この旅が終わったら
約束をしてほしい
エミリーを回収してから五日後。プリムたちはソウェルアンスールにやってきていた。この町は旅行者たちを歓迎することに莫大なお金を掛けており、娯楽施設がいたるところに見られる都市だ。湯治場があることを最も宣伝しており、それに付随して演芸場も多い。演芸場での興行を楽しみにして来る観光客も多いとプリムは聞いている。今まで訪れたどの町よりも一般の観光客が多いように感じられた。
ソウェルアンスールの中でもとりわけ有名な温泉宿。プリムはそこの露天風呂にいた。
「ふー」
頭にはディルが乗っかっている。あれから事件に遭遇することはなかったが、警戒の意味を込めてプリムはほとんどディルを手放していなかった。
(疲れを取るなら温泉も悪くないですよとか何とか言っていたけど、これで本当に元気になるものなのかしら?)
この町に来た理由は医者に勧められたからである。医者が過労だと診断したため、温泉に浸かってゆっくりすれば回復すると言うことなのだろう。あまり気は進まなかったのだが、リーフがやたらとプリムの健康状態を気にしているのと、リーフが作った人形の情報もあり、悪くはないと思って訪ねたのであった。
時間帯が中途半端なのだろう。露天風呂にはほかのお客の姿はない。広い浴場は湯気でけむり、どことなく幻想的な雰囲気である。また独特の香りが気分を落ち着かせる。温めのお湯が心地よい。
(魔術と精神の関連性についてをエミリーは指摘していたけど――)
ぼんやりとギューフェオーでのことを思い出す。
エミリーを回収した翌日、カルセオの好意で彼が所有している書物の一部を見せてもらった。陣魔術に関する書物である。現在出回っている魔術関連の書物はそのほとんどが人形職人の扱う魔術や傀儡師の扱う魔術に限られており、滅多に陣魔術の本を見ることはない。プリムは以前にリーフが陣魔術の話を聞かせてくれたことを思い出し、目を通す価値があるだろうとふんだのである。
その甲斐もあって、傀儡師の魔術についての知識がより深くなり、魔導人形と傀儡師が結んでいる契約についてもはるかに理解が進んだ。このことについて、プリムはリーフに話していない。
(あれ? じゃあなんでミールさんが出てくるの?)
ウードを持って森から戻ってきたリーフはミールに会ったことをプリムに話していなかった。でもプリムは気付いていたのだ。ミールが愛用している特徴的な飛行用人形の姿を目にしていたから。
(いや、待てよ。まさかミールさんにこの状況が伝わっているってこと?)
イールを使役していたのがミール本人であったのなら、確実にこの状況が知れていることになる。
(となると、父様と母様が協会に現れたのも、そこで写本を見せてもらえたのも単なる偶然じゃないってこと?)
妙だと思っていたプリムであったが、ミールが手配したとあれば納得できる。ミールとプリムの両親は付き合いが古く、プリムの父親自身も協会の重要な役職についているはずなので、何かと連絡はいっているであろう。
(ミールさんに話が聞ければ……)
そこまで考えて、プリムははたと気付く。ミールがこの状況を知っているのは危険なことだ。協会の最高権力を行使できるミールは、人間を人形にする罪を裁く権利も持っている。
(――って、お姉ちゃんに相談するよりもたちが悪いじゃない! 今のは無しよ!)
思考を中断させるべく勢いよく首を横に振ると、その拍子にディルが落下する。
「うわあっ! ディル!」
驚いて慌ててディルを引き上げる。呼吸をしているわけではないのでおぼれる心配はないのだが、そんなことには構わずプリムは心配する。
「ご、ごめんね。ついうっかり」
濡れて重くなった翼をなでながらプリムは謝る。これでは飛ぶことは難しいだろう。
「みぃ」
心配するなと言いたげな鳴き声。表情もないのに、そのしぐさと声だけで感情がわかる。こういう人形も珍しい。
「もう出るかぁ。ちゃんと乾かさないとね」
立ち上がると、プリムはディルを肩に乗せて湯船から出た。
とった部屋はそれなりに広くてくつろげる形式のものだ。昨晩から泊まっており、今晩宿泊した後に別の場所に移る予定である。ここに泊まったのはプリムの休息を優先したからでそれ以上の利点はなく、値が張ることから二泊で出ようと決めていた。
「ただいま」
プリムが扉を開けると、リーフはいつもと同じように寝台で寝転んでいた。手にはまた新しい本が握られている。プリムは髪をぬぐいながらリーフの寝台に腰を下ろす。
「どう? 何か新しい情報は得られた?」
「うーん……まずまずかな。ここまでくるとどの本も同じことしか書いてないように思える。やっぱり古典を引っ張り出すぐらいのことをしたほうがいいのかもしれないな。『魔導人形理論』と同時期に書かれたくらいの本を」
本を枕の横に置くと、腹筋で起き上がる。
「そんなに昔の本、図書館に行かないと見ることなんて無理よ」
プリムは笑う。湿った髪は普段以上にくるくるとしていて短く感じられる。それを丁寧に綿織物でぬぐった。
「ま、そうだけど」
リーフはプリムが握っていた綿織物を取り、彼女の髪をぬぐう。もう半分ほど乾いていて、しずくが流れることはない。
「ここの温泉、いい香りがするんだって?」
その質問に、プリムは答えられない。人形には嗅覚がない。リーフの台詞が紛れもないその事実を示していたからだ。
「……う、うん」
申し訳なさそうにうつむいて、プリムは小さくうなずく。
「俺のことなら気にするなって」
「だったらそんな話題を振らないでよ。……つらいんだから」
プリムの気持ちを察しての台詞だったが、逆効果だった。
「……悪い」
「…………」
黙り込んだまま、プリムはリーフに髪をふいてもらう。その手つきはとても優しい。
「ふぅ……」
「ため息つくなよ。不幸になるぞ」
思わずついたため息をリーフが指摘する。
「ウィルドラドを出たときも似たようなことを言ってたわね」
ずいぶんと昔のようで、とっても最近のように思える。あの日のこと、今ならもっと客観的に考えることができるのかもしれない。分析するための知識もあの時とは全く違う。さまざまなことを経験し、いろいろなことを学んだ。この旅で得たものは多い。失ったものの代償に見合うかどうかは別だが。
「そうだったな」
プリムはリーフにそっと寄りかかり、彼の手を止める。
「ん? 珍しいな」
「あなたのその行動も珍しいわよ?」
言ってプリムはくすっと笑う。リーフも笑う。
「そうかもな」
リーフは綿織物を置くと、プリムを抱きしめる。優しく、それでいてぎゅっと。
「こら、だから馴れ馴れしく触るなってば」
嫌そうな声をわざと作るが、腕を解こうとはしない。
「始めにくっついてきたのはお前だ」
「むう……」
「それなのに薄情なことを言うなよ。……俺の気持ちも知らないで」
肉体の感覚が狂っていることに気付き、リーフは必死に過去の記憶からその感触を思い出す。そしてその動揺を悟られないように感情を押し殺した。
「気持ち……」
プリムはリーフの台詞を繰り返す。
考えていないと言えば嘘になる。知ろうとしていないと言えばそれは偽となる。プリムはリーフのことをずっと考え、気遣っている。最近になってやっとその余裕が出てきた。始めの頃こそ自分のことで手一杯だったが、首都を出てからはだいぶ心構えが違ってきたように思える。傀儡師として成長したからだともいえた。
「――ねえ、リーフ君?」
「ん?」
「この旅が一段落したらさ、また一緒に旅をしようよ。次は一緒に食べたり飲んだりできるでしょ? いろんなものを見ていろんなことをしようよ、ね?」
期待はしていない。この旅が報われるだなんて思っていない。だからこその約束。
「そうだなあ……」
リーフは返答に詰まる。思いはプリムと同じ。叶う見込みの薄い約束はしたくはない。
「……一緒にお風呂に入ったり、同じ寝台で寝たりしてくれる?」
「ばっ……」
プリムはリーフの腕を振り解いてリーフの顔を見る。いたずらっぽい笑顔がそこにはある。
「馬鹿言ってるんじゃないわよ! そんなくだらない冗談!」
のぼせたわけではないのに真っ赤な顔で怒鳴ると自分の寝台に戻る。
「え? 半分くらいは本気なんだけど?」
「そんなの本気で言うものじゃない!」
むっとした口調で自分の寝台にもぐる。
「だから冗談半分なんだが」
リーフは残念そうに肩をすくめる。
「…………」
プリムは壁を向いたまま黙り込む。
(なんでこんな男と……)
考えたらきりがない。これは単なる事故なのだ。不運以外の何物でもない。
(あたしは被害者なのよ、うん、絶対にそう)
ひたすらプリムは自分に言い聞かせるように繰り返す。
(じゃあ、あたしは、心の奥では彼をどう思っているんだろう?)
エミリーの言っていたことが思い出される。その台詞に恐怖を覚える。思い出すたびに身体が震えてしまうのはどうしようもない。この身体の反応は、あの人形の台詞を肯定しているからなのだろうかと考えると、さらに震えが止まらなかった。
「どうした? プリム」
毛布に包まったまま震えているプリムの様子を妙に思って訊ねる。
「……リーフ君……あたしはあなたを人形にしないってあのとき誓ったんだよ? 今でもその気持ちは変わらないんだからね」
「ああ、わかってる」
リーフは近付くのをやめて、寝台に座り直すにとどまる。
「リーフ君は、リーフ君なんだから……」
涙がこぼれそうになるのを必死にこらえる。
「……そんなに怖いか? 俺がお前の人形になっていくのが」
「言わないで……」
消え入りそうな声で呟くとプリムは耳をふさいで丸くなる。リーフの指摘はプリムの気持ちを言い当てていた。だからこそ、つらい。
「……出かけてくる」
リーフは自分の上着を手に取ると、そのまま部屋を出て行く。彼なりの気遣いだった。
「ごめんね、リーフ君……」
プリムは声を押し殺しながら久しぶりに涙を流した。
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