episode4 聖なる夜に
「さぁ、食事の時間だよ」
朝から婦人が屋敷の入り口からパンくずを放り投げている。鞭うちに飽きた婦人の新しいお遊戯だ。掘っ立て小屋から呼ばれた俺達は公園の鳩のようにパンくずを拾い集め、口に頬張る。時折土も口にするが、問題ない。
「この間の話、嘘だったのか」
炭鉱の外でアルフレッドが居眠りしている間だけ、ばれないように会話ができる。新入りはまだ戯言を言う。
「…そんなこと本気で信じてたのか?」
いい加減戯れ言は聞き飽きた。こいつはなんでそんな現実味のないことを…。ここからは逃げられやしない。俺達はもう、ここで最期を迎える。その延命に今はこの粉塵と薬物汚染にまみれた炭鉱を掘る。
「じゃあ、お前はこんな薄暗くて汚いとこで一生を終わらせる気か?」新入りは道具を投げ捨て詰め寄ってきた。
「しっ。声がデカイ。アイツがきちまう。」原住民のジェロが間に入って新入りをなだめる。ジェロは俺より前に囚われていて内部事情に大分詳しい。俺が今まで心を壊しながらも命を繋いでこれたのはこいつのお陰だ。
「じゃあ、お前らどうする?こんなとこでアイツに死ぬまで使われる気か?」新入りが炭鉱で魂の抜かれた傀儡のように働く全員に問いかける。
操り人形に意思はない。誰一人答えを出せないまま、目を虚ろにひたすら金を掘る。
「なんだ騒がしい」寝癖を着けたアルフレッドがのそのそ歩いて入り口まで来ていた。
「もう、俺は限界だ。」新入りが足枷を引きずりアルフレッドに掴みかかった。
「あんた達は嘘しかつかない。いつになったらこんな仕事から解放される?」
「勘違いするな。お前らに労働の喜びを与えてやってるんだ。労働に終わりはない。それに金はちゃんと取れたのか?」
「そりゃちゃんと…。」
「じゃあ、証拠は?」
「それは…。」
息巻いていた新入りが急に勢いをなくし、固まる。
「…仕方ない。そんなに逃げたきゃ…。ほら」アルフレッドは軽蔑したような軽いため息をつくと持っていた鍵で新入りの足枷を外し新入りの背中を突き飛ばした。
「気が変わらないうちに行きな」
この予想外の出来事は辺りの空気を冷たくした。
状況の理解に2、3秒遅れた新入りは、躓きながら後ずさりして炭鉱を走り去った。
ガコン。満月の月明かりが木製の格子から泥と誇りが蔓延する掘っ立て小屋から、外で何かが外れる音がした。
空腹と喉の渇きに目を覚ました俺は格子から様子を伺った。
「そろそろ新しい見せしめも作らんとな」
「ね、名案でしょ?」
今夜は外がやけに明るく二人の影がくっきりと地面に映っている。どうやら犬小屋の柵を外したらしい。5匹の犬がけたたましく吠えている。
「いいか?この匂いのするやつを捕まえてくるんだ。」
「よしよし、捕まえたあかつきにはいつもよりいい肉を食わしてやるからな」
主人が新入りが着ていた布切れを犬に嗅がせ、アルフレッドが頭をわしわし撫でまわすと犬達は一斉に炭鉱目掛けて夜道を走った。
「その目付き!反省してるの!」
餌撒きにも飽きた婦人がジェロを呼び出し鞭うちをしている。しかし、鞭うちも飽きないもんだ。
ジェロが掘っ立て小屋に戻ってきたのは空腹のあまり小屋の地べたで横になり、小さな蟻の行軍を見ていたときだ。よろよろとした足取りで入り口付近で倒れるように膝をつく。傀儡にはその光景すら情はない。
焼き付ける日差しの中、足枷を着けた死の行軍は炭鉱へ向かう。ここ数日の間でもう8人脱落した。俺はもう、なにも感じない。
揺れるハンモックの中アルフレッドは昼寝をしている。
「…俺達に…自由は…ないのか?」先頭を歩く俺にジェロからそんな言葉が発せられた。
「…お前まで何を」
「アイツ。新入りを自由にさせる来なんてさらさらなかったんだ。聞いたんだよ」
「…どういう事だ?」
「犬をけしかけたんだ。昨日の夜。だから、俺、アイツらを睨み付けて」
その瞬間、俺は何かに躓いた。転んだ体を起こす力もなく、引きずった足枷の鉄球を振り替えると思わずソレに息を飲んだ。
行軍にざわめきが始まると白い布を掛けたハンモックからアルフレッドが顔をだし、嬉々と瞳を輝かせた。
「おい、見ろ。」ハンモックから降りて、腸を引きずり出され天を仰ぐ変わり果てた新入りを足で小突く。
「お前らに自由などない。労働を放棄したやつはこうだ。」
照りつける日差しと木葉の作る陰影の下、乾ききった無表情の顔に蝿が数匹たかっていた。
「なぁ、やっぱり」
三日月がぼんやり格子から影を作り、横になって話かけてくるジェロの顔が影でよく見えない。
「また、その話か。お前も見たろ?犬に食われておしまいだ」
「どのみち死ぬさ。井上、お前も。だったら一緒だろ?」
「とにかく…俺はもう…」
格子突然小石が投げ込まれ、起き上がると白いローブに身を包んだ老人がこちらを覗き込んでいた。
「…誰?」
「しっ。明日の晩脱出の手助けをしてやる」
「何のために?」
「お前だって本当は自由を手にしたいんだろ?明日の晩だ。いいな?」
それだけ言うと老人は足早に何処かへ行ってしまった。
金が見つからなくなってきた。見つからないだけでも、疑いをかけられて手首をなくしたやつもいる。どうにか誤魔化さないと。
「ねぇ」
またジェロが声を潜めて話しかけてきた。
「あの話ほんとかな?あの話がほんとなら…」
「うるさい。働け。むち打ちに合いたいのか?」
そんな、話をしつつ。俺もここで、死ぬくらいならと淡い期待に心をたぎらせていた。
今日は金がとれないと早々に切り上げた。また屋敷に戻り誰かを拷問することで収穫のストレスを減らすんだろう。
足枷の鉄球を引きずる感情のない死体達は西日の微睡みを全身に感じ、ハンモックを投げ捨てることなく屋敷に向かっている。
「これはこれは牧師さん」
ゲリラのように鬱蒼と生い茂る草むらから現れた昨日の宣教師に珍しく起きていたアルフレッドが眠そうにハンモックから顔を出し話している。
「あなたの奴隷達にいい値が着いたんですよ。ぜひ今晩お話を…。」笑みを張り付けて抑揚を付けて話す仕草はまるで午後にワイドショーの合間の通販のテレビだ。
「…うまい酒用意しとくよ」
「では、今宵」
話がすむと宣教師は満面の笑みでそそくさと坂道を下っていった。
「俺の強さを証明してやったろ?」
酔いが回ったアルフレッドと主人は誰が何人の腕を切り落としたかをまるで数々の修羅場を潜り抜けた戦士が武勇伝を語るように、鼻を膨らませて話している。
「まだまだ行けるようですな。ささ、どうぞ」空いたグラスに並々赤ワインを宣教師が注ぐ。
具体的に誰にいくらの値がついたのか知りたいと、全員屋敷の食堂に来ていた。
俺達には決して振る舞われることはない現代的な、人間的な食事がそこにはあった。これが(人間)と(人間じゃないもの)の差。俺は久しぶりにもうとっくに虐殺しつくした俺の中の俺をなぶり殺しにする。
がしゃん。その音で一気に現実に連れ戻され、食器に顔を突っ伏し、だらしなく手をテーブルか下げている主人とアルフレッドに少し驚く。
「今じゃ」
張り付けた笑みを投げ捨てた宣教師はアルフレッドから鍵を拝借した。
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