。

 カシャッ。平行に二本の傷が走るウィンチェスターが標的を絞る。

「君、殺しはしない主義なんだろ?」

「同居人は、な」

「真理が見てるんだぞ?」

「俺には関係ないね」

 引き金の感触。後数ミリ動かせばあの弾丸が日向さんを貫く。

 締め付けられる感覚が後ろから襲った。柔らかいものが背中に当たる。

「そうか、その手があったか。」

「なんだ!?離せ」

 背後に回っていた真理が羽交い締めにしていた。

「ははは、社長のやつ社員の身を守るプログラムを仕組んどいたのか。これで計画通り。僕たちはこのまま過去へ飛び、今いる人類を滅亡させる。僕らはアダムとイヴになるんだ」

 日向さんが消えた。

 この瞬間、何故か迷いはなかった。

 真理ごと後ろを向く。

 銃口を自分に突きつける。

 あの手紙にあった一文。

「ほんとは自分の居場所も勝ち取るものだから」

 ー真理ー


 腹部を貫き、一直線に弾丸は突き抜けた。

 俺を貫き、真理も。そしてー

「ぐふっ…。」

 案の定。自分が優勢になると途端に行動に荒がでる。この人は昔からそうだ。

 床に右腕を立て、気を失った真理を背にそっと振り替える。

「…」

 日向さんは両ひざをついて動かない。 

 目標沈黙。

 あとはこの列車を止める。もうこんなタイムパラドクスを引き起こさないように粉々に破壊する。

「俺はよぅ」

 その言葉に再び背後を振り向く。

「正直こいつの計画なんてどうでもいいんだ。ただ殺しが出来れば」

 ゆっくりそれは立ち上がった。

「あん時もそうだ。こいつが邪魔しなけりゃ俺は殺れたんだ」

 あの日。

 星野真理と帰ったあの日の夕暮れ。確かに見た。この男の首もとにある傷口を。

「…お前だったのか!!」

 その場に真理を横にする。

 すっくと立ち上がり、右の拳をぎゅっと握りしめる。

「俺はな、興味がねぇんだ。でもな、飽きた。」

 また、消えた。

 本能が右手を突きだした。

 弾かれる金属音。

 日向の体制を崩し、襟を掴み、投げ飛ばす。

 追う。走る。全力で。最後尾の扉。連結扉まで。

「死ねぇ」

 渾身の右ストレートは扉に穿つを開けた。

 白い煙と一瞬の火花に頭が冷めた。


ー殺せないー


 単調なリズムで進む列車は淡い光を滲ませる空を背景に加速を進ませる。

「カイジンヤクだっけか?」

 眼下の日向がほざく。

 いや、日向さんの中の誰かが。

「お前、明日が怖くはないのか?明日死ぬんだぞ?」

「死ぬのは怖いさ。でも、一番怖いのは」

「今日を足掻かず、明日に伸ばす怠惰。それを許す己の甘さだ」

 殴りつける右手を今度は十字の刃が進行を阻んだ。

 キリキリ軋みながら、均衡を保つ。

「へぇ…。今日を足掻かず、か」

 それは器用にも、均衡を保ったまま立ち上がった。まるでこちらの様子を伺う余裕を見せたまま。

「確かに俺も昔は足掻いてたかな…。」

 ふいに脇腹に膝蹴りが入る。ちょうど浅い傷口に衝撃が走り、思わず喘ぐ。

「でもよ?」

 顔面が壁に押し付けられ、表情が歪む。

「結果がでないのにあがいてもあ仕方ないだろ?今のお前みたいにな」

 一撃、また一撃。さらに。

 気を失いそうなほどね痛みが傷口から走る。

「俺も同居人と一心同体だ。ちょうど俺もあっちで騒ぎたい気分だしな。お前はここでリタイアだ。」

 背中から猛烈な旋風が巻き起こる。


 背後には線路。朝焼けが近い。群青色の空から差し掛かる僅かな光にそれは浮き彫りなっていた。

「この手を離せ!」

 切りつける刃は着実に右腕を侵食させる。

 ガタが来ている。

 直感がそう叫んでいる。

 左腕は垂れ下がったまま、もうピクリともしない。

 ネジは千切れ、どんどん細身になっていくのが視覚的にわかる。

(もう、終わりだ)

「戦って」

 絶望に目を伏せていると真理が日向さんを羽交い締めにしていた。

「ごめんね、君があの陸くんだって気づくの遅かった見たい」

 呆気にとられる俺をよそに、列車は知らん顔で単調なビートを刻む。

 辺りはうっすら輪郭を戻し始めている。

 風は妙な暖かさをくるんだまま、冷たく頬を突きつける。

「私、嬉しかった。」

 彼女は泣いていた。

 鈍感な俺はその意味を知らない。

「こんな場所にまで私を迎に来てくれる人がいるなんて。私に帰る場所があるなんて」

「だから」

「面倒くせぇんだよ。そういうの」

 つかんでいた鉄は高速に切り刻まれ、鉄屑になって、夜空に消えた。

「戦って」


 二度、三度。鉄の轍に体を打った。めり。ぐしゃっ。

 肋を数本。痛みに視界が歪む。

(戦って)

 真理はそういった。

 何でも掴む自由の右腕。

 立つために、右腕を地面に突き立てる。

(あぁ、ダメダメ、基本はしっかりだな…)

 おっちゃんは生きるための、戦うための基礎を教えてくれた。

 何度でも立ち上がる足。

 左足に力を入れて状態を起こす。

 状態は安定した射撃姿勢をとっていた。

 視界のすみに、シルバーに光る護身用の銃。ヒメネスアームズが転がっていた。

 真理の研究所でみた。あの写真と一緒に。

 真理。

 ふと、轍に東に沈む三日月に照らされ、湿っているのに気づく。

 足元に丸い鉄板が転がっていた。

 俺は、呼吸を整え、引き金に指をかける。

 西からダイヤモンドヘッドが周囲を照らす。


「井上くん?いるんでしょ?」

 わかってる。もう少し寝かせてくれ。

 まさか入社先に真理がいるとは…。

 食器は洗った。水回りも綺麗に。真理が来るから。

 俺は真理との毎日を勝ち取るために入社した。でも、彼女の笑顔までは厳しいかな…?

「早くしないと映画始まるよ?」

 ハイハイ。

 俺はカーテンを開けて、丸もっこりのついた鍵をテーブルから拾い上げ玄関に向かう。

 やれやれ。今日もまた騒がしい一日が始まりそうだ。

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9mm parabellum bullet 明日葉叶 @o-cean

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