アストラルシリーズの初期作品、イール
大通りの商店街を早足で抜ける。本当は駆けて行きたいところだったのだが、混雑し始めた通りを走るのは困難で、仕方なく早足となる。
(この方角は図書館?)
プリムの予想通り、ディルは国立図書館の前に彼らを案内する。昨日と同じ様子の大きな扉が二人を迎えた。
「ディル」
たどり着くなり呼びかけると、ディルは糸に引かれて袖の中に隠れる。さすがに飛ばしたまま中に入るのははばかるとプリムは判断したのだ。
「だいぶ言うことを聞くようになったな」
その様子にリーフは感心する。最近のディルは自分勝手な行動はほとんどせず、プリムの言うことをきちんときいている。たまにいたずらをすることはあったが、糸をつける前と比べたらおとなしいものだ。
「懲りているんじゃないの? 糸で制限されているから」
プリムはくすくすと笑う。その袖の中でディルはもぞもぞと何か言いたげにしている。
「はいはい。――行きましょう」
気を引き締めると図書館に踏み出す。昨日とはまた違った意味で緊張していた。
受付で署名し、許可証で身元確認をする。人形職人にも許可証があり、リーフもプリムと同じように提示して中に入る。
(なんて広いのかしら)
一階部分の広間は吹き抜けで、二、三階の本棚を見上げることができる。たくさん並ぶ本棚にきっちりと本がつめられていることを考えると、その量は想像できない。見える範囲を見渡した限りでは、『魔導人形理論』の最終公開日であった昨日と比べ利用客はずっと少ないようだ。
プリムはふかふかとして気持ちのよい絨毯の上をディルに導かれて静かに歩く。その後ろをリーフが続く。二階に続く金色の手すりのついた階段を上がり、導かれるままに進んでいく。本棚には分類を示す説明板がかかっており、歴史だとか法律だとかいった単語が並んでいる。プリムたちがあまりお世話にならない区画のようだ。脇目も振らずに進んだ先は、本を書き写すために設けられた部屋だった。
(ここ?)
ディルはその扉にこつんと当たるとすぐに身体を隠す。間違いがないらしい。プリムはごくりと唾を飲み込んでから扉を開ける。
中は窓のない部屋で、一人一人に分けられた机は広く十台ほど並ぶ。利用者は三人。そのうちの二人は屋内だというのに頭巾を目深にかぶっている。プリムは訝しがりながら中に入り、リーフを中に入れると扉を閉める。頭巾をかぶっていない男がこちらに気付いて顔を上げる。
(人形?)
思わずプリムは構える。男の顔には瞳がなく、あるはずのそこには暗い穴が開いていたのだ。
(どこかに傀儡師がいる? この頭巾をかぶっているどちらかが……)
「!」
頭巾をかぶっていた二人が急に立ち上がり、プリムたちを見る。それもまた人間の顔ではない。
「もう少し、静かに入れないものかなあ?」
頭巾をかぶっていない人形は手元にあった雑記帳を閉じてにやりと笑う。暗い穴の中を針でつついたような小さな光がせわしく動いている。それが彼の瞳なのだろう。
「お生憎さま。急いでいたものですから、泥棒さん」
彼の持っている雑記帳がリーフの探しているものだと直感的に判断する。にっこりと微笑んで言い放つと、彼も立ち上がる。
「会って早々に泥棒呼ばわりか。失礼な奴だ」
「弁解するなら、その雑記帳を見せてもらえないか?」
リーフもプリムと同じことを思ったらしい。すぐに人形の手元にある雑記帳に注目する。
「これか?」
手に取ってこちらにその表紙を見せる。ぼろぼろの使い込まれた雑記帳、それは明らかに図書館の本ではない。
「今のあんたには必要ないものだろう?」
締まりのないへらへらとした口調で挑発するかのごとく訊く。
「盗んでおいて、その言い方はないだろう? 返せ!」
リーフが感情をあらわにする。落ち着いた雰囲気と冗談を言うところしか知らないリーフがこんなに怒りを外に出しているのをプリムは見たことがない。とても意外であると同時に、その雑記帳がいかに大事なものなのかを窺わせる。
「非常に愉快だね」
人形はくくくと不敵に笑う。
「愉快だって? こっちは不愉快だ」
リーフは明らかにむっとしている。プリムは二人のやり取りを聞きながら傀儡師の姿を捜す。魔導人形が三体ここにいて、それも動いている。どこかに術者がいるのは間違いないのだ。それなのに、部屋には自分たちとこの人形三体しか見当たらない。
「お前、イールだろう? アストラルシリーズの、初期作品……」
リーフはその人形をにらむ。イールと呼ばれた人形は額に手を当てて大きく反り返ると高らかに笑う。
「思い出してくれたようで嬉しいよ。いかにも。おれはイール。あんたの作品だ」
「だが、あのシリーズはすべて燃やしたはずだ! 現存するはずがない!」
リーフが言い切ると、イールは指を軽く横に振る。
「あんたは腕のいい人形職人だ。それがおれやそこにいる彼らによって証明された」
言われてリーフは気付く。
「……試作品?」
呟き、首を横に振る。
「そんなばかな。あれは燃やしたって聞いていたぞ。理想とは程遠い失敗作だからって協会が……」
リーフは動揺している。信頼していた協会に裏切られたような気持ちになる。
「これが現実さ」
再び楽しそうにイールは笑う。乾いた、地の底から響くような低い声で。
「――アストラルシリーズはあんたの手によって消された唯一のシリーズ。流通には一体も乗っちゃいない。だがな、流通に乗らなかったのは何もあんたがシリーズごと炎の中に捨てたからってわけじゃねえ。協会側もそのシリーズだけは外部に流れないように制御していたんだぜ」
「なぜそんなこと……」
イールの台詞に口を挟んだのはプリムだった。リーフが気に入らない人形や研究を燃やしてしまうところがあるのは知っていたが、そんなシリーズがあったということ自体初耳だったのだ。ましてや協会側での制御となると、プリムも協会を疑わずにはいられない。
「お嬢ちゃんはうすうす感づいているんじゃないのかい?」
愉快そうにその両目を細め、プリムを見る。
(あれ、力が……)
目がかすんで身体がだるくなっているのに気付く。立っていることが次第にできなくなり、思わず手を壁に当てる。
「プリム!」
慌ててリーフはプリムを支える。プリムは苦笑する。
「そうか、アストラルシリーズは……」
リーフはプリムの異変がどうして起きたのかに思い当たる。
「遅い遅い遅い!」
イールは高らかに笑う。これだけ大声を出しているにもかかわらず誰もやってこないのはこの部屋の位置と、その特異性からなるものだ。本を書き写す作業はとても根気が要る作業で、集中できるようにと外の音が中に入ってこないようにしているだけでなく、その効果の副作用として中の音もまた外には漏れない造りとなっている。さらにこの狭さもイールが計算していたことだ。
「研究を燃やしてしまうからそういうことになるんだぜ。はっはー。これはおれだけの意見じゃない。ミール様もそうおっしゃっていたぞ? あんたのそういうところが非常にもったいないと」
「ミールさんが?」
リーフが眉間にしわを寄せる。まさかここでその名を聞くとは思っていなかったのだ。
「さ、どうする? このままじわりじわりと攻めてもいいんだがなあ?」
イールはリーフの台詞を無視してゆっくりと一歩ずつ前に進む。
(なるほど……この人形たちはあたしの魔力を吸い取っているのか。魔力の供給源としての特定の主人を持たない形式の魔導人形なのね)
ぼんやりとしてゆく頭でプリムはそれだけのことを分析する。
(だとすれば……)
「プリム、ここは一度退却しよう。一度に三体を相手にするのはさすがに無理だ」
耳元でリーフが提案する。プリムはすぐに首を横に振る。
「意味のないことだわ。……外に出れば、被害はあたし以外にも及ぶでしょう?」
「だけどこのままではお前が!」
リーフが強引に抱えて逃げようとするのをプリムは制止し、両足でしっかりと立つ。踏ん張ってはいるものの足が震えている。
「任せて」
プリムはリーフを見ずにしっかりとイールを見据える。
(『魔導人形理論』に書かれていたことが早くも役に立つなんて)
「おや?」
イールは近付くのをやめて立ち止まる。
「覚悟を決めたってか? 泣かせてくれるねぇ! っても、人形は涙も出ないんだがなぁ!」
馬鹿にするように言って続けて笑う。
「どうかしら?」
プリムも負けじと口元の端をわずかに吊り上げ両目を閉じる。精神を集中させるときの癖だ。
(やっぱりそうだ。感覚を共有状態にできるってことは、
「!」
イールは自分の身体に起きた異変に気付いて笑うのをやめる。異変はイールだけではない。頭巾をかぶった人形二体ともぼんやりとした白い光をまとっている。そうこうしないうちに、それぞれの足元に白い魔法陣が展開する。
(これならいけるわ!)
「貴様っ! 何をした!」
強い動揺が現れる。今まで自分がこの場面の主導権を握っていたはずなのに、いつの間にか立場が入れ替わってしまっていることに驚きを隠せない。
「肉体より放たれし 清き生命の源よ」
静かに響く呪文の旋律。一つ一つの単語がはっきりと発音される。
「がぁっ!」
身体の自由が利かなくなり、イールはその場に膝をつく。
「そんなばかなぁ!」
「世界の均衡に基づいて あるべき姿 あるべき形に戻りたまえ!」
イールの言葉を無視してプリムは呪文の詠唱を終える。開かれた両の目はしっかりとイールを捉えている。悲しげな、それでも強い意志が感じられる紫がかった青の瞳。
「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」
断末魔の叫び。強制的に器である人形から強引に魂を引き裂かれる声。それらとともに強い光が三体の人形を貫く。
「あなたは大きな失敗を犯した」
淡々と語る冷めた声はわずかに息が上がっている。
「それはあたしと精神を繋いでしまったことよ」
人形から光が消える。同時に力を失った人形はまさに糸の切れた操り人形のごとくその場に崩れる。プリムは術が成功したことでほっとし、リーフを見る。
「良かったわね、リーフ君。あたしが写本に目を通していたあとで……」
プリムはにっこりと微笑んだままその場に力なく膝をつくと、身体を支えようとしゃがみこんだリーフの胸に倒れこむ。人形に魔力を奪われているのにもかかわらず、同時に三体も人形との
プリムはすでに意識を失っていた。
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