第3話 ドレミファソラシドの賛歌

俺は飛べるようになってちょっと嬉しかった。


飼い犬であるコロの頭を撫でながら感慨深く思う。


嬉しい。微動だにしないコロの頭を撫で回す。


嬉しい。1人でダヴィンチ超えちゃってる。如何にかっこ悪かろうと飛べるというのは凄い特技ではなかろうか。



面接官「君、何か特技は?」


俺「飛べます」


(カチャカチャ、ずぼっ)


面接官「おい、君、ズボンなんか脱いで何を……」


ふわふわふわふわ


面接官「あー、なるほどねー」



いや、パンツ脱いでる時点でアウトか。


全部は脱がないんだけど、半分だけ。半分だけ採用お願いできませんかね。


大き目の猫くらいの体躯のコロはこっちを向いているがロンパってしまって焦点は定かではない。


「おーコローお前は何のために生きてるんだー」


「わへわへわへわへ」


「おーそうかー将来はお医者さんになりたいのかー」


「わへわへわへわへ」


「はい、おやすみ」


「わへわへわへわへ」


四つ足で不動を崩さないコロを残して俺は家に入った。


手を嗅ぐとコロ臭いので洗面所でよく手を洗う。


手を拭いてまた手を嗅ぐ。95%のミューズの香りに5%のコロがいた。


なんだか竜であること受け入れられるようになっていた。


人間は環境適応動物だからそういうものとされれば慣れてしまうものなのだ。人間じゃないのだけれど。


そしてあのカミングアウトから少しだけ食卓の風景も変わった。



「ゆーちゃんもっとたくさん食べればお父さんよりおっきく変身できるようにわよー」


「ゆーちゃん何の竜になるのかなー、あんま恐いのだとお母さんやだなー」


「今度お母さん乗せて飛んで欲しいなー」


(逆にあんたはあんなのに乗りたいのか)



とお袋は上機嫌そのままに会話に竜のエッセンスが加わるようになり、親父の方は晩酌のビールが1本減り、何か色々考え込んでいる様子だ。


当然のことだが、竜族であることの口外や外を飛び回ることは禁止されていた。


言い触らせるほど友人もいないし、ケツ丸出しで外なんか飛び回りたくもない。


部屋で浮いてみるくらいだ。これは意外と楽しい。


ちなみにあれからケツだけ変身しても激痛や衝撃が到来することはなく、ニュッって感じで生えてくるようになった。


ちょっとだけ出したり、あれ以上の大きさに出来る訳でもなく、シャチのヒレに似たものが手の平一杯くらいの大きさで生える。


そういった尻の話は親父に細かく伝えることだけは義務付けられた。


次のようなことが分かっている。



・副翼は羽ばたいて飛ぶのではなく、微細な振動によって浮かび上がったり移動したりする


・ヘリコプターのような垂直離着陸・空中静止が可能、更には背面飛行も可能でかなり複雑な航行も出来るものと思われる


・着衣のままだと制御不能、空気に触れさせないと意志通りに動かせない


・水中でも使える?(お風呂場で検証中)


・触っていると何だか変な気持ちになる(未通達事項)



そんな感じで今までもそうだったが職安に行けとかという話もなく少しの日々が過ぎた。


そんなある日、


「祐志郎、ちょっとお父さんとお母さんについて来なさい」


と言われ、ワゴン車に乗せられた。


近いうちに似たような経験があったが、今回はまず俺の尻のことなのだろうなと見当がつく。


「親父、これ何しにいくの?」


「お手付さんのところに行く」


(おてつけさん?)


聞いても分からないような気がしていたが、やはり知らない単語が出てきた。


それにこっくりさんとかイマキヨさんとか「さん」が付いていると、少し恐怖を覚える。


「俺、何されるの?」


「いや、考えてみてもあんな中途半端な竜化の原因が分からなくてな、聞いたこともないし、あの時お前の耳元で言った唱え言葉あるだろ?あれを教わった人のところにいく」


「……ああ」


あれは軽いトラウマだ。


あれから電子レンジを使うたびにエビフライとか肉まんが悲鳴を上げている風に見えるようになった。


「それにお前あれだろ、今のままじゃ戦えないだろ?」


(ん?)


「……まー、そりゃ飛ぶだけじゃねぇ、蠅みたいなもんだし」


「父さんは母さん守らないといけないし、祐志郎も自分の身くらい守れないとな」


「どゆこと?」


「多分これから戦いになるだろし」


「戦いってどゆこと?」


「この間も言ったと思うんだが……」


「どゆこと?」


「いやだから……」


「俺もう知らないから」


「まあ聞け祐志郎……」


「ドーはドーナッツのドー レーはレモンのレー ミーはみーんなのミー ファーは……」


こどもの歌で防壁を築くと俺は言葉を巡らせる。戦いになる? 誰と? どこで?


「誰と? 誰と戦うの?」


「…おそらくは他種族とだ」


「ソーはドレミファソラシドのソー ラーはラッパの……」


はいー? 他種族? たしゅぞく? 何なの、どゆこと? 物理で? たしゅぞくと俺が戦うの? お尻で? 俺がお尻出して他種族と戦うの?


(お尻パンチ?)


はい、これは無理、完全に無理、完全にキャパ超えてる。


俺はもう頑張った、あんな親父が竜だとか尻から訳の分からないものが生えてきても俺は頑張ってた。


十分やった。平穏を維持するために俺は最大限に努力していた。


ここで他種族はない。意味分かんない。戦いとかもない。お疲れお疲れ、俺は思考放棄するから。あと脳みそ君よろしくな。


「ねーおとーさーん! おとーさーん!」


「……なんだ」


「山ッ」


腕を使って上体を山に見立てて見せる。


「……」


「おかーさーん! おかーさーん! しりとりしよーしりとり!」


「はいはいいいわよー」


「じゃあねじゃあね、山からはじまる新幹線だよー」


「どこから始まるのかしら」


「ラーメン屋さん! 俺ラーメン屋さんになりたい!」


「んー、そなのー」


「それでねそれでねラーメン屋さんになったらねー、でも実はポケモン屋さんでねー」


「ふーん」


「でねー、ぴょんッ、おかーさーん! おかーさん! ら、だよー、おかーさん、ら、だよー」



こうして疲れ果てて眠るまで俺は幼児退行し続けた。


28歳がなんだ、大人がどうした、あそこで取り合ってったら俺は間違いなく頭がおかしくなっていた。


緊急避難、これは緊急避難一択、これで合ってる。これでいいの!


インターチェンジでソフトクリームをせがんで買ってもらい落して泣いたり、駐車場で白いところを歩いて車に轢かれそうになった俺を、母親は呆れながらも面倒を見てくれたが、親父は他人のように離れて行動をした。


周りも可哀そうな人を見る目で俺を見ていたのを、俺は気付いている。


人間そんな時もあるんだよ。


人間じゃないのだけれど。

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