2 尻尾⁉︎ その2

 二階にある自分の寝室を出ると、一階にある居間へ行く。

 畳敷きの居間には掘りごたつがあり、炉の上に置かれたちゃぶ台にご飯や味噌汁といった純和風の朝食が並ぶ。季節的にも暖かくなってきたため、こたつ布団は外してあった。

 ミコトのいつも座る場所の向かい側には、祖父の平造へいぞうが朝刊を広げて、炉には足を下ろさず、日に焼けて少々くたびれた畳の上にあぐらをかいている。

 平造はミコトやリュウトの父方の祖父であり、静江から見れば義父にあたる。戦時中の軍人のような短い髪は胡麻塩頭で、べっこうのような蔓の老眼鏡をかけている。寡黙で、孫に対しても厳しい人物ではあるが、ミコトはそんな祖父が昔から大好きだった。

 彼は民俗学研究の専門家であり、ちょくちょく付近の大学に講師として呼ばれている。博士号は持っているが、大学の専属教授になるつもりは無いらしい。


「おじいちゃん、おはよ」


 ミコトは普段通りに挨拶をする。平造は新聞から顔を上げ、ミコトを見やると、


「ああ……」


 と、ぶっきらぼうに答えた。わずかに目を細めて、しばらくの間ミコトを見つめていたが、またすぐに新聞の記事に視線を戻した。軽く首を振り、すんと鼻を鳴らしたようだったが、やはり普段と変わらない。


(やっぱり、おじいちゃんも見えてないのか……?)


 祖父の反応を見るために、ミコトはしばらくその場に立っていたが、特に何も言われる様子はない。諦めて腰を下ろし、箸と味噌汁のお椀を手にした。


「おはよう……」


 半分寝ているような声でリュウトが居間に入ってきた。頭もまだ寝癖がそのままだ。


(……相変わらずだな、こいつは……。低血圧なのか?)


 目が覚めるまで人一倍時間を要する弟を冷ややかに一瞥する。

 そのリュウトが自分の場所に座るため、ミコトの背後を通ったその時だった。


「い、痛ぁぁっ!」


 リュウトがミコトのお尻から生えている尻尾を踏んづけたのだ。


「えっ?」

「あ、あ、あんたぁ! あたしの 」


 そこまで言ったところでミコトは慌てて口を噤む。


(あたしの尻尾って言うのか? いや、そもそもリュウトにも見えてないんだったら、尻尾の事を言ったところで、あたしが変な奴扱いされるだけじゃないか!)


 ミコトの中で様々な思いが目まぐるしく錯綜する。


「ど、どうかしたの?」


 リュウトは心配そうに、しかし半分怯えながら姉の顔色を窺う。


「な、なんでもない。寝ぼけてただけだ」


 そう言って誤魔化したつもりだったのだが、


「でも今、痛いって……」


(やけにしつこく食い下がってくるな……)


 おもわず苦い顔になる。とにかく誤魔化し通すしかない。


「何が? それはおまえの幻聴だ」

「げ、幻聴……?」


 明らかにリュウトは不審がっている。そりゃそうだ。さすがに今の誤魔化し方は自分でも無理があると思った。

 目の前では平造が二人のやり取りを聞いているのだ。平造にひと言突っ込まれたら、もはや為す術もない。

 何食わぬ顔で味噌汁を啜るミコトではあったが、内心、気が気でなかった。しかし、平造がその事を指摘するような気配は無く、ミコトの不安は杞憂に終わった。

 リュウトはイマイチ釈然としない様子ではあったが、ミコトも何事も無かったかのように黙々とご飯を食べているので、黙って自分の場所に腰を下ろした。

 それにしても……リュウトが尻尾を踏んづけて痛いと感じたということは、自分以外の人間に触れられても分かるということだ。しかし、相手はミコトの尻尾に触れたということには気付かないようである。どうやら無機物は通り抜けるが、自分以外でも人の体などの有機物には触れることができるらしい事がわかった。

 やがて新聞を読んでいた平造が、「ふぅ……」と、小さなため息をひとつ漏らす。


「工事中の手違いで文化財を壊しちまうとはなぁ」

「文化財?」


 おかずのめざしを口にくわえながら、ミコトは顔を上げる。


「おめえも見たことあるだろう? 藤野稲荷社にある、おキツネさんの石像だ」

「ああ、あれ?」


 藤野稲荷社は昨日、学校の帰りに通りがかり、丁度、ミコトが体調を崩したところだ。なるほど……昨日、境内で何やら悶着があったようだが、それが原因だったのだろう。

 しかし、おキツネさんの石像が壊されたという部分が引っかかった。同時に何か、うそ寒いものを感じて、わずかに身震いする。


「あらあら、罰があたらないと良いけど」


 苦笑を浮かべながら静江がオーストリッチ革のケリーバッグを手に、居間へ入って来た。


「罰って……どうせ御神体のキツネはお社に祀られてるんだから、石像の方は関係ないんじゃないの?」


 ミコトはめざしをのみ込み、ご飯をかき込みながら、母の迷信めいた言葉にケラケラと笑う。母の前では少しだけ女の子っぽい口調だ。

 だが、馬鹿馬鹿しいとばかりに笑うミコトを祖父は半ば呆れた様子で、


「おめえ、何か勘違いしてねぇか?」


 読んでいた新聞を折りたたみながら言った。


「お稲荷さんってのはキツネじゃねえぞ」

「えっ? そ、そうなの?」


 学業は優秀なミコトだが、それは初耳だった。稲荷神社にはキツネの像が付き物であるから、てっきりお稲荷さん・イコール・キツネだとばかり思っていた。


「御神体となるお稲荷さんは正確には宇迦御魂うかのみたまって言う五穀豊穣の神さんだ。キツネは穀類を食い荒らすスズメなどの害獣を餌としているため、稲荷神の眷属……つまりお使いとして稲荷社に一緒に祀られているんだよ」

「し、知らなかった……」

「それにあそこのおキツネさんは由緒ある白狐でな。石像自体も鎌倉時代の物だそうだ」


 それを聞いたミコトはギョッとして、にわかに顔面蒼白となる。


(白狐……まさか石像が壊れた事と、この尻尾って関係があるのか?)


 ミコトのお尻から生えている物はまさに白い尻尾。それに形だって図鑑などで見たことのあるキツネの尻尾にそっくりだ。何の因果関係も無いと考える方が無理がある。

 しかしまあ、あまり信心深くない者や文化財保護などに特別関心の無いような普通の人にとっては、自分と関わりの無い石像のひとつやふたつ壊れたところで、それほど深刻になるような事柄ではない。案の定、神仏をあまり信じてもおらず、文化財に対して興味の無い静江はあっさり話題を変えてしまった。


「それはそうと、お義父さん。今日は出かけるって言ってましたけど、どちらの大学ですか?」

「いや……今日は公民館で勉強会だ。昼前には出る」


 平造が大学で講義を行っているのも週に一日あるか無いかである。ほかには彼の言うように、公民館などで地域の民俗学愛好家などと勉強会を開いている。


「じゃあ、私はもう出ますけど、戸締まりはお願いしますね」

「ああ、わかっとる」


 彼は軽く頷くと、ようやく食事をし始めた。が、味噌汁をひと口啜って顔を顰める。朝食はしばらくちゃぶ台の上に置いたままになっていたから、すっかり冷めてしまったようだ。


「あなたたちも遅れないように早く出なさい。橋の工事はまだ終わってないみたいだから」


 そう言って静江は慌ただしく出て行った。


(とりあえず、このままでいるのも嫌だしな……。詳しく調べておきたいけど……)


 そうは言っても学校はいつも通りある訳で……おまけに昨日から始まった橋の工事が終わってないとなれば、早く家を出ないと遅刻する。忌々しげに尻尾をちらりと見ると、


「ほれ! あたしたちも行くぞ、リュウト!」


 ミコトは立ち上がって、まだのんびりとご飯を食べてる弟の頭を小突いた。そして、


「おじいちゃん、行ってくるね~!」


 とだけ言って、せかせかと出て行った。

 リュウトは「まだ食べ終わってないのにぃ……」とでも言いたげな顔をしていたが、ミコトが居間を出て行くと、慌てて箸をほっぽって姉のあとに続いた。


 

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