4 先生と呼びなさい

 新一年生の各教室では、中等部の生徒会役員がこの学園に関する説明を行っているところであった。どうやら入学式の方は大分前に終わっており、各教室で担任教師が挨拶をした後、学生間の説明を何人かの生徒会役員たちが分かれて行っているらしかった。

 ドアの上に一年四組というプレートがはめられた教室の前まで来ると、ミコトは躊躇うことなくドアを開ける。

 突然、教室のドアが開けられたので、新一年生たちはもちろん、説明を行っていた生徒会の学生もビクリとしてミコトに注目する。


「え……? 筑波先輩? な、なにかご用ですか?」


 中等部生徒会の男子学生は怯えた様子でミコトの顔色を窺う。学園ではミコトたちの一年下の後輩になるわけだが、この学園の生徒であればミコトを知らぬ者はいない。無論、当然のように誰からも恐れられているわけで、生徒会役員と言えど例外ではない。


「ほほう。ここのクラスは生徒会長の担当だったのか? ご苦労、ご苦労」


 ミコトは屈託無い笑みを浮かべ、生徒会長である男子学生の肩をバシバシと乱暴に叩いた。本人は労っているつもりなのだが、叩かれた生徒会長にしてみれば痛いし、迷惑この上ない。

 ミコトは教室内を見回すと、


「先生はいないみたいだな……丁度良かった」


 満足げに何度も頷く。


「あのぅ……どういったご用件でしょう?」

「なにビクついてるんだ。別に取って食おうってわけじゃないから安心しろ」


 突然乱入してきたミコトにすっかり萎縮してしまった生徒会長を尻目に、ミコトはもう一度教室内を見渡す。

 その間、仲間たち四人は教室の外で、わずかに開いたドアの隙間から中の様子を覗っていた。 こういった具合に勝手にどんどん行動しているミコトに対して何を言っても聞かないし、下手に意見や注意などをしても、とばっちりを受けるだけだという事を四人とも熟知している。触らぬ神に祟りなしというやつで、こういう時は大人しく様子を見守っているに限る。

 ミコトは一人の生徒に目を向けると、つと口の片端を上げてしたり顔を見せる。彼女の視線の先に居たのは彼女の弟、リュウトであった。

 そのリュウトはと言うと、肩を窄めて俯き加減に姉の方を見ている。

 そして生徒会長から教卓を奪うなり、


「新入生諸君、まずは入学おめでとう!」


 挨拶から入った。


「おっ? 意外にまともな挨拶か?」

「さぁて、どうかしらね……」


 鉄平は素直に感心しているようだが、京華はこのまま穏やかに済むはずが無いと思っている。


「あたしは高等部一年の筑波ミコト。あんたたちに伝えておきたい事がひとつ……」


 ミコトは一呼吸置くと、今までの歓迎ムードから一転

 突如、鋭い目つきにドスの利いた声で、


「この学園では、あたしがルール! あたしの言う事は絶対! あたしには絶対服従! あたしこそが完全無欠の絶対王者なのだ!」


 矢継ぎ早に捲し立てた。そして「はぁ~っはっはっはっはっ‼︎」と、例によって悪魔のような高笑い。

 新入生たちは何かおかしなショーでも見ているかの如く、ぽかんとしている。


「まあ、あたしに逆らえば退学した方がマシと思えるくらい痛い目見るから、その事は覚えておくように」


 にこやかにそう告げるが、言っている事はほとんどチンピラ同然だ。

 言うだけ言って、教室を去ろうとしたミコトであったが、教卓から二、三歩行ったところで何かを思い出したかのように立ち止まると、すぐに踵を返し、教卓の前で生徒たちに向き直る。


「そうそう、言い忘れてた! そこにあたしの弟が居るけど……」


 ビシッとリュウトを指差した。新入生たちの目が一気にリュウトに集中する。

 当のリュウトは居心地悪そうに、さらに縮こまる。


「あたしの弟に手を上げて良いのはあたしだけ。もし、あいつに手を上げるような奴が居たら、その時は……」


 それまで満面の笑みで語っていたミコトであったが、先程よりもさらに殺気を込めた顔で、


「地獄の果てまで追い詰めてでも、そいつをぶっ飛ばす!」


 その場に居合わせた全ての者が震え上がるほど、凄んで見せた。


「じゃあまあ、そういう事でよろしく~」


 最後は再び、にこやかに手を振って教室を出て行った。なんというか……まるで嵐のような女の子だ。

 新入生たちが呆然としている中、生徒会長は「コホン」と咳払いをひとつ。


「僕からもひとつだけ伝えておくべき事があった」


 そう言ってミコトの消えた先を一瞥するなり、わずかに声を潜めると、


「命が惜しかったら筑波先輩にだけは逆らうな」


 真顔で告げた。


 ミコトは再び仲間たちと合流すると、ひと仕事終えて来たかのようなサッパリした顔で高等部校舎に引き返す。


「完全にビビッてたわね、あの子たち……」

 いつもの事だとはわかっているが、京華は呆れ顔でため息をつく。

「それで良いんだ。ナメられたらいけないからな。第一印象が肝心だ」

「第一印象って……なんか違くねぇか、それ……?」


 鉄平の一言が引っかかったのだろう。ミコトは彼の方を振り返るなり、キッと睨みつける。


「違うって、何がだ?」

「いや……第一印象って、普通は好印象を持ってもらうものじゃないか?」

「あたしの印象が悪かったっていうのか?」


 ミコトは彼の返答を待つ間もなく、彼の膝にローキックを見舞った。

 鉄平は「あだっ!」と声をあげ、蹴られた膝を抱える。ミコトに蹴られたり殴られたりはしょっちゅうだが、毎度痛めつけられる度に、この華奢な体のどこにこれだけの力があるのだろう? と、不思議に思えてならない。それだけミコトのパンチやキックは重かった。


「まあ、決して好印象ではなかったわね」

「京華まで? う、裏切り者ぉ!」


 あれで好印象を与えられたと思っている方がどうかしている。そうツッコんでやりたかったが、それよりも……。


「なぁに、ミコト? アタシを裏切り者呼ばわり? 良いのかなぁ……アタシにそんな事言って?」


 京華はミコトの肩に手を回すと、フッと耳元に息を吹きかける。


「う……。な、なんだ?」


 京華はさらにミコトの耳元に口を近づけると、小声で、


「バラしちゃっても良いんだぞぉ。あんたが小四までおねしょしてた事や、カエルが大の苦手だって事、小さい頃は泣き虫だったってステータスもあったわねぇ……。ほかにもおパンツは赤黒の縞パンしか穿かないって変なこだわりもあったっけかぁ~」

「わわわぁっ!」


 ミコトは耳まで真っ赤にし、慌てて京華の口を押さえる。

 幼馴染みという事もあって、京華はミコトの弱みを沢山握っている。ミコトとしては、自分は弱点など無い完全無欠でなければならないと思っているため、こういった弱みを他人に知られる事は致命的……と考えている。

 それを知ってか京華は事あるごとにミコトに対して、こういった脅迫めいた事をしてくる。もとより裏切ったつもりも無いし、親友であるミコトを本気で追い詰めるつもりは毛頭無いが、いつも強気なミコトをからかう事が京華にとって至上の楽しみであり、ついついミコトの弱味を盾に弄りたくなってしまうのであった。

 ミコトの方はというと、本気でバラされてしまうという危機感がある。いくら親友とは言え、京華の腹黒さを知り尽くしている以上、信用はできない。何度か口止め料も支払っているほどだ。だから、どうしても京華にだけは頭が上がらない面があった。


「す、すみません……」


 弱みを突きつけられると、小さい体を一層小さくして謝ってしまう。これもいつもの光景であった。


「でもでもぉ、ミコトちゃんがこの学校の秩序を守ってるんだもん。やっぱりスゴイよぉ」


 ほんわかした口調で瑞木がミコトの味方をする。が、天然素材の瑞木……やはり、どこかズレている。


「瑞木ぃ! おまえはあたしの最大の理解者だぁ!」


 ミコトはそんな瑞木の体をガシッと大げさに抱きしめた。


「ホント、つくづく脳天気というか……おめでたい脳みそしてるあんたがうらやましいわ、瑞木……」

「そっかなぁ?」


 京華は思いっきり皮肉を込めて言い放っているのに、当の瑞木は貶されている事にすら気付いていない。まるで褒められているかのような笑顔である。

 こんな性格だし、見た目も可愛らしいため、瑞木は男子学生からかなりモテている。無論、ぽや~っとしている彼女がそのような事実に気付いていようはずも無いが……。


「しかしまあ、間違いを正すとは言っても、飽くまでミコトの目から見た間違いだからなぁ……。結局は力でねじ伏せてるわけだし、やってる事はほとんど暴君と言っても良いような……」


 鉄平はそこまで言って、ハッと口をつぐんだ。口が滑ったと後悔したが、すでに後の祭り。


「おまえなぁ……あたしに向かって、よくそういう事が言えたものだな……」


 顔は笑っているが、ミコトの額に青筋が浮かんでいる。


「わっ、わっ! 嘘です! 今のは言葉の綾っていうか、言い間違いっていうか……」

「死刑を執行する……」


 ミコトが歩きながら右手を振り上げたときであった。

 ドンッ 昇降口の角まで来たところで、誰かにぶつかる。ミコトはすぐにぶつかった相手を見る……そして、みるみるうちに顔面蒼白になった。


「ミコト……あなた、ここで何してるの?」

 スラッと背の高い女性。長い黒髪を襟足のところで束ねている。日誌らしき黒い冊子を手に、鋭い目でミコトを見下ろしていた。

「マ、ママ……」


 ミコトが喘ぐように言った瞬間、その女性は固い日誌の角でミコトの脳天をゴチンと叩く。


「イ、イダッ!」

「ママじゃないでしょう! 学校では筑波先生と呼びなさいって何度言ったらわかるの!」


 この女性こそ、ミコトがもっとも恐れている母、静江しずえであった。彼女は中等部、高等部で国語を担当している教師だが、中等部の学級日誌を手にしているところを見ると、今年は中等部の担任も受け持つ事になったようである。


「大体、あなたは今年から高等部に上がったのだから、こちらの校舎には用は無いんじゃないの?」

「は、はいぃぃぃっ!」


 母の厳しい口調に今までの勢いはどこへやら。ミコトはまるで背中に物差しでも入れてあるかのようにビシッと真っ直ぐな姿勢で直立不動のまま、わずかにカチカチと歯を鳴らしている。 恐怖におののいたその顔は、いつも尊大な態度のミコトからは想像もつかないほどだ。


(蛇に睨まれたカエルっていうのは、ああいう状態の事を言うのかしらね……)

(だな……)


 京華と鉄平はヒソヒソと話しながら、苦笑いを浮かべている。


「特別な用事が無いときは中等部の校舎には立ち入らない事!」

「はい!」

「あと、今年からリュウトが中等部に入ったのだから、もしあの子が困っているような事があれば、お姉ちゃんのあなたがしっかり面倒見るのよ!」

「はっ! 仰せのままに!」


 ミコトは恭しく敬礼する。その動きに一切無駄は無い。


(しかしまあ、あれじゃあ本当に主君と臣下ね……)


 京華たちも筑波家が軍隊一家と揶揄されている事は知っているが、あんな親子のやり取りを見せられると、そう言われても仕方ないと思わずにはいられなかった。

 静江は京華たちにも目を向けると、


「あなたたちもこの子に無理矢理付き合わされてるんでしょう? ごめんなさいね……」


 弱々しい笑みを浮かべ、申し訳なさそうに言った。


「い、いえ……別に無理矢理というわけじゃ……」

「そうですよぉ。ウチたちは好きでミコトちゃんに付き合ってるんですよぉ」


 あまりにミコトが不憫に思えて、京華と瑞木でフォローに回るが……恐らくは焼け石に水なのであろう。溺れている最中、浮き輪代わりに藁を投げ入れられた程度の助けにしかなっていない。


「で、では、失礼します!」


 ミコトはガチガチに固まったまま、オモチャの兵隊が行進するような歩みで、その場をあとにする。結局、高等部の校舎に戻るまで彼女の歩みが直る事はなかった。


 

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