義平の頼み

1159年 11月 鎌倉


「悪源太殿、今日は約束の日ですぞ」

 新田義重にったよししげの娘、祥寿しょうじゅさおりの大きく元気な声が鎌倉の義朝屋敷によく通る。

 しまった、用事をつくり、屋敷を朝から飛び出るのを義平は忘れてしまっていた。

 義平は朝っぱらから寝転び、書物を開いていたところを見つかってしまった。

「こんなところにおられたのですか、さ、いざ」とさおり。

「おう、待っていたところだ」と一応答える義平。

「それでは」

 さおりは、喜んで、屋敷の庭へ飛んでいった。

 これは、なにもこれは今日始まったことではない。祥寿姫しょうじゅひめさおり、義平の元に嫁いできたおりより、ほぼ一週間に一回、武芸の特訓が日課ならぬ週課となっていた。

 義平は、何かと理由をつけて、けているのだが、今回は、しくじった。

 なんで、嫁の武芸の相手をしなければならないのか、義平にはわからない。いつも、適当にあしらっているのだが、さおりは、負けては、怒る。さおりが勝っても、義平の不甲斐なさをなじった挙句本気を出していないと言い怒る。どっちにしろ、さおりは不機嫌になるので、義平にしてはどうやっても始末に負えない。

 無駄なことは一切しない主義の義平、只、嫁の顔を立ててやっているだけといってもいい。

 稽古とはいえ、木剣、刃のみ木製の薙刀で打ち合うのである、これが結構痛い。

 今日は、義平大鎧の脛当すねあてをしっかり着用して屋敷の中庭に出てみると、いきなり、、。

「悪源太殿、なんですか、その格好は!」

 さおりの、よく通る大声。もうかなり怒っている様子だ。

「見ての通りだ」

「この祥寿をごろうじ回せ」

 さおりは籠手こても付けず、打ち掛けにはかまだけ履き、薙刀をもって仁王様のように立っている。

「我が嫁にして全くはじなき立派な姿ぞ」

女姓にょしょう相手に甲冑の一部を着用いたし、恥ずかしゅうないのですか」

「ないな、遊び女の息子ゆえ

 これを言うと、さすがのさおりも黙り込む。

 義平が、庭へいでると、さおりは毎回草履を脱ぐ始末である。脱ぐ時後ろへ蹴った草履が恐ろしく遠くまで飛んでいく。あれで蹴り上げられたらと思うと、五臓六腑が冷え上がる義平である。

「嫁いだ嫁が、嫁ぎ先の庭で裸足とは、父御前ちちごぜ義重よししげ殿が泣くぞ」

「いざっ」さおりの声が屋敷中に響く。

 毎回近習から、下男、下女、侍女、屋敷中の耳目を集める、あからさまにじっと見るものはいないが屋敷内のものほとんどみな知っており、台所では、掛けまで行われているというわさである。

 さおりの真剣な表情。美女でも醜女でもない女であるが、この真剣な顔をしているときが、一番美しく見えるかもしれないと義平が思ってると、稽古用の薙刀が飛んでくる。

「えあっ!」

 義平の得物えものはいつも悩むのだが、木剣である。剣術は基本、廻いが全てである。武者として幼いときより、超頑固な守役の三浦義明みうらよしあきから弓から剣、後の世の手裏剣のような投剣まで一通り訓練を受けている義平は薙刀も無論使える。

 薙刀を使うとひょっとするとさおりに対して完封してしまう可能性があるので、一応少し廻い的に多少苦しい大刀の木剣で適当に受け流して、稽古したことにして終えているのである。

 今日も、勢いがいいのは、当然さおりである。声も伸びやかに

「とわ、」

「えあ」

「それ」と薙刀を打ち込んでくる。

 義平は、かこん、きこんと一応、上手うわて気分ではらう。これも、さおりを苛つかせる一因らしい。

 しかし、さおりの薙刀というか、武芸の筋もとてもいい。

 薙刀の切っ先がいつも最短距離で義平に迫ってくる。義平が払ったのちも、切っ先が遊んでおらず、すぐ、防御としてさおりの半身はんみの前にこれまた最短距離で戻る。相当な手練である。

 接近戦に持ち込んで、組合い男女の膂力りょりょく差で組み潰してもいいが、それこそ、卑怯というものだろう。

 今日もどの辺で負けたことにしようか悩んでいるときに、突然、さおりが半歩下がり静かに言った。

「悪源太殿、今日も手を抜いておられますね」

 声に不機嫌さがしっかと乗っている。

「うむ、左様、祥寿のおかた様よ、皆が見ておる中で夫婦で打ち合うのはやめんか、もう気が済んでだであろう」

「気晴らしでやっておるのではありませぬ、それより本気を出されませ、それこそ御武家おぶけとして卑怯というもの」

「祥寿のおかた様よ、この義平は遊び女の息子ゆえ、卑怯未練の塊、相手が女とは申せ、おれが本気を出すと、蹴ったり砂や石を投げつけるぞ」

「ご随意になさりませ」

「ようわかったわ、しばし待て」

 義平は、そう言うと、足の脛当すねあてを外した。そして、さおりの草履の方へ投げてやった。脛当ては草履の上に落ちた。さおりが義平を睨みつけそしてにやりと笑った。

 これも、さおりの策か?。

 これで、義平に、さおりまさしく、ひらである。

 すると、さおりが、半身の向きを変え、薙刀を更に低くかまえ、かまえを変えた。

「ちょっと待て、おまえだって、先だってより構えを変えておるではない、、、」と義平が、言った瞬間。

「であーっ」

 さおりが、今まで見たこともない構えから、今まで見たことのない速さで打ち込んできた。義平は、木剣を持ち帰る暇もなく片足を上げ、木剣で払うというより、もろに剣を立てて受けた。

 恐ろしい速さの薙刀が木剣の芯にあたり聞いたこともない高い音色が屋敷内に響き義平の手がしびれる。

 その時、屋敷の近習番きんじゅうばんのものが

「若様、都の父上様より、急ぎのふみでございます」と庭先の濡れ縁に駆け込んできた。

「おう」と近習の方を振り返り、返事をした義平。

 当たり前だが一瞬のきが出来た。

 刹那、さおりの薙刀の第二の打ち込みが最上段から来た。この女、背丈だけは六尺ちかくありそこらの男とほぼ変わらない。

 さすがの義平も受けが間に合わなかった。

 薙刀は義平の頭上に振り下ろされた。にぶい音がして、義平の頭にさおりの薙刀が直撃した。

 しかし、義平も三浦義明に鍛えられた相当の手練である。木剣のつかを握っていた左手を放すと、その手でさおりが引く前に薙刀を握った。

 義平の頭部は割れ、血がダラダラ流ている。真っ赤な顔のままさおりをにらみつけると薙刀を掴んだまま、さおりの方へ一気にまわいを詰めて行ったが、さおりも相当の手練れ、後ろ向きながら恐ろしく、確かで早いさばきで下がる。この薙刀で結ばれた夫婦は二人で屋敷の塀へ向い走っていった。

 さおりも義平が薙刀を掴んでいてはなにも出来ない。義平がいや、悪源太がにやっと笑った。しかし、それは塀の近くの光線の加減かもしれない。

 義平は、足を素早く、さおりの内股に掛けると、さおりをどすんと尻もちをつかせた。

 そして、義平は、そのままさおりにのしかかり、右手で持った木剣のつかを祥寿さおりのあごの辺りに突きつけた。

 さおりも虚をつかれた顔している。

「祥寿のおかた様よ、一つ教えてしんぜよう、下がるときは、どちらかに左右に回らるるか、開き、相手の側面をつくようにせねば、進んで駆けておるものには勝てませぬぞ」

 その時、義平の頭から、大粒の血がぽたっとさおりの顔に落ちた。

「ときには、このように、頭でやいばを受ける阿呆も居ります故」

 義平は、両手で仰向けになっているさおりを起こしてやると、

「急ぎのふみが父上より参っておる様ので御免」

 そういい、頭から血をダラダラ流しながら、近習番の待つ、濡れ縁に向かった。



 睦み事を終えた義平と祥寿姫さおりの二人が寝所にひっくり返っている。

屋敷内はとても静かだ。月明かりが心地よいが、晩秋の折ゆえ、火照った躰はじきに冷えていく。

 さおりは、あっという間に寝間着の裾を整える。

「昼間の文じゃが、父義朝から軍を率いて上洛するようにと命が下った」

さおりも新田家の姫でことの重大さを理解しているのか、何も答えない。やがて、

「源氏の名に恥じぬように存分にお働きあれ」と言ったあと、いつものさおりは少しくすくす。よくわからぬが楽しいらしい。

「自分のために闘う」

「御自分の、、」

「うむ、上洛した折に橋本と呼ばれける土地に参りて、母に会はんとぞ思いける」

 少し、冗談めかしていう義平。

「まぁ」

「仔細は知らぬが、京の近くという話だ」

 さおりも一連の義平の母の話は知っている。

「ご存分にお会いなさりませ」

「うむ」

「かかる出征に補いて、少し酷な頼みをしても構わぬか?」

 驚いた顔のさおり。義平がさおりにいや他人に頼み事をするなどほとんどないからだ。家臣にすらなにか具体的に命じたことはない。いつも一人でプラプラ。

 この男は自分がどうすれば自身が心地よくなるか万事心得ているようで全部一人で済ましてしまう。

「敗将になりし、折は、昨今武者は梟首になるらしい、先だっての保元の乱でもその辺がひどかったようだ、わしが大蔵合戦で始めたことになっておるらしい、わしは叔父上の首など晒しておらんのに」

「存じておりまする」

「で、その御首をこの鎌倉にまで持って帰って欲しい」

「承知いたしました」

 さおり、討たれることなど考えてはなりませんとか、怒り出すかと思いきや、即答である。

 義平がさおりを見つめるとさおりいつになく眉間にしわがより、真剣な面持ちの様子。

 しばらく、経った後に

「いや、やめよう」と義平。

「いや、なにがあろうと持ち帰りまする。この新田義重の娘にして義平が室、祥寿さおりの働きどうぞ御覧じませ」と強い口調。

「流石に、首になった後では、働きは見られんなぁ」

 二人の間に少し重い沈黙が流れる。

「首を運んでももらうと、首が飛んだとか、琵琶法師あたりがうたうだろ、鎌倉悪源太の御首みしるしたるや、鎌倉まで飛~びに~け~む、いとあやし、いとあやし」

 義平、しまでつけて琵琶法師風に詠む。

 さおりの眉間の皺がさらに深くなる。やりすぎたと思った義平。

「やっぱりやめよう、死なばそれまで。死して後のことなど存ぜぬ」

「いや、やりましょう。悪源太などとそしっておる連中をあっと言わせましょう」

「なんだ、それは。さおりも悪源太とか時々いうておるではないか」

「一応悪源太殿と殿を付けておりまする」

「やめよう」

「やりまする、このさおりに万事おまかせを」

「首が朽ちておって誰かわからん場合もあるぞ」さおりが怯むと思って言ってみたが逆効果だった。

「では、その時に備えて、頭蓋骨を測りまする」

「えっ」

「さ、いざ参りませ」

 義平は、さおりに抱きすくめられてしまった。

「頭の幅は得ました。続いて奥行きを」

 義平、頭をさおりの胸元で回されこちんときめられている。

「乳が横っ面にあたっておるぞ」

「女将には乳がついておりまする、斜めの幅も測っておきまする」

 入念な頭蓋骨の体感測量が終わった後、二人はその二度目の睦み事になってしまった。


 こうして、義平の死後の企みが一つ出来た。

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