第8話 ・・・おや!?スミのようすが・・・!

バックミラーからスミさんの影が消えてほっと息をつく。


スミさんの様子は今朝からやはりおかしかった。


完全にアッパー系のパーマおばさんは消えて失せて、櫛の入れ方を変えたのかなんなのか知らないが、軽いウェーブの掛かった髪が顔の3分の2を隠してほとんど口元しか見えず、過剰なほど猫背に肩を強張らせて、ひたすたに挙動不審であった。


自分の身体の幅が認識できないのか、廊下や部屋角を曲がり切れずにぶつかったり、テーブルなどにぶつかり色々なものを落としたり、タンスの角に小指をぶつけてしめやかに泣き始めたりしていて、正直、怖かった。


今もダイニングキッチンの家族三人が腰かけている周りをゆっくり周りながら時折座り込んでぶつぶつと何か呟いている。


おてつけさんは昨晩のことが何もなかったかのように同じ着物を着て同じ食卓の椅子に腰掛け、特に物をいうわけでもなく食事もとらずに居合わせているといった具合だ。


最高に居心地が悪い。


ただスミさんの髪のキューティクルの具合はおばさんのそれではなかったし、唇を見ればぶるぶるとしたピンク色であった。


それにおっぱいがでかい。


あんなにくびれていただろうか。


意識し始めるとおっぱいにしか目がいかなくなってしまい、おっぱいだけを見ていた。


だらしなくでかいので、心の壁を乗り越えて躊躇をなくさせるおっぱいであった。


朝餉を両親と囲みながら40過ぎ(俺には20代に見える)のおっぱいを気にしている三十路手前の男。


(最低だ最低だ最低だ最低だ)


おっぱい。


嫌すぎる、もうおっぱいを見るのをやめよう。


眼球の筋肉を眼前の白飯に固定を試みるが、どうしても不意に目がいくのに抗えず、性を呪った。


気取られたら正直死にたいくらいだ。


昨晩のこともあってか両親も忙しく朝飯をかき込んでいる。


スミさんの変化も気には留めているようだが、早くここを去りたいという意思がありありと見て取れた。


俺の挙動不審もそれでカモフラージュ出来ていると信じたい。


おっぱいを見ているわけではないのだと声を大にして言いたい。


口の端に米粒をつけた親父が「うーんごちそうさま、さてそろそろ……」と流れるように切り出すとスミさんがびくりと肩を震わせて「……オカエリデスカ」と録音テープのような声で言った。


髪の毛で顔はほとんど覆い隠されているが、眼球はこちらを向いているのだろうか。


(こわいこわいこわいこわいあああおっぱいでかいでかいでかいでかいあああああ)


「ん……またきなせ、楽しかったすけ、またきなせ」


おてつけさんは寝惚けたような声でそういって動かなくなった。


やはり夜の世界の生き物なのだろうか。


「じ、じゃあ、これにて失礼いたします」


「大変、お世話になりましたー、ごはん美味しかったですー」


お袋も若干早口になっている、よほどここに居たくないのだろう。


「どうもお世話様でした」


特に返答もありそうもなく、にじり下がりながら礼を述べて、振り向ける退避圏内に到達した瞬間、まさに背を向けた瞬間である。


「……オオクリシマス」


絶叫しそうになった。


スミさんが俺の袖を掴んでいる。


髪の隙間から目がチラリとして、視線は俺に注がれていた。


(こわいこわいこわいこわいあああおっぱいでかいでかいでかいでかいあああああ)


恐怖を紛らわすように俺はぱっつんぱっつんに張った薄いニット地のおっぱいを見て、何も考えられなくなった。数秒は静止していたのだと思う。


「祐志郎!」


父親に声を掛けられた瞬間、はっと我に返り、おっぱいを見ていたのを誤魔化す意識が急発進してしまったため、思いっきり白目を剥いた。


「ああ、うん、いくいく」


白目で言っていた。


俺はこんなにコミュ障だったのか。


俺はこんなにコミュ障だったのか。


(違う、これはスミとかいう女の電波ぶりが規格外過ぎたんだ、そもそも昨日から、というかこのところずっと訳の分からないこと続きでストレスが溜まっていて、普通に考えておかしくなっても仕方がない状態であったところに、こんな連中が現れて、正直誰が考えたっておかしいし、俺じゃなくたって多分普通に考えて、別にこの女についてなくたって、で、でかいおっぱいあったら誰でも見るだろうし……)


完全にコミュ障であった。


別れと謝辞を織り交ぜた言葉を返信機能を失ったスミさんにめちゃぶつけしながら、そそくさと車に乗り込む。


「じゃ、どうもー、またー!」


ドアガラスからお袋と親父が口々に言っている間、スミさんは45度ほどそっぽを向いて沈黙していた。


それでも眼球はこっち向いているのだろうか。


車切り返している間、皆、一度視線を外した。


丁度スミさんが車の後部、真後ろに来る位置に立っている。


彼女はこちら向き直って、ゆっくりと片手を挙げた。


顔の横ほどに開き切っていない手の平が、ギチギチと音を立てそうな不可思議な動きで左右に振れている。


恐らくバイバイであろう。


父親の息を飲む音が聞こえると、アクセルが踏まれて車が動き出した。


スミさんの姿が遠ざかる、目が離せない、追いかけてくる素振りを見せたら、親父もきっとアクセルを踏み倒すだろう。


どうかそうして欲しい、どうかどうか、追いかけて来ませんように。

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