馬防柵

1159年 12月 28日 夜明け 大原の入り口と馬小屋


 それから一刻するかしないかのとき<鯱屠りしゃちほふり>の大声が助次すけつぐの馬小屋まで届いた。

「"海"っ"海"っ」

 <鯱屠り>は腰掛けていた大きな枝から擦り降りると馬防柵のところまで返しの付いた槍を小脇に抱え駆けてきた。

 助次の馬小屋では、義平ががばっと起きるとまだ寝ている<牛担ぎうしかつぎ>を蹴り上げ、起こした。

「みな、配置に付け、おい<宗衡むねひら>いいものをやろう。俺の兜をかぶれ」

「冗談言うな、おれがおまえの影武者に成るのか」

「大庭家では被後見人には兜もやらん様だから、言うてやってるのに、恩知らずめ」

 義平と<宗衡>の掛け合いで一気に場が和む。

「みな、急げ、馬は風のように駆けてくるぞ!」

 馬小屋から義平が鎧、大袖、弓を整え居出ると夜が明けようとしていた。ときは黎明れいめいあかつきである。

「やはり、夜明けをギリギリまで待ったか、清盛公。これがさといかにぶいか、この義平の刃を持って知るぞ」

「遅いぞ!お前ら」<鯱屠りしゃちほふり>がもう既に駆け戻ってきている。

「数は?」義平が間髪を入れず訊ねる。

「五十騎ばかりか!?」

「ふん、物見にしては多く、先駆けにしては少ないな、馬自慢による威力偵察であろう、者どもひるむな、馬自慢の手練れが来るぞ、配置に付け」

「承知」皆が答える。

 義平は、一番に倒木の仕掛けの縄と仕掛けそのものを見る。これがないと、五十騎も徒武者五人で防げない。

 あれから雪は降っていない。凍りついているかもしれぬが、雪も氷も同じだ、大丈夫だろう、降り落ちてくるのは多くて大きい方がいい。

 <樫の木かしのき>と<牛担ぎうしかつぎ>二人で案山子かかしみなもとの義一よしいち義二よしじ義三よしぞうとどんどん立てていく。全部で案山子の源氏の君は二十人。かわいそうだが的になるだけである。

「最右翼、左翼の<宗衡>に<鯱屠り>急げ、もう来るぞ!」

<宗衡>と<鯱屠り>が柵の前に出て分かれてかけていく。正直、彼ら二人が一番危ない。なにせ端にいるとはいえ、柵の手前で柵に追い込むのだから。

 軍馬の最高速、襲歩の時の吐く馬の息の音、平家の騎馬武者の馬を叱咤する声、鞭代わりにする弓を馬の尻を叩く音、数え切れぬ軍馬の蹄が地を駆ける音、それらの一つ一つが交わり全く違う音となり、山に挟まれた街道木霊しこだまし何倍にもなって聞こえてくる。

「来ますぞ!」一番手持ち振たさな<樫の木>が声を掛ける。

 もう義平は応えない。来るのは平家の馬自慢精鋭である。くねった街道を騎馬五十騎が最大戦速、襲歩で来る。

「三騎通すか?」

「若殿、二騎でございまする」<樫の木>が答えるが、駆け寄ってくる軍馬の立てる騒音により、もう互い叫ばないと意を交わせない。

 馬防柵は開けてある、閉めるのは三国一の膂力持ちである<牛担ぎ>の役目だ。

 何物にも例えられない、騎馬軍団の駆ける怒号が迫ってくる、騎馬集団五十騎が街道のもう次のうねりを越せば、恐らく街道は目の前で直線となり平家の騎馬武者は姿を表す。

 義平でも逃げ出したいぐらいの恐怖だ。だがどこへ逃げる。逃げる場所など一切ない。

 <樫の木>は弓を引き絞った。<牛担ぎ>は二の腕をまくり上げ馬防柵の持ち手を力を入れて握る。

 おれはなにを握れば良いんだ。縄だ。仕掛けの縄だ。そう義平が思った時。平家の騎馬が一騎現れたかと思ったが、<宗衡>だった。恐怖に負けて逃げ駆け込んできたのだ。人がこんな顔をするのかという恐怖と緊張、慈悲を願う顔、泣き叫びそうな、ただただ心の平安を求める顔、表情がその全てであり、その全てでなく、その全てが入り混じったなんとも言えない顔をしている。こんな人間の表情今まで生きてきた中で義平も見たことがなかった。

 <宗衡>を怒り追い返したり、蹴飛ばし返す暇などはなかった。

 街道のうねりから平家の騎馬がものすごい勢いで現れた。街道のくねりにあわせ、騎馬を内側にかた向け、前足は信じられないほどの勢いで伸びてくる。馬がこんな顔をして疾駆しているとは義平も知らなかった。口角を上げ、歯がむき出しにして、鼻からは白い息が間欠泉のように吹き出している。馬ではない麒麟か龍だ。麒麟が龍がいや白虎、玄武かもしれない、五十騎というより、黒い集団だ。にかく駆け込んでくる、他でもない、この場所に向かって駆けてくるのだ。この四つ足の大型の獣に乗った荒武者が正にここを通るのだ。この義平が立っているこの場所を。これほど確実なことはない。

「うおー」<樫の木>も声を上げていたし、義平も声を上げていた。

「通すは、三騎ぞーっ」

「おおっ」<牛担ぎ>が応えているのか、叫んでいるだけなのか、もうかの子房殿にも分からないだろう。

 最左翼の<鯱屠り>は持ち場も離れず善戦していたが、それは己のみが信じる善戦で槍そのものは空振りに次ぐ空振りだった。一瞬、泳ぎ空中に跳ねるしゃちと疾駆する馬どっちが早いのだろうと馬鹿げたことを義平は考えたが答えより、自分の策が柵と音が掛かっていることにも気づいた、対句に出来るじゃないか、しかし歌など詠んでいる暇など在るわけもなかった。先頭の平家の騎馬武者は指呼の距離でもう抜刀し足で馬を押さえ切りかかってきていた。左京の野盗の弓なんかしぼっている暇はなかった。義平も抜刀した。その騎馬武者の大鎧の大袖は赤く、兜のしころを止めている紐も赤かった、そして兜の顎紐も赤かった。

 赤い。平家は赤い。血の色。唐の色。官位の色。赤は官位では五番目。我等は源氏は五人。

 赤を見て、気付いた。三騎にしろ二騎にしろ通すのはいいが、騎馬集団に間がないと馬防柵を閉められないことに。なにか大きな物量のあるものをこの騎馬集団に送り込んで二騎か三騎かとその後続の引き算をして四十七騎との間に隙間をそれこそ作らないといくら三国一の膂力の<牛担ぎ>でも無理だ。

 馬は基本障害物を避ける。

 最初の大袖が赤い騎馬武者の刃を義平は同じく刃で受け流した。速度差がるので、なるべく、逆らわずに流した。<樫の木>は狂ったように矢を放っている。騎馬武者を数えている暇も無かった。どすどす後ろの案山子に矢が刺さっている音が聞こえる。"義五"殿が要られたのだろうか、それとも、"義十"殿か、後続の騎馬集団が矢を射ている。時間がない、このままでは平家の騎馬武者全騎駆け通ってしまう。

 馬は基本障害物を避ける。なにか物量を騎馬集団に送らねば、、、。物量を。


 居た。


 正に悪源太の所業だ、悪源太は<宗衡>を後ろから騎馬集団に向けて押した。

 <宗衡>はもんどり打って、二三騎駆け抜けたところに、転がるように落ちている柿でも拾うようにととっと、突っ込んでいった。四騎目の騎馬は<宗衡>を避けたが前足に力が入りすぎて転び左の沢である高野川に落ちた。五騎目は前足を高く上げ、大きく嘶き平家の騎馬武者を後ろに振り落とした。

 <宗衡>は、とととっと、馬にしかも平家の馬に避けてもらい街道を渡りきった。

「<牛担ぎ>今ぞ!!」

 義平はあらんばかりの大音声を叫んだ。

「おうっ」何が起こり何をすべきか<牛担ぎ>にも十分わかっていた。<牛担ぎ>は馬防柵を大猿のように

「ふぬっ」と声を上げると地面から垂直に立てた。

 義平の計画はもうめちゃくちゃになっていた。

「みな、抑えろ!!柵を押さえろ!<鯱>戻れ柵を押さえろ」

 義平も刀を捨て、馬防柵を大原の里側から抑えた。恐怖が五人みな同じ行動に駆り立てた。

 <鯱屠り><牛担ぎ><宗衡><樫の木>全員で柵を抑えた。

 柵の向こう側は阿鼻叫喚だった。六波羅の戦でもこれだけの地獄はなかったであろう。 馬は身をよじり、ねじり、武者を振り落とし、ひしめき合い、嘶き、噛合、立ち上がり、前の馬を蹴り、後ろの馬を蹴り、中には露骨に馬防柵にぶつかってくる馬もいた。五人全員、柵を肩で押さえつつ、ありとあらゆる得物で柵の隙間から武器をつっこみ、馬の胸、騎馬武者の太腿。斬った。刺した。突いた、殴った、叩いた。打ち付けた。殺した。

 もう既に中世の戦闘ではなかった。古代の戦いである。知恵も正義も正道も非道も勇気も怯懦もなかった。あるのは原初の生存の欲求にかられた己が生きるための屠殺のみである。それも馬という獣と人をまぜこぜにした。流石に<鯱屠り>の返しの槍が一番効いた。

 馬の腹を次々と突き刺し、返しの刃で切り裂いた。五人共返り血で真っ赤である。

 <樫の木>はつがえていた矢をそのまま策の向こうに手で刺していた。

 義平も刀拾い直すとを何度も柵の隙間から差込んだ。馬を刺しているのか、人刺しているのか、すらもうわからなかった。 

 そして、ふらふらになり、縄の在るところまで返り血で真っ赤になりながら、辿りつくと、、。

 悪源太はニヤリと笑った。鬼がそこに居た。いや鬼でもここまで非道なことはすまい。

 人でもない、鬼でもない、鎌倉悪源太がそこに居た。

 悪源太は笑っていた、それは曙の光のせいでそう見えただけかもしれない。

 が、悪源太は笑い続けていた、己の非道さに、己の所業に、己の生まれに、そしてこれからやることに、己の生まれ落ちたこの狂った世界に。

 柵の向こうの平家の騎馬武者たちも漸く気がついただようだ。

「辞めてくれ」「助けてくれ」「頼むから辞めてくて」

 悪源太は、躊躇することなく、縄を引いた。

 大小の岩が、大量に瓢箪崩山の崖から、落ちてきた。

 三国一の膂力を持つ<牛担ぎ>がへばるほどの量である。また悪源太が念には念を入れた組み方である。

 柵の向こうで助かったものは誰一人居なかった。

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