偽の眠りは穏やかな夢

褪せることのない青。ガラスの中の肖像画に佇む彼が抱えているのは、胸いっぱいのフォーゲットミーノット。

柔和な笑みと青い髪。透き通る博愛の瞳は彼という存在の全てを表していると言えよう。名はウィル。魔術師コンソール・ソーサラーの最愛の弟にして唯一の家族。



雪深い冬の夜。禍々しい金貨色の月は地上を冷たく照らし、眠たげな空が眠剤色の白い雪を積もらせていく。

湯気を立てるコーヒーを一口含み、ソーサラーはペンを指にかけたまま甲で目を擦った。火傷しそうなほどに熱かったコーヒーも部屋の冷気に晒されて既に温くなりかけている。ペンを掴む指からは力が抜けて、何を書こうとしたのかも思い出せない。手元の手帳が滲み、統一言語で書かれた手記は段々と形をなくしていく。どうしようもなく眠かった。やるべきことがあったはずなのに、視界はどろどろと濁り夜の闇と混ざり合う。額を抑え、ソーサラーは机に肘をついた。降ろした片手にはふかりと温かな感触があった。

ウィルが自分の手を握っているのだと気が付いて、朦朧としたまま緩慢な動作で顔を上げる。気遣わしげな視線を投げかけるのは血を分けた弟だ。やわらかな印象の青い眼がソーサラーを映す。

「兄さん、疲れたのなら休まなくちゃだめだよ」

「……ああ」

ウィルは兄の手からペンを抜き取って、机の上に転がっていた蓋をかちりと閉めた。ソーサラーの指はペンを求めてしばし彷徨うが、ウィルの手はそれを包んで遮った。

「ゆっくり寝なよ。あんまり無理をしちゃいけない」

「…………ああ、そう、そうだな……」

変わることのない優しい声は、心の奥に眠る安らぎを呼んでくる。ソーサラーは深く息を吐いた。瞼が重い。全身から徐々に抜けていく力にどうにか抗おうとして失敗する。ずぶずぶと身を食む睡魔は額を舐め、思考を鈍らせ、指をねぶり、太腿を飲み込み、とうとう内臓に食らいついた。腹の中がどろんと重くなり、意識は零れ落ちるように彼の手を離れた。辛うじて体を支えていた肘が滑り落ち、彼の体は机の上に放り出される。ソーサラーは眠りに就いた。落ちた瞼は開かない。

ウィルは毛布を運び、起こさないようにそっと着せ掛けた。微かな寝息は安らかに、静かな部屋の空気を揺らす。眠りに入った呼吸は深くゆったりとしたリズムで流れていく。雪はしんしんと降り積もり、深まる夜に声を上げる者はいない。ウィルは呼吸に上下する背を撫ぜた。

「おやすみ、兄さん。良い夢を」

ウィルは兄の髪をくしゃりと撫でた。普段ならば嫌がるだろう行為にも、深く眠った兄は目覚めない。暗闇の中、慈愛の形に歪められた表情は微笑みの形をとった。ウィルは卓上に残ったコーヒーに口を付ける。カップの半分以上残ったそれに、もはや熱は残されていなかった。



「おはよう、『兄さん』」

「ああ。おはよう」




「うん? 開かないな……」

袋を片手に引き出しを探る。目打ちを手に取り、先端をどこに刺したものかと算段していたソーサラーへ、ウィルは呆れたように鋏を差し出した。

「横着だね、兄さん……尖ったものを使うと危ないよ。ほら、こっちを使ってよ」

「ん、ああ、ありがとう……」

ソーサラーは目を瞬き、目打ちから手を離してそれを受け取った。先の丸い刃を開き、しょきしょきと封を開ける。ビニールに穴が開き、詰まっていた銃弾のようなインクカートリッジがばらばらと机に散らばった。ソーサラーはそれをひとつずつ拾い集め、方向を揃えて箱に詰めていった。

「ウィルは怖がりだな。何をそんなに恐れている」

「……大事な兄さんに何かあったらって思うと心配でさ。またどこかに行っちゃうんじゃないかって……時々だけど、本当にそうなんじゃないかって思う時がある」

ソーサラーは厚紙の爪を押し込み、箱の蓋を閉じる。最後に残ったカートリッジひとつをつまみ上げ、彼はそれをペン先の根元へねじ込んだ。かち、と栓が外れ、ボールがどろりとインクの中を流れる。

「俺はどこにも行ったりしない。ウィルは心配性だな」

揺らすたび、カートリッジの中の気泡とボールが移動し、インクが泡立つ。ソーサラーは本体のスクリューキャップを回して閉めた。メモを一枚引きちぎり、金のペン先を滑らせれば暗い色の線が文字の形に残る。彼は満足し、ペンの蓋を閉じる。

「そうかな……」



ガリガリと綴られる文字は彼の思考だ。統一言語によって書き綴られた手記はだんだんと厚くなる。インクに濡れたペン先はぬらぬらと光り、指先の動きに連動して滑らかに文字を書きつけていく。ウィルはそれをつまらなさそうにじっと見ていた。



「おれと遊んでよ。兄さん。ここのところずっと難しいこと言ってばっかりだ。時間はたくさんあるんだし、昔みたいに二人で遊ぼう。おれと兄さん、ようやく一緒に暮らせるようになったんだから」

「ああ、そうだな、ウィル」



ウィルは薄い木の箱を抱えて現れた。それは子供用玩具、アルファベットの描かれた手のひら大の木製パネルだった。ウィルは嬉しそうにそれをソーサラーへ見せた。

「ほら見て、懐かしくない? 倉庫の奥から見つけたんだ。今日はこれで遊ぼう。アルファベット順に並べて単語を作ったりしてさ。床で積み木崩しでもいいよ」

「城とか作るあれか? 俺は木造建築はどうも……」

木箱を持つ弟の困ったような表情に気が付き、ソーサラーは慌てて口を噤んだ。ペンを置き、机の上の紙類を纏めて端へ押しのけた。

「……並べよう。ああ、なんだ、その……どんな単語ができるんだろうな? 楽しみだ」

彼は誤魔化すようにパネルの『A』を手に取って机の上に置いた。『A』、『F』、『R』……

「……Aのパネルが要るな…… どこにいったんだ?」

箱の中のパネルをかちゃかちゃと裏返し、ソーサラーは『A』の在処を尋ねた。ウィルはきょとんとして机の上を指した。

「ん?」

「いやだな、兄さん。頭で使ったじゃない。同じパネルは二個はないよ、忘れちゃった?」

「……そうだったか?」

「そうだよ。まあ、でも、久しぶりだもんね。忘れちゃうよね」

ウィルはそう言って作りかけの『afraid』から『F』を取り、『FAMILY(家族)』を新しく作った。ソーサラーは少し考えてから『F』の下に『E』を宛がい、『A』と『R』が既に使われているのを見てEを取りさった。

「頭文字をとって並べるっていうのは意外と難しいな……」

試行錯誤の末、彼はなんとか『FORGET』を完成させた。ウィルはしばらく考え、『B』と『X』を足した。忘却に箱がかかった。

「つぎどうぞ」

ソーサラーは頭を悩ませた。額に手をあて出来るだけ短い単語を思い浮かべるが、『cry』、『dim』、『ark』、『gum』……思いつくものは残りのピースでは作れない。机の天板を爪でひっかく。『S』、『H』、『Q』……

「あー……A、SH。灰だ」

言ってから、『NAP(うたたね)』でも良かったかもしれないなと彼は思った。『S』の収まるべき位置には既に箱の『X』がいたからだ。ウィルは『S』と『H』を手に取ると、もとあったパネルの上に重ねた。木のパネル同士がぶつかってぱちりと音を立てた。

「IにNとKを足すよ。インクだ」

カタカタと木の板が並べられていく。クロスワードパズルのように交差していた単語は高さを持ってだんだんとくしゃくしゃになっていく。ソーサラーはサイコロの展開図を思い浮かべ、これは組み立てられないな、と思った。

「これ以上足すのは無理かな……?」

「そうだ、SIN(罪)は……駄目だな、全部使われている。この詰まったところで何か作れないかと思うんだが……」

偶然並んだRHを指し、魔術師は並んだパネルを数枚はねて『RHODIUM』を作った。

「ロディウム? なんだっけ、光るやつなんだっけ」

「それはラジウムだ。R・A・D・I・U・M、radium。ラだと頭がRAになるな。ロジウムは金属だよ。白っぽい色で、貴金属のメッキに使う」

ソーサラーは肩をすくめ、皮手袋を付けた左手を閃かせた。ウィルはぱちぱちと目を瞬かせた。

「兄さんは物知りだね。流石だ」

「たくさん勉強したからな」

そう、とウィルは口の中で呟いた。誰の耳にも届かないその声はぞっとするほどの冷たさを持っていた。

「……ああ、そうだ! おれも、兄さんがいない間にいろんな事をやったんだ。今度その成果をみてくれないかな」

ウィルはぱっと笑い、机に手をついて身を乗り出した。青い眼が近づき、ソーサラーは目を瞬く。

「ああ、なにを見せてくれるんだ?」

「それはその日のお楽しみだよ、兄さん」



ソーサラーは皿の上に並ぶ菓子を摘まんで眺めまわした。ふわりと漂うアーモンドの匂いが鼻をくすぐる。

「マカロン?」

「そう、マカロンだ」

ウィルが用意したのは色とりどりの焼き菓子だった。赤や緑、黄色の皮へそれぞれ違ったクリームが挟まり、表面には着色された糖衣が斜めにかけられていた。その上へ施された装飾は銀のアラザンやスプレー、絞ったバターのクリームだ。炒った南瓜の種は花弁を模して円形に配置されている。

「焼き菓子だけど、中のクリームは生ものだから早く食べてね。日持ちしないんだ」

紅茶を二杯用意して、ウィルは小さな菓子の皿を兄の目の前にサーブした。ソーサラーはそれを摘まみ、恐る恐る口へ運んだ。さく、と音を立て、突き立てた歯は色鮮やかな皮を突き崩す。僅かな粘りと硬質な感触。

「おいしい?」

「ああ……」

クリームは甘く滑らかで、糖衣は麗しい。つやつやとした焼き菓子は濃厚なナッツの芳香を残し、それでいて爽やかにとろける。彼は震えた。

「驚いた……良く、できている……」

「そう言ってもらえるとうれしいよ」

ウィルは何でもないように言った。

「……どうやって作ったんだ……?」

「内緒だよ。レシピは教えないのが鉄則なんだ。教えたら真似されちゃうからね。そうだね、たとえ兄さんでもこれは言えない。言っちゃいけないんだ。でも、気に入ったならまた作ってあげるよ」

ウィルはにこにこと笑った。門外不出のレシピ。術式と同じだ、とソーサラーは思った。技術の流出を防ぐため、研究は秘匿して行われる。誰しもが、お互い何をしているのかを知らず、成果物だけが目に見える。さく、とマカロンを齧る。甘い焼き菓子。弟の至った『成果物』。思考に沈むソーサラーの意識へ、けたたましい音が突き刺さる。彼は跳ねるように顔を上げた。

「ごめん、兄さん。驚かせたね……ちょっと手が滑っちゃって……」

ウィルは屈み、割れて二つになったティーカップを拾った。その胸元はべっとりと濡れて湯気を立てている。

「怪我はないか!?」

「うん、大丈夫。ごめんね、割れたカップを片付けてくるから兄さんは食べていて。よかったらこれも」

ウィルはなんでもないように言い、自分の前にあった皿を滑らせた。対して、いまだ整理のつかないソーサラーは呆けた顔で目を瞬く。

「あ、ああ…… お前が無事なら、それで良い……」

目の前に差し出された皿と弟を交互に見遣り、彼は何とかそれだけ言った。



「今日もいい天気だね」

「そうだな」

ウィルの立つ窓辺からは光が差し込み、そのシルエットを青く際立たせる。陽光を反射しちらつく雪が窓の外できらきらと光っていた。薄暗い部屋で机につくソーサラーは手帳を開く。陰になった部屋の中で紙は薄青に色付いて見えた。彼はぼやけ、掴みどころのない色へペンを滑らせた。黒の軌跡が残るはずのそこへは、ただただ元通りの蒙昧な青がある。不審に思って覗いてみると万年筆のペン先は乾いて黒々としたインクを詰まらせていた。凝ったような黒。彼は蓋を閉めたそれを机の端へと押しやった。窓辺は明るい。ペンを諦め、彼は白い窓と弟の方へ目を向けた。

「いい天気だ」

「ね」

ウィルは楽しそうに言った。



頬杖をついて彼は一人、ぼんやりと音楽に耳を傾けていた。再生機を回る年代物のレコードはいつの間にか傷が付き、針が飛ぶ。流れる音は一周回っては同じ所へ戻り、いつまでも終わることはない。彼は針を上げることもしないで、ただただ延々繰り返すその音に身を委ねていた。



にこにこと笑う博愛の瞳は濁らない。



「助けて!」

ぞろぞろと玄関口から入ってくる集団に、弟は捕まっていた。強烈な既視感と眩暈にたたらを踏む。顔に掛かった黒い靄が視界を狭め、認知を歪ませていく。あれは誰だ。この集団は何だ。この違和感は何だ?

「助けて……兄さん……兄さん!!」

悲痛な叫びが思考を引き裂く。彼は疑問を振り捨て、拳を固めて集団に突っ込んでいった。

「今助ける! 待ってろ!」



見覚えのない顔の集団を叩き出し、ソーサラーは弟の頬にできた傷を消毒していた。誰か、どこから来たのかわからない集団。見覚えのない。見覚えがない? 本当に? 手元が滑り、脱脂綿を摘まむピンセットがウィルの頬を掻いた。

「いたっ」

「あっ、ああ……悪い、沁みたか?」

強い刺激に顔を歪めていた弟は、おろおろと困った顔で狼狽える兄へ小さく頷いた。

「すまない、すぐ終わるから少しの間だけ我慢してくれ」

彼は弟が苦痛を感じないよう、息を詰めてピンセットを扱った。丁寧に丁寧に、傷口から消毒液が垂れるくらいになってようやくソーサラーはピンセットを置いた。そうして詰めていた息を吐き、最後の仕上げとばかりに消毒の済んだ傷口に絆創膏を貼った。

「これでいい」

「ありがとう兄さん」

薬箱の蓋を閉め、ソーサラーはふと気が付いて言った。

「……オマジナイとかしたほうが良いか? 昔やってたみたいに?」

ぎょっとしたように目を見開き、ウィルは首をぶんぶんと横に振った。

「いやだな、やめてくれよ。おれ、もう子供じゃないんだからさ……」

「そうか」

「そうだよ……」

木製のパズルで遊ぶのは良いのにオマジナイはだめなのか、とソーサラーは思ったが、言えば目の前のウィルは困るだろうか。彼は疑問を口にすることなく、ただ『早く治るといいな』とだけ言った。



侵入者は途絶えない。攻撃は次第に激化する。

繰り返す荒事にソーサラーは戸惑い、臆した。



窓から陽光が差し込んでくる、暖かな日だった。その日、弟は両手で掬い上げるようにソーサラーの手を取った。

「ねえ、逃げよう、兄さん。遠くへ、ずっと、遠くへさ。こんなの耐えられないよ。ね」

「あ、ああ、そう……そうだな、ウィル」

彼は弟に手を引かれるまま家の外へと出た。山々はきらきらと光り、繋いだ手の感触は懐かしさを引き連れてくる。こうして二人でどこかへ行くのは久しぶりの事だった。学業と研究で二人が離れ離れになっていた期間は長く、その時期がどれ程の長さで、またどれ程の意味を持つのか、家を出ていた彼にはわからない。学校を卒業し帰ってきた兄を、弟は手作りのケーキで出迎えた。やわらかな風が頬を撫でる。ウィルはどこへ行くと言ったか。どれくらい走っただろうか。青い髪が陽光を反射して透明に光る。彼は、術者は目を瞬いた。


ごう、と風が吹き、身を切るような痛みに彼は、はっと目を見開いた。樹木、岩、水の臭い。乾いた風。術者は目を瞬く。見覚えのない水辺と、手の中の冷たい感触。彼は狼狽えた。白い指が手の中に握りこまれていた。

白い指から繋がっている青色。目の前の男は誰だ。目の前にいて息を切らせている男はこちらへ何事か訴えかけている。何事かを。目を瞑り集中する。ゆっくり息を吐くことで意識が段々とクリアになってくる。ラジオのチャンネルが合うようにノイズが減り、段々と晴れるノイズの隙間からは明確な痛みが知覚された。息を吸った歯茎や額の裏がずきずきと疼いた。痛み。痛みだった。思わず額を押さえれば、触れた手は酷く冷えている。

ぼんやりしていた耳へ、声が遅れて届く。目の前の男は『待ってくれ』『もう走れない』と言ったようだった。

耳と頬を赤くしてぜいぜいと肩を揺らしている男の姿に、術者は見覚えがある。そうだ、これはウィリアムの片割れだ。彼は知らず握っていた手を離した。手の中に残っていた懐かしさと体温とは、とろけて夢の隙間に零れ落ちていった。ひゅうと鳴る風は冷たい。吹きすさぶ冬の風が髪を巻き上げぐしゃぐしゃにしていく。ウィルはいない。この世のどこを探しても。



◆◆◆


頬を叩く髪を抑えて、耳にかけた。目の前では青い髪が同じように弄られている。息を吐くのに、俯いて膝に手をついているので酷い有り様だ。弄られた髪の隙間に、白いうなじと、赤く火照った耳が見えた。赤い肌だ。短いリズムで息を吐きだす男の肌は不自然に赤らんでいる。そこで術者は気が付いた。目の前の男はコートを着ていない。地の薄いシャツとネクタイ、ズボン、ベルト、靴、それだけだ。対して自分の格好は、ベストとジャケット、コートにマフラーまでつけている。ベストのボタンは掛け違えられ、ジャケットから上に至っては一つもボタンがはまっていない上、マフラーはコートの襟に引っかかっているだけに等しいが、ここでは些末な問題だろう。術者は着ていたコートを脱いで目の前の彼へと着せかけた。

「……とりあえず着ろ。このまま体温が下がると風邪をひく」

「えっ、あ、その……あ、ありがとう……」

ベストとジャケットのボタンを正しく掛けなおした術者は、いまだもたもたとボタンを留めているメンテナンサに向き直った。

「ところで聞くが、ここがどこだか知ってるか?」

「えっ? あの、えっと、じ、自殺の名所……?」

メンテナンサは目を泳がせ、疑問符つきでおどおどと答えた。遠くまで広がる水面は風に波立ち、照りつける太陽と合わせていっそ場違いなまでにきらきらと輝いている。術者は夏の海を思わせるその輝きに目をやった。

「そうなのか? 物騒だな」

「あ、あれ、違った……? じゃあ、なんだろ、ええと……」

メンテナンサは困ったように顔を伏せ、あちらこちらに視線を彷徨わせながら術者の望む答えが何かを考える。食い違いに気が付き、術者はひらひらと手を振った。

「ああ、答え合わせがしたいわけじゃない。来たはいいが俺もここがどこだかわからないんだ。どこなんだろうな、ここは。お前は知ってるか? ああ、さっき知らないって言ったな。俺が……連れてきたんだよな? あってるか?」

「あ、ああ。急に手を掴まれて、走って、ここまで引っ張られてきた……」

「そうか。まあ、走って来れる距離なら歩いても帰れるだろう。帰るか。途中でアイスクリームでも買ってやろう。どこに店があるかは知らんが」

ぎょっとしてメンテナンサは足を止める。ざり、と足元の白っぽい砂が音を立てた。

「こ、この寒いのにか……?」

術者は振り向いて、ぱちぱちと目を瞬いた。薄く靄のように見えていたビーチの幻覚は消え失せ、寒々しい空には薄い雲がかかっていた。

「……冗談だ! 帰るぞ、ボンボンを買ってやる!」



「か、硬い」

「硬いな」

コーティングのクーベルチュールをボリボリと噛み砕きながら二人はひび割れた道路を歩いた。ボンボンの洒落た小箱は手の上に気取った様子でカタカタと鳴り、艶めくチョコレート色の仕切りの間にはプラリネやヌガーやガナッシュが並ぶ。混じるキルシュをつまみあげた術者は、口に含んで奥歯で挽いた。溶けずに頬の内側へ貼りつく加食性の被膜を、冷えた舌は剥がして器用に丸める。彼は凝ったようなそれをセンターのサクランボと一緒に飲み込んだ。外気とはまた違った冷たい感触が喉を滑り、腹へ落ちていった。

「帰ったらクレームの便りを出そう。冬限定を名前に冠しているわりに、冬に食うには硬すぎる」

バキリと音を立て、割り砕かれたチョコレートの欠片が零れ落ちる。メンテナンサは頷き、いまだ溶ける気配のないボンボンを口の中で転がした。

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