高校ノットデビュー

心はいつでも小学生

プロローグ 正しさの行方

『人と言うのは常に二つの種類に分断される。

 一つは"勝ち組"。そしてもう一つは"負け組"。 

 これは人間だからと言うよりも、動物故に仕方がないことなのかもしれない』


「――よいしょっと。ふぅ。我ながらに頑張ったな」


 気だるそうに紙一杯の段ボール箱を職員机に置く男子生徒。

 好きな言葉は「転んだらそのまま」。嫌いな言葉は「七転び八起き」。

 『七度転んで八度起き上がる』様を良いように言っているが――――そもそも七回転ぶと言うこと自体がカッコ悪いだろ。

 そう常に心に抱く残念な高校1年生。

 とりわけ特徴もない"佐々木"という苗字に、これまたユニークの欠片もない"西都"という名前を合わせた佐々木西都さいととはこの人の事である。


「――――もーう! 頑張ったじゃありませんよ! "プリント係り"の仕事なんですからあたりまえですぅ!」


 声の方向を振り返ってみると、そこには低身長の女の子が体いっぱいに動いて怒りを表していた。

 その女の子は見た目がとても幼かった。黒髪を両サイドにまとめ上げ、幼稚園児で卒業したいようなお団子を作っている髪型。

 この人は何を隠そう佐々木西都、ひいてはこの修臣しゅうしん学園の列記とした数学教師――鈴本みはるである。


「頑張ったじゃないですか。だって――ほら、俺、『箸より重たい物持ったことない』ですし」

「なんです、その『お嬢様発言』! ふざけてるんですか!?」

「いや~、先生の反応が可愛くて。つい、ってやつですよ――――というか、あれって不思議な話ですよね。『箸より重たい物を持ったことない』って」

「もー! 先生の話聞いてますぅ?」

「まあまあ、聞いてくださいよ」

「き、聞きませんよ! 佐々木君のお話を聞いてると、いっつも話をはぐらかされちゃうんですもっ!」

「まあまあ、そう熱くならず。ちょっと考えてみて下さい」


 西都とみはる先生が悶着をつけていると、職員室に一人の女子生徒が入ってきた。

 その子の髪の毛は蜜のように輝く黒色。肩甲骨当たりまで伸びる長髪。

 それを、頭の中央辺りで黄色の髪ゴムでまとめたハーフアップが魅力的に映える。

 そんな女子生徒は威嚇をするようにして西都を睨み付け、2人の横を通り過ぎていった。

 西都が後ろを見てみると、その女子生徒は知らない教師に対して「回収してきました」と、西都と同様に段ボールを机の上に置く。

 ――せっかくみはる先生と楽しく話してたのに……

 水を差されたことに西都は苛立ちの籠ったため息を吐いた。


「はぁ…………」

「ど、どうしたのですか?」

「いや何でもないです――そんなことより、話を戻しましょう――お箸を使うという事は、その人は毎日"何か"をしています。その人は日常的に"何を"すると思いますか?」

「うぅ、またそうやって話を勝手に進めて……そ、そうですね。普通に考えたらご飯を食べると思いますぅ。箸は食事で使うものですから」

「ですよね。仮に箸で茶碗を叩いて『ドラムぅ』なんて言ったら罰当たりですし、家庭が家庭ならちゃぶ台ひっくり返ります――――ってことは、つまりその人は毎日食事をする。言い換えれば"飲食"をしていると言っても差し支えがありませんよね」


 みはる先生は頬を膨らませて右足で地団駄を踏んだ。


「もー、それが何なんですかぁ! その人が何を食べようがいいじゃないですかぁ」

「さらに深く掘り下げてみましょうよ――飲食をするということは何をすると思います?」

「だから"食べる"んですぅ!」

「食べる以外に行うことは?」

「た、食べる以外は? そうですね――何か飲むと思いますぅ!」

「その通り。飲食、読んで字のごとく『飲んで食べる』。その人は食事のお供に必ず何かを飲むはずです――――先生は飲み物は何が好きです?」


 西都は間髪入れずにみはる先生に質問を投げかける。

 みはる先生は何か言いたそうだったが、その言葉を止めて答えた。


「――好きな飲み物ですか。う、うーん、強いて言うならイチゴミルクですかね」

「この歳でイチゴミルクって……」

「何か言いましたか?」

「いや、なんでもないですよ――――じゃあそれをいつものように自分の家にあるコップに注ぎこんでみて下さい」


 西都は空中で注ぎ込むジェスチャーをした。

 みはる先生もそれに釣られて真似をするようにポーズをする。


「こ、こうですか?」

「そうですそうです――では、ここで問題。このコップに注がれた体積はいくつでしょうか? 数学の先生ならある程度予測できますよね」

「もー、馬鹿にしないでください! 日ごろ飲んでるペットボトルからして120mlぐらいじゃないんでしょうか! だいたいこれ数学の分野じゃないですよ!」


 西都は乾いた表情のまま拍手をする。


「正解です――まあ身近な物から『比を取る』、って点では立派な数学だと思いますよ」

「西都君はああ言えばこう言いますよね!」

「まあまあ――それで、水は1mlはだいたい1g。それを考慮するとコップ一杯に注がれた重さは120gということになります」

「また先生を馬鹿にしてっ! 120gって……え、120gもあるのですか!?」

「そうです。ステンレス製のスプーンは平均して40gでしょうか――それをかんがみると……」

「ほ、ほんとです……西都君が言ってたように、この言葉、間違ってます! インチキですぅ!」


 みはる先生は驚いた表情で西都を見上げた。


「そう。例え再軽量化されたコップに注いだとしても、箸より軽くなることは絶対にありえない」

「な、なるほど。この感動を他者と共有したいです――ま、前田先生ぇ~、っていないのですか? これは後で現代文の前田先生に詰問する必要がありそうですぅ」


 職員室内を見渡すと全員で4人。

 その前田先生という人物は見当たらなかった。


「まあ待って下さい。これで終わったらただの言いがかりになります――この言葉が何を言いたいのかを考えてようやく、この言葉の"嘘くささ"を証明することができるんです」

「ほへ?」


 西都は口の端を吊り上げて覇気のない言葉を続けた。

 みはる先生は首を傾げ、疑問の表情を浮かべる。


「『箸よりも重いものを持ったことが無い』というのは、あたかも自分の"華奢さ"を表すように使われています」

「そうじゃないのですか? 箸を持たないぐらい"非力"って意味で使ってますよ?」

「全然違います。この言葉というのは今までの論議から察するに、己の"虚言癖"を晒してるという意味合いを持つはずなんです」

「虚言癖、ですか?」

「そうです。だって『箸を持ったことが無い』なんて、現実ではあり得ないことを平然と言うんですよ? そりゃ『虚言癖があります』と公言しているようなものじゃないですか」

「言われてみれば……確かにそうかもしれません……」

「だからこの言葉はその人の"嘘つき度合い"を示すもの。故にこの言葉を発したからといって、その人に対して『お嬢様みたい』と、"非力さ"を指摘するのは間違いなんです」

「じゃあ先生が佐々木君に対して行ったツッコミも間違いということになるんです?」

「そうです。あそこで突っ込むべきは『お前は嘘つきかっ』が正しいんです」

「うぅ、そうだったのですか……まさか間違った言葉遣いをしていただなんて……先生として不覚ですぅ」

「まあまあ。次から間違えなければいい話ですよ」

「……悔しいですけど為になりますぅ……」


 何の疑いもなく、みはる先生はひたすらに頷く。そして感謝の意を表したのかぺこりをお辞儀をした。

 それと同時に後ろの会話も終わったのか、女子生徒は扉の方に向かっていた。

 西都はその女子生徒の"後ろ姿"を蛇のように睨み付ける。

 女子生徒は一度立ち止まり、大きく体を揺らして、左右を確認する。

 何もないことを確認してから、再び扉の方に向かい、退出していった。


「それじゃあ先生の誤解も解けたことですし、俺は帰ります」

「あ、そうですね。今回も為になる話ありがとうございました!」


 西都が軽く礼をすると、みはる先生は小さな手の平でバイバイとサインを送った。

 それを見てから、急ぐようにして職員室を退室する。

 ――ちょっとやりすぎたかな。


 職員室を出ると窓ガラスから見える夕焼けが西都の邪悪な心を照り付けた。


「――――あら、もうお話はオシマイ?」

「……なんだ、お前か」

「お前とは失礼な。あなた義務教育を受けたことがあるのかしら」


 先ほどまで西都の後ろにいた女子生徒、金川沙織が腕を組んで壁に寄りかかっていた。



 ――受けなきゃ高校に入れんだろ。

 と、西都は心の中で不満を漏らす。


「あんなことをして満足なの」

「何だよ。俺が何をしようが勝手だろ」

「ええ、そうね。あなたの勝手よ。でもあなたみたいな誰のためにもならない"嘘"をつく人は、私、個人的に嫌いなのよ」

「……知ってる。俺もお前が嫌いだ」


 西都は金川に暴言を吐いては下駄箱の方に向かった。

 その後ろを追いかける金川。


「あの会話、本当に酷かったわね。特に"弱い"相手に対して、考えさせる隙を与えない話し方。本当に鼻につく」

「どんな話し方だって勝手だろ。てかみはる先生を"弱い者"扱いするなよ。一応先生なんだし」

「なんだったかしら。『食事をする人は飲み物を飲む?』だったかしら」

「人の話聞いてんのか……」

「あなたの事を人だと思ってないわ」


 金川は冷たい声色で辛らつな言葉を西都に投げつけた。


「で、『食事をする人』がなんだって?」

「ハッキリと言わせてもらうけど、食事中飲まない人だっていると思うの。恐らくあの先生もそれについて触れたかった。だけどあなたは相手に反論する隙を与えず、すぐに質問をした」

「…………別に食事中飲まなくても、人間は水分が必要だ。だったらいつか飲むだろ。そう反論されたそういった話をするつもりだった……そもそも、あんな会話のやり方で反論しないってことは、所詮はその程度の事、ってことだろ」


 金川は呆れたような声で続けた。


「だったら《ウォータークーラー》の存在を見逃すのは頂けないわね」

「はあ?」

「あなたのその《飛躍した理論》が正しいと言うのなら、ずっとウォータークーラーで水を飲み続ける"例外中"の"例外"だって考慮する必要があると思うの。どうかしら?」

「いや、そんな人いる訳ないだろ……だいたいこの言葉が出来た時代、そんなハイテク機器があったかも分からねーだろ」

「代用されるものがあったとは考えないの? それにたとえ無いとしても、昔は上下関係がはっきりしている。従者や侍従なりの人間が、その主人に対して飲み物を飲ませた、という仮説だって立つわ。その可能性を一ミリも考慮しなかったのかしら」

「そんな稀な例を取り上げてたらキリがないだろ」

「だったら『「箸より重い物を持たない」が嘘である』という説が正しいとは言えない。だって少なからず『箸より重い物を持たない人』がいるのだもの」

「……俺の説より飛躍してるぞ、それは」

「どうかしら。三者からみたらどっこいどっこいじゃない」


 西都は「また始まった」と、うんざりした態度をとる。

 それを気にもせず、金川は言葉を続けた。


「――――しかもあなたってズルいわ。この論議自体が"インチキ"だもの」


 その言葉に、西都は地面に貼り付けにされた様にその場で立ち止まった。


「あなたアリストテレスってご存知かしら?」

「まあ倫理の授業で習った程度には」

「かのアリストテレスはこんな事を言ってるの。『あらゆる論理的誤謬ごびゅうは、《論点のすり替え》によるものだ』と――気づいてると思うけど、この会話はそもそも論点がおかしいのよ」

「…………」

「最初はこの『言葉が正しくない』という"不合理"さについて話していたのに、急にあなたは『この言葉は"虚言癖"を表す』なんて別の角度から論議を始めるのだもの。おかしすぎてお腹が破裂してしまいそうだったわ。体操で言う着地を観客席で行うようなものよ、これ」

「…………」


 西都はただ黙って金川の顔を見た。

 金川はクスリと微笑む。


「アリストテレスは加えてこうも言ってる。『論点のすり替えを行ってしまう人は、《論理》を理解していない』とね。あなたは論理的に語ったつもりかもしれないけど、何もかも非論理的なのよ」

「…………」


 西都は無言のまま、歩みを再開する。

 それにつられて金川も横について歩き始めた。


「まあ私も全てを理解してるつもりじゃないから言えた義理じゃないけど――――それを抜きにして追い打ちをかけてもいいかしら?」


 金川はあごに手をあて、嬉しそうな表情を浮かべた。

 対照的に西都はつまらなそうな顔をする。


「あなた誤用を良いように使ったわね。『箸よりも重いものを持ったことがない』を、さも"華奢さ"を表す意味で使っていたけど、これって一種の誤用よね」

「……いや……まあ……」

「『箸よりも重いものを持ったことがない』っていのうは、『大切に育てられた』例えとして使われる慣用句。間違ってもお嬢様がどうとかじゃないわ」

「お嬢様だって大切に扱われてるだろ――――いや、そんなことないのか」

「そうよ。お嬢様だからと言って大切に扱われてるということはない。中にはぞんざいに扱われるお嬢様だっているわ。だからあなたの使い方は間違っている。この言葉と言うのは、本来『箱入り娘』的な意味をを表しているのよ――――あなたはそれをある程度理解していた。なのに議論を押し進めた」


 西都は眉を数回動かす。

 ――ああ、面倒くせぇ。


「つまり、あなたは自覚があってなお、詐欺まがいの行いをしたという事よ――――ねえ、詐欺師さん?」

「ああ、さっきから黙って聞いてればああだこうだ言いやがって……………………だったら言わせてもらうがな」


 そう言うと西都は金川の方を見て、


「俺が詐欺師だったら、この言葉が『虚言癖』を表しているというのもあながち間違いじゃない。つまり少なからず"虚言癖"を表す例外だってあるってことだ。お前のが言うところの『例外中の例外を考慮する』必要性から考えて、この議題は"真"だろ」

「何それ、ば、ばかじゃ、ない……………………っぷ」


 西都は淡々と言葉を放ち、嘘を撒き散らした。

 それに堪えられなかったのか、少し顔を赤らめて金川は笑った。


「――ふふ。また論点のすり替えじゃない。それに例外を考慮していいのは否定をする時だけよ」

「なら『「虚言性を表すのは」偽である』という事に対して否定したから、正論だろ」

「全然正しくは無いけど――まあいいんじゃない。面白かったし。特に私の言葉を使って行うなんて。まるで『そっくりそのままお返ししてやる』と言われているみたいでとても清々しい気持ちになったわ」

「正しく無くてもこれでいいんだよ、これで。俺が正しければいくらだって論点なんかすり替える。それが合っていようが、間違っていようが、な」

「まあ、それがあなたらしいと言えばあなたらしいのかしらね――でも今回もあなたの負けね」

「ふん……勝手に言ってろ」



『人と言うのは常に二つの種類に分断される。

 一つは"勝ち組"。そしてもう一つは"負け組"。 

 これは人間だからと言うよりも、動物故に仕方がないことなのかもしれない』


 ――だからと言って勝ち組が正しい訳じゃない。

 いつだって、正しいのは



 ――俺、なのだ。

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