東国編

大蔵合戦

1155年 3月 東国


 夜が正に明けようとしていた。しかし、煙こそ消えかかっていたが周りに深く立ち込めた焦げ臭い匂いは当分周囲一帯から離れそうになかった。

 老武士が一人、瀕死の傷を負い獣のように野原に転がされたままである。

 壮年の武士は縄目のいましめを掛けられ、顔はすすだらけ、胡座あぐらをかき座り込んでいた。 壮年の武士の館はほぼ全て焼け落ち配下の兵はことごとく切り捨てられ無残なからだしかばねをあたりに晒していた。

 そこへ、一人の髭も生え揃わぬ若武者が下生えの草の生い茂る丘を登り、平然と歩みを進めてやってきた。

 体こそ、さほど大きくないが、肩幅は広く、目つきは鋭い。具足は、八竜の大鎧に大刀を穿いている。戦場にも関わらず兜は被っておらず烏帽子をかぶっている。

 若武者は縄を掛けられた壮年の武士の前に来ると、立ったまま普段と変わらぬ声で語りかけた。

「叔父上の兵は見張りがもう一つなっておりませんな」

「なにっ!」

壮年の武者は礼儀をわきまえぬ若武者を睨みつけた。

「叔父上ほどの武者ともあろうものが、鎧を着る間もありませなんだか」

「貴様っ」

壮年の武者はこの若武者をねめつけた。

「夜陰に火をかけるとは、貴様それでも名のある武士のする所業か!」

壮年の武者は怒声を上げた。若武者は何も答えなかった。うっすら笑を浮かべているようにも見えたが夜明けの微妙な朝陽のせいかもしれない。

隣に転がされている老武士は、しばらくうめいていたが、もう既にこと切れていた。

「このようなことを行いて、信頼のぶより殿が黙っておると思うておるのか!!」

壮年の武者は続けた。

衆道しゅうどうかたきを頼みとなさるなら、もっとそのかたきねんごろになさっておくべきだったのでは」

若武者は平然と言ってのけた。

「なにっ、それより早うこの縄目を解かんか!」

「それは流石に致しかねまする。それより駒王丸こまおうまるは何処へ行かれたのですか?」

「知らぬな、このわしが答えるとでも思うたか、どうするわしの指でも順に切り落とていくか?」

「武者風の輩二人が連れて行ったと聞いておりますが、この義平は一向に構いませぬ、父からは駒王丸のことは申し付けられておりませぬゆえ」

「貴様っ、武士の風上におけぬこの外道が、貴様が長男のくせになぜ嫡男になれぬか、この義賢よしかたがよう知っておるぞ」

一瞬、若武者の表情が変わった気配があったが、これも夜明けの光の具合かもしれない。

壮年の武士は続けた。

「この悪源太あくげんたが!その方の母親はよう存じておるぞ、あぁ、知っておる、男と見れば誰かと無くこびをふり股を開く橋本の遊び女ぞ。そうじゃ、その方は遊び女の子ぞ」

 若武者の表情は変わらなかったが、余計に無表情になり眼光は更に鋭くなった。しかし右手が大刀の柄を掴みかけていた。

「その遊び女の子に討ち取られた気分はいかがでございましょう。東宮帯刀とうぐうたてわき殿いや、下野守しもつけのかみ殿と呼べばよろしいか?叔父上殿」

「なにっ貴様!、こんな夜更けに火矢を遠方より射かけておいて何が戦じゃ」

「それがしは、遊び女の息子ゆえ、卑怯未練ひきょうみれんのかたまりにござる」

「それより、早うこの縄目を解かんか、そして、わしをどこに流す、果ては西国か」

「流すとは?此度の戦、申し訳ござらんが。我ら一党の住むべき在所を巡る争いゆえ、寸土もいささかな約定なに一つ譲歩はできませぬ」

「貴様、本気か?義朝よしともは承知しておるのか」

「最後に言葉を残されるのならこの義平、なんなりと伺いましょう」

「この売女の子め」

「叔父上殿、御覚悟あれ」

 若武者は、石切りと呼ばれる大刀を抜くや振りかぶり、一刀の元、縄目のかかったままの壮年の武士、源義賢を首をはねた。

 返り血を顔いっぱいに浴びた若武者は来た時と全く同じように丘を下り、、白い旗がたなびく一党の兵の元へ帰っていった。振り返ることは一切なかった。朝陽は完全に上がっていた。


 この若武者の名前を源義平みなもとよしひらという。渾名は鎌倉悪源太かまくらあくげんた。父は源義朝である。そして頼朝よりとも義経よしつねの異母兄にあたる。

 この夜の戦いを後の世は大蔵合戦と呼ぶ。

 これまでは、武士同士の争いでも敗者の首をはねることはほとんどなく所払いのような、流刑が一般であったが、これより敗者の武士の首をはねることが武者の習いとなる。

 この習わしは義平が始めたと言ってもよいかもしれない。

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