第1話 幼い頃の夢



 七星暦セブンテ1672年 冬節ウィンター


 ――この世界を生きる命達よ。

 ――自らの住まう地は、自らの手で創り上げなさい。


「自由を愛するこの世界の神様フラム様は、生み出したばかりの命たちにそう言いました」


 身も凍える寒さの季節だ。小さな家の中で、親子三人は穏やかな時間を過ごしていた。

 時刻は夜。外では、身を引き締めるような厳しい寒さの中雪が降っている。


 家の中、暖かい暖炉の近くには椅子が置いてあり、五歳になったばかりの娘をその膝に乗せ、娘の父親が絵本を読み聞かせているところだった。


 離れたところでは縫物をしている娘の母親が、テーブルの上に布と裁縫道具を広げながら、その微笑ましい光景に時折り視線を向けては、笑みを浮かべながら穏やかに見つめている。


 絵本のタイトルは『定めの創造巫女クリエイティス』。

 一般に広く出回っているありふれた本の中の一冊だ。


「フラム様は、命を創造されても、その命の在り様までお決めになりませんでした。しかし、原初の命達は、ただ見守るにはあまりにもか弱く、また儚い存在でした」


 父親が慣れない手つきで絵本のページをめくる。

 娘は、自分のそれとは違う、大きくて浅黒くてガサガサした手が次のページを開けるのを静かに待った。


 新しく開かれたページには、女の人とも男の人とも見える髪の長い綺麗な人物が、手の平の中のキラキラとした輝きに、何かを語りかける絵があった。


「なのでそこで、一つだけ命達を手伝おうとお決めになりました。それが、皆も知っている星源節スターライトを作り出した理由です。」

「あ、それ知……むぐ」


 反射的にだろう。自分の知識にある言葉が出て来たので声を上げてしまったらしい娘は、とっさに自分の口を塞いだ。

 朗読の邪魔をしないように、気を使ったのだろう。

 父親は苦笑を顔に刻みつつも、気にせず続きを語り聞かせてやる。


星源節スターライトには、命達の代表者である巫女が一人だけ選ばれます。神様はその巫女の事を、創造する巫女……創造巫女クリエイティスと名付けました。なぜなら巫女には、多くの命達が生きていくこの世界を、自由に形作る願いを何でも一つだけ叶えてもらえる権利が与えられるからです」


 ページをめくる。

 そのページは、いままで真っ白でスッキリとした背景しかなかったページとは変わっていた。


「わ……」


 少女は声をあげた。

ありとあらゆる色や形が、キラキラとした光の周りにあふれていたのだ。草花に動物、無機物に有機物、お日様に海に大地に空にと。

 それは少女の心ににささやかな感動をもたらすものだった。


「それは、始まりの頃の命達が自らの力だけで生きられるようになってからも、ずっとずっと今まで続いてきました。それは神様がきっと、命達が自由に歴史を歩み続けられるように……と、そう残してくれた祝福と願いなのでしょう。私達はその事を忘れずに、神様への感謝を忘れないように生きていかなければなりません。……ふぅ、おしまい、だ」


 ぱたり、と父親が絵本を閉じると、ぱちぱちと小さな拍手が鳴りひびく。


「おとーさん、よくできました」

「ふぅ、慣れない事はするもんじゃねぇな。肩凝っちまった」


 娘を膝から下ろし、絵本を椅子の上に置いて立つ。

 そして、同じ姿勢でいた反動で疲れた筋肉をほぐすように、肩をもんだり大きく伸びをしたりした。


「またやってよ、おとーさん。面白かった。今度はごえーの人の本!」

「面白かった。本当か?」


 疲れた顔をしつつも娘の喜び様を見て、満更ではない表情を浮かべて父親は娘に訊ねるが。


「うん! ギャップがあって面白かった!」


 子供は正直だった。

 あんまりな真実を告げられた父親は……、


「そっちかあ……」


 ますます疲れたような顔になって、立ち上がったイスにもう一度座り込んだ。

 繕い物の手を止めて、母親がくすくすと笑い声を上げているのを見て、父親は憤慨したように文句をとばす。


「おいおい、絵本の朗読はお前の仕事だろ?」

「あら、珍しく何か俺にやる事ないかって聞いてきたのは貴方でしょう」

「それは、そうだがなぁ」


 正論を言っていると分かっていても反論したくなると、そう言わんばかりの様子で父親はうなだれてみせる。


「ねー、おとーさん。巫女様ってずぅーっと、ぼっちなの?」


 父親が先程朗読し終わった絵本。

 大人の手には小さくとも、子供の手にはまだ大きなそれを抱える様にして呼んでいた娘は、中身を覗きながらぱらぱらとめくった後にそんな声を上げた。


「ん、ああ、そうだな」

「なんだか、可哀そう。一人なんてつまんないし、きっと大変だよ」


 娘の発言に父親と母親は顔を見合わせる。

 そんなこと考えた事も無かったという顔で。


 彼らは、そしておそらくこの世界に生きる全ての者達は、巫女が一人だという事に「可哀そうで大変だ」などとは思った事もないのだ。


 なぜなら、それはそういうものだから。

 ずっとそう続いてきたことなのだし、神様がそう決めたのだからそうであるべきなのだろうと思っていたからだ。


「お前は優しいなあ。さすが俺の娘だ」

「俺の、じゃなくて私達の、でしょう」


 父親が娘の頭を乱雑に撫でながらそういうと、テーブルの方から母親が抗議。


「悪い悪い……。そうだなさすが俺達二人の娘だ」


 そんなやり取りをしている間も、娘は一心不乱に絵本を見つめ続けていく。

 やがて、少女の中で何らかの結論が出たらしく、うん、と一つ頷いて顔を上げた。


「あのね、あたし決めた。次に巫女様になる人がいたら、寂しくないように一緒に旅についてってあげる!」


 そして少女は、この先何年かにわたって胸の内に抱くことになるであろう夢の一欠けらをすくい上げ、そう言葉に乗せたのだった。


 その言葉を聞いた母親は微笑んだ。


 少女よりも世の中を知っていた大人達は、厳しいという現実を教えるでもなく、ただただその夢を肯定し夢を見つけた少女の心の成長をそっと祝福するのみだった。


「そう、きっと出来るわよ。ルオンなら」

「おう、ルオンは俺の娘だからな。そうと決まったら体力付けないとなあ。今度の休み、どこか遠くへ遊びに行くか」

「もうあなたったら、ルオンは女の子なんですから、あんまり無茶な事はさせないでくださいね」


 両親の肯定の言葉にすっかり気を良くした少女は、家の中をはしゃぎまわる。


 その夢はこれから、少女の力となり、目指すべき指針となる。

 少女はいつも夢と共に生き、夢を見て前を進んでいくことになる。


 だが、人の願いの全てが叶うものではない。

 その事を、部屋の中で無邪気に走り回る少女はまだ知らなかった。


 その時の少女は、数年後成長した自分が夢破れる事になろうとは、微塵も思わずにいたのだった。


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