第拾一話

〈六角座〉に戻ってくると、ちょうど店のほうに志木と相楽が顔を揃えていた。

「あぁ、おかえりなさい」

 初めに気づいたのは、身体をこちらに向けていた相楽だった。次いで志木がこちらを振り向く。春臣と秋彦はそれぞれ帰着の挨拶を交わした。年長の二人はそれに頷き、そして秋彦と照鏡姫の顔を見て、察したような表情を浮かべた。

「……その顔だと、あまねさんに会った?」

 秋彦はため息交じりで首を横に振った。それから、眼鏡を押し上げて目を細める。

「いえ……馬車だけは見ましたが。やはり、ここに来たんですね」

 春臣は、秋彦の少し後ろに控える照鏡姫にそっと耳打ちする。

「……周さんって?」

「……秋彦の父じゃ。篠宮蒼穹しのみやそうきゅうと呼んだほうが通りが良いやもしれんの。」

 その名に、春臣はびっくりして思わず照鏡姫の顔を凝視してしまった。篠宮蒼穹といえば、現代の絵師の中でも片手に入ると謳われるほどの名絵師だ。

 二人の小さな会話に耳を傾けつつも、秋彦は志木を見て続けた。

「……篠宮は何をしに来たんです?」

「なに、ちょっとした世間話だ。……狐井が現れたことについての、ね」

 秋彦の言葉に、志木は肩をすくめて笑った。その隣で、相楽がはぁ、と呆れたようにため息をつく。

「さすがに、あの絵師座は情報のまわりが早いですねぇ……やれやれですよ」

「まぁ、あそこの情報網はと大きく深いからね。……〈篠宮座〉が動くとなると、〈神崎座〉が動くのもそう遅くはないかな」

〈神崎座〉───〈篠宮一門〉と並ぶ大派閥〈神崎一門〉を束ねる絵師座だ。〈篠宮座〉とは異なり平民出身の者たちがほとんどで、叩き上げの絵師が多いときく。

「…………」

 次々と出てくる大家の名に、春臣は不安を隠せない。その表情を目敏く見て取った相楽は安心させるように穏やかに笑った。

「あぁ、そんな不安そうな顔をしないでください春臣くん。狐井の件については、誰もが神経質になるんですよ。多額の懸賞金がかかっていますし、捕らえたというだけでも箔がつきますから」

 相楽の言葉を受けるように志木も続ける。

「こんな生臭い話を聞かせてすまないね。でも、これもまたこの世界の現実なんだ」

 彼はそこで浅く腕を組むと、話題の転換を図った。真剣だった表情を一変させ、いつも通りの笑みを浮かべる。

「それはそうと、花散里の君は元気だったかい?」

 それに応えたのは、照鏡姫だった。彼女は秋彦の隣に降り立つと、つと志木と相楽を見上げた。

「思うよりはの。……それも含めて、ちと話して聞かせたいことがある。よいな?」

 ただならぬものを感じたのか、年長者二人の表情が引き締まる。二人は顔を見合わせると、照鏡姫の言葉に黙って頷いたのだった。



 店番をひとまず恵と岩峰に任せると、母屋の客間に場所を移して春臣たちは一連の出来事を志木と相楽に語って聞かせた。

「なるほど……事情はわかった」

 全部を聞き終えたあと、志木は卓上で両手を組んでしばし思案する。それから、おもむろに口を開いて尋ねてきた。

「……ちなみに、枝の折れていた範囲は?」

「特に北西方向と北東方向の桜が多く手折られていました。人かどうかはともかく、いずれも子供ではないかと」

 秋彦がすっぱりと答えると、相楽が顎に指先をあてながら首を傾げた。

「どうしてそう言いきれるんです?」

 一行は揃って部屋の隅の壁に背を預け、こちらの会話の行方を見ていた白墨を見た。彼女は面倒そうな表情を浮かべたが、結局は素っ気ないながらも口を開く。

「……枝の折れた位置。大人ではあの位置のものは取れん。途中で足場の枝が支えきれなくなってもっと派手に折れるはずだ」

「……なるほど」

 白墨が答えるとは思っていなかったらしい相楽が、いささか意外そうな調子で相槌を打った。白墨はまた沈黙すると、今度は庭のほうに顔を背けた。

 志木はその様子を見ながら問いを続けた。

「折れた時間は朝方と夕方だったね?」

「はい」

 彼は組んでいた手を解いて頭の後ろに持っていくと、思い切り背もたれに体重を預けた。そのまましばらく考えをめぐらせる素振りを見せたあと、彼は小さく微笑んだ。

「……時間帯がばらばらとなると、ちょっと面倒だな。夏樹が帰ってきたら、役割を分担しようか。僕と恵も動こう」

 その言葉には、相楽が驚いた顔をした。

「おや、珍しいですね」

「花散里の君直々にご指名をしてもらったんじゃあ、ね。動かないわけにもいかない」

 座長を務めるその絵師は兄弟子に肩をすくめてみせる。それから、言葉とは実に裏腹な笑みを口の端に浮かべて続けた。

「それに悲しいかな、うちはどこぞの絵師座方とは違って、人手がいくつあっても足りないからね」

 自信と余裕の混じり合った笑みを、春臣は頼もしさを以て見つめていた。

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