6 異変

 その日の授業が終わり、皆一様に帰路につく。ほとんどの者は部活も始まっていないため、そのまま帰宅する事となった。

 ミコトたち五人は帰る方角も同じである。が、唯一、鉄平だけはバス通学であるため、校門を出てすぐの場所にあるバス停で別れる。

 瑞木はミコト、京華、八雲とは別の地区であるため、自転車通学であるが、帰りはミコトたちに合わせて自転車を引っ張りながら途中までは歩きで帰っている。

 四人が登下校に使う道は途中、二級河川に架かる短い橋を渡ることになる。この街を南北に分断するように流れる細い川だ。しかしながら、橋のたもとまで来たところでミコトたちははたと足を止めた。コンクリート製の橋には工事中の看板が立てかけており、自動車はおろか、歩行者の進入も禁止されている。


「ええ? 朝は通れたのに、何で通行止めになってるんだ?」


 ミコトが頬を膨らませて文句を言う。京華も口には出さないが、眉間に皺を寄せ、不満げな顔であった。


「ああ! そおゆうたら、ウチ、先生たちが話してるの聞いてん!」


 突然、瑞木が興奮した様子でポンッと手を打つと、関西弁で捲し立てた。

 瑞木はどういう訳か家にいるとき以外は標準語で喋るようにしているのだが、興奮すると、つい関西弁が出てしまう癖がある。別にみんな、テレビなどで普通に関西弁は聞き慣れているから、関西弁で喋っても構わないと思っているのだが、彼女には何かしら思うところがあるらしく標準語で喋るように努めている。だから、ミコトたちも敢えてその事には言及しなかった。

 しかし妙な事に、瑞木は関西弁で喋り出すと天然属性が嘘のように消えて無くなる。この事はミコトたち五人のメンバー最大の謎とされているが、それは余談。


「先日の大雨でこの川が珍しく増水したやん。その時、流木かなんかがぶつかって、橋脚の一部に亀裂が入ってるんが見つかったゆうてたわ!」


 入学式の二日ほど前に大雨に見舞われた事はミコトたちも覚えていた。普段はほとんど水かさの少ないこの川であるが、その日は十年に一度と言われるほどの濁流となっており、この橋にも近寄れないほどであったのだ。それにしたって……。


「何で下校時間の今なんだ!」

「そ、そら、こんな壊れかけの橋、人が渡ったら危ないやん!」


 もっともな意見である。

 しかし、この橋を渡らないとなると、当然のように隣の橋まで迂回しなければならない。一番近い橋でも、ここから北に十五分ほど歩いた場所になるから面倒といえば面倒だ。


「まあ、ここで立ち往生してたって通れるわけじゃないでしょ。北の『唐草橋からくさばし』まで迂回しよ」

「うう……。あっちかぁ……」


 京華の提案にミコトは顔を顰める。ミコトは京華の提案する北側のルートがどうも苦手なのである。

 別に橋が苦手というわけではない。問題はその唐草橋を渡ってすぐの場所にあるトンネルである。

 トンネル自体は至って平凡な全長十メートルほどの短いトンネル。しかし、ミコトだけはそのトンネルを通るのが苦手なのだ。

 それもそのはず……そのトンネルというのが、ミコトが幼い頃に父親を自動車事故で亡くした場所だったのである。父親が運転する車にはミコトも同乗していた。そこで事故に遭ったのだ。

 ミコト自身、事故当時の記憶は全く無い。もちろん、話には聞いている。が、恐らく事故の詳細を聞かされていなくても、そのトンネルは苦手であっただろうと思う。ただ、漠然とした息苦しさのようなものを感じ、自然と避けるようになっていた。

 実のところ、京華や八雲をはじめとした友人たちには事故の話は一切していない。父親を早くに亡くしている事は知っているが、そのトンネルで亡くなった事はおろか、自動車事故で亡くなった事すらミコトの友人たちは知らないのである。その事実を知らないから、京華は、


「南側に回ったら片道で三十分はかかるんだよ! ほら、行くよ、ミコト!」


 容赦なく北の方へと歩き出していた。

 ミコトも今更、過去の経緯を話す事も出来ず、渋々あとに続く。

 川沿いの道を北へ向かって進んで行くと、徐々に民家も少なくなってくる。唐草橋の辺りまでやってくると、建物もほとんど無く、通りも木々が空を覆うように立ち並び、まだ日が高いにもかかわらず、一帯は薄暗くなっている。

 苔むした唐草橋からは東西に細い道が続いていて、その北側のほとんどは土剥き出しの山肌になっている。

 ミコトが苦手としているトンネルは唐草橋を渡って東へ二十メートルほど行ったところにある。北側の山肌が一層通りに迫り出した場所で、その部分をくり抜いて真っ直ぐな道を作ったような場所だ。


「さすがにこの辺りは涼しいってか、ちょっと寒いくらいよねぇ」


 京華が二の腕をさすりながら、そんな事を言っているが、ミコトの耳には入っていない。ただ、無言で三人のあとに続いている。

 トンネル内は別段、古くさくなっていたり、汚いわけでもない。本当に極々平凡なトンネルで、短くてもちゃんと照明だって付いている。


「あ~」


 瑞木が突然、間の抜けた声をあげる。その声は反響して、さらに間抜けさを増した。


「瑞木、何やってんの?」

「トンネルに入ると、つい声あげたくならない?」


 どうやら声がトンネル内で反響するのが楽しいらしい。小さな子供みたいな事をする。


「あんた……いくつになったのよ? 小学生じゃあるまいし……」


 京華と瑞木のバカバカしい会話は短いトンネルを抜けて、あっという間に終わる。

 トンネルを無事に通り抜けたミコトはホッと胸をなで下ろした。まあ、そもそも無事に通り抜けられて当然なのだが……。


 トンネルを抜けてからのミコトはすっかりいつもの元気を取り戻し、京華、瑞木とくだらない会話で盛り上がっている。八雲は時々、相づちを打ったりしているが、やはり口数は少ない。

 やがて、通りの左手に石造りの階段が見えてきた。階段の手前には『正一位 藤野稲荷大明神』と彫られた石柱が立っている。つまり、階段の上は当然、稲荷神社があるという事だ。

 その階段の上では、なにやら数人の大人たちが大声で言い合っている。


「ん? なにか揉めてるみたいだな」


 階段の前で少し立ち止まると、ミコトは神社の方を見上げた。

 階段は数十段ほどで、通りからでもお社の屋根くらにであれば確認できる。だが、この日はお社の手前に重機が置かれているのが見て取れた。


「なぁに? 工事中?」

「なんだか、今日はあちこちで工事してるわねぇ」


 京華もうんざりした様子で境内の方を見上げる。

 神社の境内では工事関係者たちの間で何やら悶着があったようだが、話している内容まではよく聞こえなかった。そんな折り、


「なぁっ?」


 ミコトが素っ頓狂な声をあげる。彼女の目は既に神社とは別の方角に向けられていた。

 ミコトたちの前方から二十歳になるかならないかくらいの男が歩いて来る。紫のスカジャンを着て、スキンヘッドという風貌。人相も悪く、どことなく田舎のチンピラという雰囲気が漂う。

 その男が飲んでいたジュースのペットボトルをミコトの見ている前で、道路脇にポイッと捨てたのである。ミコトが声をあげたのは、その瞬間を目撃してのことであった。


「ちょっとぉ! そこのおまえぇ!」


 通り過ぎようとする男の前に回り込み、ミコトは男を睨みつける。


「ああん? なんの 」


 男は「なんの用だ?」とでも言おうとしたのだろう。が、最後まで言う間もなく、


「天誅ぅぅぅっ!」


 ミコトの跳び蹴りが男の顔面に決まっていた。男はそのまま仰向けに倒れる。


「出たぁ……ミコトの『ご臨終蹴り』が……」


 京華は「ご愁傷様」と言わんばかりに合掌する。


「久しぶりに見た気がするねぇ」


 瑞木も力無く微笑みながらも、相変わらずののんびり口調で言った。

 相手の顔面に跳び蹴りを食らわすといった、ミコトの通称『ご臨終蹴り』。蹴られた相手は必ずと言って良いほど仰向けに倒れるのだが、周囲の人間は蹴られて倒れた者を哀れむように合掌するというのが学校でのお決まりのパターンであった。その様子から、ミコトのその蹴りはいつしか『ご臨終蹴り』と呼ばれるようになっていた。


「て、てめぇ……なにしやがる……」


 男は鼻を押さえながら、喘ぐように起き上がる。


「む……まだ起き上がれるか」


 少し感心したように薄く笑うミコトであったが、すぐに男の胸ぐらを掴むと自分の方に力一杯引き寄せ、


「今、ポイ捨てしただろ!」


 上目遣いに睨みつけながら、凄みを利かせる。殺す気満々じゃないかというほどに殺気がみなぎっていた。


「そ、それがなんだってんだよ」


 男はミコトの殺意にも似た迫力に圧倒されながらも、なんとか虚勢を張って見せる。

 黙っていれば可愛らしい少女であるのに、これほどの鋭い眼光と気迫を放てるとは、余程の修羅場をくぐり抜けて来たのだろう……と、腕に覚えのある者なら、そう感じるに違いない。

 この男が腕に覚えがあったか否かは分からないが、反抗的な態度を取ったためにミコトからさらに二、三発殴られ、瞬く間に戦意を喪失してしまった。


「拾ってこ~い!」

「で、でも、こっち側……崖になってて……」


 男がペットボトルを投げ捨てた道路脇は斜面になっていて、だいぶ下の方に田んぼが広がっていた。


「知るかっ! 自業自得じゃっ!」


 そう言って、ミコトは男の尻を蹴飛ばした。

 結局、男は悲鳴をあげながら、斜面になっている藪の中へ逃げるように入って行く。その様子を見届けると、ミコトは例によって、


「はぁ~っはっはっはっはっ!」

 

 と、高笑い。

 まあ、確かにポイ捨ては悪いことだが……。


(やり過ぎだ……)

 

 その場に居た誰もがそう思った。



「さて、行くか」とばかりに、再び歩き出そうとしたミコトであったが、


「この粗暴者が……」


 突然、どこからともなく少女のような声が聞こえてきたかと思うと、次の瞬間、ミコトは巨大な何かが全身に覆いかぶさってきたような感覚に襲われ、路上に両膝をついた。


「な、なんだ……コレ……?」


 頭が締め付けられるように痛い。元々肌寒いと感じるほどの気温ではあったが、どういう訳か今は真冬の雪山に放り出されたような……刺すような冷たさを感じる。


「ミ、ミコト、どうしたの?」

「ミコトちゃん、身体の具合でも悪いの?」


 京華と瑞木、八雲が心配して顔を覗き込むが、ミコトは返事すらおぼつかない。寒さを感じているのに、全身から脂汗が噴き出している。もはや、自力で立ち上がることもままならなかった。


(あたし……どうしちゃったんだ? それに、さっきの声は……?)


 そんな事を考えてはいたが、朦朧とした意識は何度となく飛び飛びになってしまう。

 何となく、八雲に負ぶわれていたことは分かったが、帰宅するまでの記憶はほとんど無かった。



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