「四角い」中の「彼女」

神山ひろ

第1話

 カランカランカラン


 音がした。

 その刹那、僕は現実に引き戻された。

 この音は大衆が自然と集まってくる様な洗練された響きとは違う。況してや祭祀を連想させる様な派手な轟音でもない。これは、どこか聞き聴き馴染みのある音だ。


「——いらっしゃいませ」


 人の声。

 ああ、そうだった。

 文庫本を読むのに無我夢中で忘れていたが、ここは喫茶店だ。音の正体は来店者を知らせる便利が取り柄のただの合図だった。

 仮想現実とも言える本の中の世界に魅了されていた僕は自分の居場所を忘れていた。本の中の世界に惹かれ、そしていつの間にか引き込まれていたのだ。


「——何名様でしょうか?」


 再び声がした。

 年季が入ったように渋くて厳かな声だ。心地良い響きをしている。声の主が気になった僕は入口へと視線を向けた。

 一言で表すなら『ダンディー』だろうか。清潔感のある白髪頭をした男性店員は雅やかな雰囲気を醸し出していた。


 時刻は12時丁度。いつの間にか時計の短針は長針に追いついていたらしい。僕は唐突にカフェラテのお代わりが欲しくなり徐に店内を見渡した。

 けれど、どの様に声を掛けたら良いものか。暫く逡巡していると、目の前にある木造の丸いテーブルに黒い人影が写った。良かった。店員が気を利かせて持ってきてくれたのだろう。そう推測し、安堵した。そのお返しにという訳でもないが、少しでも淹れやすいよう僕は空のコップ少し前に差し出した。


 しかしその瞬間。


 注がれたのはカフェラテではなかった。勿論、コーヒーでもなければカフェオレでもない。注がれたのは、いや。降ってきたのは白髪頭をした例の男性店員の声だった。


「お客様。少々宜しいでしょうか?」


 少し挙動不審だっただろうか。厳かな声に困惑しながら『はい』と答えると男性店員は何故か恐縮した面持ちで、


「只今、店内大変混雑しております。勝手な都合でお客様には誠に申し訳ないのですが相席をお願い出来ないでしょうか?」


 相席。あぁ、なるほど。男性店員が申し訳なさそうな顔をしていた理由はきっとこれだろう。それは威厳のありそうなこの男性店員も恐縮せざるを得ない。

 納得した僕は男性店員に承諾の意を示した。どっち道、あと一杯カフェラテを飲んだら帰ると決めていたところだ。特に断る理由はない。

 小さく頷いて見せた僕に男性店員は奇麗なお辞儀すると踵を返し、相席する客の方へと戻って行った。


「すみませんお待たせ致しました」


「いえいえ!大丈夫ですよ」


「承諾して頂いたので御案内致します」


「はい、お願いします!」


 そんな二人の会話が聞こえた。声から察するにきっと若い女性だろう。そして声のトーン、ボリュームから判断するに天真爛漫系女子だ。


「女性か……」


 僕は溜息を付く様に呟いたが時既に遅し。悔恨の情にかられていたその刹那、視界に1人の若い女性客が映った。

 第一印象は、そうだな。サブカル女子……(天真爛漫系)かな。


「はじめまして。失礼しますね」


「あ、いえ」


 僕は軽く会釈をして返答する。歳は僕と同じ位だろうか。高校生にも見えるが見た目から判断するのは難しい。僕は暫しの間思案していた。それが意識的だったかと聞かれると否定は出来ない。


 その時だった。


「あの、ちょっといいですか」


 目の前の彼女が急に声を掛けてきた。そして間髪入れずに続けて言った。


「間違っていたらすみません。もしかしてその本って『春風おさめ』先生の本ですか?」


「え、あ、はい。そうですが」


「うわ!すごい!嬉しいなー!まさかこんな所で会えるなんて。私も読むんですよ!」


 まさかなのは僕の方だ。目の前の彼女と本の趣味が同じなことに驚きである。いや、それ以前に天真爛漫でサブカル女子な彼女が本を読むという事実に驚いた。『春風おさめ』はそれほど有名な著者ではない。むしろ知っている人の方が少ないだろう。


「はい、すごい奇遇ですね。今僕が読んでいるの実は最新作なんですよ」

 

「最新作かー」


「もう読みました?」


「いやー。それがまだなんですよね。時間がないと言うか……、少し忙しくて」


「ああ、そうなんですね。今回もなかなか面白いですよ」


「あははは、私も早く読みたいなー。因みになんですけど、『春風おさめ』先生のどういう所が好きなんですか?」


「そうですね、最後に必ず誰かが死んでしまうという点ですかね。分からないと深読みしてしまう位です」


「あーやっぱり!そこが醍醐味ですよね!あははは」


 僕と彼女は初対面である。その筈なのに初対面ではない感じがした。けれどそれは奇遇にも彼女と趣味が同じだったから。尚且つ好みの作者まで同じ。会話が弾むのは至極当然の結果だろう。


「あの…。突然なんですけど歳はいくつですか?」


 最新作のネタバレを危惧したのか彼女は話を急転換させた。確かにネタバレされた後の虚脱感は半端ではないのは僕も知っている。

 

「19歳です」


 しかし何故か暫しの間沈黙が続いた。19歳という中途半端な未成年が喫茶店に来てるのがそんなに珍しかったのか。別に格好つけてる訳じゃない。

 幾分か間が空いたので僕が文庫本へと視線を戻すと、


「うふ」

 ——へ?と思った。


「うふ」

 ——は?と思った。


「あははは」

 ——カフェラテをかけてやろうか。と思った。


「え、うふふふっ」


 耐えきれなくなった僕は遂にカフェラテをかけ……ることはなかったが、訝しんで文庫本から彼女へと視線を変えた。コップの肢を握っていたのは喉が渇いていたからだろう。


「——?」


 訝しんで顔を上げると僕の頭の中は一瞬で『疑問』で埋め尽くされた。理由は他でもない。破顔している彼女が原因だ。

 僕は彼女の奇妙な謎々ゲームに付き合う気はなかったので彼女の核心に遂に迫ってみた。


「やはりサブカル女子だからなんですかね?」


「はい?」  


「あ、いえ何でもありません。何で笑ってるんですか?」


 すると彼女はその表情を保ち笑いながら、


「同じ!私と同じなんですよ!」


「何がですか?」


「歳です!私も19歳なんです!」


 彼女は元気発剌かつ柔かに、そして興奮気味に言った。そんなに嬉しい事なのか。


「え、ああ、19歳。そういうことですか。なるほどです、理解しました」


「相席で同い年からの異性。しかも趣味まで同じ。これって運命なのかな。なんか……ドキドキしますね!」


 ニットだからなのか、やや強調された胸の膨らみに両手を添えて彼女は言うが、


「いえ、全くしません」


 僕は完全否定する。大体、彼女はいきなり何を言っているんだ。ドキドキ?する訳がないだろ。そもそもどこの馬の骨とも分からないのに。


「私のモットーは笑顔なんですよ。因みに好きな飲み物はココアです。あっ、ミルクティーも捨て難いな。ここの喫茶店のは美味しいんですかね!」


 聞いてもいないのに彼女は突然自己紹介を始めた。これがマシンガントークなのか。僕はこういうの得意じゃない。出来れば防弾チョッキが欲しかった。大体話に脈絡がなさ過ぎやしないか。


「……………」


 すると弾切れでもしたのか、急に彼女のマシンガン並みのトークが止んだ。

 端から見ると付き合いたてで沈黙してしまった初々しいカップルに見えるのかもしれない。

 けれど、残念ながら実際は異なる。

 一般論から考えてみると僕らは絶対にカップルには見えない。答えは至ってシンプル。何故ならデート中に彼女を蔑ろにして本を読み続ける彼氏はこの世に存在しないだろうから。仮にいるとすれば、それは僕くらいだ。

 僕なら躊躇なく本を読む。

 そして今現在でさえ読み続けるのだが——


「あの……」


 僕のことはお構いなしとばかりに彼女は話を続けた。

 目の前のサブカル女子な君も本を読む人であるなら読書中に話しかけられた時の気持ちが分かる筈だろうに。

 けれど一応は初対面なので流石に無視してはいけない。

 僕は丁重に「何ですか?」と彼女に聞いた。


「私と………ませんか?」


 声がよく聞き取れない。適当に返事することも可能だったが念のため僕が彼女に聞き返すと、


「もし良ければ私と付き合ってくれませんか?」


 彼女は突然過ぎる告白をした。






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