ローザシリーズの中期作品、愛称はアーリア
再び店内。椅子を並べてこしらえた簡易寝台に店員を寝かせ、額に水で冷やした綿織物を当てる。彼女はすぐに意識を取り戻した。
「ん……」
額に置かれた綿織物に手をやると目を開ける。状況がよくわからずにどこか焦点の定まっていない目で辺りを見回している。
「気づかれましたか?」
プリムは店員の顔を覗き込む。
「人形を取り出すときに足を滑らせたんですよ」
それを聞いた彼女は慌てて上体を起こす。
「すみません! わざわざご丁寧に……」
プリムのついた嘘をそのまま受け取って状況が理解できたらしく、驚きと戸惑いの入り混じる声でおろおろとしている。
「いえ。もともと頼んだのはあたしですから」
なんでもないことだと言うような表情でプリムが答える。
「そんなことより気分はいかがですか?」
「はい。おかげさまでもう大丈夫です。ご心配おかけしました」
恥ずかしそうに頭を下げる。
「それなら良いんです」
プリムはほっとした様子で微笑む。見た感じではどこにも異常はなさそうだ。
「人形は……」
店員が不安げに辺りを見回すと、勘定台にちょこんと腰をかけて待機している人形が目に入る。
「あぁ、無事だったのね」
立ち上がって人形を手に取る。
「怪我はない?」
人形の頭をなでながら話しかける。
「ごめんなさいね、あなたを落としてしまって」
申し訳なさそうに彼女は謝る。人形と店員のやり取りを見ながら、あのとき――人形から店員に魂が憑依したときに聞こえた台詞の意味をリーフは理解した。
「この子、買われますか?」
人形の状態を確認すると、プリムを見て少し寂しげに店員は問う。
「いや、その人形はあなたが持つべき人形だ」
お客が入ってこないように扉に知らせの看板を出し、その近くにずっと立っていたリーフが二人の会話に割って入る。
「え?」
その台詞が聞き間違いではないかという戸惑いの表情を浮かべた店員はリーフに視線を移す。それを見ると、リーフはプリムに目配せをしてここは任せろと合図する。
「その子はあなたを気に入っている。それは見ればわかることだ」
店員のいるところに近付きながら言う。
「ですがこれは……」
困った表情で彼女は答える。
「商売だからと割り切ろうとしているのだろうが、あなたからは別の気持ちも感じられる」
店員は視線をそらして口ごもる。
「だから、俺がこの人形を買い取ってあなたにあげるというのはどうだろう?」
「そんなわけにはいきません!」
彼女の返事は早かった。まっすぐリーフに向けられた瞳からは仕事に誇りを持っていることを示す意志の固い色が窺える。
「これでも商人なんです。からかっているおつもりですか? 見ず知らずの方にそんなことをしてもらうつもりはありません!」
本気で怒っているようだった。彼女が持つ穏やかな様子が迫力を打ち消しているのだろう。それでも気分を害したことはその表情から読み取れる。
「その子の前では言ってほしくなかったな……」
人形に目を向ける。人形はいまだに店員の手の中に大事そうに抱えられたままだ。
「なあ、アーリア。お前が見つけた唯一の主人なんだろう?」
リーフは人形に向かって優しく微笑む。その様子に店員は目を丸くする。
「どうしてこの子の名前を……?」
「ローザシリーズの中期作品。愛称はアーリア。俺の作品だ」
視線を店員に戻す。
「ま、まさかあなた、リーフ=バズさん!」
人形をしっかりと抱えたまま思わず口元に手をやる。目を何度もしばたたかせている様子からするとよほど驚いたのだろう。
「魔導人形は傀儡師のもとにいるのが本来の姿だろうが、まれに魔力を扱えないが愛情を注いでくれる人間に忠義立てするものがあるらしい。この子はそういうもののようだな」
人形の頭をなでると、瞳に生気が戻る。とてもやわらかい穏やかな色だ。
「不思議……」
人形の表情が明るくなったように感じられて思わず呟く。
「そんな子をあなたから引き離すようなことがあってはいけない。手元においておくべきだ。――さあ、どうする?」
店員は人形の顔をじっと見つめ、困り果てた様子である。
「そうですね……」
しばし人形と見詰め合っていたが、やがて吹っ切れたような表情でリーフに微笑みかける。
「これも何かの縁なのでしょう。私の名前もこの子と同じ『アーリア』なんです。それで親近感が湧いてしまってなかなか売り出せずにいたのですが……もう決めました。ずっとこの子は私のもとに置いておきますわ。お代は結構です」
「だが」
リーフは困る。代金を払うつもりでいたからだ。このままでは申し訳ないという気持ちになる。
「その代わりといってはなんですが……新作ができた際には連絡をいただけないでしょうか? ぜひこれからも取り扱わせてほしいのです」
恥ずかしそうにアーリアは言う。
「えぇ、喜んで。そのときはよろしくお願いします」
リーフは頭を下げる。こんなところで流通先が増えるとは全く思っていなかったので、リーフは正直嬉しかった。これもまた何かの縁なのだろう。
「すみませんね、せっかく探しにいらしたのに」
アーリアはリーフの隣にいるプリムに対して心から申し訳ない様子で詫びる。
「いえ。人形の幸せも尊重されるべきだとあたしは思っていますから。うらやましいです。
プリムは微笑みながら言う。この人形に対してすべきことはもう済んでいる。あとはこの人形の幸せを祈るだけだったのだ。こんなに良い結果を得られたなら何の文句もつけられないだろう。
「これからもお仕事がんばってくださいね」
「あなたも、がんばってくださいね」
「はい。また来ます」
アーリアにお辞儀をすると店を出る。
「ありがとうございました」
アーリアは深々とお辞儀をして二人を見送った。
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