第弐話
朝食が終わると、見計らっていたのか岩峰がそれぞれに茶を出してくれる。どうやら彼はこういったことをするのが好きらしく、皆が食べ終えた膳も率先して積んで、炊事場へとさがっていった。
お茶を飲みながら口を開いたのは、志木だった。彼は湯飲みを両手で包むようにして持つと、一同をぐるりと見渡した。
「さて、それでは今日の予定だが……それぞれいつも通り、胡蝶神一帯を見廻りがてら依頼をこなしてくれて構わないよ」
一同が頷くのを見て、彼は続ける。
「今は花見時だから方々から予定外の依頼も舞い込んでくるだろうけど……そのあたりは適宜対応してくれたまえ」
「わかりました」
秋彦が頷く隣で、夏樹がうーんと、と考えをまとめるように宙を見つめる。
「てぇことは、オレは昨日みたいに動きゃいいってことか」
「また団子を食べすぎて動けなくなるなんてことのないようにしてくださいね」
「わかってますって!」
すかさず入れたツッコミにばつの悪そうな顔で応じた夏樹に笑って、相楽はその視線を秋彦に向けた。
「そういえば……秋彦くんは桜守に呼ばれているんでしたか」
秋彦はそれにも頷く。
「はい。なんでも
「そうでしたか……彼女も相当長生きですからね。よろしくお伝えください」
「承りました」
二人のやりとりを聞いていた志木だったが、不意に何か妙案が思い浮かんだ様子でにこりと笑った。
「ふむ……それなら、春臣」
よくわからない会話をしている、とぼんやりお茶を飲みながらいた春臣は、いきなり志木に名を呼ばれて危うくお茶をこぼしかける。驚いて彼を見ると、志木はあろうことかこんな案を提示してきた。
「君は秋彦について街の中をまわってくるといい」
「えっ!?」
「……は?」
春臣と秋彦の声が重なる。そんな二人を見て、志木は満面の笑みをもってしれっと言い切った。
「秋彦は物知りだし、常識人だからね。安心して任せられるよ」
「志木さん、それは────」
秋彦が文句を挟む暇はなかった。食えない座長は間髪入れずに固まっている新人絵師にも念を押す。
「春臣も、それでいいね?」
「は、はい……」
無論春臣がそれを断れるわけもなかった。ただでさえ予定を崩されるのを嫌う秋彦は言葉もなく頭を抱える。強引に予定をねじ込んだ主犯はというと、涼しい顔をして温くなったお茶に口をつけており、端で見ていた夏樹と相楽はそれぞれ苦笑を浮かべた。
「うわぁ……やるなぁ志木さん……」
「芳正くんらしいですねぇ……毎度思いますが、容赦がないのはいっそ見ていて清々しいですよ」
「よしてくれないかなぁ、夏樹も相楽さんも。褒めても何も出ないよ」
耳聡い志木がそう言ったので、外野はいやいや、と首を横に振った。どこをどうやったらそう受け取ることになるのか。
一方の春臣はおそるおそる秋彦の様子を伺う。彼はその視線を受けることなくしばらくの間恨めしげに志木の顔を睨んでいたが、やがて根負けしたようにため息をついた。
「…………はぁ……」
「幸せが逃げるよ?秋彦」
「……幸せを逃がすよう仕向けた人に言われたくはないのですが」
「だって君ならできるだろう?」
できないなんて口が裂けても言いたくないことを知っていながらあえて問うのだから、やはり志木は意地が悪い。秋彦は内心でまた大きなため息をつくと、眼鏡を押し上げた。
「……わかりました。夏樹に任せるよりはマシでしょうから、承ります」
「おい秋彦!聞き捨てならねぇな!」
「うるさい、事実だ。食い倒れた前科のあるやつにぎゃんぎゃん言われる筋合いはないわ」
一刀両断すると、青年は残りのお茶を一気にあおって立ち上がった。それから、鋭い眼差しで春臣を見下ろす。威圧的な視線に縮こまる春臣に彼がかけた言葉はとても簡潔なものだった。
「……支度が整ったら、店のほうまで来い。遅れたら承知しない」
「……は、はい!」
緊張のあまり声が裏返る。死ぬほど恥ずかしくなったが、秋彦はそれに特に反応を示すことなく年長者二人に頭を下げて居間を出て行った。
「ふふ、あれはまんざらでもない顔ですね」
春臣は相楽の言葉に目を丸くして、秋彦が出ていった戸を見つめた。
「え……あれで?」
つい本音が出てしまったが、その場にいた三人は軽く笑ってくれた。
「はは、あいつは眉にしわ寄ってんのがいつもなんだ。気にしたら負けだぞ」
「そうですねぇ……彼は真面目すぎるくらい真面目ですから。あの顔が普通なんです」
「ふふ、そういうこと」
夏樹がばしばしと春臣の背を叩き、相楽は軽く手を自分の頬に当ててくすっと笑う。志木はいたずらめいた微笑みを浮かべ、春臣を優しく促してくれた。
「さ、君も早く準備をしておいで。秋彦は時間には本当に厳しいからね」
「……!は、はい!」
春臣は湯飲みの残りもそこそこに、慌てて立ち上がった。それから、三人に向けて深々と頭を下げる。
「その……いってきます!!」
そうして秋彦が居間を出ていったときから遅れること少しして、春臣もまた慌ただしく居間を後にしたのだった。
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