源氏三兄弟再訪

1159年 12月 29日 夕暮れ 近江の東のかた。


 頼朝よりとも朝長ともながの郎党の見張り者が林の中で、誰何すいかした。

「誰だ!」

「わしじゃ」

 躰中の鎧に矢が刺さり針千本の様になって出てきた男は兜はかぶっていなかった。烏帽子をかぶっているものの、血止めで額を締めているとしか思えない。

 顔中にも刀傷から矢が掠めたことに寄ってできる裂傷だらけだった。

 大袖は両肩とも半分ぐらいでちぎれていた。それより鎧に刺さっている矢の数が尋常でなかった。

 誰何した二人の武者もこれだけ矢の刺さった人間を見るのは、始めての様子、驚いている。

「兄上ぇー!!」

 頼朝が大声を上げ、この矢が躰中に刺さった男に駆け寄った。朝長が足を引きずりながら頼朝に続き、駆け寄ってきた。

「おうっ、二人共、息災か」

 この矢だらけの男、鎌倉悪源太義平かまくらあくげんたよしひらである。

 流石に疲れている様子で、駆け寄る頼朝が近くに届く前に座り込んでしまった。すると。

「いててて」と義平。

「尻にも数本刺さっておる。抜いてくれんか」

「只今」

「まず、尻からじゃ。座りたいので」と笑いながら義平。

 その場にいる郎党、武者全員で義平の刺さった矢を次々抜いていく、これだけ刺さっていると全部抜くのにも時間がかかり変な間が流れた。

「これだけ、刺さると、矢でも重いんんだな、、閉口したわ、しかも、見よ

 大鎧の左胸に一本の矢が深々と刺さっている。

「これは心の臓に、、、」と頼朝。

「と思うだろう、」義平は、深々と刺さった矢を抜いたあと手を大鎧の胸の中に入れると

 一冊の書物を鎧からだした。書物には、綺麗に矢の太さの穴が開いている。

戦場いくさばで暇をしてもいかんと思い、一冊だけ身につけておったのじゃ関羽殿もように『春秋左氏伝』といきたいところじゃが、どうせなら、一番おもしろくない小難しい奴をと思い

『論語』にした。孔子様が助けてくれたわけだな、一冊駄目にしたな、頼朝すまぬ」

「何を言われます、兄上の命のほうが大事」と頼朝。

「えーっとなんだっけ、子曰く、学びて時に之を習う。またよろこばしからずや。

朋あり遠方より来る。また楽しからずや。えーっと、、、。」

「人知らず、しこうしていからず、また君子ならずや。、、」

と頼朝が続けた。

「われ、いまだをもってわが弟にかなわじ、だな」

「兄上、序文にすぎませぬ」

「しかし、あれだけ矢が刺さると躰をどこか動かすたびにチクチクするんだな、これには閉口した」

「そうでしょう」と頼朝より小さな声で朝長が答える。

 義平は一層、大きな笑顔を作り朝長を見ると

「こうやってかっちんこちんで案山子かかしのように歩いてきた始末じゃ、」おどけて尺や竿のように両手を動かす義平。

 頼朝はにっこり。しかし、朝長は笑わない、しかも、すこし顔色が悪い。

 義平、朝長の足の傷を見て、すぐにすべてを把握した。

「落ち武者になると思わぬ経験をするな」

 そしてもう一度、義平が訊ねる。

「二人共無事か?」

 頼朝、朝長ともに押し黙る、頼朝に朝長。頼朝は無事だが、朝長は足を痛めている切られたようだ。

「義平の兄上は?」すかさず、頼朝が尋ねる。

「まぁ、ご覧の通り多少くたびれておる以外、平気だ。もう初老の心地だな」がははは。と一笑。

 頼朝の目には涙がもう浮かんでいる。頼朝が義平に抱きつこうとしたが、それより一瞬早く、義平は、先に朝長の肩に手をかけた。

「足を楽に、時々、締めるのを緩めよ」

「はっ」朝長も目に涙を浮かべている。

「いかんな、家臣が見ておるぞ、こんな再訪したぐらいで泣いておっては見限られて、平家につかれるぞ」

「我々は、そんな」あわてて頼朝の守役が否定する。

「冗談じゃ、我は悪源太なり、気にするな」そして義平は、できるだけ大きな笑顔を見せる。

「朝長、傷は浅いぞ、それにその方の領地松田はもう少しじゃ、松田からも迎えを出しておろう、もう一時の辛抱じゃ」

 これぐらいしか、掛ける言葉がないのが、義平も辛い。

「兄上干飯ほしいでも食べられまするか?」

「いや、その方らは、知らんだろうが堅田かただで死ぬほど喰った酒までもな、すべは訊いてはならぬ」といって、ニヤリとする。

 しかし、それは、昨日のことである。義平もちょっと無理をした。

「それより、これで、追いついたと思ったが、父上はまだ先なのか?」

 義平が訊ねると。

「はい、父上はもっと先に行っておられまする。先駆けは、源重成みなもとのしげなり公が務められておられまする」

「おお、重成しげなり公が御健在なのか。それは安心安心」

「恐らく、馬足から言ってもう尾張おわりあたりに入られているのではと」

「尾張とな」

 尾張の長田の砦で大庭兄弟と揉めたのが遠い昔に思える。あのころは帰路でこんなことになるとは、露とも思わなかった。

政清まさきよの叔父上も一緒なのか?」

「はっ」

「なら、更に安心じゃのう。叔父上は三国一の豪傑。誰かの裏切りにあわぬ限り鎌倉まで無事辿たどり着くであろう」

「兄上と政清の叔父上どちらが上でしょう?」と頼朝。

「さあな、叔父上ももう歳だろう、それにこの義平は思いつく限りの汚い手を使うから実際に勝つのはこの義平だな、、。叔父上が夜寝ているときでも平気で夜具ごと斬るぞ。でも正々堂々と組み合うと、何合なんごう打ち合っても決着がつかんだろうな、いやそれでもわざと長引かせて疲れたところを仕留めるかな、すまぬな、性根しょうねねじくれておるからな、遊び女の子は」

 頼朝が本当に困った顔をする。

「朝長は如何じゃ」

「この朝長は兄上を推しまする」しかし思いのほか声が小さい。

「辛ければ、喋らずとも良い」

「はっ」

「しかし、己が子を放り出して逃げるとは、まるで劉邦りゅうほう殿の如しであるな」

 朝長はぽかーんとした顔をしているが、頼朝の目に輝きが戻った。

「ところが、我々には、、、、、」義平が少し伸ばして話すと

夏侯嬰かこうえい殿が、おられませぬ」と食い気味で頼朝が答える。

 あははははは、、。義平と頼朝が心からおおわらいをすると、

 朝長は不思議そうに二人を見ている。

「相変わらず、さといの頼朝は、叶わぬわ」と義平。

夏侯嬰かこうえい殿は、それほど御立派な方なのですか?」と朝長が尋ねると。

「ただの馬車の御者じゃ、朝長。だが、我等には、その夏侯嬰かこうえい殿がおられぬ、恐るべし、漢王朝じゃ、さすが漢民族の名前の祖となった王朝だけはある」

 あはははは、と義平はからからと笑う。

「朝長も足の傷を治すときに松田で『史記』を読め、めちゃくちゃ面白いぞ、頼朝も薦めるであろう」

「もちろんです。兄上是非」

「こうやって、三人で笑って話すのも、始めてではないか」

「はい」

 しばらく、沈黙が流れる、話すことがなくなったからではない。話すべきことを話さなければないからだ。

 ふーっと義平は大きく息を吐くと、頼朝から貰った竹筒の水を一気に飲んだ。酒のあとだけに喉が渇く。

「この義平のことを、二人共いか様にも思うても構わぬが、最後に長兄ちょうけいとして説教臭いことをいわせてくれ」

 義平の最後という言葉に頼朝、朝長ともかみなりにでも討たれたようになった。

「兄上」頼朝がまたもや一足先に何か言おうとしたが、義平は、ぼろぼろになった籠手こての平手をみせ制した。

「まずは、二兄の朝長じゃ、まず足を直せ、それからじゃ、」そう言うやいなや、朝長が堰を切ったように喋りだした。

「義平の兄上、父上が別れ際に申されますには、この朝長に木曽へ征けと」

「木曽か、、、、朝長、良いことを教えてやろう、わしが義賢よしかたの叔父上を斬ったことは知ったことは存じておろう」

 朝長は答えることが出来ない。

「その折にな、義賢の息子の駒王丸こまおうまるというのを連れて逃したやつがいるんじゃ名は斉藤実盛さいとうさねもりという。一角ひとかどの武将ぞ、追いかけて切り捨てても良かったんじゃが、命じられて居らなんだから、わざと逃した。ということにしておこう、、。その駒王丸、なんと木曽に居るらしいぞ、それで、父上もその方に木曽に征けと言われたのであろう、、。行って殺してこい、手柄にしろ」

 朝長、いつもの自信なさげな困った顔。

「朝長そんな顔するな、まだ、年端もゆかぬワッパぞ、相手のことより、自分の心が痛む方を心配したほうがよいぐらいだ」

 義平、大きな笑顔を造り、朝長の肩をつかみいだく。

「それより、早く在所の松田に戻り足を直せ、それからじゃ、駒王丸は、なにか、渡せるものがあればいいが、この義平が二人から竹筒の水を貰っておるぐらいじゃから、なんにもない。

 朝長おまえは、とにかく、気を強く持て、それが一番ぞ、全て気から始まる、動く時、止める時、すべてじゃ、気を持たなければ、はじまらぬ。項羽こうう殿の抜山蓋世ばつざんがいせいじゃな、、」

義平はそう言うと、ちらっと、頼朝を見た。

「朝長の兄上またもや『史記』でございまする」

 頼朝が応える。

「学のある頼朝と違い『史記』はわしのもっぱらよ」そういう義平。

「そして、頼朝、おまえじゃ、実はおまえにはいうことはない」

 驚いたような顔をする頼朝。

「うそじゃ、、その方の長兄は天下の悪源太ぞ、いかなる手段もとる」

「だが、ないのは、本当じゃ、武が足らんと言いたいところだが、用兵する大将に武などいらぬわ、もうそんな豪傑の時代は、八幡太郎義家公はちまんたろうよしいえこうや、少なくとも父上や為朝ためともの叔父上で終わったわ。おのれさとさ才覚で、全てを勝ち戦に持っていくのじゃ」

「はっ」返事まで頼朝は如才ない。

「が、一つだけ、ある。その方は、さといだけに、人より恐れをいだきやすい。それも敏い証左しょうさなのだが、その分、狭量きょうりょうになりがちだ。すべてを自分の測りどおりいくことなどこの世にほぼない。謙虚さを持てということではない。己が限界を知り、愚かさ、寛容さを持てということじゃ。敏さにより、怯え続けておったら心配ごとなどなくならんであろう、そうすると殺さぬでもよいやつでも殺さなければならなくなる」

「はっ」頼朝が目に涙をためて答える。

「それと、その方らのほうが、京勤めが長かったから存じておろうが、父のそく常盤御前ときわごぜん殿のことじゃ、三人のおが居られる。今若いまわか乙若おとわか牛若うしわかなり。まだ年端もゆかぬまさに幼子。どうかこの義平に変わりて、面倒を見てやってほしい。頼みはそれのみぞ」

 なぜか、義平も涙を目にためていた。

「慣れぬことをすると、疲れるわ、この悪源太、悪事に手を染めておるのが一番ぞ」

 義平が、石切りを杖にして立ち上がった。

「兄上、これから何処へ、我等とともに東国まで、一緒に」

 頼朝が一歩歩み出た。

 しかし、そのとき義平の表情は完全に変わっていた。義平ではなく悪源太になっていた。

「この義平にその方らの矢盾になれと申すか、わしは、これでも日丿本中ひのもとじゅうにその名をとどろかせた悪源太ぞ、弟など守って死ぬるなど御免こうむるわ、お前ら二人など、その方らの守役もりやくとともに今ここで切り捨て源氏の頭領とうりょうになることなど、赤子の手をひねるようなもの、心得違いするな、この悪源太、そんなに甘うないし優しゅうもないぞ!!」

 義平は石切いしきりを抜いた。さすがの名刀もこの三日の戦いでもう刃はぼろぼろである。

「こんな刃の石切で斬られたら痛いぞ」

「では、我らがお供いたしまする。一人で清盛公を討つなど無理でございまする。しかも馬にも乗らずに、、」

「お前らと一緒のほうが無理だ、土台、悪源太があんな清盛公を除けば八分の男の集まりの集団にこんなボコボコにされたまま鎌倉なんぞに帰れるか!!」

 義平の怒号は相当なものだった。しかも、義平は、振り返ると石切を頼朝の喉元に突きつけた。

「清盛公を討ったあとは、次は戦場で相見えることになるかもしれぬと父上にもお伝え申し上げろ父上だけではない、父上とは京で相当やりあったが、父上などこの義平の相手ではないわ、 そして、おまえら朝長、頼朝二人共もじゃ、そして源氏のかばねを背負う限り、同族殺しが源氏のさだめであることをゆめゆめ忘れるでないぞ」

 そう言うと、義平は、石切を鞘に収めず、抜き身のまま林の中に消えていった。

 雪が一段と酷く吹きすさび辺りはあっというまに真っ白になった。

 まさに源氏の白である。

「兄上ーっ、義平の兄上ーっ」

 頼朝は泣き叫んだ。雪が本当にひどくなってきた。

「この頼朝は、義平の兄上の御心みこころは存じておりまするぞ」頼朝は大きく息を吸い込んでもう一度叫んだ。

「兄上ーっ」  

 しかし、いくら叫ぼうと義平には届いたかもしれないが、悪源太には頼朝の声は届かなかった。

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