第拾三話
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その晩。
朧月が美しく、春霞漂う妖しげな夜。
大池の周辺は、昼間の喧噪からは想像もできないほど静まりかえり通りには人の影などひとつもない。ごくたまに横切る猫の影も、どこか大きく見える。
不意に、その道に大きな影がさした。夜道だというのに提灯すら持たずに現れたその人影は、人気のない通りを小走りに横切り堤の下までやってくる。軽い足音だった。
「……はぁっ……はぁっ……」
長い距離を走ってきたのだろうか。肩で息をする音さえもひどく響いて聞こえる。闇夜に桜を見上げるその影は小さく、子供であることが推測できた。
「…………」
影は何かを躊躇うように、わずかの間空を仰いでいた。それから、両手を胸にかき抱くように握りしめ、強く首を横に振る。そして、木をよじ登りはじめた。木登りが上手くないのか、何度か木の凹凸を掴むのに失敗してずり落ちそうになる。危なっかしくもようやく木の股まで上ってくると、その影は煙るように美しい満開の桜がついた枝に手を伸ばした。
「……ごめんなさい……っ!」
それは、誰に向かっての懺悔なのか。上がった声は、やはり幼い子供のものだった。
パキリ、パキリ……
子供は手に届く範囲の枝を折っていく。やがて両腕に抱えるくらいになったそれを一度地面に落とすと、登ったのと同じ要領で降りてくる。
そして、再び枝を抱えると、また何処かに走り去っていった。……その拍子に、懐から何かが転げ落ちていったが、それには気づかないまま。
後には、手折られた枝についていたのであろう花の残骸が無惨に残されるばかりだった。
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