第19話 シスターの依頼
昼飯を食い損ねた春明は、しつこく鳴り響いてくるすきっ腹を抱えたまま午後の授業を受け、そのままの状態でホームルームを終え、帰路についた。
空腹のせいで、なかば不機嫌な状態のまま玄関につくと、銀色の長い髪の少女が出迎えてくれた。
「おかえりなさい、春明」
もともと、この家の人間ではない彼女からその言葉が出てくるのはどうなのだろう、と思いはしたが、悪い気はしなかったため、春明は少しばかり機嫌を直し、笑みを浮かべた。
「ただいま。でもって、いらっしゃい、冬華」
「うふふ、お邪魔してたわ」
春明が玄関に入ると、冬華は手を伸ばしてきた。
どうやら、カバンをよこせ、ということらしい。
だが、春明はそれをお礼は言いつつ、大丈夫、と返し、冬華が持つことを断った。
冬華は少しばかり残念そうな表情を浮かべたが、部屋に向かう春明の少し後ろに続いた。
だが、春明はふと立ち止まり、冬華の方へ視線を向けた。
「……お前、今日、学校はどうしたんだよ?」
「あら?わざわざ聞くことかしら?大方の察しはついているんでしょう??」
「……さぼったんだな?」
「えぇ」
まったく悪びれる様子もなく、冬華はにっこりと笑った。
その様子に、春明は呆れたといわんばかりにため息をついた。
「まったく、普通、仕事が入ったからってさぼるか?」
「ふふふ、こっちに残っていたら、さぼることもなかったかもしれないわね」
「……おいおい」
「まぁ、それは半分くらい冗談なんだけれどね」
くすくす、と悪戯っぽい笑みを浮かべながら、冬華はそう返した。
それでも、半分は本気であるということに、春明は苦笑を禁じえなかった。
「学生の本分は勉強だろうに……将来、大丈夫なのか?進学とか」
いいながら、何を真面目なことを言っているのやら、と自嘲した。
魔法使いとはいえ、日本人として生まれた以上、日本国民として果たすべき義務は当然、生じてくる。
今は高校に所属しているが、それもあと数年。
そうなれば、当然、進路を考えなければならなくなってくる。
むろん、魔法使いとしての職務に集中することもできるが、それでも一般人からの隠れ蓑が必要になってくるため、必然的に就職するか進学することになるのだ。
「一応、進学を予定しているわ。ただ、もしかしたら海外留学するかもしれないけれど」
「バチカンにでも行くのか?」
「そんなところ。といっても、留学に乗り気なのはお父様のほうなんだけれどね」
ちろっと舌を出しながら、返した。
父親の方が乗り気、ということは、本人は留学するつもりはあまりないようだ。
「キリスト教徒ってなると、やっぱり総本山に行きたくなるものなのか?」
「行きたくなるというか、行かせたくなるって言った方が正しい気がするわ……そればっかりはお父様に聞いてみないとわからないけど、わたしは行ってみたいとは思えないわ」
敬虔なキリスト教徒ならば、聖地巡礼はしてみたい、と話すことはあるのだが、どうやら、冬華はそうは思わないようだ。
なお、その理由を聞いてみると。
「だって言葉が通じない国なんて面倒くさいじゃない」
とのことだった。
身もふたもない返答に、春明は苦笑することしかできなかった。
春明のその様子がおもしろかったのか、冬華はくすくすと楽しそうに微笑んでいた。
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カバンを自室に放り、春明は冬華とともに泰明の部屋へと向かった。
部屋では、二人が来ることをわかっていたのか、泰明が部屋の中央にちゃぶ台を用意し、そのうえに人数分の湯飲みと急須を置いていた。
「……ただいま」
「おかえり。話は聞いているか?」
「事前に連絡があったから、だいたいの予想はついてる」
「それは内容までは知らん、ということだな」
「そういうことになりますね」
あっけらかんとした態度で、春明はそう返した。
素直に内容までは知らないといえばいいものを、とため息交じりに心中でそうつぶやいたが、そのあたりは自分にも当てはまることなので、あまり強く言うことはできなかった。
「……なら、冬華から直接聞くといい。おそらく、お前が独自に調べていたことと重なるはずだがな」
「そのつもりです。というわけで、冬華、教えてくれないか?」
「えぇ」
春明の頼みに、冬華は真剣なまなざしでうなずいた。
「協会から寄せられてきた依頼ですが、東川町の気脈に奇妙な歪みが発生したようです。その歪みを調査。必要とあれば、原因の除去を、とのことです」
「なるほど。たしかに、俺が調べていたものと同じようだ」
春明は、ここ数日になって出現した気脈の乱れを調査していた。
そして、協会から寄せられた仕事も気脈の調査だ。
内容は一致しているし、何より、東川町の気脈は土御門の管轄だ。
加えて、調査の範囲を広げるつもりでもあったので、人手はお互い必要だ。
となれば、春明がとる選択は一つだった。
「わかった。その依頼、協力しよう」
「そう言ってくれるとおもったわ」
「おいおい、思ってもそういうことは言うなよ」
冬華が微笑を浮かべながらそう言うと、春明は苦笑した。
その困ったような顔を見て、冬華はくすくすと微笑みを浮かべていた。
だが、その表情はすぐに引き締まり、真剣なものへと変わった。
「それでは、報酬のことですが」
「半々、あるいは、そちらが六でこちらが四。これが妥当かと思うが」
「そうね……さすがに、こればかりはお父様たちにも相談の上、決めることにしましょう」
話を進めているのは冬華と春明ではあるものの、二人はいまだ未成年。
報酬分担の相場などは知らないので、手早く終わらせるため、その手のことに慣れている父親に任せることにした。
そのことについて、泰明は特にいうことはないようで、ただ静かにうなずいていた。
その反応を同意と判断した春明と冬華は、話を進め始めた。
「で、具体的にはどうしていく?先に調査を始めたとはいえ、俺が持っている情報はそれほど多くはないぞ?」
「えぇ。けれど、だいたいのことはわかっているんでしょう?」
「……少なくとも、原因なんじゃないかって存在とは遭遇している」
そう語る春明の脳裏には、邪魔をするな、と告げてきた少女が浮かんでいた。
同時に、せっかく祈りを捧げてくれた、とも言っていたことを思い出した。
ということは、あの少女はなんらかの神性を備えた存在であることはほぼ確定だろう。
そして、やっと、と言っていたことから、おそらく、祀られることがなくなって久しい、名もなき神ということにもなる。
だが、わかっているのはそこまでだ。
彼女がどのような神で、何を祈られたのか。
そこまでは、春明にはわからない。
なお、そのことを冬華に伝えると、冬華は意外に思ったのか、目を見開いて返した。
「あら?初期段階としては上々だと思うのだけれど?」
「そら、そうかもしれんがな……まぁ、式占でここまでしか読めないことがちょっと引っかかってな」
ため息をつきながら反論する春明に、泰明は微苦笑を浮かべながら、冷や汗を伝わせていた。
普通、式占に限らず、占術で事件の背景を知ることが出来ることはそうあることではない。
土御門家以外の術者もそうだが、術者が占によって出た結果を正確に理解しすることはほぼ不可能に近い。
実力が伴わないということも要因の一つとしてあるのだが、そもそも、占というものは星の動きや気脈の動きなど、様々な大きな”流れ”を読み解くものだ。
その流れの中から、必要になるものだけを読み取るということができないというのは、言うまでもないことだ。
それが出来てしまっているというのに、春明はまだ満足していないということに、泰明は喜びと呆れを、半々の割合、いや、呆れをやや強く感じていた。
もっとも、呆れられている本人はまったく気づいていないようであったが。
「なら、手始めは俺が遭遇したやつが何者か調べるところからか」
「それがいいと思うわ。どのみち、そこから探るしか糸口がないもの」
「まったく、いつも思うが、”揺らぎ”の方が単純でわかりやすいんだがな」
春明はそっとため息をつきながらそう漏らした。
別に、春明は脳筋というわけではない。
むしろ、考えなしに行動することを春明は嫌っている。
だが、かといって、複雑な仕事が好きというわけでもない。
面倒事はさっさと片付けたい主義であるため、協会からの依頼は面倒くさくないものに限ると思っているのだ。
冬華もそれはわかっているようで、いちいち、目くじらを立てることなく、くすくすと笑みを浮かべていた。
「うふふ、そういうところは相変わらずね」
「そうそう変わるものでもないだろ?気質ってのは。というか、そうころころ変わっても困ると思うが」
「まぁ、その通りね」
「……冬華のその対応の仕方もまったく変わらんな」
半眼になりながら、春明はそうこぼした。
もっとも、自分の知っている冬華が、引っ越してからもまったく変わっていないことに安堵しているのは言うつもりはなかったが。
「で、どうするんだ?」
「なにが?」
依頼をこなすにあたっての今後の方針を決めたはいいが、冬華の今後についてはまだ決めていない。
もっとも、返ってくるであろう答えはわかりきっているのだが。
「あら?ここに泊めてもらうことになっているんだけれど?」
「……ですよね」
きょとんとした顔で返してくる婚約者に、春明は苦笑しながら返した。
一応、北山町と東川町は電車で通うことが出来る範囲内にあり、離れていると言っても、それほど距離があるわけでもない。
だというのに、冬華はあえて、春明の家に滞在することを選択していた。
それだけ、春明に依存したいということなのだろうが、ここまで来ると、はっきり言って異常なのではないかとすら感じてしまう。
「……ちなみにおじさんかおばさんの許可は?」
「好きにしろって言われているわ。母様からはこれを機にものにして来いとも」
「……おばさん、自分の娘に何を吹きこんでんのあーた……」
冬華の口から飛び出てきた言葉に、春明は頭を抱えることになった。
なお、冬華の言はすべて本当であることは、泰明が確認済みだ。
結局、春明はそれ以上、冬華にこのことを追及することはできず、妖魔とはまた別の襲撃に神経をとがらせることになってしまった。
現代日本の魔法使い 風間義介 @ruin23th
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