書物
1159年 12月 12日 京 辻々と屋敷
それこそ、数日は、平穏な日々が続いた。
義平は、まず京の寒さに震えた。鎌倉と段違いである。盆地であるが故と都雀はいうそうであるが恐ろしいほどの底冷えである。
朝、義平は身振るいして起きると鎌倉とほぼ変わらぬ一日を過ごすというか、大都会、京に居るという貴重な時間を過ごす。行きたいところ、会いたい人が山程いるのである。
しかも、義平こと悪源太と呼ばれる源氏の荒武者が入京していることは都雀に知れ渡っているらしいが、山科から大鎧に兜をかぶっていたせいか、顔を知られていない。いつもの下級武士の
三河あたりから喰い詰めてきた武者を装い、いろいろ訪ね歩く。
義平が、橋本のことを尋ねると、大概のものは、眉をひそめるか、にたーっと笑うかどちらかである。その後、どれくらい金は持っているのかと値踏みする目で見られる。
義平にも概ね大体わかってきた。桂川と淀川が合流するあたりの向こう岸らしい。石清水八幡宮の手前にあるのが、人の
位置は、ほぼ、北摂津と都の間ぐらいで歩いていけなくもないが、葦毛の愛馬"瑞雲"が必要だ。
義平も、含め源氏一党みなそうなのだが、有事に備え、外泊するよな遠出は全員禁じられている。
やけくそと父へのあてつけで、母との再会を一大事のように言ってせまったが、もともと名も容姿もわからぬのに、探し出せるわけがない。
「19年前に義朝殿に抱かれられたでしょうか、そしてご懐妊を?」の一言だけで探しだせるわけがないのは義平自身も良くわかっている。誰もいい現れないか、多数現れて閉口するかどちらかである。
結局、京の名所旧跡めぐりと六波羅屋敷周辺の探索で一日が終わってしまう。ちなみに、義平の最近のお気に入りは、
六波羅屋敷の周りは、怪しまれぬ範囲で周到に調べまわっている。清盛公が熊野詣での後にどうなったのか、一切不明なのである。息子の
六波羅屋敷は源氏一党からするとやたらやっかいなところに建っている。
山を背に前は鴨川の六条河原に面している。土塁も堀もなき平屋敷とはいえ、後ろに山である天然の城壁と前に天然の堀である鴨川が備わっていることになる。しかも、位置は割りと都の中心にある義朝の京屋敷からは、南東にあたり、源氏一党が京の中心から東国に引き上げるのを丁度蓋をして抑えこむ位置に存在しここを通ることなくして東国へは帰れない。
今度、北摂津あたりに源氏の要塞めいた屋敷を同じように平氏の帰還路遮るように立てることを義朝に進言しようと思う義平である。で、そのついでに近くの橋本で母親探しも敢行するわけである。
散々歩いて、屋敷に帰ると、聞き慣れぬ声が義平を呼び止めた。
「兄上!」
書物の山が濡れ縁で声をかけてくる。書物の脇から顔を出しているのは、
この年で、義平は19歳、頼朝は13歳、朝長は17歳である。
「兄上、いつもどこにいっておいでなのですか?、毎日探しておるのに、いつもぷいといかれて夜遅くに帰ってこられる始末」
「うむ」
京で
目の前の頼朝は、多少、ひ弱そうにも見えるが、
なにやら、頼朝は大量の書物を持ってきた様子。後ろにいる朝長はやや気後れしている様子でもう一つ覇気がない。
「用向きは、、、」どんな口調で答えれば良いのか途方に暮れる。
「兄上、ささ、こちらへ」
「おう」言われるままにとある部屋に兄弟三人ではいる。
「兄上、朝長の兄上もこの頼朝もあの大広間におりましたのに」
「
「いえ、兄上、父上でもあれほど右衛門督様に堂々とものをおっしゃったことは御座いません。我等、清和天皇の流れを組む源氏一党のはず、にもかかわらず、右衛門督様のみに限らず、公家の皆様方から顎で使われ続けられること幾久しゅう。兄上の物言い正に
「うむ、そうか」
返答に窮する義平。頼朝も右衛門督藤原信頼のことをよく思っていないらしい。
「それより、兄上が漢籍の話をなさっておられたので、この頼朝めこれは、と思い書物の話をいざ、せむと思って書庫よりこれはという書物を持って参りました」
ショコ!?。義平はショコの意味がわからない。女将の名前なのか?。
そういい頼朝は抱えてきた書物の山を板の間に置くやどんと一番上を叩いた。
これは手ごわそうだ、、。そう義平は思った。
「義平の兄上の一番、お好きな漢籍は、なにでございましょうや」
「うーん」いろいろ思い出そうとするが、結局有名どころしか、思い浮かばない。
「やっぱり『三国志』と『史記』かな」
「おお、この頼朝も正に同慶の至り、全く同じでございまする」
義平、頼朝にすごい書物を持ちだされるかと身構えていたが、案外大したことはない。
「鎌倉はここ京と違い、ど田舎故、あまり珍しい書物には逢えぬ、近くの寺の和尚に借りて寝る前にうつらうつら読むのが関の山」
頼朝、自分のことのようにものすごく悲しそうな顔をする、しかし瞬時に目の輝きを取り戻すと。
「班固どの『漢書』は如何でございましょう」更に目をきらきら輝かせて頼朝。
「あれは、ちと表現が固いな、名前のとおり」
冗談のつもりではないが誰も笑わない。
「司馬遷殿と表記が重なっておる時代もあるが、司馬遷殿にはかなわぬだろう」
「この頼朝も、全くの同感でございまする」
「そうか、、」ふーっと額の汗を拭う義平、なんとか引き分けぐらいにもちこみたい。
「しかし、弟の
「存じておりまする虎穴にいらずんば、、」切り返しが早い、後の先というやつだ。
義平、もうこの辺が限界である。
「散々ほうぼう歩いた故、腹が減った。飯にせんか」
「それより、兄上これをお読み下さりませ」
腰の高さまで、書物が積まれている。
「全部か」
「はい、これでも、一部にてございまする。それこそ、この頼朝が都で集めましたる、珍しき書物がまだあまた多数、『国語』から『論語』、関雲殿がすべて諳んじられた『春秋左氏』、朝鮮の史書も含まれておりまする、特にこの『百済三書』たるや『日本書紀』と読み比べたりますれば、それこそ、神武天皇の、、」
うさんくささが、如実になるのであろう、、と思ったが言わなかった。
しかし、さすがに『論語』は、勘弁して欲しい。自分は白い源氏にあって白ではなく、嫌われ者の黒い鷺の"黒鷺"なのである。『論語』など読まされたら自分より強うそうなもの、そこら辺中に噛みつきまわる義平の自我は完全に崩壊である。
「この義平とりあえず、これら預かっておく」読むとは言わなかったが、しばらくすると、試験か感想文の提出が待っていそうだ。
「はっ、この頼朝、恐悦至極にて、お運びいたしましょうや?」
頼朝の善意の塊のくりくりお目々が眼前に迫る。
「いや膂力は年長のこの義平のほうが上。その方の手は煩わせぬゆえ安心いたせ」
義平なんとか、すべての書物を持ち上げると自室へ下がった。
しかし、なんという重さだ。これがすべて頼朝の知恵の重さなのである。
これは、勝ちだろうか、いや、負けだろう。
都とはげに恐ろしいところである。
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