待賢門の戦い

1159年 12月 27日 朝から昼前 大内裏


 義平は、こんなに怒っている義朝を見たことがなかった、義朝の歩幅はいつもより5割増、かいなの振りは2倍だった。

「こんな不覚人ををわしは知らぬ、こんな不覚人を、天下の不覚人を」

 同じことを何度も言い、本当におかしくなってしまったのではないかと義平は思った。

「天下の第一の不覚人それは、藤原信頼ふじわらののぶより。そして第二の不覚人はそれを信じ与力し組みしたこの播磨守はりまのかみ源義朝みなもとのよしとも、このわしじゃ」

 義朝は大股で義平の前をとおりすぎ、自分の馬の方に歩いて行く、義平がいることにさえ気付いていないようだ。

 その義朝の後を建礼門をくぐり大内裏に出てきたのが、なんと右衛門督うえもんのかみである藤原信頼その人だった。しかし、もう、二条帝は六波羅にいるので、いまだに右衛門督であるのかどうか、誰もわからない。しかも両腕を配下の者に支えられ、腰は完全に引けている。

 義朝の屋敷で行われた除目の折に、遅れた義平を散々圧した藤原信頼と同一人物とは誰もが信じられない。

 目の下には隈ができ、頬はこけ、顔色は草の葉のようである。一人で歩くことすらままならぬ様子だ。

 しかし安禄山あんろくざんに例えられるでっぷり太った突き出た大きな腹だけは相変わらずで、一応、胴丸を付けているものの胴体が入りきっていない。背板と胴丸を止める隙間から大きく、脇腹が突き出している。

 藤原信頼は配下の者に手を支えられ、どうにか、自分の馬のところまで行くと、なんとか馬に乗ろうとしている。が、如何せん安禄山に例えられる肥満児、なかなか馬に乗れない。

 配下の者数人で信頼を必死で何度も押し上げなんとか馬のあぶみから鞍の上に押し上げたが、手綱を握れなかったのか、押上げた勢が強かったのか、押し上へた反対側に頭から落ちてしまった。

 さすがに、これには、大内裏おおだいりに集まった源氏武士の連中でさえ、吹き出し笑い声が上がった。

 笑い声に対し頭を上げた信頼の顔は更に悲惨だった。鼻血を垂れ流し、ふごふごとうまくしゃべれないようだった。

 そんな様子の信頼を睨み殺さんばかりに義朝が睨みつけている。

 が、心を切り替えたのか、大音声で源氏の郎党全員に命を下した。

「皆の者、ここが日ノ本ひのもと本朝ほんちょうの中心、大内裏おおだいりぞ!。差配したとおり、着陣にいたせ!」

「おうっ」

「心得た」方々で声が上がる。正にときの声そのものである。清和源氏と名乗りながら、基本は荒くれ者の武士集団、誰もが声だけはでかい。


 義平は、騎乗すると義朝に付き従い、待賢門じけんもんに向かう。

 義平は義朝と駒を並べると小さい声で義朝に尋ねた。

常磐ときわ殿と小さいお三人はお助けしなくて宜しいのですか」

 義朝の顔色が変わったが、すぐに元に戻った。

「まだ年端もいかなぬ子ぞ」

「だからこそ、誰かをやらねば」

「清盛もあんな幼子を殺したとて名折れであろう、それにあの女は元は雑仕女ぞうしめぞ、なぜあれほど周りがさわぐのかわからぬわ」

「そうですか」義平は駒を義朝の駒から離した。どうやら義朝は常盤御前ときわごぜんと三人の子はもう捨てたらしい。すくなくともそれほど重要なことではないらしい。


 義朝は、少ない兵力を有効に活用するため三方の門を閉め、意図的に、東面のする三門のうち北から陽明門、待賢門、郁芳門を開き平家の軍勢を誘導し待受けていた。

 一応、陽明門には源光保・光基親子、待賢門は藤原信頼、郁芳門は源義朝が持ち場としているが、内裏の東側に大挙して源氏と信頼の集団がいるといったほうが事実である。

 三門の内中心にあたる、待賢門から数町離れた位置で義朝の一党は、馬を止めた。入ってくるであろう平家の軍勢には距離を取り騎馬の勢をつけたところでぶつかりたいのだ。

 驚いたことに、藤原信頼もひいひい言いながら駒を進め配下の者とともにてやってきた。

 義朝は、一番後ろに構える。そのさらに斜め後ろに藤原信頼。馬に乗っているというより、しがみついているといったほうがよい。

 義平はくつわをもって走ってついてきた景澄に促す

「いつまで、轡をもっている気だ、突っ込めないだろう」

 景澄の返事がない。

「怖かったら、父上の側でちょこちょこ薙刀を奮って露払いしていろ、最悪、誰かと組み合うときは、なるべく弱そうなやつにしろよ」

 敵が来るとわかっているところ場所で待っていることほど怖いものはない。

「小便チビリそうだよ、さっき行ったばっかりなのに」

 源氏の軍勢はどこから来るか見極めるため、音を立てぬよう潜めいた。

 まず、最初に、軍馬の駆ける地響きがした。そして馬の嘶き。武者たちの指図する声。そして、塀の上に風でたなびく赤い平家の旗が何本か見えだした、と思ったらあっという間に数えられないくらいに数になった。清盛を首領とする伊勢平氏がついに攻めてきたのだ。

「なんで、平家の旗って赤いんだ?」景澄が尋ねた。

「敵が流す血の色と己が浴びる返り血の色だろう」義平が冗談めかして笑いながら答える。

「そうなのか」

「うそだ。簡単お武家の法度、その一お武家を信用してはならない」

「こんな時によくそんな冗談が言えるな」

「こんな時だから言うんだよ、いろんな説があるそうだぜ、平家の連中はからと貿易してて唐好からずいてる、からでは赤は不滅の色なんだそうだ、それに、奈良時代からの官位の色としても我らが源氏の白より赤のほうが上だ」

「旗色から負けてるじゃないか」

「心配するな、旗で勝敗は決まらないよ」

「じゃあなにで、、」と景澄が言ったと同時に鏑矢かぶらやが数本ぴゅーんと戰場には似つかわしくないかわいい音をたてて飛んできた。数頭の馬が怯え、嘶き立ち上がる。もちろん義平の愛馬"瑞雲"は立ち上がったりはしない。鏑矢の一本がこてんと内裏の塀にあたり落ちた。

 その後、上げ矢は数本、飛んでくる。狙って放っているものではないので、全く当たらないがそこかしこにパラパラ振ってくる。

「こういった屋敷攻やしきぜめには火矢が定石なのに、平家の連中も流石に、内裏に向けては火矢は放たないんなだな」義平が一人つぶやく。

 それを聞いた父義朝が義平を睨む。

 義平は平家は鏑矢の鏃に興味があり、どんなものを使っているのか馬から乗り出し一本拾い見ようとしたが、景澄に

「おい」とたしなめれ視線を正面に戻した。

 開け放たれた待賢門に平家の騎馬武者の大軍勢が見えた。塀に遮られた範囲は見えないが、数百騎入るようだ。

 先頭の一番派手な大鎧、錦の直垂に、櫨匂いの鎧に着用し龍頭の兜をかぶり黄月毛の馬に乗った武将が大声で宣った。

「やぁやぁ、われこそは桓武天皇の末裔にして、太宰大弐清盛の嫡子にして左衛門佐重盛さえもんのすけしげもりと申すもの、いざここに参上し朝敵を討たんと思し召す。かくこの地の御大将は右衛門督藤原信頼殿うえもんのかみふじわらののぶよりどのとお見受け致す」

 数町先からとはいえ、名指しされ信頼の顔色が変わった、そして狂ったように必死に声だけは上げた。

「いざ、かかれ、つわものども!」しかし、だれも、動かなかった。命を下すや、信頼は駒の向きを変えるや一目散にもと来た内裏目掛けてに駆け出し内裏の中に逃げ込んだ。

「あれが、平重盛たいらのしげもりか。大げさなやつだな」義平が小さく、呟いた。源氏の軍勢で名乗りを上げるものは一人としていない。

 重盛は名乗りを済ませると

「いざっ」と声を上げるや500騎を引きつれで待賢門をくぐり、大内裏へ突入してきた。

 義朝が小さいが確かに伝わる低い声で義平を呼んだ。

「義平行け」

「承知」

 義平は義朝に答えるや。

「十七騎付いて参れ、全騎、駈歩きゅうほ」と大音声で叫ぶや、弓を鞭代わりに"瑞雲"を走らせた。恐怖のためかまだくつわを握っていた景澄は"瑞雲"のあまりの勢に轡を離してしまいふっとばされてしまった。

「悪源太、おうっ」と一番声を上げ駒を突撃させたのは郎党の中で一番の豪傑、義朝の乳母子鎌田政清である。

 義平に付き従った十七騎は、義朝の乳母子鎌田政清、後藤兵衛、佐々木源三、三浦荒次郎義澄、首藤刑部、長井斎藤別当実盛、岡部六弥太忠澄、猪俣小平六範綱、熊谷次郎直実、波多野次郎延景、平山武者所季重、金子十郎家忠、足立右馬允遠元、上総介八郎広常、関次郎時員、片切小八郎大夫景重、である。

 500騎対17騎の戦いである。縦横無尽の機動力をもつ騎馬でなかったら勝負は不可能だったであろう。

 17騎で500騎を全滅させるのは無理なことは義平も承知している。さてどうするか!?。

襲歩しゅうほ!!」義平が叫ぶ。騎馬での最大速度である。駈歩きゅうほ程度で駆け込んできた重盛の騎馬部隊は一瞬虚を突かれた。

「抜刀!!」義平、更に叫ぶ。弓は捨てずに左手で手綱とともにもっている。右手で大刀、石切を振りかざした。

 義平はやじりのような形のまま重盛のちょい横あたりに突撃した。抜刀はしたが、切り結ぶ余裕はない。そのまま500騎を300騎と200騎程度に切り裂いた。500騎の背後に出るや、急激な旋回をかけ、更に背後から切り結ぶ。速度で相手を翻弄し、速度のみで相手を切り裂いている。速度だけが正に命なのである。並走して挑んでくる平家の騎馬武者もいるが義平は、斬るより、刀の柄で打ち付けたり、大鎧の籠手で殴り倒す。 

 前後左右から幾度も突入し、どんどん平重盛を孤立させていく。200が100に、、、。

 義平は、馬がそれほど長い間全速力で駆けれないことも承知している。時間は敵だ。

 気がついたら、重盛はたった三騎を引き連れているのみとなった。そのころになって漸く名乗りをあげなかった義平が大声で吠えた。

「重盛りーっ」

 重盛は必死の形相で大内裏の銘木、左近の桜、右近の橘の間を七周から八周し逃げ惑った。

「重盛りーっ、逃げておったのでは勝負にならんわ」義平は後を必死に追いかける。そのころには義平に付いて駒を駆けているのは鎌田政清のみとなっていた。

 鎌田政清は馬を足だけで捌き、義平の脇から弓を絞ると、重盛に向けて放った。矢は重盛自身にでなく、馬に当たった。

 叔父上らしいわ、当時の戦の作法からすれば反則ぎりぎりの政清の行為を見、義平は思った。

 重盛の馬は、尻を射られて跳ねた。重盛は馬から放り投げ出され、大きく転んだ何度も転がった挙句に重盛は顔を泥だらけにし、背後から迫る、義平、政清の二騎を恐怖に引きつれた表情で見た。騎馬の駆ける線上からは重盛の位置は政清のほうが若干近い。ものすごい速度で義平と政清が迫っくるが、重盛頭がぼんやりする中どうにか大刀を抜き立ち上がり二騎に正対し構える。

 政清が馬上から切りかかり、静止した重盛と馬上の政清が切り結んだ。

 速度差が、二人を弾き飛ばした。政清も衝撃で落馬してしまった。重盛は更に遠くに飛ばされた。

 義平は、あまりの速さゆえ駆け抜けてしまい、振り向いて、二人を確認しようとしていた。政清が一早く立ち上がり、走り重盛に向かっているのが見えた。

 そのころ重盛と一緒に逃げていた重盛の平家の郎党二騎がなんとか駆けつけた。

 与三左衛門景安よさんざえもんかげやす新藤左衛門家泰しんどうさえもんいえやすである。与三左衛門景安は馬から飛び降りると、重盛に政清を近づけてなるものかと

「いあー」と裂帛の大音声を上げ政清に背後から組み合い、与三左衛門景安は慌てたためか政清の大鎧の背板にもろに切り結んでしまった。大鎧の背板で刀は防げたものの、政清は衝撃でもんどり打って、前に転んでしまった。

 義平は、瑞雲を急旋回させると、一瞬、重盛を追うか、父の乳母子の政清を助けるか迷ったものの答えはすぐに出た。政清の背後からもう一度組み合おうとしている与三左衛門景安の背後へ馬を向けた。恐ろしい速さで与三左衛門景安に迫ると、その兜の錣の下あたりに大刀を速度を持った馬上よりあてがうとそのまま馬の速度も利用し与三左衛門景安の首を背後よりはねた。首は驚くほど遠くに飛んだ。

 目の前で、自分を守ろうとしたものを切り捨てられた重盛は狂ったような声を上げると

また"瑞雲"を急旋回させ体制を立て直している義平に向い走りながら切りかかってきた。

「主上!!ここはお退きを!」

 もう一人の重盛の郎党、馬を乗り捨てた新藤左衛門家泰が叫びながら走り、重盛の前に入り、義平と重盛の間に入った。

 旋回しながら、"瑞雲"から飛び降りた義平は、間に入った新藤左衛門家泰に向かうや、最短距離で"石切"を下から新藤左衛門家泰の胸板かた兜のあごひもあたりに切っ先をあてがい、またもや、一刀の元、新藤左衛門家泰を切り捨てた。

 馬を降りたことは失敗だったことに義平が気付いた時は、遅かった。

 500騎の平家の騎馬隊は体勢を立て直しており、数十騎が重盛を囲んでいた。

「重盛りーっ」義平が叫んだ。

「おまえが、悪源太か」重盛が訊いた。

「ああそうだ」義平が答えた。

「いずれ、又会うであろう」一人の平家の騎馬武者が重盛を拾い上げると500騎は、待賢門から引いていった。

 後ろから、鎌田政清が背中を擦りながら、やってきた。

「相変わらず、阿呆じゃのうおまえは悪源太」

「なんのことでしょう。叔父上」

「わしなど助けなければ、重盛を討てたものを」

「前にも申したとおり、この義平、二人も叔父上は殺せませぬ」

「どわははははは、、」

 離れ駒となった"瑞雲"がぽくぽく義平の元へ歩んでくる間中、鎌田政清が大笑いをしていた。

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