第17話 協会からの依頼とうごめくもの

協会が星の運行から妖魔の動きを察知し、役所に依頼を出すよう、指令を飛ばした。

だが、その依頼が受理されることなく、三日間が過ぎた。

そんなことは露知らず、秋奈は今日も学校から『アルスター』へと向かっていた。

ふと、秋奈は首筋に冷たいものを感じ取り、振り向いた。

だが、予想に反して、そこには何もなかった。

いや、何もないように見えた。

――また?まったく、なんでわたしばっかりこんな目に遭うのよ……

だが、秋奈は自分が感じ取ったものが危険なものであることを認識していた。

同じものを感じたのは、これで五回目なのだから、いやでも認識できる。

秋奈はブレザーのポケットから「ソーン」と「エオロー」の文字が記された紙を取りだし、そっと捨てた。

その瞬間、二つの文字が淡い光を放ち、一般人には見ることの出来ない壁を作りあげた。

その壁に、どこからか出現した黒い犬が激突した。

危険回避と霊的守護を意味する、二つのルーン文字を組み合わせたことにより作りあげられた守護の壁にぶつかった、ということは、あの犬は霊的な存在であることを意味している。

うまく壁が機能したことを見届けた秋奈は、文字が効力を失い、壁が消失する前に祖んじょ場から逃げることを選択した。

実際問題、今、彼女が持っているルーンは「ソーン」と「エオロー」の二種類だけ。

そして、その二つでできることは、せいぜい逃げるための時間を稼ぐくらいのことだ。

ならば、無用な戦闘は避けて通るのが定石というもの。

加えて、まだルーンの扱いに慣れていないため、一人の時に戦闘になることは避けたい、というよりも、荒事はそれ専門の人に任せておこうという魂胆からその行動を選択することにしていた。

ちなみに、そのことを真面目な顔で咲耶に話したら、咲耶は半ばあきれ顔で。

「まぁ、ルーン魔術は本来、お守りや占いが主な仕事だもの。間違ってはいないわ。というより、その方針以外にどんなものがあると思うの??」

と、返された。

言い方はともかく、要するに、よほどの自信がない限り、ルーン魔術師は単独で戦闘を行うことは避けるべきということだ。

つまり、秋奈の選択は模範解答であるということであり、ここで逃げたからといって、支障に何か言われる筋合いはないのだ。

――というわけで、逃げの一手を使わせてもらうわよ!というか、もう当面、あんたらには関わり合いたくないし!!

背後でなおも不可視の壁に激突を繰り返す黒い犬に、胸中でそう悪態つきながら、秋奈は祖の場から走り去っていった。


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秋奈が妖魔と遭遇してから一時間後。

春明は学校近くの古ぼけた祠に来ていた。

誰かに呼ばれたというわけではない。

ただ、奇妙な気配を感じたのだ。

魔術師、というよりも、いわゆる”視える”体質の人間は、気脈の変化に敏感なのだ。

よく気脈が強い場所や霊的守護が施された場所、あるいは、俗に言う”あまりよくない場所”で、そういった体質をしている人が不調を訴えたり、何か違和感を覚えたりすることがあるが、それは、その場に流れている”気”の変化を敏感に感じ取っているからなのだ。

そして、そういった気脈の変化が生じた場所というのは、往々にして、良くないことが行われた場所であることが多い。

むろん、今、春明がいる場所が曲がりなりにも神域であるため、普段の場所よりも異質な流れを持っていることも考えられる。

だが、春明は仮にも神社の管理人の息子だ。

神域がまとっている気の流れには、慣れ親しんでいる。

だからこそ、わかる。

いま自分がいるこの祠の神域の気は、明らかに乱れている。

――あぁ、ちくしょう……こんな面倒なこと、関わらない方が吉なんだけどなぁ、ほんとは

領巾市に居を構える土御門家の役割は、領巾市全体の気脈の観測と管理だ。

領巾市全体を見渡せば、この程度の気脈の乱れは、なんら問題がない。

ゆえに、専門の人に任せて、自分はこれ以上、関わることなく、放っておくことも一つの選択肢ではある。

だが、特に神域の気を乱した何かに対して容赦するという選択肢も、彼の中にはないため。

――さっさとこんなことしでかした馬鹿野郎を見つけて、ふんじばって、三途の川を渡らせてやる

と、物騒なことを考えていた。

春明はそっと目を閉じ、今、自分がいる場所の気の流れを感じることに集中した。

その瞬間、春明の視界は瞼から入りこんでくるわずかな光すら入りこまない、真っ暗な世界に支配された。

だが、その暗闇の中に、かすかに見える光の粒子があった。

粒子は、まるで鰯のように大量に群れ、春明の周囲をまるで蛇のように動きまわっていた。

だが、春明には他にも粒子の渦の中心となっているものが見えていた。

その中心にあったのは、やはり目の前にある祠。

そして、もう一つ。

それは、春明の背後にあった。

目を見開き、春明は背後に目を向けた。

そこには、春明の半分くらいの身長で、まだ中学生にも上がっていないような、幼い印象を受ける少女が立っていた。

その少女の顔は、まるで春明をにらみつけているかのように鋭かった。

春明は、気づかれないように袖の中に隠した呪符を、いつでも取りだせるように身構えて、目の前にいる少女の姿をした何かに問いかけた。

「……お前、人間じゃないな?」

「邪魔を、する気?」

「は?」

「邪魔をするの?せっかく久しぶりに、祈りを捧げてくれたの……その子の願いを、邪魔はさせない!!」

春明の問いかけに、まったくわからない答えを返した少女は、なおも春明を睨みつけながら、激しい怒りをぶつけてきた。

同時に、彼女の方から突風が春明に襲い掛かってきた。

「くっ!!」

春明はどうにか吹き飛ばされないよう、踏ん張り、右手で刀印を結び、横一文字に切った。

「禁っ!!」

その瞬間、春明の目の前に不可視の壁が築かれ、風と一緒に飛んできたものを防いだ。

やがて、風は収まったが、少女の姿はどこにも見当たらなかった。

だが、春明の耳には確かに、先ほどの少女のものと同じ声が聞こえてきていた。

『コレ以上、邪魔ヲスルナ!次ハ容赦ハシナイ!!』

呪詛にも似た響きの声が止まると、春明はそっとため息をついた。

そこには、やはり面倒事を抱え込んでしまった、という後悔の念ともう一つ。

明らかに自分に対して喧嘩を売ってきた少女に対する、好戦的な想いが込められていた。


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その日の夜。

冬華は一人、礼拝堂にいた。

「天にまします、我らの父よ……」

ぽつりぽつりと、彼女の口からかすかに祈りの言葉が紡がれていた。

就寝前に、こうして祈りを捧げることは、もはや習慣となっていたため、祈りの言葉を一言つぶやくたびに、冬華の意識はまどろみの入り口へと向かっていった。

だが、その祈りは背後からかけられた声によって中断された。

「お祈りの最中、失礼するよ」

「……何の用でしょう?父なら、今、執務室ですが」

「そのお父様から許可をいただいて、ここにいるのですよ」

冬華は振り返って、礼拝堂に入ってきた人物に視線を向けた。

そこには、ブラックスーツに黒いネクタイの、いかにもその筋の人間を思わせる姿をしている人間がいた。

だが、冬華はその人物が、本当にその筋の人間ではなく、自分たちの同業者であることを知っていた。

そのため、特に怪しんだり、叫んだりすることもなかったが、さすがに寝間着に近い恰好をしているため、警戒だけはしていた。

そんな冬華をよそに、男は冬華の後ろにある長椅子に腰かけ、懐から一枚の封筒を取り出し、話を続けた。

「先日、”社”の方々が協会にむけて指令を出したのは、ご存知でしょう?」

「えぇ……もしかして、その依頼をわたしに?」

「そういうことです」

そう言って、男は封筒を手放すと、封筒はひとりでに冬華の手もと向かって飛んでいった。

冬華は飛んできた封筒を受け取った。

協会からの依頼に、いつまでも志願者が来ない場合、こうして協会にいる人間がランダムに選んだ魔法使いに直接、依頼を届けることになっている。

そして、依頼をされた魔法使いは、半強制的にその依頼をこなさなければならないという決まりごとが存在している。

もっとも、そうなる場合のほとんどは、依頼を届ける側の人間が魔法使いと何かしらの縁があるため、魔法使いの方が断るに断れないため、そうなってしまうのだが。

だが、冬華は目の前にいる男に見覚えがまったくない。

となれば、父と個人的な付き合いがある人間、ということになるのだろう。

ここで断れば、おそらく、父に迷惑をかけることになる。

そう考えた冬華は、陰鬱なため息をつき、封筒の中身を確認した。

封筒の中には、東川町に奇妙な少女が発見されたため、その正体を確かめ、必要があるのならば、調伏あるいは魔法使いとして協会に連行せよ、というものだった。

その内容に、冬華は眉をひそめた。

「……あの、これ、言い回しはともかく、人さらいをしてこいってことですよね?」

「人さらいというのは人聞きが悪いですねぇ」

「そういうことですよね?」

飄々と受け流そうとする男に、冬華はにっこりとほほ笑みながら、再度、そう問いかけた。

その笑顔の裏で、本当のことを言わないとどうなるかわかりますよね、と拳銃でもつきつけられながら問いかけられているような気がしてしまった男は、冷や汗を頬に伝わせながら、釈明を始めた。

「……あくまでも、正体を探るところまでで大丈夫です。もし仮に魔法使いだった場合は、然るべき手順で然るべき処置を取りますので」

やましいことはしないし、させません、と言外に告げると、冬華は男に背中を向けた。

とりあえず、般若の仮面が背後に見えていた笑顔をこれ以上は見ないで済んだ男は、ほっと安堵のため息をついた。

だが、まだ帰るわけにはいかない。

彼女からの返答を聞かない限り、自分の仕事はまだ終わってはいないのだ。

「それで、返答は?」

「……協力者を一人、つけて構わないのなら」

「もちろん。ただし、報酬については当事者同士でご相談ください」

報酬に関するトラブルについてまで、つきあうつもりは毛頭ないようだ。

もっとも、いちいちそこにまで干渉していたら協会の側がいらないトラブルを抱えることになりかねない。

そのため、報酬に関しては事前ないし事後に協力者と依頼を受けた魔法使い同士で話し合って解決することが暗黙の了解となっていた。

もっとも、ほとんどの場合、協力者は協力を要請した魔法使いに報酬の山分けを要求することはない。

何らかの形で、貸しを回収させてもらえればそれでいいのだから。

もちろん、その時に回収するものが、対価としてつり合っているかどうかを判断するのは、回収する本人なのだが。

もっとも、冬華が協力を要請する魔法使いは、将来的に様々なものを分かち合う立場になるのだから、そういった対価を考える必要はないのだが。

「それなら、この依頼。お受けしましょう」

「ならば、資料をここに置いておきます。一度、目を通しておくといいでしょう」

そう言って、男は持っていたカバンの中から一冊のファイルを取り出し、自分が腰かけている長椅子の隣に置いた。

冬華はそれを確認することなく、小さくうなずいて返すと、男は立ちあがった。

「では、私はこれにて……健闘を祈ります」

「貴方に、主と聖霊のご加護がありますよう」

修道女お決まりの挨拶を返され、男は静かに礼拝堂から去っていった。

礼拝堂の扉が閉まる音を聞くと、冬華はそっとため息をつき、天井を見上げた。

知らない男と二人きり、というのは、さすがに心臓に悪い。

襲ってはこない、というよりも、襲ったら何をされるかわからないから、何もしてこなかったのだろうし、襲われたとしても、返り討ちにする自信はあった。

それでも、恐怖を感じないことはない。

「……寝る前に春明に電話しようかしら……」

せっかく、まどろみの中へ入っていけそうだったと言うのに、台無しになってしまった、と思いつつ、冬華はそんなことを呟いていた。

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